2015年12月9日(水曜)
久しぶりに神楽坂を訪れた。昨日、飯田橋で午後に打ち合わせをおこなった後、行ってみるかとばかりに、一緒にいた仲間と出向いてみた。
神楽坂の歩道はかなりの人出で、「こんなに人が多かったけ」と思うほど、ぞろぞろ人が歩いている。
よく見ると、人出が多いのは観光客なのだった。いつの間にか、観光客が増えているようだ。特におばさん達が連れだって歩いているのが目にとまる。神楽坂特有の老舗の和菓子店などは小さな店内が客で埋まっている。
人出があるからだろうか、坂全体の商店街が華やかなのはともかく、反面なんか雑然とした感じも否めない。神楽坂という響きがもつ、落ち着いた感じが失せて、次第にどこにでもあるような商店街となっているのではないのか。僕が知る神楽坂はもうすこし空間感覚が広々としてゆったりしていた思いがあるのだが、今はかなりぎちぎちした感じの狭苦しい坂の商店街になっている。
限られた空間だから、少しでもあいていれば利用することになるのだろうが、たとえば以前、歩道からビルまでの空間が広場のようにそこそこあったある場所は、その空間がすっかり駐車場と化している。そういう具合に、建物がぎちぎちと建ち並び、空いてる空間は、隙間無く利用するようになっているようだ。
この雑然とした感じは師走という時節も手伝ってのものかどうかはともかく、僕が記憶している以前の神楽坂とは明らかに違っている。
と、思えば、毘沙門天に向かって、歩道から両手を合わせて頭を下げている、地元のひととおぼしいご婦人もいた。なるほど、ここは神楽坂だわとも思う。
そんなことを見たり感じたりしながら、裏通りの道も歩いてみる。なんか、裏通りの方がしっかりと神楽坂の粋な風情や雰囲気を良い意味で残していると思われる。それに裏通りのたたずまいがひときわ良くなっていて好ましい。

再び坂に出てそれを登り、新潮社の本の倉庫を建築家・隈健吾が設計して再生させたという施設を見に行く。オープンしてすでに一年を経ている。
歩道からの建物正面広場へのアクセスとなる段々(階段)が凝っていて、一段一段の奥行きがかなりあって、とんとんと駆け上がるというわけにはいかない。そして広場から、あえて大きな曲がりくねった凝った造りの階段が二階へと続く。いやでもこれは目にとまる。建物の正面のデザインとして、「神楽坂の」の「坂」の傾斜をイメージしたものらしい。
来場者にとってはこの段々と二階への階段が、変わりだねの傾斜のイメージとして迎えてくれるわけだが、そうした一種の異彩、異端がいやでも施設への期待値を高めさせてくれる。そんな設計者の仕掛のはからいが感じられる。
建物に入ってみる。施設は二階建てで、今風の生活雑貨やファッションを総称したおしゃれなスペースということか。これは商業施設としての生まれ変わりのようだ。
一階には中央部に広々としたカフェーがあり、客はほとんど女性。
二階はやはり雑貨スペースだが、半分は新潮社のイベントスペースとなっていて、ごく普通のプラスチック製の椅子が7、80個ぐらいはならんでいたか。作家などのトークショーなどが催されている。上記のフォトは今月15日に開催される島田雅彦のトークショーから。ドストエフスキー「罪と罰」をテーマに語るようだ。
ドストエフスキーが出てきたので、ついでに一つ。
ある作家が言っていた。
「ドストエフスキーは19歳までに読まなければならない」
なぜなら、ドストエフスキーの毒を浴びるには二十歳を過ぎると、その毒がまわらなくなるからとのこと。
凄い言葉ですね、これって。文学の毒を浴びる。ドストエフスキーならではでしょう。
話を戻そう。
おそらく馴染むと、この空間は落ち着くのだろうが、ぼくにはなんか、合わないような気がした。
後は以前の馴染みの店を二軒ほど廻って、痛飲。悪酔いしてしまった。
