2017年7月15日(日)

サラリーマンをしながら小説家との二足のワラジを履いて
ガンバっている知人の倅(せがれ)君がこの6月、新刊を出した。


これで9冊目になる(講談社・角川・光文社からの刊行)。


数日前、三鷹駅前の書店でチェックしたら、
書棚に彼のこれまでの著作が4冊並んでいた。


おっ、がんばっとるなと思って、
しばらくぶりで彼のツイッターを覗いたら、


刊行された新作は、たまたま彼の母親が鬱病を発症したので、


その時に関連書をあれこれひも解いたことが
今回の新作の着想につながったとのこと。


他人事(ひとごと)だと思っていた鬱病について
真剣に考えざるを得ない状況になり、


しかも一番苦しいのは発症した母親本人だと見ていてわかったが、
彼自身、心の病を理解するのに苦心したとも。


鬱病に関する本を読みあさり、
分かったつもりになってしまったことが結果として裏目に出て、
母親を苦しめることになってしまう。


なぜなら、鬱病は「治さなければならない病」と考えてしまい、
治せる病院探しに奔走することになり、


それらはすべて逆効果に――そのことで余計に
母親に負担をかけて苦しめることになったようだ。


関連書を読みあさったと言ってもそこは医学の素人、
半可通でしかない病の知識に固執して……病院探しに
奔走することになったからだろう。


でもこれは責められない。
息子の立場ならそういうものだろうから。


すっかり打ちひしがれていたと、本人。


ところがある時、これまでの理解や解釈とまるで異なる
鬱病の見方に接することになる。


その見方は鬱病とは関係ない本に出ていた。

「鬱屈した状態」や「強迫神経症」などを
患っているからこその“利点”に触れた本に。


それで鬱病に関する見方が一気に変わった、と。


鬱病は悪いものだとの姿勢を改めたことで、
母親に対する接し方も変化する。


それは「無理に治さなくともいい。
何とかやっていける状態を維持できれば御の字」
と。


さらに「鬱病も、そこまで悪いものじゃない」とも。
それで一気に肩の力が抜けた。


やがて母親の様態も安定してくる。


戦って打ち負かすのではなく、現状を受け入れるというスタンス。


この立場は時として最大の戦略になると感じたとのことで、


一見すると悪いことでも、
見方を変えると意外な盲点がそこに潜んでいる
とのこと。


この小説家の父親である僕の知人から、
夫人が鬱病で入院してると連絡があったのは昨年秋のこと。


何でもない小さなもの音にも異常なくらいに反応し、
のどが渇くと言って一分おきに水を飲むという状態で、


ついに入院したと知人。


知人は夫としての立場で夫人の病を大いに気に掛けていたが、
既に第一線を退いたシニアの年齢だから、


その実、息子であるこの倅君が、


現実的な対応では一番、
病人である母親についてあれこれと考えて行動していたようだ。


で、小説家としての彼が曰く。


辛いことや嫌なことを素材にできるのが小説家という職業だと。


負の感情を活かして創作に取りくむべく、
今後も大いに鬱屈し、怒ったり、悲しんだりしよう……
と。









※倅君のあれこれ話は、『小説宝石』7月号の彼のエッセイからの引用