玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

歌手・芸能人

テイチクレコードの「昭和歌謡特別展」見学で、杉並区立郷土博物館へ――石原裕次郎・三波春夫・八代亜紀


テイチクレコードの

「昭和歌謡特別展」見学で、

杉並区立郷土博物館へ



20205年12月7日(日)


新聞で知って先週、
「特別展 昭和歌謡は杉並から生まれた テイチク東京吹込所物語」
を覗いてきた。

杉並区堀之内にある郷土博物館で開催され、今日7日で終了。

東京吹込所とは
旧テイチクレコードが設立したレコードの録音スタジオのことであり、
昭和9年・1934年に杉並区堀之内に
大理石造りのスタジオという録音環境を備えて設立される。

その後、建て替えというか新スタジオが落成されるなどしたが、
平成3年(1999年)に閉鎖。


帝国蓄音機株式会社(現株式会社テイチクエンタテインメント)時代から
昭和を歌謡曲で彩った時代の
録音スタジオである「東京吹込所」に関する特別展で、
会場には、
「古賀メロディ」で知られる
テイチクの専属作曲家として黄金時代を築いた古賀政男をはじめとして、

このスタジオで録音してレコードが大ヒットした歌手たちが
めじろ押しで紹介される。
昔懐かしい往年の歌手として知られる藤山一郎、ディック・ミネ、
東海林太郎、田端義夫、菊池章子などから、

近年では
石原裕次郎・三波春夫・八代亜紀・高田みずえ・川中美幸……などの多数の写真やレコード盤、レコード大賞を獲得してのトロフィーなども展示されており
上記の人気歌手等のヒット曲ともに、その活動の歴史が一目瞭然。
 
会場には
1)昭和6年(1931年)の会社誕生と東京吹込所(堀之内吹込所)設立、
2)「日中戦争から太平洋戦争へ」〜昭和十年代、
3)「戦後復興期」〜昭和二十年代、
4)「高度経済成長期」〜昭和三十年代、
5)「多種多様な歌謡曲」〜昭和四十年代から六〇年代

と五つの時代相に区切られて展示がなされており、

見学者の年齢によって、
ああ、この時代のこの歌い手さんならわかるという仕組みだけど、
若い人には厳しいかも。
でも僕には懐かしい顔が目白押しだ。

それから僕には、テイチクに勤めていた近親者がいて、
そういうこともあって、この展示会が
より身近に感じだ次第。




※編集中  続く









中島みゆきと研ナオコの物語――秘めた、二人の表現バトル


中島みゆきと研ナオコの物語

――秘めた、二人の表現バトル



2016年9月16日(金)


「貴女(研)が歌ってくださるのを聴くと、

もともと貴女がシンガー・ソングライターで生まれた作品だったように
聴こえてくる(中略)。


この場合、私(中島)の役目は貴女の筆記用具だったのかもしれない」



上記は数年前のテレビ番組で読まれた、
中島みゆきが研ナオコに宛てた手紙の一節だ



(1976年・第18回日本レコード大賞歌唱賞、日本歌謡大賞放送音楽賞、FNS歌謡祭最優秀歌謡音楽賞)


先週の朝日新聞が連載企画「もういちど流行歌」で


研ナオコと研自身の若かりし頃のヒット曲
「あばよ」を取りあげ、


この曲の逸話に触れていた。



その連載企画の記事の中で紹介していたのが、
中島みゆきの手紙だ。


話は時代をさかのぼり、1970年代半ばの頃だ。


1976年11月当時のオリコンのトップ10
(シングルの売り上げチャートから)

