旧友「綱(ツナ)さん」こと、
芥川賞作家の高橋三千綱さん逝く……
2021年8月31日(火)
若い頃の遊び(呑み)仲間である「綱(ツナ)さん」こと、作家の高橋三千綱さんが亡くなった。
逝去は先々週の8月17日(火)と、先週早々に報じられた。
芥川賞「九月の空」テレビ用脚本企画書
知ったのは、作家・中沢けいさんのリツィート(岩波書店)だった。
新聞をチェックしたら先週月曜・8月23日の新聞に訃報記事がでている。
若い頃、ツナさんとは一緒に遊び(呑み)歩いていて、
その当時(1970年代後半)に彼が芥川賞を受賞(『9月の空』1978年上期)。
前年に続くノミネート二回目での受賞だった。
さすがに受賞後は、いっしょに呑み歩く機会はなくなったが。
受賞前の綱さんは、文芸誌『群像』の新人賞をすでに受賞(1974年)しており、「いずれ芥川賞」と期待されていた。
その“いずれ”が「かくも早く」という頃合いで訪れ、仲間は驚きと喜びで狂気乱舞したのだった。
※ちなみに当時の群像新人賞は、
74年・高橋三千綱「退屈しのぎ」
76年・村上龍「限りなく透明に近いブルー」(芥川賞も)
78年・中沢けい「海を感じるとき」
79年・村上春樹「風の歌を聴け」
※同じく当時の芥川賞は
75年下期(76年1月)に中上健次『岬』
76年上期(76年7月)には村上龍『限りなく透明に近いブルー』
78年上期に高橋三千綱『九月の空』
村上龍の受賞は、社会現象と言えるほど特別大きな話題になって、作品が記録的な売り上げに。
そんな時代だから、芥川賞受賞となると、その前と後では大違い。ツナさんの生活は一変した。
ツナさんとは新宿ゴールデン街で知己を得た。
もしかしたらゴールデン街が最もゴールデン街らしき雰囲気を醸し出していたころかもしれない。
著名な作家や映画監督などの文化人や俳優・女優などの著名人が、あの店、この店で呑んでいた。
仲間はほとんどがゴールデン街を足場にして呑み、ときには一晩中(それこそ朝まで、新宿の街を勤め人が出勤する姿をとらえつつ)安酒を呑み歩いた。
仲間の大半は、ツナさんが指揮する野球チーム「レッド・ハッタリーズ」のメンバーでもある。
※「芥川賞受賞第一弾」として刊行されたのが、この野球チームをモデルにした小説『さすらいの甲子園』(1978年8月5日発行)だ。
受賞直後に角川書店から。
なんと、この作品、芥川賞受賞作品『9月の空』(河出書房新社・1978年8月7日)より一足早い刊行だった。
たまたま、旧『野生時代』(角川書店)の78年8月号(つまり78年7月)にこの作品が掲載された。
そこで芥川賞受賞となったので、「それいけ!」とばかりに角川書店は、すぐに単行本化して刊行したのだろう。
※当時の角川書店は、業界どころか、日本初のメディアミックスとして、出版である本と、その本(小説作品)の映画化をミックスしての販売戦略が爆発的に大当たりして、大ヒットを重ねていたのだった。このときの『野生時代』の担当者が、現幻冬舎トップの見城徹。
単行本の表紙にはチームメンバー(つまり仲間)のユニフォーム姿の写真が載っている。
多摩川の河原で行われた撮影時は強風にあおられ、激しい土ぼこり舞う中での撮影となって、メンバーの皆が砂埃のなかで顔をしかめている。
ツナさんはこの単行本をチームのみんなに個々に献呈してくれた。
表紙の裏には、「さすらいの〜」と、仲間の個々の特徴を表現した献呈の呼称を記し(一見、誉め言葉ではないけど、愛情のこもった呼び名で)、それぞれに献呈本が贈られた。「高橋三千綱」のサインと同時に。
その記入日が、この本の発行日より、つまり本屋の店頭に並ぶより早い日付になっている。
まさしく著者献呈本である。
綱さんは当時、「群像」の新人賞を受賞して筆一本での生活をしていた。
収入は奥さんの働きにまかせて。生活はかなり苦しかったはずだが、そんな辛さや暗さは、仲間にはまったく感じさせなかった。
それにツナさんは何といっても颯爽とした二枚目で、とても恰好がよかったのだ。話しっぷりというか、つき合いっぷりというか、そういう彼のスタイルそのものが。
芥川賞を受賞して、僕の親友である仲間の一人が「高橋三千綱事務所」に一時期かかわって、受賞後のあわただしい運営などを差配した。
当時の方が「芥川・直木」賞に対する絢爛たるイメージは現在よりもはるかに大きかった時代で、一躍時代の、寵児となって、その後ツナさんは、自作の映画監督までやってしまうような売れっ子ぶりで活躍。
中沢けいさんのツイッターで知ったと書いたが、上述したように、中沢さんは綱さんの数年後に群像の新人賞を受賞、ツナさんが新人賞を取ったばかりの中沢さんを連れてきて、ワイワイ呑んだことがある。
でも中沢さん、自分が新人賞を受賞した直後に、ツナさんと会い。すぐにもツナさんが芥川賞を受賞して、驚いたかも……。
そんな想い出もありますね。
それからツナさんは大阪生まれで、幼少のころの実家は裕福な米問屋で、別荘を何件も持つような生活だったとのこと。そんなことを最近知った。
なんであれ、若き日の仲間である著名な作家が亡くなったのである。
当時のことなどを少しだけ……。
ツナさん、安らかに……ご冥福を祈ります。
合掌