2008年2月23日(土曜日)

■時代小説の最大のヒーローは剣豪である。
吉川英治の「宮本武蔵」しかり、柴田錬三郎の「眠狂四郎」しかり、池波正太郎の「剣客商売」しかり、そしてまた、柳生十兵衛をはじめとした柳生一族しかり、それから最近NHKで放送している鞍馬天狗もそうだし、見方によってはこのブログで前回、前々回にも触れた司馬遼太郎の、「燃えよ剣」の土方歳三などを挙げても誤りではないだろう。
とまれ、身近なヒーローをいくらでも挙げることができる。

■こうしたヒーローが活躍する時代小説の船に乗れば、それはそれで時代を隔てた未知の世界への時間旅行を十分愉しむことができるのだけれど、小川和佑という文芸評論家の『時代小説巡遊記』を読んでいて、時代小説のあらたな愉しみ方、倍加する愉しみ方に触れた思いがした。

■この『時代小説巡遊記』は剣豪とは切っても切れない刀剣、そう刀について、上述したような時代小説のヒーローたちと刀との関係について、つまり刀をキーワードにして小説を読むことで気づくさまざまな興味深い点について述べている。

■「日本刀」という呼称は現代の日本人にとっては美術・芸術工芸品としての独特のイメージを彷彿させるが、その呼び方そのものは決して古いものではなく徳川十一代将軍家斉(いえなり)の頃で、文政11年(1828年)に頼山陽が詩集のなかで、詩語として使った「日本刀」が爆発的に流行したからだという。
ただし語源そのものはもっと時代はさかのぼり、11世紀の頃の中国の詩人の「日本刀歌」にあったとのこと。

■そして宮本武蔵なら相州鍛冶正宗の古刀、対する巌竜佐々木小次郎は備前長船の長太刀になるわけだが、そうした刀と刀鍛冶について述べているのはまだほんの小手調べで、剣豪と刀の関係(すなわち武士と刀の関係でもある)が示すところのその精神的な意味あいについて述べ、刀身に用いる鋼の層の構造による刀の出来具合と名刀や粗末な刀の真贋、それに刀の長さやその種類など、本格的な刀の知識を元に剣豪と刀についての関係性を面白く読み解いているのだ。
ユニークな視点であり、その説得力に感心した。

■でも考えてみれば、これも当然かもしれない。
刀が「武士の魂」とまでいわれた以上、刀が武士に与えた精神的な影響はわれわれ現代人には想像も及ばないほど深いものであろうし、逆に言えば、武士の刀に対する思いは、まさにその武士の存在そのものに匹敵するほどのもので、(刀自体が)武士を体現していたものと思える。

■で、読者にわかるように参考までに記しているのだろうが、これらの剣豪がつかっていた刀鍛冶の手になる刀が現代に残っているモノだと、それらは実際に数百万、数千万円もする高価なものらしい。やはりワザ物が多いのだ。

■いずれにしろこの本は刀というユニークな視点を通して時代小説を見ることで「作家の個性やこのみ、その素養までもが浮きあがって見えて」きて、従来にない新たな時代小説のより深い次元での読み方を提示してくれた。
司馬遼太郎などは歴史的な知識は相当なものだというのは分かるけど、刀剣についての知識も作家としてはトップクラスでかなりのものだったとのことだ。

■時代小説のなかで作中の武士が帯刀する刀についての描写や説明が入るようになったのは1970年以後のことだという。
これはいわゆる中間小説の出現とも関係するが、武士と刀、剣豪と刀を組み合わせてみることで、より深い次元での武士の造形、すなわち剣豪の造形が可能になったものとおもわれる。
刀をとおして武士を、剣豪を語る意味、すなわち時代小説を語る意味はもっとひろく理解されていいものだと思う。