玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

January 2018

吉祥寺・それなら多数のライブカメラ復活に……



吉祥寺・それなら多数の

ライブカメラ復活に……




2018年1月23日(火)


吉祥寺のそこかしこの街角に、

商店街ごとに、

井の頭公園に……ライブカメラが復活する。


これで吉祥寺の街の様子をすっかり把握できる。



えっ、これって夢――。



昨日22日(月)、
珍しく東京に大雪が降ったせいだろうか、


僕の過去のブログ「吉祥寺のライブカメラ」に
相当なアクセスがあった。


ブログは別に雪とは関係のない内容だけど、

地元武蔵野市、つまり吉祥寺でも
20センチ以上の積雪になったので、


アクセスはおそらく、
雪化粧した吉祥寺の街の様子を
ライブカメラで見てみようとしたのだろうと推察。


ただし、このブログはもう9年前のもの。


このブログを書いた当時はまだライブカメラがあり、
ブログに記したような面白い変化が見られた。


面白い変化といっても、
そこはふだんに知っている場だし、


僕にとってはいわばありふれた日常の空間でしかない。

でも、それをネットを介してじっと見ているだけで面白い。

その面白さを語れ、と言われても難しいのだが、

あえて言えば、走る列車の車窓に展開する


刻一刻と流れ変わる風景と同じと言えば
わかってもらえるだろうか。


興味のない人はともかく鉄ちゃんでもノリテツならば、

あの車窓を流れる見知らぬ沿線風景のひとコマひとコマには

何物にも代えがたい情緒や心はずむ面白さを覚えるはず。


同様に、井の頭通りと吉祥寺通りとが交差する交差点を


斜め上から俯瞰したライブカメラは、
刻一刻と変化する交差点の様子を鮮やかに映しだしていた。


信号待ちの人、ヒト、ひと……
男、女、若者、老人、

女子高生、母親と子供……車、クルマ、くるま……。


交差点背後のガードの高架上を

右に、左に行き来する中央線の電車。


電車の映像はときおり、

コマ落としでスピード感がアップした映像のように
見える。

また、目の錯覚なのだろう、

交差点の向こうのガードの上を走る電車が、


右に走っているのか、左に走っているのか、
判別ができなくなるひと時がある。


交差点で左右に曲がる車とそのウインカーの点滅、
そのわきをすれ違うように直進する車、


それに交差点だからゆっくり動く車とは別にどうしてか、

驚くほどの速さで
映像がよどんでしまうほど疾走する自転車などの姿がある。


昼はもとより、
午後、夕刻、夜、深夜、早朝、午前などの


一日のいろんな時間帯に
映し出される信号待ちの人たちの


時間帯に応じて見せる
彩り豊かな交差点でのたたずまいだけど、


その移り変わりの変転が、ただただ面白いのだった。



でも今はない。ライブカメラは存在しない。



取り外されて無くなっている。

つまり、吉祥寺を映すライブカメラは存在しない。1台も。


で、思うのだ。
どうしてないのだろう、と。


防犯カメラはいまや到る所に存在し、
市内でも駅前や商店街はもとより、
住宅街の思わぬところにもあったりする。


でも、ライブカメラはない。どうしてなのだろう……。

そういえば、今現在、

24時間刻一亥と映しだされる全国各地のライブカメラには、

人の顔が判明するようなライブカメラはまず存在しない。


あるのはかなりの距離を隔てたものばかり。


これって個人の顔の映像、
つまりプライバシーなどと関わってくるからだろうか、
何ともわからない。


だって、〈見たい〉という人々の要請は相当数あるのだ。


街に、商店街にあって、彩り豊かな吉祥寺の街の姿を的確に伝えてくれる
格好の存在といえるのではないか、ライブカメラって……。


復活が、そう、夢が正夢であって欲しい。








「マック復活劇」を伝える村上龍番組――広報と伝わる手法

2018年月20日(土)


ネット上でオンエア後に一定期間だけ視聴可能な、
民放の「TVer」をよく見る。

ただしそれもテレ東系の
ビジネスや経済関連のドキュメンタリー番組のみ。
村上龍の「カンブリア宮殿」や江口洋介の「ガイアの夜明け」などだ。

12月に放送された、
日本マクドナルド復活劇の背景に切り込んだ
「カンブリア宮殿」は感動的ですらあった。

トップが日本人から外国人の女性に交代した途端、
日本マクドナルド45年の歴史で最低の赤字決算とか
中国の取引先から使用期限切れの肉が使われた(事実ではなかった)とかで
まさに「存続の危機」まで問われることになる。

