玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

April 2015

稼げる海外、月収50万!―― 寿司専門校卒一年で半数が海外に

2015年4月30日(木)

この数日の、寿司ベースで話題のニュースが2本。

一つは、ミシュラン二つ星に輝く東京銀座の高級寿司店が、外国人客を断ったとのことで、店の対応の是非がネット上でいま話題だし、もう一つは築地市場の移転先となる豊洲新市場に併設される、商業・観光施設なども含めた事業者として参入を決めていた「すしざんまい」が事業からの辞退を表明し、開発への影響は免れないとのこと。

で、同じ寿司でも高級店とか、大きな事業などとは関係なく、個人レベルの再就職の話ではあるものの、身近な寿司職人の世界で、今、常識が変わるような状況が起きている。徒弟奉公とは無縁の、いわば「ネオ職人」の時代が到来しているのだ。

29日の日経が取りあげている。「働き方Next 報酬を問う」とのタイトルで。

ただし寿司職人といっても、寿司店に下働きからの見習いで10年修行して一人前という伝統的な徒弟制度とは異なり、こちらはもっと手っとり早い寿司職人の話だ。

寿司専門学校で一年、魚のさばきか方や目利きはもちろん、寿司の握り方まで一通りの基本技術と英会話を学び、海外での飛躍をめざす卒業生が増えているというのだ。

新宿にある専門校では年間200人の卒業生の半数が一年以内に海外に渡るという。生徒は20代〜40代の転職希望者が中心で、手に職をつけて海外で働きたいと転身をめざすという。常識をくつがえす、高収入への期待が人気の秘密とのこと。

記事には、海外の和食店は現在5万5千店にふくらみ、「食品衛生に通じた日本のすし職人は引く手あまた」とある。

そして高収入を裏づける具体事例も載っている。
たとえば「タイのバンコクでは月収50万以上の求人が珍しくない」とのことで、「高級店の料理長なら年収1千万に届く」とある。

高級店となると、腕と実績が求められるから促成栽培の職人では厳しいだろうが、それでも海外飛躍のチャンスはいくらでもある。

転職なら、近い将来自店を持てば、あるいはいきなり海外で自店を経営すれば、相応の成功は約束されやすくなっているのでは――。

元商社マン(48歳)がベトナムのハノイで寿司店を経営し、収入は商社マン時代を上回る。和食を好む人が増えていることに目をつけての開業で、この人も専門学校卒だ。

繰り返そう。
徒弟奉公とは無縁の、いわば「ネオ職人」の時代が到来しているのだ。

いまや和食は強力な武器として海外飛躍の旗頭となっているということだろう。

飛躍のチャンスは海外にありって、事ですか……。




「昔、同棲していた男の子が」で始まるエッセイを書いた、小説家の読ませる技

2015年4月24日(金)

「昔、同棲していた男の子が、私の留守中に『整理』と称して私の書棚の本の配列をすっかり変えてしまい、大げんかになったことがあった。私の書棚の配列には、私にしかわからない法則がある」  
(傍線は引用者)

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玉川上水沿いの樹木が、彩りまばゆい新緑の姿を見せている。
その新緑の、おびただしい葉っぱの群れを見ているだけで嬉しくなる。

長かった四月の異常な天候が一転、やっとこさ、この季節ならではの爆ぜるような明るい日射しが輝き、爽快な空気が流れている。花粉の飛散も終わりを告げたので窓を開け放ち、冬のあいだ手のつけられなかった仕事部屋の整理に取りかかる。仕事と相談しながらだから、数日かかる。

で、いつも難渋するのが室内の床に積んである本(と資料も)の小さな山だ。書棚のスペースに空きがないので仕方なく床に置くのだが、この小山の本を、どう分類区分し、どこに押し込めて整理(廃棄も)したものか……ちょっと悩ましい。結構な作業になる。

ところで、作家の井上荒野が彼女自身の所蔵本の分類と、分類した本の書棚への配列方法について、以前のことになるが、日経の読書欄で語っていた。配列には自分しかわからない法則があるのだ、と。それを紹介したいが、その前に、その一文の冒頭に感心というか、どきりとした。

エッセイ風の一文なのだが、その書き出しがうまいんだな、これが。これなら読み手に興味を抱かせ、先を読ませる。一番上に載せたのがその一文の冒頭だが、繰り返し引用しよう。

「昔、同棲していた男の子が、私の留守中に『整理』と称して私の書棚の本の配列をすっかり変えてしまい、大げんかになったことがあった。私の書棚の配列には、私にしかわからない法則がある

いきなり「同棲していた男の子が」である。

冒頭だし、短いから、何気なく先へと読みすすんでしまうが、次の瞬間、「えっ、なんだぁ」とばかりに面食らいつつ(見事なツカミだ)、「同棲だって、へぇー」とばかりに、そこで先に読むのをいったん措き、同時に興味を覚え、先を読みたくなる。

