玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

August 2013

御同輩 このメロディ(主題歌・西部劇)は懐かしい。―50代以上なら耳が憶えている。そういえば、そう、あの兄弟だと


御同輩 このメロディ(主題歌・西部劇)は

懐かしい。



ボナンザ・カートライト兄弟



―50代以上なら耳が憶えている。

そういえば、そう、あの兄弟だと




2013年8月31日(土)


うわ〜、これは懐かしい。ほんとに、ほんとに懐かしい。

What a nostalgia!

50代半ば以上なら(特に男性は)、このメロディ(主題歌)を憶えているのでは。



偶然、この主題歌にめぐり合い、あまりにも懐かしかったのでアップで〜す。

「ボナンザ」ですけど、途中から日本では「カートライト兄弟」というタイトルでオンエアされていました。
西部劇版ファミリードラマと言うところでしょうか。

これはよく見ていた。いや〜、懐かしい。
詳しくはこちらに

放送は1960年〜65年まで日テレ系列で。

(若い方向けに記せば、下記のような時代です)
60年は安保の年であり、その60年に池田勇人が総理に就任し、65年に佐藤栄作に引き継がれる。
58年には東京タワーが完成し、この西部劇の放送中に日本では新幹線が走り、東京オリンピックが開催されている。
まさに高度成長期で、68年には当時の西ドイツを抜いて国民総生産(GNP)が世界第2位になるんですね。
子供心にも豊かさを次第次第に、年年実感しつつありました。

5分でわかる、作家高村薫――その思考の視座・視点


5分でわかる、

作家高村薫――その思考の視座・視点



2013年8月11日(日)


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
話を進める前に、

作家高村薫が自らのことに言及し、


「自分という人間がどういう人間で、
どのように形成されたのか」について――


つまり作家・高村薫の
「知や思考の視座、視点」の形成については


中段以降の小見出し
「■知や教養に対する価値の否定は果たして……」以降で触れています



お急ぎの方はそちらへ。5分で読めます。赤い太字で示してあります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


高村薫『春子情歌』を読み出す。


春子



この小説は大正時代から書き起こしてあり、
時代の空気が見事なまでに描いてある。


おいおい触れるが、

もし近代日本史を知りたくて学者の硬い文章を読むのなら
「この小説を読んだ方がいい」と、
後述する高村の対談相手が述べている。


繰り返そう。


この小説は「大正時代から書き起こしてあって、
しかも上からの視線ではなく下からの視線、


抽象語ではなく、具体的かつ磨きぬかれた言葉で
時代の空気を描いていますから、学生が読むのにすごくいい」


■長編三部作による本格派の大河小説


高村によれば、
この小説は「自分の父母や祖父母のこと」を描いているという。


高村は昭和28年(1953)の生まれ。


高村の父は大正6年(1917)、母は大正10年(1921)の生まれで、
当時としてはふたりとも珍しく大学を出ていたとのこと。


刊行されて既に10年以上経過した作品だからだいぶ前のことになるが、
この作品(02年)を読もうと思っていたら、


次の『新リア王』(05年)が発行され、
さらに読まずにいたら『太陽を曳く馬』(09年)も
出てしまった――三部作が出そろう以前に三部作になることがわかったし、


従来の高村作品とは大きくことなっていることもあり、
それならその時点で一気に読もうと思って今日に至った次第。


その間、じわりじわりとこの三部作の評価が伝わってきて、
この三部作を読む以前にこの三部作が、
大正から現代へとつづく福澤一族をめぐる
長編三部作の大河小説とのことを知る。


