玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

July 2016

仙台〜東京約9時間、各駅停車の旅!乗り継ぎ8回



仙台〜東京約9時間、

各駅停車の旅!乗り継ぎ8回



2016年7月24日(日)


これは愉しい。とても愉しかった。

また、やってみたい。なんか、癖になりそう。

JRのフリーパスを利用して、
今後はこの普通電車の乗り継ぎをなかば趣味として繰り返すかもしれない。

前回のブログで帰省について触れた。

で、東京へ戻るとき、今回はいつもと違って普通じゃない帰り方をした。

あぶくま急行2
阿武隈急行線


東京〜仙台間はこれまで数百回は乗ってるはずだが、
いつもは往復とも新幹線を利用。


でも今回だけは、往路は新幹線だったが帰りはあえてそうせずに、
各駅停車や快速列車を乗り継いで東京へもどったのだった。


きっかけは
福島と宮城県の仙南地区(仙台の南部、つまり県南)を結ぶ

阿武隈急行線(福島駅〜東北線槻木駅)という
私鉄(旧国鉄・丸森線)に乗車したことにある。


その〈下り〉線には数年前に乗ったことがあり、
今回は逆で〈上り〉線に乗ったのだった。
のんびりとローカル気分を味わいたくて、乗りたかったのだ。


沿線では途中、阿武隈川が車窓から電車の左右に見える
箇所(丸森〜あぶくま〜兜〈かぶと〉間)があり、


この沿線の車窓に展開する風景でいえばここが一番のハイライト。
ほかには伊達政宗の〈伊達家〉発祥の地が沿線にあったりする。


むろん、当初は福島から新幹線に乗り継ぎ、東京へ戻るつもりだった。


ところがこの阿武隈急行に乗って福島に向かっているとき、
若い頃の長距離列車(夜行急行など)での旅を思い出し、


このまま福島から東北線の上り普通電車に
乗り継いでみたら「どうだろう」と思い、
早速ためしてみることにした。


新幹線はこの先、白河でも郡山でも那須塩原でも宇都宮でも
乗車できるから、
普通電車がきつくなったら乗り換えればいいとのことで――。


乗り継ぎの時間は20分ぐらいあった。
いったん福島駅の表に出て、すぐまた乗り継ぎの列車に乗った。
これが郡山行き。約1時間ほどで郡山に着いた。


で、郡山でも駅の表にいったん出て、
すぐに乗り継ぎの黒磯行きの電車に乗る。



その後は黒磯から宇都宮行き、
宇都宮から上野行きと乗り継ぎ、


赤羽駅で埼京線に乗り換え、新宿駅で
中央線と乗り継いで
(新宿の街の灯が見えて、
戻ったーとの想い)三鷹駅に到着。


で、阿武隈急行線では、最初に乗った電車の行き先が
途中駅までだったので、乗り換えるなどして、
都合8回の乗り換えで9つの電車に乗ったことになる。


意外だったのは、昔と違って電車が良くなって
速度があるからだろうか、揺れもないからまるで疲れない。



だから、郡山、黒磯、宇都宮と乗り継ぎの都度、
新幹線を考えはしたものの、
でもこのまま普通に乗っちゃおうということで……もしかしたら、


このまま東京まで行けてしまうかもなどと、
自分でも意外に思いつつ乗っていたのだった。



それに沿線の駅名はほとんど知っていて、
ここには友達がいるとか、ここには親戚が住んでいるとか、


いろいろ想起して、これがまた愉しい。
昔のことをあれこれと想いだすのだ。


それから発見というか、気がついたことがある。


ぼくはてっきり、自分だけが
普通電車を乗り継いで東京まで帰ろうとしているとばかり思っていたのだが、


そうではなく、福島や郡山から乗車した人たちに、
