玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

December 2015

真っ白な雪を頂いて、年の瀬に光り輝く穂高連峰

2015年12月28日(月

今日、28日の昼下がり。

奥飛騨の温泉に出向いた知人が送ってきたフォト。

雪の穂高連峰
奥飛騨の穂高連峰

真っ白な雪をかぶった穂高連峰が神々しいまでの輝きを見せて、この上なく美しい。






都心のイベント空間で、今や覇者と化すイベントホール運営大手

2015年12月24日(木曜


知らなかった。わずか7、8年で、そこまで規模が拡大していたとは。

今や、都内に二十幾つかの施設をかかえ、業界を代表するイベントホールの運営会社にまで成長している。

さすがビッグビジネスだ。先週18日(金曜)の日経MJが、その成長したイベントホールの運営会社こと、住友不動産ベルサールをとりあげている。

ベルサール1
ベルサールのホール会場 住友不動産ベルサールHPより

ぼくはイベントも手がけるのだが、このところイベントの現場からすこし離れていたら、いつの間にか都心のイベントホールの事情がすっかり様変わりしている。

いや、様変わりと言うより、住友というビッグビジネスが、都心の、多目的に利用が可能なイベントホールの運営で、一人勝ちに等しい覇者と化していたという次第。

ベルサールが実質稼働しだしたのは、ほんの7、8年前のことだったのではなかったか。

当時はまだ知名度がなかったから、イベント業界の展示会にも出展して「住友のイベントホールです」「住友の多目的ホールです」と、PRしていたことを覚えている。
それに僕自身、何度か、早い段階でベルサールを会場として説明会などで利用している。

だからわずかな間の、著しい現在の成長ぶりに驚いている。イベントホールや会議室などの運営ホール大手として大成功しているとのこと。

東京ビッグサイトや幕張メッセなどの郊外型の大型展示施設とベルサールの個々の施設を比べれば、その規模の面では比べるべくもないが、むしろその適度な<箱>としての大きさと、その使い勝手や都心に位置する交通の利便性などから、あるいは都心に20以上もある豊富な施設数などから、一度利用したイベント主催者や企業や組織などから圧倒的な支持を得て、彼らをリピーターとして定着させているのがこの住友不動産ベルサールだ。

いまや、都心でのセミナーや展示会、記者会見、会議などの利用をほぼ独占的に押さえているのではないのか。それに株主総会などの利用はダントツらしい。

従来、都心部でのこうした催しのほとんどはホテルで行われていたが、時間的にタイトな急な利用への対応や、ホテルでは難しいイベント会場の設営のための夜間の資材や機材の搬入への対応などが好評で、顧客をがっちり囲い込んでおり、ホテルからベルサールへと顧客がどんどん流れているのが現状のようだ。

僕も当初利用したときはホテルと比べて、いささか華やかさに欠けるとか、質素なオフィスのような雰囲気に多少馴染めなかったが、それも所詮慣れでしかなく、株主総会や記者会見などはむしろこのような場こそがふさわしい。それにそこは住友、次々と利用者の期待に応える施設を生みだしている。

さらに言えば、イベントやセミナーや会議や会見などを企画して仕掛ける立場としてなら、施設側の素早くて利便性に富んだ対応は、かなりものを言う。そう、会場の決定的な決め手にもなる。

素晴らしいのは施設の稼働率(利用率)だ。施設全体でほぼ6割を誇る。
これはイベントの設営準備などを換算すると、ほぼフル稼働と言えるので、だからこその都心でのイベントホール運営者としては一人勝ちで、覇者と言えるのだ。

イベント業界は小粒と言える小さな企業群の集合体であり、あらゆる業種が関わってはいるものの、ビッグビジネスはほとんど参入していない。参入しても、せいぜい周縁部のあたりでしかない。そこに参入した住友のビッグビジネスならではの攻めの戦力が功を奏したということだろう。

そして、不動産業界はもとより、日本を代表するビッグビジネスだから、この程度の事業の伸張・展開ぶりは当然のことだし、また予想していたことだろう。

このビッグビジネスは今後、まだまだ施設の数を増やし、イベントホール運営のみならず、イベント関連ビジネスへの進出や、あるいは業界を牽引するなんらかの新たな事業仕掛なりビジネス戦略なりが期待できる。一人の業界人として、良い意味での、このビッグビジネスにそれを期待したい。






どうして、こんなところまで訪れる?! 吉祥寺の外国人観光客

2015年12月16日(水曜)

どうして、こんなところまで訪れる?!