そしてこの壮大な物語小説に織り込まれるのは、
歴史、政治、宗教、現代アート、犯罪、言葉の問題など
で、
なんとも盛りだくさんなのだ。


織り込まれる内容からもわかるようにこの三部作は、
いまどきの日本では珍しくドストエフスキーを想起させる本格派の小説のようだ。


実際、そのことは『春子情歌』を読みだしたばかりの僕にでもわかる。
彫琢しつくした言葉があるのだ。


「言葉と格闘し、言葉を探して作品に言葉を当てはめ、
言葉による良質の作品世界」が形づくられている。


この作品は、作家高村薫が、
文字通り「言葉を探して作品に言葉を当てはめ」た文章で綴られており、


そこが読みにくいとして敬遠する人もいれば、
いや、かえってその分だけ味わいが増して面白い、
興が湧く、として好んで手にする人もいる。



三部作を読み込んだある批評家によれば、
小説として圧倒的で、


それぞれの作品が異なる文体で描かれ、
それぞれの作品に登場する人物も異なり、
現代を歴史的領域でとらえているとも。


それも父母の世代、
祖父母の世代というついこの間までの過ぎ去った歴史に照らして――


こうなるともう、こちらは満腔(まんこう)の期待を抱くしかない。


■知や教養に対する価値の否定は果たして……

小説として圧倒的で本格派、
かつ異なる文体ということもあってか……そしてこのことは
高村自身の「ミステリーを書いているつもりはない」


などという発言と共に既に自明のことだが、


これまでの高村ミステリーの読者にはいささか難解で気重で、
さすがにこの分厚い重量級の本格派の小説は敬遠された。


その読者の敬遠について高村薫はかつて、
新聞や高村特集のムック(後述)で言及している。


言葉と格闘し、言葉を探して作品に言葉を当てはめ、
「言葉でそれなりに世界を言い当てることはできるのですが、


そうして言い当てた世界が、
同時代に広く共用されるものではなくなっている」と。



つまり自分が書きたいものを作品として苦労して書きつつ仕上げ、
いざ世に問うたら、
それがあまり受けいれられなかったというのだ。



さらにつづけて、自分でもこの難解さについて触れている。


自らの小説(言葉)について自分の「言葉の織りものは
折り目が少々複雑に過ぎる場合があるのですが、
人間も世界も、この目には複雑に見えるのだから仕方がありません
」と。


その上で「同時代は逆に、複雑なものをデフォルメし、
単純化する目をもつようになっているのかもしれません」とも。


そうした時代がはらむ単純化については。


「高度成長期をさかいに、この日本の社会構造や産業の形態が、

大学という知や近代の教養を必要としなくなったのだと言われたら、
これも時代の流れとして受け止めるべきなのかと思いますが、
(中略)はたしてこの流れが正しかったのかという思いがあるのも事実です」



多少の説明を加えると、

すぐ上の棒線「大学という知や近代の教養」とは、
及びそれが目指すものとは、

まさにすぐ下の赤い棒線(人間とはなにか、世界とは何か)と
イコール(=)であり重なるものであることは言うまでもない。


続けよう。
「と言いますのも、近代の小説はまさに、
人間とはなにか、世界とは何かを書くべく生まれてきた形式ですから、
人間とはなにかを突き詰めることが不要なら、
小説も不要ということになります」



こうした発言には作家高村薫を形成する、
あるいは作家高村薫の立ち位置を示す一つの姿を
はっきりと捉(とら)えることができる。


そして自分の書くものは「こ難しい」
「読むのが面倒くさい」と言われているのを認識しつつも、

それまでの高村ミステリーの読者が
一気に離反したのは……それはそれということなのだろう。


書き手として言葉と格闘しつつ作品と対峙した結果が、
作家として納得いく作品を仕上げた結果が、
とどのつまり、そういう受け止め方をされたと。


とまあ、言うわけですが、
高村薫のなかには「近代の日本が育んだ教養」(後述)
そのものの理解や認識があって、
それに沿うことになる作品を仕上げたら、敬遠された、と。