1位・あばよ――研ナオコ

2位・北の宿から――都はるみ

3位・落ち葉が雪に――布施明

4位・パールカラーにゆれて――山口百恵

5位・揺れるまなざし――小椋佳

6位・青春時代――森田公一とトップギャラン

7位・最後の一葉――太田裕美

8位・ジョリーン――オリニビア・ニュートン・ジョン

9位・どうぞこのまま――丸山圭子

10位・四季の歌――芹洋子


言うまでもなく、
「あばよ」を提供したのは中島みゆきだ。


中島みゆきは「あばよ」提供のほぼ2年前に
「アザミ嬢のララバイ」でデビューしており、


その曲を偶然耳にした研ナオコは、


「その世界観に衝撃」を受け事務所をつうじて楽曲を依頼


できたのが「あばよ」だった。


当時、中島みゆきの定番は「ふられ歌」だった。


「あばよ」もまさにそうで、


「今日も明日も会えないと言われた女性が、


彼は私には似合わない」と
気持とは裏腹に強がり、


「寂しさを誰かに話して発散するのではなく、
一人で思いだし、


せつなくてあふれそうな感情を一人でなだめる」


そんな入り乱れた女心のこの曲を、
研ナオコがこれ以上ない表現力で歌いつくし、


彼女最大のヒット曲となる。



その連載記事を読んでいて、
研ナオコの生ステージを想いだした。


10年がひと昔なら、ふた昔ぐらい前になろうか、


研ナオコのディナーショーのチケットを購入し、
大手ホテルの宴会場で彼女の生歌を聴いたことがある。


歌い手のコンサートなどに出かける機会は
ほとんどないのだけれど、


たまたま主催したホテルの仕事に関わっていたこともあって、


研ナオコなら生でその歌を聴いてみたいと思い、
奮発したのだった。


感激して聴き惚れつつ
ワイングラスを傾けていたのを想いだす。


冒頭の中島みゆきの発言は、


中島が研ナオコに
いくつもの曲を提供しているが故といえるが、


それにしても、あの中島みゆきに
「私は筆記用具」でしかないと言わせるのだから



誰が何と言おうと、研ナオコの歌唱力、
つまり表現力は折り紙付きと言える。



一方で研ナオコも
「中島みゆきを歌う」重圧を吐露している。


中島みゆきからは曲だけが届くとのことで、


「彼女の歌声を聴いて、何を表現したいのか察して、


世界観を崩さずに自分の声で表現できるか、と考える。


そのプレッシャーはすごかった



シンガー・ソングライターは別にして、


曲作り・歌作りの現場も
間違いなく「表現の創作・創造」のプロジェクトであり、


作り手や歌い手は己が持つもう一つ上の次元を目指し、
最高の表現を注ぎ込もうと腐心する。



その「最高の表現」の現場に立ち会ったことがある。


僕の近親者にレコード会社の社員がいて、


だいぶ昔のことになるが一度だけ、


レコードスタジオでの有名歌手の
生のレコード吹込みの場面に。


無理に頼み込んで実現したのだった。


そこにあったのは、まさに歌い手と作曲家、
それにスタッフたちによる「最高の表現」を求める姿だった。


素人目にはいいと思っても幾度も録りなおしを繰り返し
納得のゆく音を録る。


普段何気なく聴いている歌が、
こうして生みだされるのかと知って大いに感動したものだったし、


「表現を創作・創造」する仕事に
大いに魅せられたものだった。


中島みゆきと研ナオコ、二人の間には互いに畏敬し、


その畏敬の念を示すべく


表現力をかけて競り合う姿がそこには存在したのだ。







芸能人が独立できない理由――日本の芸能人は被雇用者、米国は雇用主

2016年2月10日(水)

今月号のプレジデント誌に松谷創一郎という人が書いている。
日米の芸能人の働く立ち位置の彼我の違いについて触れ、どうして日本の芸能人が「独立できないのか」について。

この件で日本の活字メディアをいくら読んでも、すっきりと納得できる言及はほとんどなかったが、彼我の違いとして記されると、なるほど、そういうことかと頷ける。

記事内容からポイントを紹介したい。

米国には芸能事務所が存在せず、その代わりにあるのはエージェントか、その組織であるエージェンシーだと。

エージェントたちの仕事は芸能人の窓口業務をになう代理人であり、その成功報酬として10〜15%を受け取るビジネスシステムになっている。

で、米国の芸能人は最初から独立した個人として活動し、彼らは個々にエージェントと契約して仕事を進めるとのことで、つまり米国の芸能人は被雇用者ではなく「雇用主」の立場にあるとのこと。

要するに、芸能人の活動の自由度がまるで違うというのだ。

エージェントとの契約はいつでも打ち切ることが可能であり、あくまでも主導権は芸能人にあり、それを支えるのが芸能人組合。

他にも米国の公正取引員会の機能は日本とは異なり(日本は公取委の建前発言のみで取り締まらない)、芸能人の独立をはばんだり独立後の活動を妨害したりした場合には、独立禁止法に抵触するとして公取委が動くとのことだ。