男の子がとあるので、同棲は彼女の若い頃のことだと思う。

でも、このようなちょっと言い出しにくいことを平気で書けるかどうかも、作家の大事な資質と言えるのでしょう――。
ただし、普通の勤め人が、ここまであからさまな事を書くに書けないのは言うまでもない。

で、どうなんだろう。
当時、父親で作家の井上光晴は知っていたのだろうか、娘の同棲のことを。知っていたならあの「全身小説家」は、どう思っていたのだろう……などと、あれこれ想像してしまう。

話を戻そう、井上荒野の私にしかわからない配列の法則に。
続けて引用する。

「単行本が並んでいる上に文庫本が数冊横に置いてあるのも、同じ作家の本が書棚Aと書棚Bとに別れて置いてあるのも、そうする必然があるからなのだ。」

と、井上。

で、彼女のその分類について、具体的に三つ挙げている。

・すぐ読む必要がある本。

・ときどき読み返したくなる本

・必要ないけど処分できない本


などの分類区分とのこと(ほかに特等席もある)。

井上が言うには、この分類区分は、毎日の読書のなかで、自分の成長(あるいは成熟、もしくは老化)に応じて、ほとんど無意識的になされているという。
で、その書棚には自ずと、つまり「自分史」があらわれているのだ、と。

この「成長」や「自分史」というのには、いちいち首肯できるが、これって昔から言われている。その人の書棚を見れば、その人が分かる、というようなことが。

で、井上のこの三分類にある「必要ないけど処分できない本」というのが、実をいうと、ぼくの難渋しているところと重なる。

いますぐ必要ないけど、これを廃棄したら、いざ、使うときができたらどうしよう、ということで、なかなか処分できない。
それで一冊一冊の本と顔をつきあわせ、迷っているところだ。

家具・インテリア業界NO1企業――ニトリ・トップのビジネス飛躍人生

2015年4月12日(日)


「私は配達と仕入れに専念できた。実はこの役割分担が似鳥家具センターが成長する原動力になった。もし私が販売がうまかったら、ただの優良店に終わっていた」

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ビジネス分野のみならず、社会的にも大きな話題になった大塚家具のお家騒動に乗じたものか、今月の日経新聞「私の履歴書」には、タイムリーにも、その大塚家具が後塵を拝する業界NO1企業ニトリホールディングスの似鳥昭雄社長(1944年・71歳)が登場。

いやはや、似鳥社長の履歴を連日通読していて(ようやく青年期に)、幾度となく苦笑してしまった。飾らない性格が文面からにじり出てきて、どちらかというと、この「履歴書」のお堅いイメージでもある登場人物の偉人、賢人、傑物ぶりとはやや異なり、とても親しみを抱かせて、読ませる。

「履歴」は青年期に達し、札幌で家具店オープンまで至ったが、どちらかというとここまで読む限り、むしろ憎めない悪たれ小僧とか、悪ふざけ坊主といった趣の一方、子供ながらに必死で生きる術を心得ていた、たくましさもうかがえる。

◆子供時代
家業がヤミ米屋(コンクリートの販売も)だった故に小さな頃から家業を手伝い、<ヤミ屋、ヤミ屋>と呼ばれ、配達途中、米と一緒に川に落とされたりするなど、いじめられっ子で貧乏、それでいていたずら小僧だった子供時代。

学校生活での学業成績はまったくふるわずビリっケツが定位置で、高校受験はすべて落ち、あげくの果て、ツテを頼って落ちた高校の校長にヤミ米を届けて掛け合い、何とか補欠合格を果たす――こんな掛け合いを通常中学生はできない。いくら昔のことだと言っても。中学生故の必死さと言えばそれまでだけど、そういう精神構造をすでに備えていたところが人と違うのだろう。

それでいて、入学後は学内500人中、算盤の腕前で一番になり、校長室を訪れ、自分を忘れていたその校長から賞状を受けとり、あのときの似鳥ですと話したら、「おー、よく、がんばったなー」と喜んでくれたとの、じわーっとくる話しなども。

◆大学・青年期
大学にはいるが、これも家業である父親のコンクリート会社を継ぎたくないため。ただし大学の入学金、授業料のみならず、生活費も含め、自立が条件。すべて自分で稼ぎだし、短大経由で大学に進む。
アルバイトの傍ら、パチンコ、ビリヤード、スマートボールと遊びほうけていた。アルバイトはスナックの客の未払い代金の取り立て屋をしたり、家出女性の仕事斡旋をして紹介料を稼いだりと、それなりに目端がきくものの、破天荒な学生生活を送る。

