玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

日本・地方都市

「正統」か、はたまた「カジュアル」か? 和食の海外展開 

2014年1月18日  (土曜)

和食がユネスコの無形文化財に認定されたことでいち早くそのPRを兼ね、ドイツで和食のレセプションが開かれた(農水省主催)。ドイツ政府の関係者や文化人1000人が参加したとNHKが伝えている。

僕はこのニュース映像をNHKネットのニュースで見た。

で、このレセプション会場で、寿司職人の板さんがビニールの手袋をはめて寿司を握っていた。(こういう場だから一流の寿司職人だろう)

ビニールの手袋をはめて握る寿司の映像に、僕は違和感を覚えましたね。
次には、「それってもう、和食(寿司)ではないだろう」と毒づいた。

日本人からしたら、気色悪いことこの上ない。

日本中どこをさがしても、寿司屋がビニールの手袋を手にはめて握っている寿司などありはしない。
それに、この映像は寿司職人(和の職人である板さん)をいちじるしく冒涜(ぼうとく)している。

(技術的には、握りの旨味を引き出すため、ネタとシャリとの温度がほど良いかどうかの微妙な取り合せを、素手で握りながら見さだめるためではなかったか……)

もし日本の寿司屋で、カウンターをはさんで客である日本人が、
板さんからビニールの手袋をはめて握った寿司を出されたら、
客は腹を立て、即座にカウンターから立ち上がり、店を出てしまうだろう。

そんなものは寿司ではない、とばかりに。
日本中どこを探しても、そのような寿司屋はまず存在しない。

いや、それは、海の向こうの世界、国の違い、文化の違いがあるから……と農水省はいうだろう。

でも、それは違う。

和食を伝えたい、拡めたいなら、その原則(の概念)を誤ってはいけない。
和食の文化を伝えたいなら、原則を誤ってはいけない。

原則を曲げては、伝わるものも伝わらない。

異文化ならむしろ、いや、異文化だからこそ、その「異なる根本概念」の理解を相手にアピールすべきではないのか……。
原則を忘れた半端で曖昧なオブラートに包んでのアピールでは無意味だ。

たしかに国によっては「手袋をはめて調理しなければならない」という規定のところもあるようだ。
今回のドイツがそのケースに当たるのかどうかはわからない。

わからないが、日本人なら誰もが覚えるビニール手袋への「違和感」こそ、つまり、その違和の部分(なぜ違和なのか)を伝えることこそ、和食の文化のあるべき姿ではないのか。

相手(外国)をおもんばかるあまり、また異文化だからとして、本来伝えるべき和食の精神をはき違えたら、伝わるべきものも伝わらない。

と記して、このビニールの手袋と衛生について、寿司職人さんの業界団体が何らかの形で触れているかと思って探してみたが……団体のホームページはあるものの、そこに触れた説明は見つからない。――どこかにあるのか、どうか。

なんであれ、和食の理解につながる重要な概念をゆがめて伝えては、違うのではないのか……。

と書いてきたが、これは正統な和食のスタイルを固持して、海外であっても、遵守すべしというお堅い考えたにもとづく視点だ。正統重視、伝統重視の本物志向ではあれども、もしかしたらこれって、単なる偏狭な視点かもしれない。

では、カジュアルだとどうなるか。

たまたま、政府系金融機関に属する桐山さんという方が昨日(17日)の日経夕刊に寄稿したコラムで、「もっと和食の海外ニーズを見極め、的確なマーケティングで応える」べきだとしてカジュアル志向の意見を紹介しつつ、ご自身は“正統”と“カジュアル”の両立が可能なのではと述べている。

知っての通り、海外における和食は、特に都市部なら世界各国で、今ではかなり浸透している。寿司はもとより、ヤキソバ、カツドン、カレーライス、鉄板焼、ラーメン……と日本食の一般化は著しい。

さらに、保守的な英国人の間にすら「ジャパニーズ・フード」は広く浸透していると桐山さん。
で、ある調査からとして、ニューヨークの和食事情について興味深いデータを紹介している。