他方、日本の芸能人は芸能事務所に雇用される立場であり、あくまでも雇われた人であり、被雇用者なのは知っての通り。

すべてが被雇用者だから「仕方がない」で済ませているのが日本とのことで、日本を模倣したのが韓国だが、(東方神起メンバーへの独立後の執拗な妨害から)韓国ではこれまでと違って法改正で罰金も科されることになったとのこと。

それは韓国では芸能が主要産業であり重要なソフトパワー政策として存在するからだとしている。

では「クール・ジャパン」としてコンテンツ輸出を掲げる日本はどうかというと、首相が存続してよかったというだけの発言から推して知るべしで、メディアには「人権を無視」したとの言及などもあったが、現実には問題にすらなっていない。

この問題、このままでいいのだろうか――。







芸能界スマップの大乱で、一流コラムニスト「オダジマン節」炸裂!

2016年1月19日(火曜)

個人的にはほとんど今回のスマップの解散騒動については興味がないのだけれど、コラムニストのオダジマンこと小田嶋隆が、まさに彼一流の見立てで、今回の騒動について歯に衣を着せることなく、オダジマンなフレーズを炸裂させている。

一流どころのコラムニストの<切れ味>の確認には<格好のつぶやき>と思われるので一部を貼り付けてみた(下記の太字)。氏のツイッターから。ツイッター上ではかなり出回っているようだ。

「芸能事務所のガバナンスが芸者置屋そのものであることはずっと前からある程度わかってはいた。でも、テレビ局がその北朝鮮ライクな芸能事務所のパシリだとまでは、正直思っていなかったので、今朝のワイドショーの作り方には驚いている。」

「吉原でさえ10年つとめれば年季が明けるというのに25年たっても足抜け女郎扱いですかそうですか」

「ガバナンス、コンプライアンス、アカウンタビリティーといった用語が、横文字のまま普及しているのは、既存の日本語(つまりわれら日本人の意識)の中にそ れらに相当する言葉がなかったからで、つまり、わたくしども日本人の組織への帰属意識は、いまだに「御恩奉公」の時代から変わっていないのだね」

「国民的なアイドルが集団的な土下座を強いられるみたいなパフォーマンスを事前告知付きの緊急生放送で流して、翌朝にはその全面屈服劇を美談に仕立てあげるVTRを配信しまくっているフジテレビは、たぶん、日本中のサラリーマンを敵にまわすことになったんではなかろうか。」

「<干す>という制裁は、ひとつの芸能事務所の力だけでは貫徹できない。特定の誰かを<干す>」ためには、日本中のすべての芸能プロダクションとテレビ局が総掛かりで破門状を共有せねばならない。その<破門状の共有>ができているということはつまり、芸能界が闇社会であることを意味している。」









高橋真梨子の隠れたヒット曲♪〜 これ、好きだな〜 新幹線映像とも見事なアンサンブル

2013年7月5日(金)



※曲と映像が調和していてとても好きだった、
これまで貼り付けていた「N700系新幹線」の映像が削除されたようなので、
「jiktong1」 さんという方の別の映像に変えました。
下記の文章は、その「N700系新幹線」の映像をもとにしたもので、そのままにしてあります。

※またまた映像が消えてしまったので、3度目の映像に。
「kometora2009」 さんという方の映像です。

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今月に入ってPCに向かいながら、
BGMとして聴いているのがYoutubeのこの曲。
高橋真梨子の 「君をのせて」