敬遠されたことはすでに世間に広く知られていることだが、
その因果性でみると、その要因は高村が考えていた「教養」にあるようだ。


僕自身も作家高村薫の認識については、
『春子情歌』以前のそれでしかなく、
その時点で時間がとまったままだった。


で、どれだけ読めるかは、
またいつ読みおえるかはわからないけれど、
長編三部作の第一作『春子情歌』のページを繰ったのだった。


■作家のコアを形成した近代的「教養」

では高村作品が敬遠された、
高村が理解しているところの「近代日本の教養」とは、
果たしてどういうものなのだろうか。


その理解を手助けしてくれる一冊の資料本がある。
作家高村薫の核心に踏み込む対談が載っている。
04年に刊行されたムック『高村薫の本』がそれだ。



と記して、迂闊なことに、そのムックはぼくの本棚に収まっていたのだ。
なのに高村薫を理解していなかった。


ことはどうあれ、早速それを取りだし小説と共にページを繰った。


買った時以来、目を通していないので何が書いてあるのかすっかり忘れていたし、
そのムックで取りあげている『春子情歌』関連のページは
そのときは読んでいない(読んでも流し読み程度)。


つまりこのムックの要点、骨子、エッセンスともいえる
大事なポイントを把握していないのだ。


で、そのムックには、高村薫が「いま一番会いたい人物」との事で、
高村が指名した相手との対談が載っていた。


この対談がなんとも作家高村薫の内奥(ないおう)に
踏み込んだ内容で読み応えがある。


だから作家高村薫を作品を通じてではなく、
高村薫が自身について語る言葉を通じて理解を深めることになった。


対談は『春子情歌』を下敷きに
近代に根ざした「知」や「教養」をめぐるテーマとなる。


そして「教養」は作家高村薫のコアを形成する
重要な働きをなすものだったことが示される。


つまり作家高村薫を知るには
これ以上ないと思える格好の読み物だ。


相手は竹内洋さんという学者さん。
京大の名誉教授で対談時は京大教授で専門は教育社会学。



竹内には『教養主義の没落』(新書)という著書がある。
ほかに『日本のメリトクラシー』『学歴貴族の栄光と挫折』なども。


「教養主義」という言葉自体、現代では古めかしいのだが、
どうやらこの「教養主義」が包含する「教養」というものが、
作家高村薫の人間形成に大きく影響しているようだ。



(※教養主義をざっくり言うと、いわゆるリベラル・アーツを意図した、
あるいは人文科学などをメインにすえた学習のことで、


就職や実業のための功利的な目標で学ぶのではなく、
あくまでも人間形成に主眼を置いた「人間とは何か」「歴史とは何か」、


あるいは哲学的な内省なども含めて
「教養」を学ぶという意味での学習態度
とでも言えるか。


最近一部で大学に教養過程を復活させたらという声が挙がっているが、
ちなみに欧米の大学はリベラル・アーツ教育が主体のはず)


※参考までに、
『教養主義の没落』を紹介したアマゾンからの引用を貼りつけておく。


「教養主義とは、読書を通じて得た知識で、
人格を磨いたり社会を改善していこうとする人生観のこと。


大正期の旧制高校ではぐくまれた思潮で、
戦後も1970年前後までは大学生の規範文化だった」


竹内の『教養主義の没落』『学歴貴族の栄光と挫折』の2冊にも目を通したが、
まさにこれらは大正期の旧制高校で育まれた思潮を
データと共に克明に調べて書いてある。


日本近代の思考を理解するには格好の書だ。

その竹内と一歳違いで同世代(60年安保の匂いが濃密に残っている世代)なのがいま公開中の「風立ちぬ」の宮崎駿監督だ。


作家堀辰雄をモデルに持ちだすなど、
この世代だからこそ、
つまり近代の思潮に染まった世代だからこそと言えよう。


宮崎はNHKEテレで、
近代日本を描いた「昭和史」などを手がける作家半藤一利と対談していたが、


堀辰雄に触れたところで半藤がアニメ「風立ちぬ」のシーンに触れ、
「あっ、ここ堀辰雄、ここ堀辰雄」と次から次と、
本家の『風立ちぬ』からのイメージの引用だとして
指摘していた(たとえば病床の菜穂子と手をつなぐシーン)。


