長嶋さん
あの引退セレモニーの2週間後にも、
試合に出場していた――僕の人生の転機
1974年!
2021年11月21日(日)
今日、朝日(デジタル版)がとり上げている。
仙台の宮城球場(当時)での「日米野球・メッツ戦」に出場している、と。
セレモニーから約2週間後の10月30日に。

1974年10月14日・後楽園球場
もちろん、公式戦ではないが――。
たまたま僕の田舎が仙台ということもあって、
「ヘェー、そうなんだ〜」と。
引退セレモニーにおける
「わが巨人軍は永久に不滅です!」
の長嶋さんの名言は、
ある年齢以上の人たちには、忘れようもなく残っているはずで、
もちろん、今でも僕の耳朶の奥で響いている。
それはミスターこと長嶋さんだからということもあるが、
その年は、僕の人生にとって大きな転換をもたらした、
いや、その後のぼくの人生を左右した、
個人的には極めて意義深い年という事とも相まってである。
それから、もう47年になる。
「長嶋茂雄の引退セレモニー」は、
1974年10月14日のことだ。
今年は長嶋さん、オリンピックの聖火ランナー、野球人で初の文化勲章受章と話題になったが、
今日の記事で、個人的には、あのセレモニー時の思いを新たにしつつ、
「1974年かァ」と、
遠い過去への感慨に、また、また、また……誘い戻された次第。
それは長嶋さんのこの引退セレモニーを、特別な場所で耳にしたからだ。
東京暮らしの僕が、
北海道の留萌から旭川へ車で向かう途中、
車のラジオから流れるセレモニーの声を生で聴いたのだ。
20代の半ばだった。
もちろん仕事で出向いていたのだが、
8月下旬から10月に入ってまでの約50日間、道内を駆けめぐった。
その年の、その仕事を境に、
僕の人生はガラリと変わった。
それまでは公務員に準じるような職場にいた。
そこからガラリと一転、
フルコミッション・セールスの世界に飛び込んだのが、
1974年のことだった。
販売の手法を仕込まれ、
素人の僕にも何とか成績を上げることが出来たのだった。
宿代から交通費まで含め、費用はすべて自分持ち。
車で動くので、車と一緒にフェリーで北海道に向かった。
それもフェリーは東京からは出ていなかったので、仙台まで出向いて。
それに当時飛行代は極めて高額だったが、
たった数時間の営業会議に出るために、
わざわざ飛行機を使って東京を往復した。
往復だと、当時の同世代のサラリーマンの給料を超えてしまう額ではなかったか。
僕には初めての飛行機だった。
もちろん自分持ちの費用である。
飛行機へ乗る際、前の方に相撲取りがいた。
横綱になったばかりの北の湖だった。
同じ飛行機である。
とまれ、長嶋引退というと、
繰り返すが、
1974年が、
留萌から旭川への、車での生の長嶋さんの音声が、
今でもコダマとして反響し続けている。
※続く