大学を出て父親が営む家業のコンクリート会社に入る。子供の頃から手伝っていたから、まさに即戦力。ところが、すぐに病気を患う。仕事は一軒家の土台作りなどの土木作業が主体。父親は病気だろうが有無を言わさない。
それでは身体が持たないとばかりに家出。友人間を渡りあるき、やがて住み込みで広告会社の営業を行うも、これが言葉に詰まる対人恐怖症でまったくノルマは達成できず、すでに解雇の対象に。
このままでは住むところがなくなるとばかりに、所長との花札勝負で、数ヶ月分の給料分を稼ぎ出し、支払ってくれないので、なんとか解雇は免れるも、やがて本社にばれてお払い箱に。

こうして語られる話しだけでも、どこか憎めずあっけらかんとしたイメージが伝わってくる。で、ネット上で見たのだが、テレ東のビジネスドキュメンタリー番組に出ていた似鳥社長をみると、まさにこの「履歴」の文面から彷彿とされるイメージが、その映像からも伝わってきて、どこかひょうひょうとして、実にさばけた人物だった。憎めない、飾らない人ですね、この方は。

◆家具センターオープン
一昨日10日の「履歴書」は、似鳥社長にとって家具ビジネスの旗揚げとなる、札幌に自分の家具センターをオープン(1967年・昭和42年)させた経緯が語られ、昨日11日は、その翌年結婚して、似鳥社長が苦手な販売・接客を、商売上手な夫人が引きうけ、とてつもない内助の功を発揮して一年目、二年目と目標の売り上げを達成する話しに及んでいる。

で、似鳥社長曰く。
「私は配達と仕入れに専念できた。実はこの役割分担が似鳥家具センターが成長する原動力になった。もし私が販売がうまかったら、ただの優良店に終わっていた」

さらに、
「私が仕入れや物流、店作りに集中したことで企業として羽ばたくことができたわけだから」
とのこと。

つまり“内助の功”に言及しているわけだが、今日12日の「履歴」はその夫人の内助の功の具体的な内容に触れている。

内助の功というとその意味するところは、いわば夫人が片手間で側面支援するというような意味あいだが、似鳥社長の夫人はむしろ、“内助の功”どころではなく、まさに商売の要となって、柱となって似鳥家具センターを成長軌道にのせた人物にふさわしく……なんというか、おかしなまでの販売面での一徹さや素晴らしさについて、今日12日の「履歴」に語られている。
なんでも夫人は、愛想がとてもよいとのことで、高校時代は<女番長>だったとかで、度胸も満点とのこと。

◆一週間で客足がとだえ、赤字続き
似鳥社長が札幌に家具センターをオープン(1967年)したのは23歳のとき。父親の会社が所有する土地・建物があり、そこで始めた商売だった。家具屋のビジネスの将来性にも可能性にもまったく関係なく、周辺に家具屋さんがなかったから始めたにすぎず、単に食べるための生業と割り切ってのことだった。

ところがチラシを巻いたオープン時はともかく、一週間で客がこなくなり、以後は赤字状態になる。従業員を雇う余裕もなく、妹が高校から帰ると店を手伝うような苦しい日々。店の二階で寝とまりしていたものの、お金がなくて三食15円の即席麺ばかりを食べていて、脚気になり、接客していても歯茎から出血するなど、商売は悪化の一途。

その理由は前述したが、似鳥社長の性格で、あがってしまい、商談が苦手だから。で、親たちはすべてを解決するには結婚がいい、となる。食事も炊事洗濯も、販売も配送も手伝えるから、と。

◆商売上な似鳥夫人
親のすすめで結婚。夫人は、家具店の切り盛りに興味を覚えていたとのこと。これが大正解。夫人の接客上手で、結婚1年目から採算ラインの700万円を越えて1000万を売り上げ、2年目には1500万円まで伸びる。

似鳥社長が夫人のエピソードをいくつか挙げている。
結婚して間もなく、こわもての客たちが来て「値段を半分に負けろ」と怒鳴り出す。できないと夫人が断ると、彼らはソファーの上に土足で飛び乗り、真っ黒に汚してしまう。

売り物にならならないので、夫人は「弁償してくれ」と頼むと、相手は次にすごんでくる。そこから言い合いになり、結局こわもてが根負け。ソファー代は家に取りに来てくれとなる。

夫人が受けとりに家に向かうと、ドーベルマンが2匹いて、犬に肉を与えつつ、そのどう猛さを夫人にこれ見よがしに見せつける。
夫人を怖じ気づかせようとしたらしい。
ところが夫人の反応が面白い。当時は肉が貴重で、めったに食べられないこともあって、夫人は好奇心から「その肉、何の肉ですか?」と。

こわもて氏は、「怖くないのか」と尋ねるが、夫人は肉への好奇心から「肉がもったいない」と応じる。

それやこれやで「おまえはいい度胸をしている」ということになり、ソファーの代金を支払ってくれただけではなく、以後、親類や知り合いなどを紹介してくれるお得意様になったとのこと。