半藤は宮崎より一世代上になるが
学んだ思潮が同じという背景があるからだろう、
多くを語らずともふたりの間ではこのような話が通じてしまうのだった。


ついでだから触れるが、半藤は司馬遼太郎の編集担当だった人で、
取材で内外を司馬と共に歩き回った人だ。


司馬があえて書かなかった昭和を
「歴史」という形でまとめているのが半藤だ。


司馬にはかつて昭和について
12回に及ぶ独白として放送(NHK教育テレビ)された番組を
書物にした『「昭和」という国家』があるが、


これはまた近代を司馬一流の歴史観で、

つまりは江戸・明治を経て現代につながる
大きな歴史を俯瞰する視座を
与えてくれて(特に愚かな戦争に導いた愚かな思考について)、

この司馬、半藤の歴史と竹内のそれを重ねると、
面白い近代が見えてくる。
どうせなら立花隆『天皇と東大』も加えたい。


話をもどそう。



■高村薫がとらわれ続けた「違和感」の正体
高村薫はある「違和感」をずっとかかえてきた。


その違和感がなんだったのかの解答を与えてくれたのが
『教養主義の没落』だったと。


「私が物心ついたころからずっととらわれてきた
時代や周囲に対する違和感を、
きちんとデータで示して」くれたのがこの本だったと。


それで
「自分がどういう家庭に生まれてどういう育ち方をし、
どういう道筋でここまできたかが、
この本を読んでなんとなくわかった」と語る。



50を過ぎてやっと、「自分のことながら、
自分ではよくわからなかったことを説き明かしてもらった」という感じだ、と。


そのように、作家高村薫が自らのことに言及している。
自分という人間がどういう人間で、
どのように形成されたのかがこの対談であかされている。


高村薫は1971年に大学(ICU)生活を始めるのだが、
その時既に「大学は学問の府」ではなくなっていたと違和感を覚え、


働きだしてからの社会でも絶えず違和感と共にあり、
「そういう自分は何者だろうか」と考えつづけ、
それはまた「ずれているからこそ考えつづけた」と。



その高村薫がいう違和感とは、
「要は世の中に合わない」という感覚、
「自分が世間とは違う方向に向いている」という実感だったそうだ。



それで、そうした「違和感がどこから来ているのか
長年考えつづけてきたとき」に、
この『教養主義の没落』を読んで「これだ」と思った、と。


そしてより具体的に、その違和感について話している。


「一言でいえば、
私の違和感というやつは
いつも近代の日本が培ってきた『教養』と関係があるらしい」


人間とは何か、世界とは何かを問う知性への絶対的な信奉が、
時代と共にどんどん様子を変えていく、
その変化についていけない孤立感が私の違和感の正体だったという気がします」



作家高村薫は父母や祖父母を通じて、
1970年頃までは大学の規範文化であった「教養主義」に
申し分なく浸った人なのだろう。


しかもその理念とも言える、
がっしりした正当的な骨組みの部分にこそ浸った人なのだと。


その意味で高村薫という作家は、
そうした思潮に基づいた、彼女の上の世代の作家、旧世代の作家に相通ずる
社会や人間へコミットする感興(関心や興味)とでもいうものを
より孕(はら)んだ書き手と言える。


だからこそ彼女の世代も含め、
以後の世代の作家には彼女のような視座が見られないのではないか……。


もちろんそのことが作家高村薫を超一流の書き手として存在たらしめているのだが。






2013年8月11日(日)












ニッサンGTRグループ走行(20数台) 「ロード・サウンド」満載の映像

2013年8月3日(土)

グループ走行のGTRが一斉にロード・サウンドを奏でて、

走る、走る、走る……
走る、走る、走る……
走る、走る、走る……



海外のモンスターカー紹介番組からの映像。

たまたま見つけた映像です。
(※最大スクリーンがオススメ)

もっとエキゾーストノートを楽しみたい方は、
こちらも……どうぞ。
圧巻です。

世界の名だたるスパーカーばかりで、もう感涙モン!