吉祥寺の外国人観光客



午後3時半頃だったろうか、

吉祥寺に自転車で買いものに行った帰り、
あやうく住宅街の路上で若者にぶつかりそうになった。

その場所は成蹊大学の南側に位置する
閑静な住宅街で、

道路は住宅街を東西に走り、
道幅は対向車がどうにかすれ違えるぐらいの通りだ。

東に向かえば東急デパートがあり、吉祥寺の繁華街になる。


道路の端っこ寄りを成蹊の学生達の数人の塊が、
吉祥寺の駅や繁華街に向かって次々と歩いて来てすれ違う。

それはいつもの光景だから、別に不思議ではない。


ぶつかりそうになった若者は、
ぼくが走っている前方の、

成蹊とは反対側の路地から(成蹊なら北になる右側からだが、
南の左側から)道路に踊り出るようにぱらぱらと飛び出してきた、
5、6人の若者グループのなかの一人だった。


飛び出してきたのを認めたのは
まだ30メートルほど手前だったが、

彼らの姿や年格好などから――大学とは反対側の方向から
飛び出してきたので、

その一瞬、多少いぶかしく
思いはしたけれど――成蹊の学生だろうな、と思った。


その若者達は、

その飛び出し方も含めて、
まるで小学生の子ども達が道路でふざけあっているかのようで、

通りであることをあまり意識していないような様子や振る舞いに見えた。
そのようなことにも、少しばかり違和感を覚えたが……。

彼ら全員がお互いに
それぞれが向かい合うように距離をおいて路上にばらばらに拡がり、

その中の二人はスマホか小さなカメラだろう、

道路に飛び出した時から顔の前に掲げていて、
盛んに路上でバシャバシャやっている。


一緒の友人達を写しているというのではなく、
住宅街や路上のたたずまいを撮っているようだ。

吉祥寺の住宅街ではあるけれど、
だからといって特別何かがあるわけでもないのに「何を写して、

いったい何をやってるんだ、この若者達は?」と思いつつ、
近づいた。


彼らとすれ違おうとしたところだった。

やや後ろ向きになっていた若者が僕に気づかず、
いきなり自転車の前に後退してきた。

僕が大きな声をあげたと同時に、
その若者も何かを叫んでいた。

一緒の友人達も同じく。


聞こえたのは、ハングルだった。


驚いたが、
「なーんだ、旅行者か」と思った。


ぶつかりそうになった若者は、
申し訳なさそうに何かを口にした。

でも、僕には意味が分からない。
謝罪の意を表したようだ。

僕は掌をひろげて左右に振り、
いいよ、いいよ、と言いながら、その場を後にした。


韓国からの、若者の観光客達だったのだ。

そういえば、彼等を認める少し前に、
二人の男性と一人の女性の若者の3人連れとすれ違っている。

その時女性がハングルを口にしていたのを一瞬耳にした。


おそらく先の若者達とこの3人は一緒のツアー客なのだろう。

以前にも、吉祥寺を訪れるアジアからの
観光客にこのブログで触れたことがあったが、


それにしても、
彼らはどうして、こんな繁華街から離れた住宅街を歩いているのだろう? 


それにあのカメラの撮影は何? と不思議でしかない。

いくら吉祥寺でも、そして外国人から人気があったとしても
「どうして、住宅街なんだ?」と、思わずにはいられない。


で、想像するに、
彼らはもしかしたら、

もっと南側の、吉祥寺の繁華街から三鷹側に伸びた
ユニクロ脇を入る中道通商店街をずんずん三鷹の方に向かって、

つまり西の方に向かって歩いていたのではなかったのか。


この商店街なら、
かなり奥の方までお店が住宅街を浸食しているから、

お店が途切れた辺りで右に曲がれば、
そこは自ずと住宅街だし、

成蹊の方に向かうことになるので、
彼らが飛び出してきた辺りになる。


そういうことではなかったか、と推察。

それとも一番住んでみたい場所として名高い
吉祥寺の街ということで、

わざわざ住宅街まで日本の吉祥寺紹介にはいっているのだろうか。


何はともあれ、
このところの吉祥寺におけるアジアからの観光客の

急激な増加ぶりには驚くしかない。







久しぶりに神楽坂を歩く

2015年12月9日(水曜)