少なからず僕と同様に東京まで普通電車で乗り継いでいる
人たちがいたのだった。とくに若者に。



それは宇都宮線となると車両が何両もあって長いからわかりづらいが、
福島や郡山発の電車は3両程度の長さだから、


どのような人たちが乗車したのかがほぼ分かる。


それで福島から乗車した若者たちがいて、例えば若者の4人組とか、
同じく若者の二人連れとか、男女連れとかがいて、


てっきり途中の駅で降りるのだろうと思っていたら、
これが次第に郡山が近づいてきても降りないし、下車の様子もない。


そして郡山で降りて、次の乗り継ぎの上り列車に
そろって彼らは向かったのだった。


それは郡山から新たに乗り込んできた若い人たちにも、
そのような人たちが少なからず見受けられたのだった。


彼らは、黒磯で乗り継ぎに乗り換え、
宇都宮で乗り継ぎに乗り換えという具合で、


隣のホームに停まっている乗り継ぎの電車に向かって、
ホームからホームへ跨線橋を渡り、そそくさと乗り込むのだった。


おそらく新幹線の特急料金を浮かせているのだろう。
福島や郡山なら4千円以上は浮くのではなかったか。


ぼくも、東京に戻ってから、これは新幹線の料金が浮いたなと思ったが、
戻った翌日に、吉祥寺の夏物衣料のセール中の店で、


たちまち5000円以上買い込んでしまったのだった。
おっと、昨日の浮いた特急料金は
すべて一瞬にして消えてしまったな、と思った次第。


それに、なによりも、ぼく自身が平気で
彼ら以上の時間を費やして9つの電車に乗っているんだから、
若者なら平気で5、6時間は乗れるはず。


それに東北線や宇都宮線だと
乗り継ぎまで10分程度の短時間だし、


繰り返すが、電車が良くなって速度があるから
さほどの苦ではないはず。


とまれ、フリーパスなり、
青春18切符なりの乗車券さえ持っていれば、
普通電車ならどこまででも乗れるのだった。


そうか、今や新幹線か普通列車の二択しかないから、
若者や学生なら新幹線料金を惜しんで、
普通や快速の電車の旅となるわけだ。


乗り継ぎの待ち時間も含め、
田舎の実家からドア・ツー・ドアでほぼ9時間を要したが、


これが疲れるどころか、
久しぶりに面白い普通列車の旅となった次第。



ぼーっと、車窓の風景を眺めているのが好きなのだ、ぼくは。


それにこの9時間だが、

新幹線を利用した場合の乗り継ぎも含めると、
順調にいっても3時間から4時間は要する。


9時間だけを見ると長いが、
ほぼ2倍強の時間とあいなる。



若い頃、ぼくは、北海道を別にすれば、
本州の東北から、山陰、山陽はもとより、


日本海側も含め、九州、四国までほとんどを
列車の旅で乗り歩いている。


その頃は夜行列車があって、
気ままな列車の旅に出向いたのだった。


いまでこそ、〈鉄ちゃん〉とか〈撮りテツ〉とか言われるが、
ぼくは若い頃、いわゆる今でいう〈乗りテツ〉だったのだ。


それを阿武隈急行線で思いだしての、
今回の乗り継ぎの旅になったという次第。


味をしめた。


また、機会をつくって乗ろう。




2016年7月24日(日)








帰省して、難病(介護状態)の兄を見舞う


2016年7月21日(木)

兄が難病で要介護状態にあり、施設から自宅に戻っているのでこの前の三連休は見舞いで帰省した。

全身の肉が削げ落ちて体重がいちじるしく減り、とくに首から上は頬がこけてげっそりやせ細り、頭全体がひとまわり縮小したようで、10歳ほど年上に見えるほどやつれはてた変貌ぶりにショックを受ける。