その日本マクドナルドがいかにして復活したのかを、
トップの日常にカメラが密着しながら丁寧に解き明かしていた。

復活劇はもちろん知っていたけど、
「でも、どうして復活したのか」については知らなかった。

復活の秘訣は女性トップの徹底した「現場主義」にあった。

マーケティングの力を信奉するトップは
現場の数多くの店舗を日常的に訪ね、
客との気さくなコミュニケーションをはかる。

客と同席するのだ。

改善につながるとおぼしい、あらゆる問いを客に投げかけ、
客の多様な答えを引きだす。

そうしたコミュニケーションスタイルは
このトップ女性のかつての赴任地ロシアでの出来事にある。

何とロシアでは、客は店舗に入ってくると、
そのままテーブル席に座るだけだった、と。

食べ物のオーダーはない。そういう慣習らしい。
それがロシアのスタイル。
それには衝撃だったと、このトップ。

それで、客とのコミュニケーションがはじまる。


もちろん現場スタッフである従業員との
コミュニケーションも欠かさない。

全国の店舗12万の現場スタッフに一丸となるべく、
ある運動を導入して働くことの「意識」に訴える。

そうした復活のポイントとなる要素が
実にわかりやすく描かれて伝えられる。

よく言われることだけど、
時代の流れが速いから、だからこそ「現場」の把握が重要、と。

でも、ここまで現場にこだわって、
コミュニケーションをとっているトップは稀有ではないのか。
これだけの大企業で。

で、司会の村上龍が最後にひと言でまとめる。

復活に必要なのは「真の意識革命」。
つまり「現場と人」だと。

ここまで分かりやすいのは、
テレビだからと言ってしまえばそれまでだけど、

いささか大手企業の広報支援で仕事をしてきた身には、
これって、広報の立場から言えば、まさにニッコリもんで、
「してやったり」というもの。

伝えられるのは、
企業のあり様のホントはその一端でしかないのだけれども、
そこは番組だから、視聴者に分かりやすいように構成されて伝えられる。

ただし後追いの似たような番組が出てきても、
その巧緻の差は歴然。

そこはベテランの番組スタッフと
昨日今日、にわかに手掛けだした番組との違いに尽きる。

たまたま、テレ東の、こうした番組の構成作家と最近知り合い、
メディアの違いはあれ、
広報と、伝える手段や手法である「構成」について、
あれこれ考えた次第。







芥川・直木賞の受賞者会見の一部始終を見る

2018年1月17日(水)

昨夜、芥川・直木賞の受賞者会見の一部始終を見る。

受賞者二人のフォトセッションに始まり、
それから別々の記者会見。

3人の受賞だが、一人は海外在住なので2人。
海外在住者は電話での会見。

テレビや新聞で受賞者会見の一部を知るだけだったのが、
今はこうして会見内容の一部始終を見ることが出来る。

会見は日本文学振興会の主催。

見るともなく、たまたまネット上で出会ったので見たのだが、

朝日新聞デジタルが、
「受賞者記者会見」を帝国ホテルからライブで
ネット中継していたのだ(選考委員の記者会見は別会場)。

会見が始まるまでの会場では、
受賞作品を刊行している版元から、
作品概要などを紹介した資料が
広報を通じて配られる。

まあ、記者会見の通常の姿だ。
個人的にはなんどか、
こういう会見を仕事でやっている。

とまれ、今は、
一大文学賞フェスティバルの幕開けともなる会見の経緯を
自宅でワイングラスを傾けながら見ることが出来る。



若い頃、仲間の一人がやはり芥川賞を受賞した。

すでに文芸誌の新人賞を取っていたので、
いずれ芥川賞を取るだろうと文芸界はもとより、
周囲もそう見ていた。

でも、意外や意外、こんなに早くといえるほど、
早くに受賞するとは、本人も、
そして仲間も、その受賞に驚いた次第。

その後の彼は、文字通り人生が激変。

で、彼の半生をかえりみたエッセイ集で
数十年を経て最近知ったのだが、

やはり版元は本人には内緒で、
ノミネートされるような動きをしており、

本人は本人で、当時は仲間にはそんなそぶりは見せなかったが、
かなりの生活苦で、
生活費は夫人に負っていたということを綴っていた。

新宿のゴールデン街などで朝まで安酒を飲み、
河岸を変え、
勤め人の出勤姿をよそ眼にフリーゆえの気楽さで、
うごめいていたのだった。



くしくも今回は、二人とも岩手に縁のある受賞となった。

岩手の方言(遠野弁)による作品での芥川賞の受賞、
宮沢賢治の「銀河鉄道」ベースの直木賞作品と。

芥川賞の若竹さん。

「方言は一番自分に正直なことば。
私の思いがなんのてらいもなく言葉として、
エネルギーとしてあらわれてくる」

直木賞の門井さん。

徳川慶喜と同じ名前ですね、の質問。
父親の命名とのこと。
子供の頃、いやだった、と。

どうでも良いことだが、
ノミネートされた作家が

受賞の有無の電話を待つ場所のことを
「待ち会」と呼ぶとのこと。














地域アート展、発想・企画の立役者――越後妻有・瀬戸内の両芸術祭の仕掛け人「朝日賞」受賞

2018年1月13日(土)

