玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

September 2016

慌ただしい9月の後半だった

2016年9月30日(金)

先週はPCの不具合で思うように仕事がはかどらず難渋し、今週は田舎で不幸があって帰省するなど、慌ただしい9月後半となった。

それにしても明日から10月入りする9月下旬だというのに、今週の東京は異常なムシムシですこし動くと汗が吹き出して閉口したし、帰省した仙台も東京ほどではないもののやはり蒸していた。

葬儀場で旧知の顔にたくさん出会い、それぞれとしばしの語らいを――。

親戚筋では僕らの上の世代は他界していてすべてがイトコや次世代の顔ばかりで、町内の人にかろうじて僕の上の世代の高齢者を何人か見かけて言葉をかわす。

仙台は昨日の午後の遅い時間から、そして東京は今朝から平年並みの気候に戻ったようだ。

昨日の朝の6時で25度あった気温が、今日は20度といきなり平年並みの気温になったようだと朝のラジオ。明日から10月で、やっとこさ、この時節本来の気候になったようだ。

と記したら、明後日は再び蒸すだろうと天気予報。

備忘録代わりに。詳細は個人用の日記に。







中島みゆきと研ナオコの物語――秘めた、二人の表現バトル


中島みゆきと研ナオコの物語

――秘めた、二人の表現バトル



2016年9月16日(金)


「貴女(研)が歌ってくださるのを聴くと、

もともと貴女がシンガー・ソングライターで生まれた作品だったように
聴こえてくる(中略)。


この場合、私(中島)の役目は貴女の筆記用具だったのかもしれない」



上記は数年前のテレビ番組で読まれた、
中島みゆきが研ナオコに宛てた手紙の一節だ



(1976年・第18回日本レコード大賞歌唱賞、日本歌謡大賞放送音楽賞、FNS歌謡祭最優秀歌謡音楽賞)


先週の朝日新聞が連載企画「もういちど流行歌」で


研ナオコと研自身の若かりし頃のヒット曲
「あばよ」を取りあげ、


この曲の逸話に触れていた。



その連載企画の記事の中で紹介していたのが、
中島みゆきの手紙だ。


話は時代をさかのぼり、1970年代半ばの頃だ。


1976年11月当時のオリコンのトップ10
(シングルの売り上げチャートから)

1位・あばよ――研ナオコ

2位・北の宿から――都はるみ

3位・落ち葉が雪に――布施明

4位・パールカラーにゆれて――山口百恵

5位・揺れるまなざし――小椋佳

6位・青春時代――森田公一とトップギャラン

7位・最後の一葉――太田裕美

8位・ジョリーン――オリニビア・ニュートン・ジョン

9位・どうぞこのまま――丸山圭子

10位・四季の歌――芹洋子


言うまでもなく、
「あばよ」を提供したのは中島みゆきだ。


中島みゆきは「あばよ」提供のほぼ2年前に
「アザミ嬢のララバイ」でデビューしており、


その曲を偶然耳にした研ナオコは、


「その世界観に衝撃」を受け事務所をつうじて楽曲を依頼


できたのが「あばよ」だった。


当時、中島みゆきの定番は「ふられ歌」だった。


「あばよ」もまさにそうで、


「今日も明日も会えないと言われた女性が、


彼は私には似合わない」と
気持とは裏腹に強がり、


「寂しさを誰かに話して発散するのではなく、
一人で思いだし、


せつなくてあふれそうな感情を一人でなだめる」


そんな入り乱れた女心のこの曲を、
研ナオコがこれ以上ない表現力で歌いつくし、


彼女最大のヒット曲となる。



その連載記事を読んでいて、
研ナオコの生ステージを想いだした。


10年がひと昔なら、ふた昔ぐらい前になろうか、


研ナオコのディナーショーのチケットを購入し、
大手ホテルの宴会場で彼女の生歌を聴いたことがある。


歌い手のコンサートなどに出かける機会は
ほとんどないのだけれど、


たまたま主催したホテルの仕事に関わっていたこともあって、


研ナオコなら生でその歌を聴いてみたいと思い、
奮発したのだった。


感激して聴き惚れつつ
ワイングラスを傾けていたのを想いだす。


冒頭の中島みゆきの発言は、


中島が研ナオコに
いくつもの曲を提供しているが故といえるが、


それにしても、あの中島みゆきに
「私は筆記用具」でしかないと言わせるのだから



誰が何と言おうと、研ナオコの歌唱力、
つまり表現力は折り紙付きと言える。



一方で研ナオコも
「中島みゆきを歌う」重圧を吐露している。


中島みゆきからは曲だけが届くとのことで、


「彼女の歌声を聴いて、何を表現したいのか察して、


世界観を崩さずに自分の声で表現できるか、と考える。


そのプレッシャーはすごかった



シンガー・ソングライターは別にして、


曲作り・歌作りの現場も
間違いなく「表現の創作・創造」のプロジェクトであり、


作り手や歌い手は己が持つもう一つ上の次元を目指し、
最高の表現を注ぎ込もうと腐心する。



その「最高の表現」の現場に立ち会ったことがある。


僕の近親者にレコード会社の社員がいて、


だいぶ昔のことになるが一度だけ、


レコードスタジオでの有名歌手の
生のレコード吹込みの場面に。


無理に頼み込んで実現したのだった。


そこにあったのは、まさに歌い手と作曲家、
それにスタッフたちによる「最高の表現」を求める姿だった。


素人目にはいいと思っても幾度も録りなおしを繰り返し
納得のゆく音を録る。


普段何気なく聴いている歌が、
こうして生みだされるのかと知って大いに感動したものだったし、


「表現を創作・創造」する仕事に
大いに魅せられたものだった。


中島みゆきと研ナオコ、二人の間には互いに畏敬し、


その畏敬の念を示すべく


表現力をかけて競り合う姿がそこには存在したのだ。







えッ、三鷹に「ハモニカ横丁」だって!?



