「東大話法」の概念に触れて(読んで)、
立花隆『論駁』を想いだす
2016年4月25日(月)
明日の4月26日で、
チェルノブイリの核の大惨事からちょうど30年になる。
たまたまだが、その原発に関連した、去年買ったまま積ん読状態だった
安冨歩『原発危機と東大話法』(2012年1月初版)を
昨日一気に読み終えた。
この本の内容は、大まかに言うと二つ。
一つは原発に携わる日本の御用学者らが操る詭弁でしかない
原発安全神話の詐術を糾弾したもので、
二つ目はその糾弾の手法として、
御用学者等が操るところの言葉や文章を鮮やかに解体、分析して、
その詐術ぶりを白日の下に晒し、
その詐術の手法をして、著者が名づけたところの
「東大話法」なる概念について解説したものと言える。
この本が話題になったのは、二つ目の「東大話法」の概念にある。
そしてこの「東大話法」については
ネット上にたくさん取り上げられているから、
今更ぼくがどうこう言うまでもないことだし、
僕がこの本を買ったのも「東大話法」なる概念に興味を覚えてのことだ。
それが先週、アマゾンをチェックしていたら、
改めてこの「東大話法」なる言い回しに出くわし、
「そうだ、読まなきゃ」と思って、
遅ればせながら手にして読了した次第。
「東大話法」なる概念には興奮を覚えた。
この概念は、まさに稀有にして、なおかつ一流の
日本人論であり日本文化論でもあって、
こういう概念を見出す、その安冨という先生の知性にしびれた。
で、そこから、日本人は一人称(個人)として存在せず「汝の汝」、
つまり「あなたにとっての私」なのだという
森有正の優れた日本人論である「二項結合方式」、
あるいは有名なところでは山本七平の「空気」(これは
著書の中にも出てきたが)などの日本人論の概念を想起することに。
そして、学者らの詐術的な言説、言動を解体して
分析してゆくところではまず、
精神科医の香山リカを、次にネット上で著名な
池田信夫の二人の文章を俎上に載せ、
「これが東大話法」だとして
鮮やかにその文章の欺瞞性をさばいて見せる
手腕には(特に後者の池田信夫の発言の文章を
延々解体してみせる手腕には)、繰り返すがしびれました。
この二人との論争に発展すれば面白かったのだが、
そうはならなかったので残念。
残念なんだけれど、ずっと昔に読んだ
立花隆『論駁』(ロッキード裁判批判を展開する学者や法曹人に対して、
そのデタラメをことごとく論破した三分冊の本で、
そう論理学の格好の参考書といえる)を思い出しながら
ページを繰っていたのだった。
蛇足ながら、先週までの二週間にわたって朝日の夕刊が
半生を語るというようなシリーズ企画に立花隆を登場させていた。
で、途中で、この安冨という東大教授は
「何者だ」と思ってチェックしたら、
何となんと、あの女装の東大教授だったのだった
(ぼくはテレビを見ないから
安冨教授がテレビで人気者だったとは知らなかったが、
それでも女装して講義をしている姿ぐらいは知っている)。
でも、安冨教授がこの著書を書き著したころはたしか、
顔中ひげぼうぼうでサングラス姿だったはず。
ついでながら、安冨教授に言わせれば、
男性が男性としての自覚のもと、
男性として社会的に生きている人が
女性の姿をするのは「女装」であって、
体は男性なれども、精神が女性である人が
女性の姿をするのは、
安冨流に言えば「女性装」とのこと。
安冨先生の他の著作も読んでみよーッ、と。

