玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

選挙制度

政治と政治家の劣化は、小選挙区制度がもたらした!

2015年9月24日(木

※下記は再掲である。
それも2012年11月のこのブログからの再掲である。

再掲だけど、内容はちっとも古くない。

むしろ、タイトル通りに
いまや政治と政治家の劣化が著しく進んでいる。

で、再掲となった。



誰もが感じているのではないだろうか――最近の政治家の
質の低下や小粒化を。もっと言えば小物化を。




選挙民としては、いかにも頼りない輩が少なくない。

選挙ポスター
ドキュメンタリー映画「選挙」より


「えっ、あの人が国政に?」としか思えないような人物が
堂々と出馬したり(その器には疑問なのに)、

なかには「結構な就職口が見つかって、良かったですね」としか
言えないような人が議員バッジを付けていたりして……。

それはそれで政治家への門戸の敷居が低くなったのは分かるけれど、
それでは何故、どうしてそこまで敷居が低くなってしまったのだろう?

敷居が低くなった何らかの理由があるはずだが、

立花隆『滅びゆく国家』を読んでいたら、
その理由とおぼしい箇所に出くわした。

立花がその理由として挙げているのが



「小選挙区制度」だ。



なぜなら小選挙区というのは、
県会議員の選挙区や都会議員の選挙区よりも小さくて、

それだけにドブ板選挙的な活動を一生懸命にやらないと当選できない

そして選挙区の有権者の数からいっても、
日常政治活動の水準からいっても、


これでは候補者のスケールが小さくなるのは当然だ、と。


だから早く中選挙区制度に戻すべきで、
戻さないと候補者のスケールは

元に戻らないのではないか
と立花は指摘する。

もう一つの欠点としてあげているのが落下傘候補の存在にまつわる話。

知ってのとおり、比例区との重複立候補により、
名簿が上位なら「どんな不人気・不適切候補」であっても当選
してしまう。

そして、この当選のあり方が問題なのだ。

いったん当選してしまえば、人気がなくても、適正を欠いていても、
その候補が「その選挙区の支部長になって、

その地域の政治活動を取りしきることになる
から、
自然にパワーを持ってしまう」。

そしてまた、小選挙区制度の最大の恩恵は、
党代表や党首にもたらした「公認権」という権力の絶対化にある。

政治家の死命を制するのは党の公認。

たとえば今日、鳩山サンは、立候補を取りやめ引退の意向を表明をした

TPPなどへの不満や反発があるからだが、

党(党の代表)としては(鳩山さんに)党中央に対する反逆者には
公認を与えないという懲罰を加えることができる
から、

たとえ党の生みの親であっても、元首相であってもどうしようもない

小選挙区という制度は、
はからずも党代表の権力を圧倒的なものにしてしまったのだ。

それだけではない。
選挙後に党籍を除名し、支部長職を奪えば、

その候補はもう政治活動のチャンスすらなくなり、
政治生命が奪われる


残るは死に絶えた姿のみで、それがまた見せしめにもなる。

ちなみに政治というのは、
せんじつめれば「あいつは敵だ。あいつを殺せ!」の一言に
集約されると喝破したのは、今は亡きあの埴谷雄高(はにやゆたか)。

権力闘争の世界は殺し合いそのもの。

埴谷が言う。
競争相手を「非常に殺せば殺すほど権力者は畏怖され、そのパワーは強大になる」と――。






“小選挙区制度”が抱える問題とは?

2012年11月20日(火曜)


誰もが感じているのではないだろうか――最近の政治家の質の低下や小粒化を、もっと言えば小物化を。
選挙民としては、いかにも頼りない輩が少なくない。

「えっ、あの人が国政に?」と思うようなひとが堂々と出馬したり(たとえ落選したにしろ)、なかには「結構な就職口が見つかって良かったですね」としか言えないような人が議員バッジを付けていたりして……。

それはそれで政治家への門戸の敷居が低くなったのは分かるけれど、
それではなぜ、どうしてそこまで敷居が低くなってしまったのだろう?

敷居が低くなった何らかの理由があるはずだが、
立花隆『滅びゆく国家』を読んでいたら、その理由とおぼしい箇所に出くわした。

立花がその理由として挙げているのが「小選挙区制度」だ。

選挙ポスター
ドキュメンタリー映画「選挙」より

なぜなら小選挙区というのは、県会議員の選挙区や都会議員の選挙区よりも小さくて、それだけにドブ板選挙的な活動を一生懸命にやらないと当選できない

そして選挙区の有権者の数からいっても、日常政治活動の水準からいっても、これでは候補者のスケールが小さくなるのは当然だと。だから早く中選挙区制度に戻すべきで、戻さないと候補者のスケールは元に戻らないのではないかと立花は指摘する。

もう一つの欠点としてあげているのが落下傘候補の存在にまつわる話。
知ってのとおり、比例区との重複立候補により、名簿が上位なら「どんな不人気・不適切候補」であっても当選してしまう。

そしてこの当選が問題なのだ。いったん当選してしまえば、人気がなくても、適正を欠いていても、その候補が「その選挙区の支部長になって、その地域の政治活動を取りしきることになるから、自然にパワーを持ってしまう」。

そして小選挙区制度の最大の恩恵は、党代表や党首にもたらした「公認権」という権力の絶対化にある。

政治家の死命を制するのは党の公認。
たとえば今日、鳩山サンは、立候補を取りやめ引退の意向を表明をした。TPPなどへの不満や反発があるからだが、党(党の代表)としては(鳩山さんに)党中央に対する反逆者には公認を与えないという懲罰を加えることができるから、たとえ党の生みの親であっても、元首相であってもどうしようもない
小選挙区という制度は、はからずも党代表の権力を圧倒的なものにしてしまったのだ。

それだけではない。選挙後に党籍を除名し、支部長職を奪えば、その候補はもう政治活動のチャンスすらなくなり、政治生命が奪われる。残るは死に絶えた姿のみで、それがまた見せしめにもなる。

ちなみに政治というのは、せんじつめれば「あいつは敵だ。あいつを殺せ!」の一言に集約されると喝破したのは、今は亡きあの埴谷雄高。

権力闘争の世界は殺し合いそのもの。競争相手を「非常に殺せば殺すほど権力者は畏怖され、そのパワーは強大になる」ということだろう。
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