久しぶりに神楽坂を訪れた。昨日、飯田橋で午後に打ち合わせをおこなった後、行ってみるかとばかりに、一緒にいた仲間と出向いてみた。

神楽坂の歩道はかなりの人出で、「こんなに人が多かったけ」と思うほど、ぞろぞろ人が歩いている。

よく見ると、人出が多いのは観光客なのだった。いつの間にか、観光客が増えているようだ。特におばさん達が連れだって歩いているのが目にとまる。神楽坂特有の老舗の和菓子店などは小さな店内が客で埋まっている。

人出があるからだろうか、坂全体の商店街が華やかなのはともかく、反面なんか雑然とした感じも否めない。神楽坂という響きがもつ、落ち着いた感じが失せて、次第にどこにでもあるような商店街となっているのではないのか。僕が知る神楽坂はもうすこし空間感覚が広々としてゆったりしていた思いがあるのだが、今はかなりぎちぎちした感じの狭苦しい坂の商店街になっている。

限られた空間だから、少しでもあいていれば利用することになるのだろうが、たとえば以前、歩道からビルまでの空間が広場のようにそこそこあったある場所は、その空間がすっかり駐車場と化している。そういう具合に、建物がぎちぎちと建ち並び、空いてる空間は、隙間無く利用するようになっているようだ。

この雑然とした感じは師走という時節も手伝ってのものかどうかはともかく、僕が記憶している以前の神楽坂とは明らかに違っている。

と、思えば、毘沙門天に向かって、歩道から両手を合わせて頭を下げている、地元のひととおぼしいご婦人もいた。なるほど、ここは神楽坂だわとも思う。

そんなことを見たり感じたりしながら、裏通りの道も歩いてみる。なんか、裏通りの方がしっかりと神楽坂の粋な風情や雰囲気を良い意味で残していると思われる。それに裏通りのたたずまいがひときわ良くなっていて好ましい。

島田雅彦

再び坂に出てそれを登り、新潮社の本の倉庫を建築家・隈健吾が設計して再生させたという施設を見に行く。オープンしてすでに一年を経ている。

歩道からの建物正面広場へのアクセスとなる段々(階段)が凝っていて、一段一段の奥行きがかなりあって、とんとんと駆け上がるというわけにはいかない。そして広場から、あえて大きな曲がりくねった凝った造りの階段が二階へと続く。いやでもこれは目にとまる。建物の正面のデザインとして、「神楽坂の」の「坂」の傾斜をイメージしたものらしい。

来場者にとってはこの段々と二階への階段が、変わりだねの傾斜のイメージとして迎えてくれるわけだが、そうした一種の異彩、異端がいやでも施設への期待値を高めさせてくれる。そんな設計者の仕掛のはからいが感じられる。

建物に入ってみる。施設は二階建てで、今風の生活雑貨やファッションを総称したおしゃれなスペースということか。これは商業施設としての生まれ変わりのようだ。
一階には中央部に広々としたカフェーがあり、客はほとんど女性。

二階はやはり雑貨スペースだが、半分は新潮社のイベントスペースとなっていて、ごく普通のプラスチック製の椅子が7、80個ぐらいはならんでいたか。作家などのトークショーなどが催されている。上記のフォトは今月15日に開催される島田雅彦のトークショーから。ドストエフスキー「罪と罰」をテーマに語るようだ。

ドストエフスキーが出てきたので、ついでに一つ。

ある作家が言っていた。
「ドストエフスキーは19歳までに読まなければならない」

なぜなら、ドストエフスキーの毒を浴びるには二十歳を過ぎると、その毒がまわらなくなるからとのこと。

凄い言葉ですね、これって。文学の毒を浴びる。ドストエフスキーならではでしょう。

話を戻そう。

おそらく馴染むと、この空間は落ち着くのだろうが、ぼくにはなんか、合わないような気がした。

後は以前の馴染みの店を二軒ほど廻って、痛飲。悪酔いしてしまった。





テロの時代、その「仁義なき戦い」を舞台芸術から批判――演出家・鈴木忠志講演



テロの時代、その「仁義なき戦い」を

舞台芸術から批判――演出家・鈴木忠志講演



2015年12月1日(火曜)



