玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

出版・著書

「無関心はいけない。世の不正義に目をつぶるな。怒りをもって行動せよ」


「無関心はいけない。


世の不正義に目をつぶるな。怒りをもって行動

せよ」


ステファン・エセル





――映画の一部より


2019年9月2日(月)

知り合いの若い小説家がこのところ何度も読み返しているとして薦めていたので、レジスタンス運動の活動家、ステファン・セシル『怒れ!憤れ!』を読む。


初めて耳にする名だが(著者紹介は下記に)、原本はパンフレットのような仕様だったからなのか、この翻訳本はきわめて大きな活字で編まれており、10分ほどで読みおえてしまう。


フランスで200万部、欧州全体で300万部売れたという。若者の間で幅ひろく読まれ、映画化もされ、2014年に日本でも公開されている。


著作の中で言及しているが、サルトルの小説『嘔吐』や『壁』などに刺激を受けてレジスタンス運動へ身を投じる。


あと何度か読んでみて、それから個人的な感想をすこし書きたいので、今回はここまで――。



著者紹介を貼りつけておく。

「著者はレジスタンス運動の活動家であり、ナチスに抵抗し続けた自由フランス軍の兵士だった男で、現在は94歳である(※筆者注-2013年2月、95歳で没)。

強制収容所に送られて処刑される寸前に脱走し、後に外交官となって、国連の世界人権宣言起草に参加した。

その彼が若き日を振り返り、不正義が横行する世界を憂(うれ)いながら、『怒りを持って行動せよ』と若者に訴える。」







「東大話法」から「立場主義」という概念を踏まえ、次に「魂の脱植民地化」を手に取る


2016年5月26日(木)

3回前のこのブログで触れた東大・安冨歩教授の「東大話法」だが、現在のところ教授の著書を5冊買い求め、4冊まで読み終えた。

話をすすめる前に、ひとまずこれを。
その安冨教授の面白いツィート(一昨日24日)だ。


「〈マイナンバー〉が受け入れられない理由のひとつは、政府が勝手に国民にふった番号なので、〈お前の番号=ユアナンバー〉であるというのに、それを〈私の番号=マイナンバー〉と言い換える、その欺瞞的手口が実にハラスメント的なことだ。」


こういう機知に富んだツッコミをする人って、好きだな〜。

で、安冨教授の著書から「東大話法」「立場主義」という概念を理解して、それらの概念を生みだすのに影響を与えたと思われる「魂の脱植民化」(=いわば呪縛からの脱出というような意味)という概念について書かれた『魂の脱植民地化とは何か』を読みだしたところだ。著者は安冨教授と共著もある深尾葉子大阪大学大学院准教授。

深尾准教授のこの著書を読んでから、また安冨教授の著書に戻り、そしてまた深尾准教授に戻りと、いったり来たりすることになりそうだ。

安冨・深尾の両先生が唱えるそれぞれの概念についてはネット上にもあるので、興味のある方はそちらを、どうぞ。

ただしここに、参考までに、安冨教授自身がインタビューで「立場主義」について説明したものがあるので、一部を引用しておこう。


「私は日本社会の暴走の背後には、『立場主義』があると思っています。
自分が何であるかではなく、自分はどんな立場かで物事を判断するようになると、立場の 『役』を演じるようになります。
そして立場が守られるのであったら、何が起きても構わない。しかし自分の立場が揺るがされるなら、どんなすばらしいことでも絶対認めない。それが立場主義です。
立場主義に忠実になればなるほど、立場上、あるいは自分の立場を守るために無責任に暴走してしまうのです」

「会社員や主婦などの属性や、もっと言えば男性や女性といった区別も、〈立場〉を演じるための〈役〉に過ぎない。
個人ではなく人々は〈立場〉を基に考えて行動するから、男性がスカートを履くのは〈立場を逸脱した行為〉と受け取られ、忌避されるのかもしれない。

そんな立場主義に日本人は今もがっちり束縛され、 まさに〈日本立場主義人民共和国〉に生きていると、安冨さんは言う」

(imidasのオピニオンサイトより)



この引用で「立場主義」なるものが少しは分かっただろうけど、複数の著書を読むと、「立場主義」がもたらした弊害の具体的な事例として示されたその暴走が、あまりにも壮大かつ破格ともいえる暴走ぶりなので、ここに引用した教授の説明はあくまで概念についての説明と思われたい。

