2009年4月20日(月)
■せいぜい(自分が)東北人として常識という程度の高が知れた知識でしかなく、とくに深い知識をもっていたわけではないものの、平泉に対する思いを一新することになった。先週の土曜日、世田谷美術館で閉幕間際の「平泉展」を見てきた。東京でのせっかくの展示機会である、見逃したくはなかった。
■それにしても、平安の後期、想像以上の一大仏教文化が東北の地にかくも華々しく花開いていたことに一驚した。宗教的理念で東北一円を統一した政治権力が藤原三代である。そして東アジアの仏教文化をもっとも華麗かつ贅沢な形で実現したのが、奈良でも京都でもなくこの平泉だった。
と、したり顔で語ればいかにもそれらしいが、これはネットで見つけた平泉に関するあるブログからの引用である(「仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル」より)。そしてこのおだずま氏も、その出典をこのところ「東北学」で知られる赤坂憲雄氏の著書に因るとしている。
■僕自身、平泉を改めて見つめ直すとなると、まずは高橋克彦『炎立つ』で平泉の歴史のあらましに触れ、今や東北学の権威でもある赤坂憲雄氏の著書などをひもとく事になると思った次第。
■世田谷美術館での展示は、平泉の世界遺産登録を目指しているが故のPRを兼ねた東京展といえる。しかしながら、世界遺産登録を別にしても、平泉の仏教文化の素晴らしさは、あまたの展示品を見ることだけでもうかがい知ることができた。一部余所からの展示物も含まれてはいたが、それにしてもその展示物の多さと豊かさには驚くしかない。
■これは東北と東アジアの直接の交流・交易を示しているのではないかと思える。青森の三内丸山遺跡は縄文時代のものだが、その流れを組んで、青森・津軽の十三湊(とさみなと)あたりを介しての交流があったのではないか、だからこその、あれだけの仏教文化の繁栄なのではないか、と……。
■展示会場は土曜日だし、翌日でおしまいということもあって混雑していた。閉口するほどではなかったものの、展示品の前には人だかりができており、ゆったり見るというようなものではなかった。当然、平泉の歴史をその場で吸収するなどはまずは無理なことで、後は自身でネットなり、関連書物をひもとくことで知るしかないと思って帰途についた。
■何度も言うが、それにしても優れた展覧といえた。国内でも仏教をテーマに、あれだけ数多くの展観の機会を企画として作り出すことだけでも容易ではないと思える(イベントも手がける僕としては)。いや、かなり難しいと思う。それだけのテーマを成立させるとなると、それ以前にそういうテーマが成立したとしても、それだけの展示品を集めることが難しい。これはやはり背景に世界遺産という目標が控えているからだろう。その意味で、それはそれとしてもありがたい機会だったといえる。
■それから会場にマルコ・ポーロの「東方見聞録」の複製品が展示してあった。これは「東方見聞録」が言うところの「黄金の国ジパング」の黄金は、平泉の金色堂をさしての事ということだった。それって、学術的に証明されたことなのかどうかはともかく、いかにもそういうことだと、半ば決めつけていたようだが、それでいのかどうか?
■ところで「東北学」の赤坂憲雄氏とは、山形市にある東北芸工大の先生である。そもそも東北芸工大という大学を知ったのは数年前のことで、それも赤坂氏を介してのこと。90年代に創設された新設の大学らしいが、この赤坂氏の仕事ぶりで名を挙げているところもあるようだ。なかなか活発な動きをしているようで最近耳にするようになった。
■昨夜もテレ東の番組で「おくりびと」の脚本を書いた小山薫堂を取り上げていたが、脚本での山形との関わりからなのだろうか、小山はこの大学に新設された「企画」関連の教授のポストに就任したようだ。またまた東北の地から、いや、この東北芸工大からの情報が発信されることになろう。
■せいぜい(自分が)東北人として常識という程度の高が知れた知識でしかなく、とくに深い知識をもっていたわけではないものの、平泉に対する思いを一新することになった。先週の土曜日、世田谷美術館で閉幕間際の「平泉展」を見てきた。東京でのせっかくの展示機会である、見逃したくはなかった。
■それにしても、平安の後期、想像以上の一大仏教文化が東北の地にかくも華々しく花開いていたことに一驚した。宗教的理念で東北一円を統一した政治権力が藤原三代である。そして東アジアの仏教文化をもっとも華麗かつ贅沢な形で実現したのが、奈良でも京都でもなくこの平泉だった。
と、したり顔で語ればいかにもそれらしいが、これはネットで見つけた平泉に関するあるブログからの引用である(「仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル」より)。そしてこのおだずま氏も、その出典をこのところ「東北学」で知られる赤坂憲雄氏の著書に因るとしている。
■僕自身、平泉を改めて見つめ直すとなると、まずは高橋克彦『炎立つ』で平泉の歴史のあらましに触れ、今や東北学の権威でもある赤坂憲雄氏の著書などをひもとく事になると思った次第。
■世田谷美術館での展示は、平泉の世界遺産登録を目指しているが故のPRを兼ねた東京展といえる。しかしながら、世界遺産登録を別にしても、平泉の仏教文化の素晴らしさは、あまたの展示品を見ることだけでもうかがい知ることができた。一部余所からの展示物も含まれてはいたが、それにしてもその展示物の多さと豊かさには驚くしかない。
■これは東北と東アジアの直接の交流・交易を示しているのではないかと思える。青森の三内丸山遺跡は縄文時代のものだが、その流れを組んで、青森・津軽の十三湊(とさみなと)あたりを介しての交流があったのではないか、だからこその、あれだけの仏教文化の繁栄なのではないか、と……。
■展示会場は土曜日だし、翌日でおしまいということもあって混雑していた。閉口するほどではなかったものの、展示品の前には人だかりができており、ゆったり見るというようなものではなかった。当然、平泉の歴史をその場で吸収するなどはまずは無理なことで、後は自身でネットなり、関連書物をひもとくことで知るしかないと思って帰途についた。
■何度も言うが、それにしても優れた展覧といえた。国内でも仏教をテーマに、あれだけ数多くの展観の機会を企画として作り出すことだけでも容易ではないと思える(イベントも手がける僕としては)。いや、かなり難しいと思う。それだけのテーマを成立させるとなると、それ以前にそういうテーマが成立したとしても、それだけの展示品を集めることが難しい。これはやはり背景に世界遺産という目標が控えているからだろう。その意味で、それはそれとしてもありがたい機会だったといえる。
■それから会場にマルコ・ポーロの「東方見聞録」の複製品が展示してあった。これは「東方見聞録」が言うところの「黄金の国ジパング」の黄金は、平泉の金色堂をさしての事ということだった。それって、学術的に証明されたことなのかどうかはともかく、いかにもそういうことだと、半ば決めつけていたようだが、それでいのかどうか?
■ところで「東北学」の赤坂憲雄氏とは、山形市にある東北芸工大の先生である。そもそも東北芸工大という大学を知ったのは数年前のことで、それも赤坂氏を介してのこと。90年代に創設された新設の大学らしいが、この赤坂氏の仕事ぶりで名を挙げているところもあるようだ。なかなか活発な動きをしているようで最近耳にするようになった。
■昨夜もテレ東の番組で「おくりびと」の脚本を書いた小山薫堂を取り上げていたが、脚本での山形との関わりからなのだろうか、小山はこの大学に新設された「企画」関連の教授のポストに就任したようだ。またまた東北の地から、いや、この東北芸工大からの情報が発信されることになろう。