なんでもニューヨークには、日本食を提供する飲食店が1万軒あるらしい。ところがそのうちで、日系はたったの約100店舗(1%)にすぎない、と。

そこで「日系の」プレゼンスはなぜ低いのかと疑問を覚え、海外在住が長い日本人に尋ねると「正統な日本食にこだわりすぎている」との答えが返ってきたとのこと。

ふーむ……「正統な日本食」へのこだわりか。

なるほど、ここでもか。
これって国内はともかく、海外ではまったく逆に作用してしまう。
日本人が抱える弱点なんでしょうね、これって。
まさに行き過ぎたプロダクトアウト志向で、市場のニーズを意識せず、本物志向や伝統志向を重視するだけで、「それで良し」としてしまう。そう、技術系製造業のガラパゴス化に陥る姿とまさに二重写し。

それで、桐山さんはどうやら調査畑の方らしい。
カジュアルのさしあたっての因るべきニーズは桐山さんによると、こうです。

「外国人が和食に求めるニーズは、日本人と異なって当然である」

つまり、和食を拡めたいのなら、日本人相手のように、国内のように、ガチガチに和食の原則や精神や文化などにはこだわりなさんなって、ことですね。

ところが、なんですねぇ、そこまで分かっていても、如何せん、どう的確なマーケティングで応えていくかは、いまだに対応できていないようです。現状を見る限りでは――。

松の内は「どうして七日まで、なのか?」

2008年1月11日(金曜日)

※どうしてかは、下の方の色違いの箇所に詳しく示してあります。


東京では松の内は7日までだが、地方ではどうなのだろう。
小正月を含めて15日までというのが未だに息づいているのだろうか。

僕は、出身は仙台だけど、
仙台には大崎八幡神社の有名な「どんと焼き」という行事がある。

正月の松飾りやしめ縄などを持ち寄って焼かれるわけだが、
大崎八幡神社のそれはことさら規模が大きく、
必ずテレビでとりあげられるので全国にもしられている。

僕の場合は仙台でも在に住んでいたから、
わざわざ大崎八幡神社まで出向くことはなかったものの、

やはり14日(15日のところも)の夜、
近所の祠がある場所に松飾りをもちよって焼いていたのを
子供の頃の想い出として覚えている。

ところでなぜ正月が15日ではなく7日までなのか。

その由来を大人でもはっきりと話せる人はいないと思う。僕も知らなかった。

東京では年が改まって初めてお会いするときには
松の内なら「明けましてお目でとうございます」という挨拶になるけど、

それがたとえば8日以降、
つまり今日あたりの11日にもなって「明けまして〜」というのは、
いささか何かが惚けていると思われてしまう。せいぜい「今年もよろしく」となる。

でも今日、ラジオを聞いていたら、
関西出身の女性タレントがはっきりと「明けましてめでとうございます」といっていた。

なんか間が抜けているなァ〜、と思って聞いたけど、
関西では小正月までを正月というのだろか。

だって挨拶にうるさい芸能人が、
いくら若い女性タレントだからといって、
大きな声でそのような挨拶を東京のラジオでするはずがないでしょうから、

それは彼女の中に習慣として身に付いているので、
そういう挨拶になったのかな、などと思った次第。

ところで夕刊を読んでいたら、
作家の松井今朝子が松の内が7日までの理由をエッセイに書いていました。

その昔、江戸も15日までが松の内だったとのこと。
で、7日というのは、幕府の命によってのことらしい。
寛文12年(1662)に発令されています。


松井によれば、
出典は「守貞謾稿」という江戸の風俗が書き残された重要な資料集で、
喜田川守貞という幕末の考証家が著したもの。これ文庫本で出ています。

「町中表裏之松かさり明七日之朝取申可事」(寛文2年正月六日付け)

松井は守貞によればとして、
頻繁に火事が起こるのでそれをふせぐため
とのこと(なぜ火事なのかの理由は書いてませんが、
火を使う行事が多かったということでしょうか。


町触れはその後、7、8年を経ても出されているということで、
なかなか守られなかったらしい。

ついでに手元にある僕の江戸年表を繰ったら、
たしかに出ていました。
そこでは「守貞」には触れていませんが、簡単に出ています。

それに「左義長(さぎちょう)もあわせて禁じられる」とある。

「左義長」って僕は初めての言葉なので古語辞典をひいたら、出てました。

「陰暦の15日か18日に行われた悪霊払いの火祭りの行事である」と。
「どんと焼き」とも出ていますね


中世の頃、天皇の書き初めなどを陰陽師らが焼いたことに端を発しているようで、
それが中世以降民間にひろまった。


なるほど、「どんと焼き」の由来までわかりました。

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