その暴走ぶりについて言えば、例えば『満洲暴走 隠された構造』にある、満洲国の成立から崩壊までのプロセスを読み、教授の言う「立場主義」の暴走によって、満州で筆舌につくしがたいほどの、どれだけ酷いこと(例えば1932年の平頂山事件=関東軍が、証拠隠滅のために三つの村の約3000人を虐殺するなど)が行われてきたのか……そのあまりにも重苦しい内容を読まされると、この「立場主義」のもたらす甚大極まりない影響に暗澹たる気持を覚えずにはいられない。

個人的にはだいぶ以前、満洲関連の一連の書を繙いたこともあるが、教授のこの『満洲暴走 隠された構造』を読むと、ぼくが読んできたのは、まさに満洲での出来事の表層の部分だったと――。

ちなみにこの書は安冨・深尾の共著『「満洲』の成立』に大幅に負っているとのことで、こちらの著書については、故丸谷才一が司馬遼太郎とともに「この本について語りたかった」と絶賛している。


以下、編集中。




そして教授は語る。

(現在に至る)日本人の価値観や(米国に対する)植民地化された魂には、
「私たちは今、満洲国に住んでいるのです」と。











「東大話法」の概念に触れて(読んで)、立花隆『論駁』を思い出す

2016年4月25日(月

明日の4月26日で、
チェルノブイリの核の大惨事からちょうど30年になる。

たまたまだが、その原発に関連した、去年買ったまま積ん読状態だった
安冨歩『原発危機と東大話法』(2012年1月初版)を
昨日一気に読み終えた。

この本の内容は、大まかに言うと二つ。

一つは原発に携わる日本の御用学者らが操る詭弁でしかない
原発安全神話の詐術を糾弾したもので、

二つ目はその糾弾の手法として、
御用学者等が操るところの言葉や文章を鮮やかに解体、分析して、

その詐術ぶりを白日の下に晒し

その詐術の手法をして、著者が名づけたところの
「東大話法」なる概念について解説したものと言える。

この本が話題になったのは、二つ目の「東大話法」の概念にある。
そしてこの「東大話法」については
ネット上にたくさん取り上げられているから、

今更ぼくがどうこう言うまでもないことだし、
僕がこの本を買ったのも「東大話法」なる概念に興味を覚えてのことだ。

それが先週、アマゾンをチェックしていたら、
改めてこの「東大話法」なる言い回しに出くわし、
「そうだ、読まなきゃ」と思って、
遅ればせながら手にして読了した次第。

「東大話法」なる概念には興奮を覚えた。

この概念は、まさに稀有にして、なおかつ一流の
日本人論であり日本文化論でもあって、

こういう概念を見出す、その安冨という先生の知性にしびれた。

で、そこから、日本人は一人称(個人)として存在せず「汝の汝」、
つまり「あなたにとっての私」なのだという

森有正の優れた日本人論である「二項結合方式」、
あるいは有名なところでは山本七平の「空気」(これは
著書の中にも出てきたが)などの日本人論の概念を想起することに。

そして、学者らの詐術的な言説、言動を解体して
分析してゆくところではまず、

精神科医の香山リカを、次にネット上で著名な
池田信夫の二人の文章を俎上に載せ、

「これが東大話法」だとして
鮮やかにその文章の欺瞞性をさばいて見せる
手腕には(特に後者の池田信夫の発言の文章を
延々解体してみせる手腕には)、繰り返すがしびれました。

この二人との論争に発展すれば面白かったのだが、
そうはならなかったので残念。

残念なんだけれど、ずっと昔に読んだ
立花隆『論駁』(ロッキード裁判批判を展開する学者や法曹人に対して、

そのデタラメをことごとく論破した三分冊の本で、
そう論理学の格好の参考書といえる)を思い出しながら
ページを繰っていたのだった。

蛇足ながら、先週までの二週間にわたって朝日の夕刊が
半生を語るというようなシリーズ企画に立花隆を登場させていた。

で、途中で、この安冨という東大教授は
「何者だ」と思ってチェックしたら、

何となんと、あの女装の東大教授だったのだった
(ぼくはテレビを見ないから
安冨教授がテレビで人気者だったとは知らなかったが、

それでも女装して講義をしている姿ぐらいは知っている)。

でも、安冨教授がこの著書を書き著したころはたしか、
顔中ひげぼうぼうでサングラス姿だったはず。

ついでながら、安冨教授に言わせれば、
男性が男性としての自覚のもと、

男性として社会的に生きている人が
女性の姿をするのは「女装」であって、

体は男性なれども、精神が女性である人が
女性の姿をするのは、
安冨流に言えば「女性装」とのこと。

安冨先生の他の著作も読んでみよーッ、と。













久しぶりに神楽坂を歩く

2015年12月9日(水曜)