開口一番、鈴木は

「あれは『仁義なき戦い』だね」

と、切り出す。


講演の8日前に起きた
パリの同時多発テロ(11月13日・金曜)について、


あるメディアから鈴木に取材が入り、そう答えたとのこと。


双方がやってることは、自分が若い頃の、


あの菅原文太等が出演した広島のヤクザ抗争を描いた
映画と同じ「仁義なき戦い」だ、と。(説明後述)


――今日は師走の入りだが、
十日ほど前になる先月の21日(土曜)、


武蔵野の地元で、劇団SCOT(旧早稲田小劇場)を
主宰する演出家・鈴木忠志の講演会があった。


鈴木と言えば、グローバル化の進行以前に、
世界(特に欧米)に向けて独自に打ち立てた
舞台芸術文化を発信し続け、


世界の演劇界に多大な影響を
およぼしたのは誰もが知るところ。


そして今や、世界の演劇界をリードする
重鎮とも言える文字通り<超>の字が付く大物。


その肉声に接することができるまたとない機会なので、
いち早く申し込んで拝聴した次第。


演題は
「現代をどう見るか――演劇の視点から――」
というもので、話は90分に及んだ。


鈴木は今年76歳。


100人以上が聴き入る会場のフロアより一段高い
台上の椅子に腰掛けての、

いかにも気さくな話しぶりではじまったのだった。


講演は武蔵野市が主催し、
JR武蔵境駅前にある市の施設「武蔵野プレイス」で行われた。


で、話を進める前に、ここで以下に展開する
内容に少しだけ触れておきたい。


鈴木の講演を聴いてからのこの十日間、
ネット上の鈴木に関する演劇関係者やその他の人たちの発言、


それに鈴木自身のブログや取材を受けての
発言などの文章をかなり読んだ。


仕事の合間にだけど、刺激を受けたというか、
触発されたというか、心動かされるものがあった。


ここではそれらを通じて得た知識を借用して、
僕なりに、今回の鈴木の講演をきっかけにして


鈴木について改めて理解できた、
いささかの知識をこの場で披露したい。


鈴木の話しぶり同様、雑談的に。


ついでだから、ここで武蔵野の地元の人に向けて、
もう一つサプライズを。


意外なことに、
鈴木は武蔵野市内に自宅をかまえていた



鈴木が自ら語っていた。夫人は武蔵野で、


そして鈴木は利賀村で
演劇活動をしながら別居生活をしてきたのだと。


「ヘェ〜、ムサシノなんだァ」と、
なんか、それだけで親しみを覚えてしまった。


それに鈴木の劇団はこの数年、


吉祥寺シアターで演劇公演
毎年続けているし(今月12月に・今年で終わりのはず)、


今回の講演は武蔵野市との友好都市である、
鈴木の劇団が本拠を置く


富山県南都市(利賀村は市内にある)
との交流事業でもあり、


いろいろ武蔵野とはつながりがあるのだ。


で、この幕開けの「仁義なき戦い」の話が講演の中盤から、


鈴木が演出するギリシャ悲劇『バッコスの信女』
(文化摩擦や暴力などが主題)に
重ねての話しにつながってゆく。


そのギリシャ悲劇『バッカスの信女(しんにょ)』について

解説したものが鈴木のブログ(11月9日付「ナンデモ カミ」)にあるので、
一部だが引用したものを貼りつけておこう。


どうして「仁義なき戦い」と鈴木の演劇が重なるのかが
頷けるはず。


引用部分はわかりやすいように、
一部順序を入れ替えている。




「エウリピデスの『バッコスの信女』は
文化摩擦を扱った戯曲である。


異なった価値観を有する集団が出会い、
激しい闘争を繰り広げる



その際に、双方がどんな戦術を用い相手を倒そうとするか、
どうやって自分たちの信ずる価値観を浸透させようとするか、


それを克明に描いている



(中略)題名を「ディオニュソス」に変えてからの
舞台を見た人の感想だが、


世界中で起こっている異文化同士の
激しい争いを考察すれば、その答えは簡単である



ある時点から私は「ディオニュソス」とは
集団の行動を統制する価値観のシンボル、


集団が担いだ神に過ぎないと解釈を変更したのである。

それでは何故、最後の場面に、


母親が胴体から切り離された息子の首をもって
登場するのか
ということになるのだが、


それは教団のマインドコント ロール下に入ったからである。


教団によって創作された物語り、
その主役を演じさせられたスケープゴートの姿なのである。


それを戦闘的な集団が敵に対して 行った、
見せしめとしての行為だと見なしてもよいだろう
。(中略)


