玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

October 2015

集中力高める、PCワープロ専用機文章術

2015年10月24日(土)

この一週間、「文章執筆時」にあることを試みている。

PCをワープロ専用機としてのみ使うのだ。ワープロ以外のPCの機能を一切シャットアウトする。だから、ブラウザを立ち上げてネットにアクセスもしないし、メールチェックもしない。PCは単に文字を打つワープロ機能としてのみ使う。

そしたら、集中力がまるで違う。下手にネット上のあれやこれやにアクセスすることがないので余計なことに気が紛らわされずに済み、その分だけ集中できる。
(逆に言うと、仕方のないこととはいえ、現代人は、如何にネット上の膨大ではあるものの断片的な情報にとらわれて、集中力や注意力を殺がれていることか……)


ワープロ画像


他の人は知らないが僕の場合、仕事で文章を書いてるときは執筆作業にかなり集中できる。近所でかなりの工事音を響かせていようが、周囲で激しい物音がしようが、ほとんど無視して文章執筆ができる。(もちろんうるさいよ。でも執筆できる)

そこまではいい。

ただし、これまではブラウザを併用して立ち上げているから、執筆しながらついネット上の辞書を使うなどしていた。その都度、表現の間違いを確かめたり、ふさわしい語彙を探すなどして。

ところが、これが意外にも集中力を殺ぐ。調べものついでにちょっとした気の緩みが忍び込み、次にはニュースや天気予報を見たり、メールをチェックしたりする。すると、もう次々と余計なことに入りこむ――こうなると、すでに集中力は途切れている。

これを再び、元の集中力に戻すにはなかなかやっかいなのだ。

だからこれまでも、書いてるときはブラウザの立ち上げはやめようかと何度も思ったけれど……試したことも、実施しようとしたこともなかった。

そしたら、ある作家がネット上で言っていた。集中力のために、文章執筆は旧いノートパソコンを使うのだと。それもネットにつながらないPCを。つまり、ワープロ専用機としてのみつかうのだ、と。

ここでは省くが、その作家はその効能・効果にも触れている。

そしてこの作家が集中力のために試みていることは他にもあり、書き手として徹底している。
例えば朝の早い時間であっても窓のカーテンをおろして、深夜の室内と同じようにして灯りも付けて……云々とあった。

朝の光などのすがすがしい雰囲気のなかでは書くことだけに集中できないからです――すがすがしさに心が溶けこんでしまって。

それで、とりあえずは「ワープロ専用機」ということで僕も試みた次第。

そしたら集中力がまるで違う。つい、この漢字で正しいのかどうかとか、ここで別の語彙を選ぼうなどと……これまでの習慣でちょっと迷いはするが、それを無視して書き進め、要チェックか所には印を付けておく。
おそらく今後は、このワープロ専用スタイルで書くことになるだろう。場合によっては旧いPCをそれ専用に使うのもありだ。執筆用と、通常のPC使用とを別にして。

で、これは何も仕事で文章を書く僕らだけではなく、誰でも同じで、A4一枚分の文章を書くとか、原稿用紙で2、3枚の文章を書かなければならないというような場合でも同じだ。もしかしたら日記をつづるだけでも違ってくるかもしれない。少し長い日記文なら必ず違うはず。文章が変わったりして、おそらく、あなたなりの何らかの発見があるはず。お試しあれ。

それからPCでは横書きが普通だろうが、僕の場合、原稿執筆が仕事だから、たまには縦書きで書いたりもする。

横書きと縦書きではまるで文章がちがうし、僕個人としては縦書きの方がしっくりくる(縦書きの場合、どのワープロ・エディタを使うかで、見やすい、見にくい、使いやすい、使いにくいがある)。一時期はずっと縦書きで書いてたしね。

それと推敲は、必ずプリントアウトして行うなどは書き手としては当たり前の作業。画面では分からない、気づかない誤字などのミスに気づくからね。











吉祥寺の中心部に無料Wi-Fi 11月3日(文化の日)にスタート 

2015年11月15日(木)

