再び、 江戸情緒で比類無い
「半七捕物帖」を読む!
2024年5月28日(火)
実はこの作品を以前読んだときにブログでとり上げている。
15年前になる。
下記の文章がそっくり、当時のブログだ。
江戸情緒で比類無い「半七捕物帖」を読む
2009年3月12日(木)
■岡本綺堂『半七捕物帖』を読んでいる。
全部で68編あるとのことだが、現時点でまだ10編程度しか読んでいない。
■今回はじめて知ったが、捕物帖はこの半七にはじまったものとのこと。
スタートは大正6年1月だというから、92年前のことだ。
江戸の雰囲気が巧みに盛り込まれており(交わされる言葉や地名や事柄がまるで江戸時代の情緒そのもので、借りてきたような感じがない)、それが読み手をいかにも江戸の町中にでも佇んでいるような気分にさせてくれる。
そういう江戸情緒の表現ではこの作品を超えたものはないのではないか。
■同様に久生十蘭の捕物帖にも、そのようなつくりがなされているというので、近々目を通してみるつもり。
もっとも久生十蘭は僕は名前だけで、直木賞作家ではあるものの作品を手にしたことはない。
■ところで時代物の資料としてあげられるものに「古文書」があるけど、まず現代人にはほとんど読めない。
僕らがまるで読めない楷書ではない日本語の文字がなぜ用いられたのか(書かれたのか)、どうして崩し字なのかなど、その理由がわかった。
江戸について記した資料本をひもといていて。
■僕ら現代人は当たりまえで楷書をならう。
でも僕らはあのハンコ特有の篆書はまるでわからない。
というか、字体としての篆書を習うことはまずない。
ほとんどの人が用のないものとしてまず習うことはない。
■それと同じで江戸の人たちは、楷書を習わなかったというのだ。
当時、楷書は実用には用いられなかったとのこと。
それで僕らに読めないあの崩し字が一般に用いられたというのだ。
巻紙に筆文字ですらすら書く都合上、やはりあの崩し字のほうが実用的だからだろうか。
それに美しいこともあろう。