玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

著名人

けた違いのスケール 一度に200名の著名人が登場する講演会

2012年2月5日(日)

おっと、「なんだ、これは?」と思ったのが、これこれも、そしてここがやってる

偶然、ネット上で見かけたのだけれど。

驚いたことに3日間で、しかも一つの地方都市でオープンカレッジと銘打ち60以上もの個々のプログラムによる講演会というか、シンポジウムというか、談論というか……著名人が、大挙200名ぐらい参加して、それぞれのテーマにわかれてトークする。

これって、かつて無かったことですな、これだけのスケールや規模というのは。
と、驚いて、仕掛けが電通さんらしいとわかって、「な〜んだ」と思いましたね。でも、さすがによく考えられている。

どうやら10年ぐらい経過している企画のようで、日本中でやってきている。規模が大きくなったのは昨年の新潟県の長岡からなのかな。
とまれ地域の実力機関というか、官庁企業はもとよりメディアまで参加しての総ぐるみでやっている。こんなの他ではできませんね、電通さんでないと。

ともあれ、この規模での開催までは試行錯誤だったのでしょう。60以上のオープンのテーマによるトーク、それに200名以上の著名人の参加となるとその調整だけでもオオゴトだしね。
ぼくらなんぞは10名の著名人を集めてのシンポジウムなり講演会でも手を焼いているというのに、大変なものです。

よく練られているのは、著名人が会員として多数参加しており(数える気はしないが、300人位いるのだろうか)、毎年順繰りに交代でその中から十数人が理事を努めることになっている。だから200人の著名人が一気に押しかける(つまり集める)ということが可能なんでしょう。もちろん、著名人は仕事ですから、悪い気はしない。

当然だが、会の主旨などもそれなりにあって、大義名分もある。まあ、中央から大挙して文化人なり著名人が一度にドットばかりに地方都市に押しかけ、あっという間の一大にわか文化活動の開催となる。夜は夜で、著名人を囲んでの地元の有名飲食施設での飲み合い語り合いという寸法。

ふむ、これはどこかでやっていたぞ……そう、金沢のフードピアだ、と。他にも同じような企画はあるしね。おそらくその辺りからの発想のヒントがあるのかな、と。
で、それを電通さんが腕によりを掛け、10年で練り上げてシステム化したということか。

まともな講演会やシンポジウムではとても儲けがでないから……いや、電通さんがこういうものを仕掛けて事業として儲けるなら、これぐらいの規模でないと難しいということなんでしょうか。この企画、今後何らかの影響があるでしょうね、良い意味でも悪い意味でも。

東京暮らしだから、知らなかったけど、この企画、地方都市を舞台に、これから何年ぐらい続くのでしょうか……羨ましいなあ、それにしても。



寂聴にも「筆の誤り」? 人気エッセイが…

2011年4月30日(土)

日経の日曜版に瀬戸内寂聴が「奇縁まんだら」というタイトルで毎週エッセイを綴っている。瀬戸内が過去に交流した著名人(物故者)をとりあげ、その著名人の人となりを鮮やかに寸描する。

24日は昭和に燦然と輝いた大歌手・三波春夫だった。この大歌手も、今となっては「お客様は神様です」のフレーズで知られていると言ったほうが、通りがいいのかもしれない。その三波春夫に一度だけ寂庵で会ったときのことに瀬戸内は触れている。永六輔が連れてきたそうだ。15、6年前になる。

ぼくは毎週、このエッセイを楽しみにしているのだが、この三波について書かれたエッセイの中に、三波の人間性を誤って伝えてしまう決定的ともいえる間違いが記されている(ともすれば、生前の三波の信条をゆるがせにしてしまいかねない内容でもあるようだ)。瀬戸内の「記憶違い」なのかどうかはともかく、誤りを指摘したのは三波春夫のスタッフだった人物。

三波春夫がシベリア抑留者だったことはぼくも知っていたが、晩年、永六輔との交流からメディアに一緒に出ていたこともあって、そこで話す、あるいは話される三波自身についての人となりに、それまでぼくが抱いていた三波のイメージとの余りの違いに驚いたものだった。