人間はイツでもドコでも集団で行動する時には、
何らかの<カミ>を必要としている。


その<カミ>は必ずしも宗教心だけから
生み出されるとは限らない。


それはアメリカやEUやアラブ諸国の
戦闘的な行動を観察すれば分かることである。


現代では理屈さえつけば、
ナンデモ、カミ、になる
のである。


しかし、政治家や宗教指導者によって
突然のように出現する、正義の衣を纏った<カミ>、


それを錦の御旗にして繰り広げられる戦争、


その渦中でどれだけの死者や難民が生み出されているか、


古代人エウリピデスの眼力の射程の長さには
改めて驚かされるの
である」





参考までに記すと、この戯曲の初演は1978年で
東京・神田神保町の岩波ホール。


酒の神ディオニュソスを観世寿夫、テーバイの王ペンテウスと
その母親アガウエを白石加代子が演じている。


90年にはこの戯曲を、演出を新しくして、
また題名も『ディオニソズ』に変えて
水戸芸術館のオープンで公演している。



もう一つ。鈴木の別の作品に


戦争の暴力性を強烈に訴えかけた『トロイアの女』
がある



やはり25年ぶりに新しい演出で蘇って、
昨年(2014年)利賀村で、今年2月には横浜で再演されている。


この作品は初演から40年も経っているにもかかわらず、


「現代社会の闇」を問う、


つまりいまだに同時代への問いを発している
作品だとして話題に
なっている。


横浜で公演後に行われた鈴木とのトークショーから、
鈴木の発言の一部を引用しておこう。



「デジタル文明は世界をネットワークで素早く結びつけたから、
世の中を明るくしたように見えるんだけれど


一方では人間の心の中に闇をつくり出した



イスラム国もそうですが、
最近の日本の殺人犯罪などは、


現代人が克服したと思っていた欲望や本能が突然、
不条理に復活し吹き出してきた感じがする



「この『トロイアの女』も皆さんが
考えているような戦争ではない。


ここには自分の対立物とか敵対するものを
完全に消滅させたいという欲望が描かれている。


相手との対話とか交渉とかは一切なく、
存在そのものを消滅させたい
ということですね」


「アメリカの大統領もイスラム国は壊滅させると言ってますね。
ブッシュ大統領なんかは、イラク戦争の時には、


十字軍という言葉を使ったし、
旧約聖書の神様まで持ち出して、自分たちの行動を正当化していた」


イスラム国のリーダーもカリフの再現だとか言ってるんですが、


どうも宗教そのものが政治的場面に入ってきて、


自分たちの行動を正当化する支えになっている。


政治利用としての宗教が前面に出ている



この『トロイアの女』は戦争と宗教の問題を
二千数百年前の人間が書いていて、


それが実に現代の問題を反映しているところがすごい
と思うんです」


「エウリピデスという人はギリシャ人ですが、
その人が自分の軍隊の非人間的な行為、敵対するものを


すべて抹殺する非人道的な行為を告発している。


さらに宗教は人間を救わないということも書いている



しかもギリシャが滅ぼしたトロイアの王妃を
主人公にして書いているのだから感心する。


本当に人間も芸術も進歩していないとつくづく思いますね。


 二千数百年前にこういうことに悩んだ人のことを忘れて、
コンピューターだとか経済的な繁栄などに惑わされて


浮かれている現代人の心は、まさに闇の中にいるんだよ」


「ギリシャ悲劇でもチェーホフでも、
殺人場面は実際の舞台には出さない。


日本は死体だって最近の報道は出さない。

だからたまたま、イスラム国の行為が目に入ると
すごくその人間の行為を残酷に感じる。


だけどじゃあ、アメリカ軍みたいに無人機を飛ばしたりして、


ボタンを押して人を殺せば残酷じゃないかと言えば
そんなことはないんでね。


殺される方からみればもっと
残酷な事態になってると思うよ



イスラム国の奴はとんでもないけど、
アメリカだって原爆を落として一般市民を何万と殺害している。


それでそれほど反省してないよ



 ともかく戦争や宗教がいかに人間を狂わせるか
ということを、