その後も夫人は、自動車販売会社の社長など金回りのいい人から好かれる性格だったようで、似鳥家具センターの売り上げは順調に推移する。

その一方で似鳥社長はレジから金をかすめ、居酒屋で飲んだり、パチンコで遊んだりと遊びほうけ、夫人にどやされていた。

というようなエピソードが今日までの「履歴」の内容だ。以後、似鳥社長が米国の斬新な家具ビジネスの情報に触れ、独自の事業展開を仕掛ける山あり谷ありの旺盛な事業展開となるのだろうが、それについては、どうなるのか分からないので、ここまで……。

あとは日経で、どうぞ







スティーヴン・キング『グリーン・マイル』の映画と原作、どっちに軍配?

2015年4月5日(日

S・キングの映画「ミスト」と「グリーンマイル」を、久しぶりに先月立て続けに見てから、長編『グリーン・マイル』を読んだ――映画「グリーン・マイル」があまりにも良かったので。そして、覚えがないのではっきりしないが、おそらくキング作品を手にしたのは、これがはじめてかもしれない。

『グリーン・マイル』は傑作だった。読んでいてその都度(いや、ずっーとだな)、映画のシーンや登場人物たちが頭の中で、二重写しになって参ったが、それでも細部に言及した叙述がある原作の強みで、ぐいぐい読ませてくれた。

この作品は当初、全6分冊で、一冊ずつ順を追って毎月次々と刊行されている。それもあってだろう、入り組んだ巧みな仕掛けの結構をもたらしているのは(最後の方までそれを感じさせない上手さもある)。キングによれば、各分冊ごとにミニクライマックスを盛りこみ、なおかつそのプロットに破綻をきたすことなく仕上げるのには苦労したようだ(常軌を逸した出版スケジュールともあいまって、幾度か不安を覚えたとも)。とまれ、その構成にはうなりましたね。おそらく原作を先に読んだ方が……その入り組んだ仕掛けの結構の妙については、より一層愉しんで味わえ、驚嘆しつつ最後のページを閉じると思えるのだが――。

まあ、まれに映画の方が原作より出来のよい作品もあるが――もしかしたらこの「グリーンマイル」については大半の人が映画の方に軍配をあげるかもしれないが、個人的には五分五分か、あるいは少し原作の方に軍配があがるかも。特に、抽象的あるいは観念的な事柄などの叙述における十分なその書きこみ量と巧みさに対して。どうして、ここまでこういうことをひねり出して書けるのか、ということで。描かれた対象が経験を踏まえた上でのものか、あるいはそろえた資料やデータをもとにしての叙述なら、さほどの関心はしないのだが、そうではなく、あくまでもキング個人の想像と創造なんだよね、これが。それが素晴らしい。小説はつまり「細部に宿る」ということか。それがキングらしいということなのだろうけれど。

僕はどちらかというと文章そのものにもこだわりがあって(特に日本の作家については)、作品の文章を愉しみながら読むほうなんだけど、そしてキングのこの作品についてもひと言いいたかったが、長くなるので、それは控える。
で、次にやはりキングの『書くことについて』を今、読んでいる。これは以前、『小説作法』というタイトルで刊行された作品の新訳だが、この訳者の実にこなれた日本語には目を見張った。

どうしてこれを読んでいなかったのだろうと思っていたら、『小説作法』を僕がもっていたからだった。忘れていて、手にしてから分かった。でも、それがかえって収穫だった。原典、原作は同じなのに、示された日本文がまるで違う。『小説作法』は読んで、それとなく頭で分かる文章だが、『書くことにつて』はキングとまるで対話しているような日本語で、なんか文章を介していないようにすいすい頭にとけ込むように入ってくる。うまいのだ、とても。

この翻訳者は何者? と思って調べてみた。田村義進(たむらよしのぶ)というひとだ。翻訳者を育てあげる講師までやっていて、そのお弟子さんが何人もいる。『二流小説家』『ゴーン・ガール』『特捜部Q』などの、それぞれの翻訳者がそうだ。

まあ、“翻訳者魂”とでも言ったらいいのだろうか、そういうことについてこの田村氏が言及している。たとえば翻訳に注釈は要らない、もそのひとつ。読んでいて、いちいち注釈を見なければならないような、その都度小説から離れて読者に負担をかけるような翻訳は翻訳とはいわない、と。それで注釈のない、要らない日本語訳を目指してきたのだ、と。で、田村氏の他の作品をいま、調べてみた。次に読みたい。

ついでに、この『書くことについて』から、誰もができる文章が上達する秘訣を一つ、取り上げたいが、それについては次回に譲りたい……。





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