自宅だから兄と分かるけど、もし施設で本人だと言われずに会ったら、弟の僕でさえ判らないかもしれないほど、顔つきがすっかり変わっている。

介護ベッドは言わずもがな、玄関や廊下など家じゅうに手摺りがあり、動けないので車いすで家の中を嫂が押して移動する。

今ではもう筋力が落ちて無理だが、以前兄は無理に立ち上がろうとしてもまともに立てないので、いきなり倒れて、大きなガラス戸の高価なガラスを割ったり、風呂場の壁面を壊してガムテープが張ってあったりで、家じゅうのそこかしこに兄が倒れて壊した痕跡がある。

もちろん兄はその都度、顔や体にケガをしたり痛めたりして、一番つらいのは本人だ。

口もまともに利けず、体も動かせない。そう、すっかり赤子と同じだ。

たまたま姪夫婦が六ヶ月の赤子を連れてやってきた。こちらはかわいい赤ちゃんだが、兄はこれ以上なく手のかかる大きな赤子そのものといえる。

デイサービスを週に三日ほど利用しているものの、そうでない日は24時間、ほぼ掛かりきりで嫂が面倒を見ている。

兄をベッドから車いすに乗せるだけでも(その逆も)大変な重労働だし、食事も嚥下しやすいように特別な調理をほどこし、栄養までも考えた食事内容だし、それを作るだけで倍の手間がかかり、赤子と同じで食べさせなければならない。

もちろん、兄本人がいちばん辛いだろうが、それにしても嫂の頑張りには頭が下がる。

施設入りの予定だからこそ頑張れるのだろうが、もし自宅で継続して介護し続けるとなると、まずそれは困難だろうし、あり得ないことだ。

家族の介護疲れはもとより、介護で仕事を辞めた、あるいはどうして仕事に復帰するかなど社会的に大きな問題になっているが、先の分からない介護期間だからこそ、いろんなやっかいごとが重なってくる。

現に今朝の新聞は、介護保険制度の見直しで、「介護サービス縮小」の議論がスタートしたとある。これが実現されたら、もっと大きな社会的問題になるはず。

兄の姿を見て、介護者をかかえる家族の大きな問題、つまり〈待ったなし〉の現実を突きつけられ、いろいろと考えさせられた帰省だった。







経済指標解説のトッププロが指摘――この20数年、自民党政権で日本は全く成長していない

2016年7月16日(土)


まず、以下の六つのフレーズをご覧あれ。

1.経済政策より憲法改正に動きつつある自民党政権

2.なぜ、日本企業の利益率は欧米と比べて非常に低いのか?

3.デフレが日本企業の業績を悪化させているという仮説

4.すでに日本はデフレに陥っている

5.“本物の”経済政策は日本にとって喫緊の課題

6.自民党が政権を握っていた20数年間、日本は全く成長していない


こう断じているのは、

時には日本経済を、

時には各分野のビジネス業界を、

そして時には固有の大手企業を、

多様な経済指標や財務諸表などを(つまり数値を)
徹底して読みこんでその是非について的確な判断を下し、

人気を不動のものとしている
経営コンサルタントの小宮一慶だ。

昨日、7月15日(金)の「 小宮一慶の「スイスイわかる経済!“数字力”トレーニング」(日経BP)で小宮は、

「参議院選挙後に日本を襲うデフレ経済の危機」と題し、

上記の六つの小見出しを順につけて、
タイトルにあるように現状の日本経済について断じている。

ぼくはこの数年、
小宮のこの経済指標による読み解きを欠かさず愛読している。

相手が経済指標や財務諸表(数値や数字)という偽りようのないエビデンスを基にしての判断なので、

抽象的な単なる言動を吐く手合いとは違って信ずるに足る。

例えば、こんな具合。引用します。

「以前も本コラムで指摘し、先ほども少し触れましたが、〈消費者物価指数〉を見ますと、3月以降はマイナスの数字が続いています。

 一時期、政府・日銀は〈インフレ率が上がらないのは、原油安のせいだ〉と考え、エネルギーと生鮮食品を除いた指標で物価目標を捉えるようになりました。

ところが、エネルギーと生鮮食品を除いた指標で見ても、16年1月をピークに下落に転じています。つまり、今の物価の落ち込みは原油安のせいではなく、基調自体が落ち始めているということです。