小気味よくバウンドするほどよいリズム。
流れるように軽快なメロディ。

そのリズムとメロディを率いて
包みこむ、つやつやした歌声。

舞うようなのびのびした声の響きが心地良い。

そしてN700系新幹線の
滑らかな走りの映像との見事なアンサンブル。

これは、ご機嫌。

※音がまったく違うので、いつもヘッドフォンを利用。

高橋真梨子好きなら、きっと気に入るはず。

BGMだけではなく、
仕事開始のほどよい応援歌としても効果あり。
エンジンの回転を上げてくれるね、この曲は。

数日前に見つけました。

知ってる人は知ってるんでしょうけれど、
ぼくはこれまで、一度も聴いたことがない。

高橋真梨子好きには、もう新曲ですね、これは。

そしたらこの曲、JR東海の旧社歌なんですね。
ちょっと驚きました。

あまりにも映像と曲が調和しているので、
てっきりJR東海ご本家の映像だとばかり思って、見てました。

まったく疑わなかったですね。
もう、聴くだけで。

何十回と聴いてから、
そういえば、この映像は個人の方がアップしたものだと気がついた次第。

いや、たしかにアップした個人の方(Ryoichi Tanakaさん)のお名前には気がついていたのに、
失礼ながら、まったく意識の外にありました。

社歌とあるけど、これはイメージソングでは。
こんな曲なら、仕事開始に毎日でも聴きたいもの…

これ、2011年の10月のアップ。
知らなかったな〜。



※補足・高橋真梨子の「歌い方」の特徴 14年6月20日記す


高橋真梨子は「歌謡歌手というよりミュージシャン」である。
その歌い方の特徴は「クールな歌唱」にあり、

その歌唱が聴き手に限りない「哀愁」(=情感/注・ブログ主)となって伝わる、
と、数日前の日経のコラムにあった。

で、彼女の歌い方の特徴は

「必要以上に歌の世界に入り込まず、
メロディーもリズムも崩さず、
少しざらつきのある声を楽器のように使い、クールに歌う」


とのことだが、これではまだわかりにくいので、続けよう。

コラムは、始まったばかりの2014年の彼女の全国ソロコンサートツアーの
ステージについての短い批評コラムであり、
ミュージシャン高橋真梨子の歌い方の技術的な特徴に触れていた。

彼女のヒット曲がじっくり歌い上げられ、
それらのどの曲を聴いても「切なくなってくる」とのこと。

それは「悲しい歌詞のせいばかりではなく、
むしろ歌声が哀愁を演出しているといった印象が強い」とのことで、

「哀愁を売りにする歌手は多いがその質が違う」と続く。

歌唱テクニックとして
「バッグのリズムより歌い出しを遅らせたり、語尾を引っ張ったりする」技術があり、
多くの演歌歌手が得意技にしている。

ところが高橋真梨子は「あくまでリズムに正確で、
そうした表現は恐らく意図的に排除している」と、指摘。

そこで、上記の「必要以上に歌の世界に入り込まず――」に続く。

だからこそ
「余計に歌詞の悲しみが浮き彫りになる」
とのこと。

それは「湿った日本的情緒ではなく、ドライで無国籍のムード」であり、
それこそが「高橋真梨子の哀愁の正体だろう」と分析し、
「この人は歌手ではなくミュージシャンなのだ」と結んでいる。

で、僕の解釈も加えていうと、つまり高橋真梨子の歌唱は、
時に「哀愁」を、
時にこの社歌のように「快活」「明朗」なども含んだ

あらゆる「情感」を浮き彫りにして伝えられるということだろう。

それが、ミュージシャン高橋真梨子だ、と。







寂聴にも「筆の誤り」? 人気エッセイが…

2011年4月30日(土)

日経の日曜版に瀬戸内寂聴が「奇縁まんだら」というタイトルで毎週エッセイを綴っている。瀬戸内が過去に交流した著名人(物故者)をとりあげ、その著名人の人となりを鮮やかに寸描する。

24日は昭和に燦然と輝いた大歌手・三波春夫だった。この大歌手も、今となっては「お客様は神様です」のフレーズで知られていると言ったほうが、通りがいいのかもしれない。その三波春夫に一度だけ寂庵で会ったときのことに瀬戸内は触れている。永六輔が連れてきたそうだ。15、6年前になる。

ぼくは毎週、このエッセイを楽しみにしているのだが、この三波について書かれたエッセイの中に、三波の人間性を誤って伝えてしまう決定的ともいえる間違いが記されている(ともすれば、生前の三波の信条をゆるがせにしてしまいかねない内容でもあるようだ)。瀬戸内の「記憶違い」なのかどうかはともかく、誤りを指摘したのは三波春夫のスタッフだった人物。

三波春夫がシベリア抑留者だったことはぼくも知っていたが、晩年、永六輔との交流からメディアに一緒に出ていたこともあって、そこで話す、あるいは話される三波自身についての人となりに、それまでぼくが抱いていた三波のイメージとの余りの違いに驚いたものだった。