同様に、永六輔は瀬戸内に、これから寂庵に伺うと電話で告げながら、「流行歌手のあの華やかイメージと、あまりにも違うから、びっくりしますよ」と言っている。

実はこのエッセイの脇に、瀬戸内が寂聴語録として三波の人間性を一行で言い尽くしたフレーズが本文より大きな活字で括弧内に染め抜かれている。

「派手な衣装をぬいだ素顔は律儀で地味な流行歌手」

これが瀬戸内寂聴の三波春夫に対する偽らざるイメージであり、観察なのだろう。

話しを戻そう。寂庵を訪れた素顔の三波春夫に会って、瀬戸内はビックリしてしまう。永六輔の電話がなかったら、まるで別人かと思いこんだだろう、と語る。

床の間に座らされた三波はしきりに遠慮したという。
「舞台のあふれるような笑顔はなく、つつましくて、律儀なサラリーマンの出世しないタイプのような人」に見えた、と。

で、三波について、永六輔がいうのだ。
「ほんとは、今ガンなんですよ」
にもかかわらず、
「平気で仕事を続けているし、三波さんほどの読書家は芸能界では見たことがない」
などと。
それに抑留体験や戦友を思い続けたことなどがその場で話される。

そして三波が発言する。
ガンにかかったのも宿命でしょう。私は仕事をしながら、ガンと共生して、死ぬまでやっていきたいと、家族にも話しています。いつまで生かして下さるか、それはわかりませんけれど」
まるで高僧のように落ち着いた口調だった、と瀬戸内。

このカギ括弧なかの三波が言う「ガンにかかった云々」と三波自身が自ら語っていることが誤りだと、スタッフが指摘したのだ。

なぜなら、三波は死ぬまで自分のガンを家族以外の誰にも決して口外しなかったというのだ。レコード会社の人に知らせたのも、死の二か月半前だったという。

そして永六輔ももちろん、ガンのことは知らなかった。なぜなら永六輔は、このスタッフと三波が亡くなった後に放送局で落ち合い、このスタッフにいきなり言うのだ。

悲し過ぎて葬式に行く気にもなれなかったよー。「病気(ガン)だとは知らなかったぁー」と、そして周囲に誰もいなかったらあなたを抱きしめてやりたいよー。よく頑張ったなぁー、と。

つまり知らなかった永六輔も、三波春夫が「ガンだ」と言うはずはないのである

だからスタッフは瀬戸内寂聴がエッセイで書いている三波が自分のガンについて語るくだりは誤りであると指摘しているのだ。

三波春夫が自分のガンを口外しなかったのは、ひとえにお客のためである。自分のステージを見に来たお客が、三波の病気を心配して、「今日は大丈夫だろうか」などと思われることが三波には耐えられなかったのだ。三波の芸に対する、それにお客に対する歌い手としての信条であり、真情といえる。

実はぼくにとっても三波春夫は過去のひとだから、このエッセイで興味を覚えたのは、あの人口に膾炙した「お客様は神様です」の真に意味する内容についてだった。何故、三波春夫は、あのようなフレーズを口にしたのか、そのことに尽きた。

その事について瀬戸内も最低限記している(後の※に)が、物足りないので調べてみたのだ。そしてググッたら、三波春夫の公式サイトがあり、そこにそのスタッフが24日の当日付けで、瀬戸内寂聴の「誤り」を指摘していたのだ。

米寿になった瀬戸内寂聴の記憶違いによる記述だったということかも知れないが、瀬戸内ほどの大作家でも、こうした間違いを記すようになってしまったということだが、その年齢を思えばありうることかもしれない。

でも、このエッセイの最後のところで瀬戸内は書いている。三波春夫は私より一つ年下で享年77だった、と。そして、
「もし生きていてくれたら、まだ87歳だったのに。」
まだまだ若いと、瀬戸内自身は自負しているようだ。



※間単に触れるが、あの「お客様は神様です」のフレーズには三波春夫なりの真意があった。
三波にとって、ステージを見に来てくれるお客は、まさに絶対者。そしてステージは天地でいう“天”であり、客席は「地」であると。その天と地の間にあるお客様こそが「絶対者」であり、それは「神様」だという。

下記は公式サイトからの転載。
「私が舞台に立つとき、敬虔な心で神に手を合わせたときと同様に、心を昇華しなければ真実の藝は出来ない―――と私は思っている。つまり、私がただ単に歌を唄うだけの歌手だったらならば、きっとこんな言葉は生まれなかったと思うのです。浪花節という語り物の世界を経てきたからではないだろうか。」


※上記の文でスタッフと記したが、その方は三波春夫の長女で、生前の三波春夫のマネジャーを努めていた由。この文章を書いてから、公式サイトを見たら、そう記してあった。もしかしたらマネージャヤーではないのかとまでは想像したが、そうか娘さんだったか。だからこそ、故人ではあっても、父三波春夫の信条が覆されかねないとしての誤りの指摘だったのだろう。
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