 以上のことから、私はすでに日本はデフレに陥っていると考えています。」

※(下線は引用者)

まあ、ぼくがどうこう言っても詮無いので、

上記の六つの小見出しに興味を抱かれた方は、

小宮一慶の「スイスイわかる経済!“数字力”トレーニング」へ、
どうぞ。

読まれて、納得されるはず。















「ルノアール展」――傑作が放つ“光”との触れ合い――生涯一度のこの機会を逃すな!

2016年7月8日(金)


浴女たち2
「浴女たち」(1918-1919年/110×160cm/ 油彩・画布/ オルセー美術館)


ルノアールにしろ、印象派にしろ……なんとなくだが、いまさら
という思いがしないでもなかった。

先週だけど、なかば、そんな思いを抱きつつ、
六本木の国立新美術館で開催中の「ルノアール展」を訪れた。

知人がチケットをくれたのだった。

ところが、ルノーアルの遺作ともなった大作「浴女たち」と
出会って(そう、ぼくにとっては出会いでした)すっかり魅了され、
望外ともいえる至福の感情を覚え、
「これがルノアールなのか」との意を、深い次元で強くした次第。

それこそ桁違いの「ぶっ飛んだ」思い(感動)といえる。


数ある傑作が並ぶ作品群
(100点以上の絵画・彫刻・デッサン・パステルなど)のなかで、
その一枚の絵だけだった、ぼくがそういう感情を覚えたのは――。

この絵の前に立ったら、
絵から放たれる不思議な雰囲気に――そう、絵から放たれたのだ――
そのような感情を抱かせる不思議な何かが。


で、すっかり魅了されたのだった。

この作品にしろ、ルノアールや印象派なら美術書やメディアを通じて、まばらに散った斑点状の多彩な色をもちいた特徴的な筆づかいを筆頭に、その表現スタイルについては誰もと同様、幾度となく目にしているのだけれども、このような感情を覚えたのは、やはり本物を目の前にしたゆえのことなのでは――。

はたしてその不思議な雰囲気とは何なのか、それにどうして惹きつけられるのか、
よく目を凝らして絵全体と向き合った。


すると、絵から、絵全体から、
かすかにだが、精妙きわまる神々しい光の粒子のようなものが、
鈍く光り輝くような感じで
放射されているのが(いるように)見えたのだった。

この光こそが、まさに「光の芸術」として知られる
「光とのたわむれ」と言えるものではないかしらん。


つまりこれこそがまさに印象派そのものなのでは、と思えた次第。

ぼくにとっては、かつて経験したことのない感動であり、
これがルノアールなのかもしれない。

これがまさに印象派の巨匠であり、近代絵画の巨匠である
ルノアールのルノアールたる所以かもしれない。

と、一瞬言葉にならない
この上ない至福に満ちたひとときともいえる恍惚感に満たされた。

その一枚に出会えただけでも、この展覧会を見た意義があった、ぼくには。

案内書によれば、今回の「ルノアール展」には

ルノアール・コレクションでは世界有数と言われる
オルセー・オランジュリーの両美術館が所蔵する作品
100点以上が展示されている(絵画・彫刻・デッサン・パステルなど)」

とのこと。

その意味では、まさにルノアールの全貌に迫る展覧会といえる。

これって、日本でのこんな機会は、
誰にとっても、一生に一度あるかないかという展覧会のはずで、

個人的には、この数十年に一度あるかないかという、
この機会を逃さないで、
ぜひ会場を訪れて欲しいと思う。


※ネット上で、美術に関する案内で比較的充実していると思われるHPはこちら
  この方のHPを覗いて出かけてみては。









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