久しぶりに神楽坂を訪れた。昨日、飯田橋で午後に打ち合わせをおこなった後、行ってみるかとばかりに、一緒にいた仲間と出向いてみた。

神楽坂の歩道はかなりの人出で、「こんなに人が多かったけ」と思うほど、ぞろぞろ人が歩いている。

よく見ると、人出が多いのは観光客なのだった。いつの間にか、観光客が増えているようだ。特におばさん達が連れだって歩いているのが目にとまる。神楽坂特有の老舗の和菓子店などは小さな店内が客で埋まっている。

人出があるからだろうか、坂全体の商店街が華やかなのはともかく、反面なんか雑然とした感じも否めない。神楽坂という響きがもつ、落ち着いた感じが失せて、次第にどこにでもあるような商店街となっているのではないのか。僕が知る神楽坂はもうすこし空間感覚が広々としてゆったりしていた思いがあるのだが、今はかなりぎちぎちした感じの狭苦しい坂の商店街になっている。

限られた空間だから、少しでもあいていれば利用することになるのだろうが、たとえば以前、歩道からビルまでの空間が広場のようにそこそこあったある場所は、その空間がすっかり駐車場と化している。そういう具合に、建物がぎちぎちと建ち並び、空いてる空間は、隙間無く利用するようになっているようだ。

この雑然とした感じは師走という時節も手伝ってのものかどうかはともかく、僕が記憶している以前の神楽坂とは明らかに違っている。

と、思えば、毘沙門天に向かって、歩道から両手を合わせて頭を下げている、地元のひととおぼしいご婦人もいた。なるほど、ここは神楽坂だわとも思う。

そんなことを見たり感じたりしながら、裏通りの道も歩いてみる。なんか、裏通りの方がしっかりと神楽坂の粋な風情や雰囲気を良い意味で残していると思われる。それに裏通りのたたずまいがひときわ良くなっていて好ましい。

島田雅彦

再び坂に出てそれを登り、新潮社の本の倉庫を建築家・隈健吾が設計して再生させたという施設を見に行く。オープンしてすでに一年を経ている。

歩道からの建物正面広場へのアクセスとなる段々(階段)が凝っていて、一段一段の奥行きがかなりあって、とんとんと駆け上がるというわけにはいかない。そして広場から、あえて大きな曲がりくねった凝った造りの階段が二階へと続く。いやでもこれは目にとまる。建物の正面のデザインとして、「神楽坂の」の「坂」の傾斜をイメージしたものらしい。

来場者にとってはこの段々と二階への階段が、変わりだねの傾斜のイメージとして迎えてくれるわけだが、そうした一種の異彩、異端がいやでも施設への期待値を高めさせてくれる。そんな設計者の仕掛のはからいが感じられる。

建物に入ってみる。施設は二階建てで、今風の生活雑貨やファッションを総称したおしゃれなスペースということか。これは商業施設としての生まれ変わりのようだ。
一階には中央部に広々としたカフェーがあり、客はほとんど女性。

二階はやはり雑貨スペースだが、半分は新潮社のイベントスペースとなっていて、ごく普通のプラスチック製の椅子が7、80個ぐらいはならんでいたか。作家などのトークショーなどが催されている。上記のフォトは今月15日に開催される島田雅彦のトークショーから。ドストエフスキー「罪と罰」をテーマに語るようだ。

ドストエフスキーが出てきたので、ついでに一つ。

ある作家が言っていた。
「ドストエフスキーは19歳までに読まなければならない」

なぜなら、ドストエフスキーの毒を浴びるには二十歳を過ぎると、その毒がまわらなくなるからとのこと。

凄い言葉ですね、これって。文学の毒を浴びる。ドストエフスキーならではでしょう。

話を戻そう。

おそらく馴染むと、この空間は落ち着くのだろうが、ぼくにはなんか、合わないような気がした。

後は以前の馴染みの店を二軒ほど廻って、痛飲。悪酔いしてしまった。





大日本印刷、丸善、それに大型書店のジュンク堂、この3社のビジネス的共通項は、何?