タイトルどおり、吉祥寺の中心部で無料Wi-Fiがスタートする。

KDDI子会社のワイヤ・アンド・ワイヤレスと、武蔵野市開発公社は10月15日、

吉祥寺エリアの無料公衆無線LANサービス「#KichijojiFree」を
11月3日にスタートすると発表。

一回15分で回数制限はない。

詳しくは上記にアクセス。

でも、なんだなー、これでまた街中がより一層混雑するんだわさ〜。







インバウンド中国人客の、観光ルートを解析――数日で関西→関東→沖縄へと移動

2015年10月12日(月・体育の日)


今月の初旬、中国の建国記念日に当たる国慶節(10月1日〜7日)の7連休で多くの中国人観光客が訪日している。そう、中国人のインバウンドだ。

今日12日の日経MJは、今回の国慶節で来日した中国人観光客が「どういうルートで、どこを観光しているのか」という、とても興味深い観光ルートの解析内容を伝えている。

ネット上に、民間の「インバウンド インサイト」という訪日外国人の位置や移動情報に特化してSNS解析(中国や韓国、タイなど5カ国。月間サンプル数約4千〜6千人)を行うサービスサイトがある。

投稿内容(国籍や性別、移動経路など)を大規模に追跡してリアルタイムで解析して地図上に表示することで、国別の、訪日外国人の行動場所や移動経路などが読み取れるというもの。そのサイトを利用しての解析結果を伝えている。
(すごいね〜、いまは、そんなことまで出来てしまうんだ)

今回の解析は、ツイッターと中国の短文投稿サイト「新浪微博(ウェイボ)」に公開されたスマホの位置情報や投稿内容からリアルタイムに場所を特定し、地図上に表示されたものを解析したもので、解析対象の国籍を「中国」とし、日付は「10月1〜7日」と指定。

分かったのは中国人観光客の移動距離の長さで――これには驚いてしまう。
例えば1日午後9時20分に関西国際空港(大阪府泉佐野市)に居た女性の動きは特徴的だ。

彼女は翌2日夜に大阪市内の道頓堀で写真を投稿し、その二日後の4日昼には神奈川県箱根町で「天気がよくて芦ノ湖がとても美しい」とつぶやいている。そして5日の夜は銀座で寿司の写真を投稿し、東京ディズニーランド(千葉県浦安市)へ。さらに成田空港から7日の午後には那覇空港へ移動し寿司やそばの写真を投稿している。

つまり一週間足らずで大阪→箱根→東京→東京ディズニーランド→沖縄と精力的に周遊したと記事は伝えている。

日本人の感覚からすれば、何とも驚くべき行動距離なんだけど、これって日本人だって海外旅行する場合は、あり得るよね、長い距離を一気に移動するのは――。

で、この地図解析によると訪日客の動きだけではなく、人気の訪問先も分かる

中国人の人気NO1は富士山で147人。富士山の写真を男性が、また女性はその美しい風景を中国語で投稿したと記事。
二位は122人で浅草。三位は84人の成田空港第1ターミナル、四位は76人の清水寺と心斎橋とつづき、六位がユニバーサル・スタジオ・ジャパンとのこと。

この解析にはまだ課題があると記事は伝えているものの、このような解析結果が出ているとなると、今後の訪日観光客への対応には、相応の、いや相当の好影響を与えてくれるものと期待したい。


ついでにもう一つ。同じMJに2015年7月の外国人の宿泊数(観光庁発表)が出ている。これは簡単に記すが、前年同月比で外国人の宿泊は58・4%増の682万300人泊とのこと。
、伸び率は3大都市圏(55・6%)より地方(63・3%)が上回り、13県で人数が前年の2倍になったとのこと。

小泉首相のとき、1000万人の訪日客を目指して「ビジット・ジャパン・キャンペーン」が始まり、その時霞ヶ関にあった実施本部のトップを取材したことがあるけど、上述したように7月の682万人(あくまでも宿泊数だけど)という人数は当時の一年間の訪日人数より多いのではなかったか。なんであれ、今や2000万人を目指し、さらにその上が確実視されている。隔世の感だな……。









飛騨のあらゆる観光みやげを一手に扱うガリバー企業!?