元旦の朝日新聞に、

朝日が主催する今年度の「朝日賞」を
受賞する4人が紹介されていた。


作家の瀬戸内寂聴さんなどと共に
アートディレクターの北川フラムさんも受賞した。


北川さんと言えば「越後つまり 大地の芸術祭」や
「瀬戸内芸術祭」の仕掛け人として知られ、
2017年の昨年も、石川や長野でも新しい芸術祭を手掛けている。


そう、今日の日本全国での地域アートブームの
最大の功労者としての受賞である。


第1回目の大地の芸術祭の終了直後だから2000年の秋だったろうか、
代官山の北川さんの事務所に取材でうかがった事がある。


そうしたことについても過去に何度か北川さんについて、
このブログで触れている。


いまさら、北川さんの業績について触れるのも何なので、
過去の僕のブログから引き出して


北川さんらしさを象徴した箇所を
貼り付けておく。
(結果、新聞からの引用箇所になってしまったが)

※下記は2014年8月下旬の日経からの引用

「新潟県から話があったとき、

現地を見て、高齢化や雪といったことより、

農業などができなくなることで

誇りを失うことが人々にとって最大の問題だと感じました。

美術を通じ地域の人に誇りを取り戻してもらうことはできないか。


そう思って、叩かれても続けてきました」


「効率化で捨てられる棚田、増える空き家、織物産業の崩壊など

海外の作家にその経緯を話しました。

そこを作品づくりの出発点にしてほしいからです




美術は他人と違う事で褒められます。

美術の基盤に人は皆違うという考え方、思想があるからです。

美術には、一人ひとりの作り手と社会との〈ずれ〉が表れます。

大事なのはそうした多用性を評価すること。


美術が評価されるのは、そうした忘れられていくものや、

現代の少数者の意見をすくいあげ、未来への不安を表現するからです。

だから見る人に新しい体験を与えてくれる」



「日本の美術は明治以来、

政府主導で西洋の流れを取り入れてきました。

また、現代の美術は、都市の中の病的な要素を表現するものとして、

どんどん過激になっています。

それが〈美術は分からない〉ということになる。

二つの芸術祭はそうではなく、

美術の多様性を社会にいかし、過激さではなく楽しさを伝えたい」



「一カ所で展示すれば効率はいいが、

集中と効率という都市の価値観と正反対である点が、

この芸術祭では重要なんです」



「アートは赤ちゃんのような存在だと思うんです。

橋や道路のように役に立たない。

制作や維持に手間もかかります。

皆で心配し、家族や近所で協力して育てる中で関わった人がつながってゆくんです」

「新潟県から話があったとき、

現地を見て、高齢化や雪といったことより、

農業などができなくなることで誇りを失うことが人々にとって最大の問題だと感じました。

美術を通じ地域の人に誇りを取り戻してもらうことはできないか。

そう思って、叩かれても続けてきました」



「効率化で捨てられる棚田、増える空き家、織物産業の崩壊など

海外の作家にその経緯を話しました。

そこを作品づくりの出発点にしてほしいからです」



「芸大時代、のめり込んだのは仏像美術の研究です。

仏像は伽藍、つまり寺という建物の中にある。

伽藍という空間と仏像は一体なんです。

さらに寺には寺にふさわしい立地があり、そうした場所を選んで建てている。

美術展での土地や空間と作品は一体のものであり、

場の力が美術を支えるという感覚は、

後になって越後妻有などの

棚田や廃校を舞台に美術展を開く活動につながっていると感じています。」











享年70 旧友星野仙一が逝ったのを知った星野の友人は


享年70 旧友星野仙一が逝ったのを知った

星野の友人は


2018年1月6日(土)

星野仙一が亡くなった。
享年70。

星野と同級、同年齢で、
明大受験で一緒に上京したという人を知っている。
星野と同じく倉敷の人だ。

星野はプロ野球の人気者、
それも長嶋、王に次ぐような人気者だったので、
その知人は、友人としての星野に、
それなりの思い入れもあった。
離れてはいても、
生涯の付き合いだったようだ。

星野は昨年12月、
野球殿堂入りしてのパーティを開いている。
写真で見る限り元気そうだ。
まさか、と、
その知人も、突然の訃報に驚いていることだろう。

個人的には、星野が楽天を日本一に導いたし、
副会長でもあるので、
仙台が故郷の僕には、
現役時代よりも、一層身近に感じていた次第。

70歳というと団塊の世代ということか。
僕の少し先輩にあたる世代だ。
かつてならわかるけれど、
今の70歳ならまだ若い。
いや、まだ早い。早すぎる。

でも自分を顧みれば、僕は去年、
いや年が明けたから一昨年になるが、
秋に兄を亡くしている。
71歳だった。
早いよ、と、亡骸に声をかけた。

ただ兄は難病にあり、亡くなる二か月前に会ったとき、
骨と皮だけの姿に痩せ衰えていて愕然とし、
長くはないことを悟った次第。

人生100年時代が一方で叫ばれていても、
やはり70歳という年齢は、
まちがいなく老齢で、
何らかの病とのせめぎ合いを
重い軽いはあっても、
抱えているものかもしれない。

個人差はあれども、60歳を過ぎると
それなりに肉体には何らかの衰えや変化が訪れ、
病との距離が短くなり、
うわべは元気そうでも
病と同居しつつやり過ごしているというところだろうか。

我が身のこの1、2年の急激な肉体の変化に驚きつつ、
そんなことを思った次第。

70歳前後での彼岸への旅立ちは、
今という時代、
早くもあり、早くもない、ということか。
合掌。








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