えッ、三鷹に「ハモニカ横丁」だって!?


2016年9月8日(木)


知らなかった。


三鷹ハモニカ横丁
※外観――三鷹店を仕掛けた方のHP「ハモニカ横丁」から引用


ぼくの日常の生活空間だから、

その店の前を当たり前で通ってるのに、

まったく知らなかった。




昨日9月7日、朝日新聞の〈東京・むさしの欄〉が記事を載せていた。

三鷹の「ハモニカ横丁」が駅北口(三井住友BK裏)にオープンして、

もう3年になる
、と。


むろん、ビルの改修工事で新しい店に変わったのも、


通りすがりに外から店内を覗いて、


やや自由な雰囲気の飲み屋さんだとは思っていたけど、


そのビルの空間が「ハモニカ横丁」と
名付けられている
とは知らなかったし、


何よりも、ビルのワンフロアの一つの空間が


“横丁”と名付けられているとはまるで想像すらしなかった。


三鷹ハモニカ店内1-2
※三鷹ハモニカ横丁店内――ネット上から引用


それに地元で呑むとなるとほとんど吉祥寺だし、


吉祥寺ではあっても、
吉祥寺のハモニカ横丁で呑むことはまずないから、


三鷹にもハモニカ横丁が出来てるとは、
まったく知らなかった。


そもそも吉祥寺のハモニカ横丁は、


どこの駅前にも残る戦後の闇市を活かした空間だし、


このうん十年前のハモニカ横丁を
ずっと眺めてきているし(以前は呑んでいた)、


だいぶ前になるが、知人が
東南アジアの雑貨を扱う店を出店していたこともある。


個人的には、あくまでも吉祥寺の名物横丁としての
認識でしかなく、あまり深い感慨はない。


記事によれば、吉祥寺のハモニカ横丁に複数の店舗をもつ人が、


三鷹駅北口の「まちおこし」の仕掛けとして、


それなら三鷹にも、とのことでオープンさせたらしい。


この仕掛けた人は、東京で「横丁フォーラム」を立ち上げており、


吉祥寺のハモニカはもうビッシリだし、


家賃も高いし

で……でも、
三鷹ならとのことで手掛けたらしい。



個人的には、若いころから
新宿のゴールデン街にずっと出入りしているから、


闇市の跡地となると、
どうしても一番にゴールデン街を想起してしまう。


バブル以前、バブル期、バブル以後、そして21世紀の今と……。


三鷹駅北口のそれぞれの店では以前当たり前に呑んでいたけれど、


なぜか今はまた吉祥寺に戻った。


それに最近は変化球ということで、
西荻、高円寺、中野、大久保などで


わざわざ待ち合わせ、そのあたりでも呑んでいる。


中央線沿線の変化を知るには、これが一番。


ついでに言うと、中央線沿線での変化が著しいのは武蔵境駅以西だ。


中央線が高架されたことで、


単なる駅ではなく、高架下を最大限活かした、


魅力的な商業空間として活用され、
街のイメージがすっかり変貌している。


ともあれ、この三鷹のハモニカ横丁は昼飯もやってるし、


一度入ってみて、馴染めばひいきにしてみよう。
















なんと、入院費40万円の衝撃!

2016年9月7日(水)

年長の友人から電話がはいる。

奥さんがうつ病になったとのこと。
しかも、入院してる、との電話だった。

驚いたものの、夫人は50代後半。

一男一女の子供たち二人は結婚しているので、
友人は夫人との二人暮らしだ。

うつ病には詳しくないのでよくわからないが、
具体的な表情(症状なのか?)として、口が異常に乾くという現象が見られたという。

それも尋常ではなく、1分ごとに水を口に含む状態にあったとのこと。

つまり飲料水が、夫人の前に常時なければならない状態だった。

それに、これも症状の一つなのだろうか。

早朝に、いや4時5時なら早朝だが、そうではなく未明の2時、3時ごろに目覚め、
目覚めて以降はほとんど眠れないのだという。

そういった経緯を経て心療内科に出向いたとのこと。

そして入院となる。

症状から、一人部屋に入ることに。

それで、入院費や診療費などを加えると、
なんと、ひと月40万になるという。

持ち家で通常の暮らしなら問題はないが、現役をほぼリタイヤしているような状態なので支払いはとても厳しいと音をあげていた。さいわい、息子と娘からの支援があり、支払いを済ませているとのこと。

1分ごとに水を飲む症状は、やや改善されて15分までになったとのこと。

口が乾いたり、眠れなくなったりするのは、うつ病の人によく見られる症状らしい。

医師によれば、乾いているのではなく、
そう自分で思っているところがあって云々との説明を受けたとのこと。

何らかのストレスなりが影響し、脳内の神経物質の働きが低下して発症に至るらしい。

単に沈んだ状態なら入院せずに治ってしまうのだろうが、入院となると、穏やかではない。

原因かどうかは分からないが、誰もが日常生活で耳にする、小さな物音に敏感で、
それがストレスをもたらし、発症に至ったようだと、友人。

おそらく、医師の診察による見立てだろう。

実は、発症は今回が二度目だという。

一度目は、友人が会社を破綻させてしまったときで、10年ぐらい前になる。
そして、今回だ。

この先、あとどれぐらい入院することになるのか、
と毎日夫人を見舞いながら、友人は気をもんでいる日々だ。








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