久しぶりに神楽坂を訪れた。昨日、飯田橋で午後に打ち合わせをおこなった後、行ってみるかとばかりに、一緒にいた仲間と出向いてみた。
神楽坂の歩道はかなりの人出で、「こんなに人が多かったけ」と思うほど、ぞろぞろ人が歩いている。
よく見ると、人出が多いのは観光客なのだった。いつの間にか、観光客が増えているようだ。特におばさん達が連れだって歩いているのが目にとまる。神楽坂特有の老舗の和菓子店などは小さな店内が客で埋まっている。
人出があるからだろうか、坂全体の商店街が華やかなのはともかく、反面なんか雑然とした感じも否めない。神楽坂という響きがもつ、落ち着いた感じが失せて、次第にどこにでもあるような商店街となっているのではないのか。僕が知る神楽坂はもうすこし空間感覚が広々としてゆったりしていた思いがあるのだが、今はかなりぎちぎちした感じの狭苦しい坂の商店街になっている。
限られた空間だから、少しでもあいていれば利用することになるのだろうが、たとえば以前、歩道からビルまでの空間が広場のようにそこそこあったある場所は、その空間がすっかり駐車場と化している。そういう具合に、建物がぎちぎちと建ち並び、空いてる空間は、隙間無く利用するようになっているようだ。
この雑然とした感じは師走という時節も手伝ってのものかどうかはともかく、僕が記憶している以前の神楽坂とは明らかに違っている。
と、思えば、毘沙門天に向かって、歩道から両手を合わせて頭を下げている、地元のひととおぼしいご婦人もいた。なるほど、ここは神楽坂だわとも思う。
そんなことを見たり感じたりしながら、裏通りの道も歩いてみる。なんか、裏通りの方がしっかりと神楽坂の粋な風情や雰囲気を良い意味で残していると思われる。それに裏通りのたたずまいがひときわ良くなっていて好ましい。

再び坂に出てそれを登り、新潮社の本の倉庫を建築家・隈健吾が設計して再生させたという施設を見に行く。オープンしてすでに一年を経ている。
歩道からの建物正面広場へのアクセスとなる段々(階段)が凝っていて、一段一段の奥行きがかなりあって、とんとんと駆け上がるというわけにはいかない。そして広場から、あえて大きな曲がりくねった凝った造りの階段が二階へと続く。いやでもこれは目にとまる。建物の正面のデザインとして、「神楽坂の」の「坂」の傾斜をイメージしたものらしい。
来場者にとってはこの段々と二階への階段が、変わりだねの傾斜のイメージとして迎えてくれるわけだが、そうした一種の異彩、異端がいやでも施設への期待値を高めさせてくれる。そんな設計者の仕掛のはからいが感じられる。
建物に入ってみる。施設は二階建てで、今風の生活雑貨やファッションを総称したおしゃれなスペースということか。これは商業施設としての生まれ変わりのようだ。
一階には中央部に広々としたカフェーがあり、客はほとんど女性。
二階はやはり雑貨スペースだが、半分は新潮社のイベントスペースとなっていて、ごく普通のプラスチック製の椅子が7、80個ぐらいはならんでいたか。作家などのトークショーなどが催されている。上記のフォトは今月15日に開催される島田雅彦のトークショーから。ドストエフスキー「罪と罰」をテーマに語るようだ。
ドストエフスキーが出てきたので、ついでに一つ。
ある作家が言っていた。
「ドストエフスキーは19歳までに読まなければならない」
なぜなら、ドストエフスキーの毒を浴びるには二十歳を過ぎると、その毒がまわらなくなるからとのこと。
凄い言葉ですね、これって。文学の毒を浴びる。ドストエフスキーならではでしょう。
話を戻そう。
おそらく馴染むと、この空間は落ち着くのだろうが、ぼくにはなんか、合わないような気がした。
後は以前の馴染みの店を二軒ほど廻って、痛飲。悪酔いしてしまった。