2010年12月7日(火)

吉祥寺に大型書店で知られるジュンク堂ができて2か月弱。昨日、ほぼひと月ぶりで足を向けた。探し物があったので出向いたのだが、これで二度目になる。

本の購入はもっぱらネット利用か地元三鷹の書店が多いけど、資料となる探し物のときや、大きな書店の書架に挟まれてその中にたたずむのが好きなので今後はもっと利用頻度があがるはず。

この書店は閉店した伊勢丹跡にできたショッピングセンターの二つのフロアを使っており、広さは約1100坪。これまでは大型書店というと都心の店舗だったが、地元でそして普段着で気楽に半ば散歩がてら大型書店を覗けるのはありがたい。

今はまだ空いている。昨日も、見習いの店員だろうかお仕着せの同じ格好の10人ぐらいの人たちがカウンター周辺に集まって研修を受けていて、その時店内にいた客の数より従業員の方が多かったのではないか。

でも、圧倒的なその品ぞろえならぬ書籍の数と、きっちりと分野別に区分けされた大型書店故の利便性を地元のひとたちが認識しだしたら、この店は終日、客で溢れることになるだろう。

早い話し、(昨日は探し物が見つからなかったので、吉祥寺の他の書店も廻ってみて他でも見つからなかったのだが)これまで当たり前だと思っていた、そしてそこそこの大きさだと思っていた他の書店も、このジュンク堂に較べたら足元にも及ばない。品ぞろえがまるで違うことが一目瞭然。これでは本を探すなどまず無理。

こうなると、使い勝手やサービスなど書店の利便性を考えると、大型書店が地元にあれば、必然的にそこをひいきにして利用するようになる。たとえば店内で探し物を検索してプリントアウトすると、そこには前日の閉店時の在庫の冊数まで出ている。これなどは流通の現場では昔から機能として出来ていたことなので、その意味では驚くには値しないが、書物がこうしてその書物自身の他のデータと一緒に瞬時に提供されると、これはこれでとても便利だ。

ところで、昨日6日の日経流通にそのジュンク堂の工藤さんという会長が載っていた。取材を受けて企業戦略を語っている。

アマゾンなどのネットを利用した書籍の購入と電子書籍の登場でリアル書店の営業は厳しいのかと思いきや、やはりこれだけの書籍の数を揃えて勝負しているからだろう、客はあるとのこと。
「近くにちゃんとした本屋がなくて困っている人はたくさんいる」

まあ、大型書店を展開(店舗数は44箇所)しているトップだから言えるのだろうが、その大型書店のジュンク堂が驚いたことに、来年2月に大日本印刷グループに傘下入りするとのことだ。

現状はともかく電子書籍やネットへの対応もあり業界の合従連衡の一環ということなのだろうが、もっと驚いたのはこの工藤会長という人があの丸善のトップでもあることだ。

いや、それでは正しくない。丸善ではなく「丸善書店」のだ。通常、丸善のことを丸善書店とは呼ばないが、いまや丸善は、持株会社の丸善と、その子会社であるぼくらが立ち寄る丸善の書店を統括する会社である「丸善書店」に分かれており、その丸善書店のトップなのだ。

つまり丸善とジュンク堂という国内を代表する大型書店の戦略と出展などの店舗展開をこの工藤会長は手掛けているということだ。

ついでに述べておくが、丸善は既に大日本印刷グループの傘下に入っており、大日本印刷・丸善・ジュンク堂と並ぶと、それこそ業界的に見れば超大型企業の合併や提携が、この業界でもいまや珍しくはないということだ。ちなみに丸善とジュンク堂を併せたグループの売り上げが1200億円で、1500億円を目指すという。

ジュンク堂の工藤会長の手腕も見ものだが、丸善のトップも元通産官僚で、TSUTAYA、産業再生機構にてのカネボウ経営を経るなど、異色の経営者としてどう舵取りをするのか、興味がある。

ついでにもうひとつ。大日本印刷の傘下のこの書店グループをして「CHIグループ」と呼ぶ。何かと思ったら、知識の「知」を意味する。つまり大型書店の展開で、「知の百貨店」を目指すということだ。それと素人ながら思うのだが、大型書店って経営効率を考えたら、決していいとは思えないのだが、工藤会長によると、家賃との兼ね合いとのことで、このご時世で家賃が下がっていることもあり今後は出店を加速するらしい。


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