2015年10月7日(水)

昨日、打ち合わせをしていたら、このところ飛騨高山に何度か出向いているという相手から飛騨のお土産をもらった。

軽い気持で受け取ってきた土産「飛騨牛 肉みそせんべい」がそれだ。
早速食べてみたら、これがうまい、とてもおいしい。

上品な薄味で――そしてこれが飛騨牛の風味というものなのかどうかは分からないが――そこはかと舌の上を確かな薄味の美味さと風味がはしる。

飛騨牛肉みそせんべい


飛騨せんべい2

飛騨は天領だから江戸の文化もかなり入っているけど(高山祭りの豪華な山車など)、東京から見れば西になるから味覚や味付けそのものはやはり上方だろうから、このせんべいは京風の薄味を意図したものかもしれないが、なんであれ、とても上品な味わい。

同じせんべいでも、普段かじっている新潟や東京あたりの味付けとはまったく異なり、せんべい一枚であってもその味のあまりの違いに驚いた次第。

僕は飛騨牛を食べたことはないが、土産をくれたその知人によれば、飛騨牛は「まさに絶品!」とのご託宣。話を聞いてるだけで食べたくなってきた。一度は賞味すべしとその知人。

せんべいの製造元をググッたら下呂市にあり、あずさ屋さんというところ。
「贅沢な旨味の飛騨牛を肉質、風味そのままに肉味噌にしました」とあり、「当店オリジナルの<飛騨牛 肉みそ>を使用してサクサク軽い煎餅にしました」とのこと。

で、もっと驚いたのは会社概要を見てのこと。ぼくはIR絡みの仕事もあるので、ついそちらに目がいくのだが、この「あずさ屋」さんは、せんべいだけではなく、それこそお菓子はまんじゅう・羊羹・チョコレート・ケーキ……などのほか、アイスクリームやジャム・蜂蜜類、それにおそば類や漬け物や麺類があり、調味料、総菜はもとより地酒もあり、もちろん飛騨牛の肉類まであり、さらには人形やグッズや伝統工芸品、それに化粧品までという圧倒的なまでのその多彩なラインナップ。これには驚くしかない。

おそらく、飛騨地方では観光土産のあるゆる分野で一大産業を成しているガリバー企業ではないのかと思えるほど、あらゆる商品を製造している。飛騨という地域故だろうか、もしかしたら競合はなく、ほとんど独占に近いのではないのかと思えるほどだ(そこまで調べてはいないが)。

それは、企業理念に観光産業における「旅情を創る」を掲げていることからもわかる。普通、お土産品を製造している企業で「観光」を企業理念に入れて掲げているところはまずないのではないか。

最後に、その企業理念だが、あまり意識せずに見ていたのだが、HPのあるページに「旅情を造る」とあった。その文字面を見たとき、どう見ても、その「造る」は違うだろうと思ったが、案の定、他のページを見たら「創る」だった。ネット故のご愛敬である。


ところで自宅に戻ったら、なんと、なんと、その飛騨の神岡にある地下の巨大な研究施設、スーパーカミオカンデ絡みのニュートリノの研究でノーベル物理学賞とのこと。ニュートリノ研究では世界の最先端と言われているところですね。二日続けての日本人の受賞は何とも目出度い。

で、その「神岡に居るんだよ、今」と、先だって電話してきたのが土産にせんべいをくれた知人だったというわけだ。







漱石・夏目金之助 朝日新聞社の社員を命ず


漱石・夏目金之助 朝日新聞社の社員を命ず


漱石




2015年10月1日(木)


