2016年7月21日(木)

兄が難病で要介護状態にあり、施設から自宅に戻っているのでこの前の三連休は見舞いで帰省した。

全身の肉が削げ落ちて体重がいちじるしく減り、とくに首から上は頬がこけてげっそりやせ細り、頭全体がひとまわり縮小したようで、10歳ほど年上に見えるほどやつれはてた変貌ぶりにショックを受ける。

自宅だから兄と分かるけど、もし施設で本人だと言われずに会ったら、弟の僕でさえ判らないかもしれないほど、顔つきがすっかり変わっている。

介護ベッドは言わずもがな、玄関や廊下など家じゅうに手摺りがあり、動けないので車いすで家の中を嫂が押して移動する。

今ではもう筋力が落ちて無理だが、以前兄は無理に立ち上がろうとしてもまともに立てないので、いきなり倒れて、大きなガラス戸の高価なガラスを割ったり、風呂場の壁面を壊してガムテープが張ってあったりで、家じゅうのそこかしこに兄が倒れて壊した痕跡がある。

もちろん兄はその都度、顔や体にケガをしたり痛めたりして、一番つらいのは本人だ。

口もまともに利けず、体も動かせない。そう、すっかり赤子と同じだ。

たまたま姪夫婦が六ヶ月の赤子を連れてやってきた。こちらはかわいい赤ちゃんだが、兄はこれ以上なく手のかかる大きな赤子そのものといえる。

デイサービスを週に三日ほど利用しているものの、そうでない日は24時間、ほぼ掛かりきりで嫂が面倒を見ている。

兄をベッドから車いすに乗せるだけでも(その逆も)大変な重労働だし、食事も嚥下しやすいように特別な調理をほどこし、栄養までも考えた食事内容だし、それを作るだけで倍の手間がかかり、赤子と同じで食べさせなければならない。

もちろん、兄本人がいちばん辛いだろうが、それにしても嫂の頑張りには頭が下がる。

施設入りの予定だからこそ頑張れるのだろうが、もし自宅で継続して介護し続けるとなると、まずそれは困難だろうし、あり得ないことだ。

家族の介護疲れはもとより、介護で仕事を辞めた、あるいはどうして仕事に復帰するかなど社会的に大きな問題になっているが、先の分からない介護期間だからこそ、いろんなやっかいごとが重なってくる。

現に今朝の新聞は、介護保険制度の見直しで、「介護サービス縮小」の議論がスタートしたとある。これが実現されたら、もっと大きな社会的問題になるはず。

兄の姿を見て、介護者をかかえる家族の大きな問題、つまり〈待ったなし〉の現実を突きつけられ、いろいろと考えさせられた帰省だった。