傑作の呼び超え高い時代劇映画がもたらした、

50年前に訪れた宿場町への想い出



22年2月16日(水)



――Minoru Tanakaさんより拝借・「風に吹かれて街歩き」と題して何百本と動画をアップされており、まさにこの映像が示す時代の現地を歩いたのだった――


旧中山道・木曾路の宿場が舞台となる映画を見て、やはり同じ木曾路の宿場が舞台となる旅情ミステリー小説も読む。


映画は時代劇の傑作「十三人の刺客」(1963年・東映提供正規版・YouTube)で、合戦の舞台が落合宿(中津川市)

往年の東映の大物時代劇スターが勢ぞろいしており、その演技や作りこみは、リバイバル版(2010年)とは比べようがないほどの素晴らしい出来。

子供の頃に親しんだ、懐かしいスターの顔が次々と登場して、感激。


小説はご存知の浅見光彦が登場する内田康夫の『皇女の霊柩』

こちらの舞台も、落合宿に隣接する馬籠宿と妻籠宿(重要伝統的建造物保存地区)、中津川などを軸に展開。

馬籠が生家の島崎藤村にまつわる展開も


ちなみに『皇女の霊柩』の皇女とは、公武合体を画策する政略結婚により第14代将軍・徳川家茂に嫁した「皇女和宮」のことだ。

この小説で知ったが、和宮が徳川家に降嫁するとき、旧中山道を多くの付き人を従えて江戸に向かったとある。

なんと、その付き人の数が1万数千人とあり、一説には2万人とも3万人とも言われ、行列は数十キロに及んだとも。

その「和宮の祟り」が作品では事件に影響するのだが、読んでいてそのことは一種のオブラートのようで、あまり感じない。


で、映画と小説の舞台となった宿場の現在と過去の様子をYouTubeで見ながら懐かしんだり、楽しんだりしてウキウキ。

懐かしいというのは、僕は50年前にこれらの宿場を訪れている
かすかな古い宿場の町並みが想いだされるだけで、ほぼ記憶から消え失せている。
「藤村記念館」があったということだけは憶えている。


他方、内田作品では、その島崎藤村の件で、小説の本筋とは関係ないけど、〈ヘェー、そうなんだ!〉と興味を覚えたカ所がある。

登場人物の大学生が、たまたま藤村『夜明け前』の有名な冒頭のあのフレーズを「これ、剽窃(盗用)では?」と指摘する場面がある。

オリジナルと、引用されたとされる『夜明け前』の文章が並べられて。

オリジナルは江戸時代の旅行冊子(『木曽路名所図会』)だ。


『夜明け前』
「木曽路は山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数間の深さに臨む木曾路の崖であり、山の尾をめぐる谷の入り口である。」



オリジナルはこんな具合。
「木曾路はすべて山中なり。名にしおう深山幽谷にて岨づたひに行かけ路多し。――(略)此間左は数十間深き檜に――略――山の尾崎をまはる所多し。」



こうしてみると、確かに剽窃だろうかとも思うが、ただしこの作品ができた時代に、「剽窃」などという言葉があったのかどうかは知らない。

それに『夜明け前』という作品は、その程度の指摘の次元とは関係なく、まさしく近代文学としての最高峰に位置づけられる名作で、指摘は単に「へえ、そうなんだ」という程度でしかない。


ちなみに『夜明け前』の「夜明け」とは明治維新のことだが、果たして、主人公が期待したような「御一新」や「夜明け」と言えるのかどうか……問われ、ペリーが浦賀に来航した年からはじまる。

なんであれ、現在までのこれらの宿場の、より観光化した様変わりはそれとなく知っていたが、あらためて最近の宿場の様子を映像で楽しんだ次第。


50年前に出向いたのは、当時の国鉄が国内旅行を促す「ディスカバージャパン」キャンペーンにうながされて

上記映像の、馬籠や妻籠の宿場がキャンペーン映像(写真かも)に映され、是非ここに行ってみたい、と僕を動かした。

おそらく南木曽駅で下車し、そこから木曾路探索が始まったはず。

50年前のこの映像にもあるように、当然馬籠の宿場は未舗装である。


以後、こうした江戸の昔の香りが残る場所をあちこち訪ねたが、薩摩の知覧の武家屋敷跡の通りはちょっと期待外れ。

今のようにネットの情報などなかった時代だから、限られた情報で、それはそれで歩きまわっていて、楽しかったことは楽しかったけどね。

知らない地域を、遠くまで出向くこと自体……それだけで楽しかった。



次回へ……。