夏目漱石のほとんどの作品は、100年以上前に朝日新聞で紙上連載されている。

その朝日新聞がこのところ、連載時から100年以上を経て、漱石作品の再連載を紙上で行っている。
『こころ』『三四郎』『それから』と続き、現在は『門』を連載中だ。

紙上での組版(表示)は100年以上前の当時を模して、いかにも明治の雰囲気や味わいを出しているが、これはこれで好ましい。

漱石は40歳の時、朝日に請われ、東大(旧東京帝大)を辞し朝日新聞社に転職している。
1907年(明治40年)のことだ。


前の年の06年に『坊ちゃん』『草枕』『二百十日』を、その前の年の05年には『吾輩は猫である』を東大で教鞭を執りながら執筆して発表済みである。

東京帝大の講師で、教授が目前だった。
なにしろ漱石は、日本ではじめて英文学を講じたひとだ。(参考:1904〜05年は日露戦争)

帝大には4年間勤めたが、これは2年間のロンドン留学と引き替えに、その倍の年数の勤務を義務として課せられた故の講義だった。

ただし当時の漱石は、講義のかたわら小説を執筆していたから、食えなければ4年はもとより、いつまでも帝大にかじりつき、死んでも離れないつもりでいた。

漱石の講師としての俸給は年俸八百円。子どもが多く、家賃も高くて生活は厳しく、俸給だけでは暮らせない。
それで他に数件の学校へ出向いてアルバイト。
それでどうにか暮らしていた。


と記したものの、僕は漱石作品が新聞紙上で発表されたことは知ってるけれど、漱石が朝日の社員だったことは初めて知った。
それで昨日9月30日の朝日は、「漱石の世界」と題し別刷り8ページの特集を組んでいる。

ここでは個人的な漱石の覚え書きとして、この8ページの特集から拾った知識や個人的な付け足しを加えて、ここに記しておきたい。

ところで転職といっても漱石の場合は特別待遇で、小説を年に数回新聞紙上に発表するのが仕事。出勤は週に一度で、編集幹部会に出席するというもの。

就職に当たっては、当時はまだ契約の観念など無かったが、そこは当時としては一等頭抜けた近代人漱石である、かなり詳細かつ具体的な取り決めを朝日と確認のうえ、取り交わしている。

月俸はいくらか、むやみに免職されては困るので主筆や社主の保証はあるのか、小説は年一回ならその連続回数はどれぐらいか、作品の内容について営業部からの苦情が出てもかまわないのか、雑誌への執筆の自由はあるのか等々――。

この当時の漱石は「書くこと」に生きがいを見いだしていた。
で、朝日は教師としての稼ぎは御法度として、その代わりに月俸二百円の給料を弾む。

それで漱石は「食べられるのならば、何を好きこのんでザットのイットのを振りまわす必要があろう。
やめるなと言ってもやめてしまう」と入社の辞で述べ、やめた翌日から「急に背中が軽くなった」と言っている。
こうして、在職は9年に及ぶ。


この間に主なところでは『虞美人草』にはじまり、以後は『夢十夜』『三四郎』『それから』『門』『行人』『心』『私の個人主義』『道草』『明暗』(『明暗』執筆中に死去)という具合に次々と代表作を発表しており、こうしてみると、ほとんどの作品が朝日に掲載されたことになる。
その傍ら、随筆や評論も手がけ、2年間だけだが文芸欄も主催し、編集仕事もこなしている。

面白いことに、漱石は帝大についてはあまり良い印象を抱いていない。

講義がまずかったとの批判があったようだが、「それは犬が吠えていたからだ」とか、勉強したくとも「図書館の係員がうるさくて、なんとかしてくれと、学長に文書で依頼したら無視された」とかで、学生には悪いが「自分の講義がまずかったのは、図書館と学長が悪いのだから、文句があるならそちらへ」とも述べている。
そして「自分の学力が足らないと思われてははなはだ迷惑だ」とも。

これって、この言いようって、まるで「坊っちゃん」そのもの……。



ついでに、以前書いたこんなものも。「国民作家漱石の、最も読まれていない作品」









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