明確に訴える時期だと思って
この舞台を創ったんですね





まだある。鈴木は今年の5月、
評論家・東浩樹が主宰する東京・五反田の「言論カフェ」で


東と対談をしている。


そこでの議題は
「テロの時代の芸術〜批判的知性の復活をめぐって」
とある。


すでに鈴木の二つの作品について触れているので、


どうしてこのような議題なのかは
おおよそ察しがつくだろうと思う。


長くなるので、この言論カフェーでの発言等は取りあげない。


でも、どうだろう。紹介した二つの作品と、
言論カフェーのタイトルをみれば、


つまりこれらの引用を読めば、鈴木にどんな思いがあって
「仁義なき戦い」だと発言したのかはほぼ理解できよう。


こうして鈴木の演劇作品についての事例を挙げるつもりなら、
いくらでも出てくるが、


それではキリがないので、これぐらいでやめておきたい。

講演の演題
「現代をどう見るか――演劇の視点から――」
とはつまり、


当たり前と言えば当たり前だが、

鈴木が演出するギリシャ悲劇に重ねての
「現代をどう見るか」だったのだ。


そして演劇の視点から、
現代の「何」を「どう見るのか」については、


「現代社会の闇」というか、


現今の世界情勢が鈴木の演出する作品に近づいているという
意味合いからの発言
となったのだった。



と、ここまで記して、どうして講演の内容そのものについてではなく


ネットからの引用だったのかについてだが――そしてここまで
記してきたことをかえりみると、


鈴木の話が、いかにも理路整然と語られたように思われるだろうが、
実はそうではなかった。



失礼を承知で言えば、

鈴木の話はかなり雑談的かつ断片的なものだったし、
不意に異なる話しに転じたりする。


正直なところ話として分かったのは、
鈴木が自分の身の回りのことに言及した身近な話題ぐらいだった。


例えば、既述のように、武蔵野市に自宅があるという話だったり、
76歳の今も世界中を飛び回り、


今回も中国から戻ったばかりだとか、
プーチン大統領の執務室で一時間ほど談笑したとか、


真冬の利賀村で自宅の電気代が
ひと月25、6万円(だったかな)して、


それが3か月ぐらい続き、一軒家で
そんな馬鹿な料金になるかと、


夫婦で北陸電力と一戦を交えたとか、


日本のために演劇を
やっているのではないとか(だったかな)いうような
誰が聴いても分かる話だ。


そうした話を交えながら中盤からの
ギリシャ悲劇『バッコスの信女』への話へと続くのだ。


ところがである。いくら鈴木が自分で手がけた演劇であっても、


鈴木の舞台を観た人でさえ、


芝居だけでは物語を理解できない前衛的な芝居なのに、


ギリシャ悲劇の知識のない会場の聴衆に向かって、
断片的に話されても、聴いてるこちらは分かるはずがない。


だから、中盤以降の悲劇の話は、ほとんどちんぷんかんぷんだった。


もちろん、その辺りのことは鈴木も分かっていて、
『バッコスの信女』について書いた


自分のブログを読んでくださいとはいっていたが――。


で、再度鈴木のブログを見たら、
11月29日のブログに「仁義なき戦い」と題して、


取材時のやり取りと共に、どうして<双方>にとっての
「仁義なき戦い」なのかについて、


詳しく書いてあった。一部を引用する。



「タダネ、ISを生み出したのは、最近では
イラクに仁義なき戦いをしたアメリカ、


その前はフランスとイギリス、ソレヲ、自覚してもらわないとね。」


「アンタは『アルジェの戦い』という映画を観たことがあるかい?」


「フランスの植民地だったアルジェリアが独立しようとして、
どれだけのアルジェリア人が弾圧や拷問で殺されたか、


フランスは国家的にテロ行為をやっていたことを
忘れるべきではないし、


イギリスだってアラブ諸国の国境を勝手に決めたり、


イスラエル独立の時はユダヤ人に対して頻繁にテロを行っていた。


ヤリタイホウダイだったよ



仁義なき戦いはEUとアラブの宿命だね




次回につづく。








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