同様に、永六輔は瀬戸内に、これから寂庵に伺うと電話で告げながら、「流行歌手のあの華やかイメージと、あまりにも違うから、びっくりしますよ」と言っている。

実はこのエッセイの脇に、瀬戸内が寂聴語録として三波の人間性を一行で言い尽くしたフレーズが本文より大きな活字で括弧内に染め抜かれている。

「派手な衣装をぬいだ素顔は律儀で地味な流行歌手」

これが瀬戸内寂聴の三波春夫に対する偽らざるイメージであり、観察なのだろう。

話しを戻そう。寂庵を訪れた素顔の三波春夫に会って、瀬戸内はビックリしてしまう。永六輔の電話がなかったら、まるで別人かと思いこんだだろう、と語る。

床の間に座らされた三波はしきりに遠慮したという。
「舞台のあふれるような笑顔はなく、つつましくて、律儀なサラリーマンの出世しないタイプのような人」に見えた、と。

で、三波について、永六輔がいうのだ。
「ほんとは、今ガンなんですよ」
にもかかわらず、
「平気で仕事を続けているし、三波さんほどの読書家は芸能界では見たことがない」
などと。
それに抑留体験や戦友を思い続けたことなどがその場で話される。

そして三波が発言する。
ガンにかかったのも宿命でしょう。私は仕事をしながら、ガンと共生して、死ぬまでやっていきたいと、家族にも話しています。いつまで生かして下さるか、それはわかりませんけれど」
まるで高僧のように落ち着いた口調だった、と瀬戸内。

このカギ括弧なかの三波が言う「ガンにかかった云々」と三波自身が自ら語っていることが誤りだと、スタッフが指摘したのだ。

なぜなら、三波は死ぬまで自分のガンを家族以外の誰にも決して口外しなかったというのだ。レコード会社の人に知らせたのも、死の二か月半前だったという。

そして永六輔ももちろん、ガンのことは知らなかった。なぜなら永六輔は、このスタッフと三波が亡くなった後に放送局で落ち合い、このスタッフにいきなり言うのだ。

悲し過ぎて葬式に行く気にもなれなかったよー。「病気(ガン)だとは知らなかったぁー」と、そして周囲に誰もいなかったらあなたを抱きしめてやりたいよー。よく頑張ったなぁー、と。

つまり知らなかった永六輔も、三波春夫が「ガンだ」と言うはずはないのである

だからスタッフは瀬戸内寂聴がエッセイで書いている三波が自分のガンについて語るくだりは誤りであると指摘しているのだ。

三波春夫が自分のガンを口外しなかったのは、ひとえにお客のためである。自分のステージを見に来たお客が、三波の病気を心配して、「今日は大丈夫だろうか」などと思われることが三波には耐えられなかったのだ。三波の芸に対する、それにお客に対する歌い手としての信条であり、真情といえる。

実はぼくにとっても三波春夫は過去のひとだから、このエッセイで興味を覚えたのは、あの人口に膾炙した「お客様は神様です」の真に意味する内容についてだった。何故、三波春夫は、あのようなフレーズを口にしたのか、そのことに尽きた。

その事について瀬戸内も最低限記している(後の※に)が、物足りないので調べてみたのだ。そしてググッたら、三波春夫の公式サイトがあり、そこにそのスタッフが24日の当日付けで、瀬戸内寂聴の「誤り」を指摘していたのだ。

米寿になった瀬戸内寂聴の記憶違いによる記述だったということかも知れないが、瀬戸内ほどの大作家でも、こうした間違いを記すようになってしまったということだが、その年齢を思えばありうることかもしれない。

でも、このエッセイの最後のところで瀬戸内は書いている。三波春夫は私より一つ年下で享年77だった、と。そして、
「もし生きていてくれたら、まだ87歳だったのに。」
まだまだ若いと、瀬戸内自身は自負しているようだ。



※間単に触れるが、あの「お客様は神様です」のフレーズには三波春夫なりの真意があった。
三波にとって、ステージを見に来てくれるお客は、まさに絶対者。そしてステージは天地でいう“天”であり、客席は「地」であると。その天と地の間にあるお客様こそが「絶対者」であり、それは「神様」だという。

下記は公式サイトからの転載。
「私が舞台に立つとき、敬虔な心で神に手を合わせたときと同様に、心を昇華しなければ真実の藝は出来ない―――と私は思っている。つまり、私がただ単に歌を唄うだけの歌手だったらならば、きっとこんな言葉は生まれなかったと思うのです。浪花節という語り物の世界を経てきたからではないだろうか。」


※上記の文でスタッフと記したが、その方は三波春夫の長女で、生前の三波春夫のマネジャーを努めていた由。この文章を書いてから、公式サイトを見たら、そう記してあった。もしかしたらマネージャヤーではないのかとまでは想像したが、そうか娘さんだったか。だからこそ、故人ではあっても、父三波春夫の信条が覆されかねないとしての誤りの指摘だったのだろう。
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