信長・秀吉・家康の歳はいくつ違い? 14年大河ドラマ「軍師黒田官兵衛」を描いた司馬遼太郎「播磨灘物語」を読む


信長・秀吉・家康の歳は、いくつ違い?


「軍師黒田官兵衛」(14年大河)を描いた

司馬遼太郎「播磨灘物語」を読む



信長

信長・秀吉・家康の年齢差を下に記す。


信長は天文3年(1534年)の、

秀吉は天文6年(1537年)の、

家康は天文11年(1542年)の生まれ。


信長の3歳下が秀吉、

秀吉の5歳下が家康。



ついでに、信長の4歳上に上杉謙信(1530年)が、

謙信の9歳上に武田信玄(1521年)がいる。



ちなみに徳川家康が生まれた天文11年(1542年)でみると、

武田信玄21歳。

上杉謙信12歳。

織田信長8歳。

豊臣秀吉5歳。

徳川家康誕生で0歳(数えだと1歳)。



もうひとつついでに。

今年2020年の大河の明智光秀は

1528年(享禄元年)の生年とのことだが、不分明。


光秀の本能寺の変は1582年6月で、

秀吉の天下統一は1590年。


伊達政宗は1567年(永禄10年)で、

家康の25年後に誕生。


戦国時代を世界に転じて見ると、

政宗と同世代に

シェイクスピアが1564年の生まれ。


シェイクスピア作品のほとんどは「関ケ原の戦い」の

1600年を挟んだ

前の10年と後の10年間に書かれ、上演されている。




※この部分、2020年に多少加筆



※ 2016年になって

 3人の年齢差についてのアクセスが多いので、

 冒頭にその部分を貼り付けました。


※注 2016年の大河「真田丸」には、


秀吉の参謀である下記で触れた黒田官兵衛や竹中半兵衛が、

どうしてか、まるで出てこない。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


司馬遼太郎『播磨灘物語』(単行本3分冊)の上巻を読みおえる。


播磨灘物語

読んでいてネットで知ったのだが、
この作品の主人公黒田官兵衛は、

来年(2014年)のNHK大河ドラマで
「軍師黒田官兵衛」として彼の生涯が描かれる。


この小説本の奥付を見たら、
昭和50年(1975)とあるので今から38年前の刊行。


10年、いやもっと前になるだろう、

古書店で単行本の上・中・下巻3冊をたまたま買い求め、
読まずに「積ん読」ままだった。


積み上げた本をひっくり返していたらこの本が目にとまり、
読みだしたらこれが面白い。


黒田官兵衛は豊臣秀吉の参謀として
世に知られている人物だが


(秀吉に仕えた「ニ兵衛」としてもう一人、
やはり謀将の竹中半兵衛もいる)、



僕の知識もその程度のものでしかなく、
やはり、通称の「軍師」黒田官兵衛としての認識。


姫路に生まれ、
中国征伐、大阪築城、


四国・九州征伐、
朝鮮出兵、

そして関ヶ原という経緯ですね。



もちろん、筑前福岡黒田家こと
黒田藩の黒田であることは知ってはいたけれど、



その福岡の名称が、

備前国の福岡(現岡山県瀬戸市で、
当時は山陽道随一の賑わい)が由来であると、
この小説で知った。



この備前の福岡は多くの刀鍛冶の名工を輩出しており、

隣村は「名刀長船」で有名な備前長船(おさふね)村


二つの村は多くの刀鍛冶が住む村としても天下に知られていた。


備前長船だと巌竜佐々木小次郎の長太刀がそうですね。


黒田家はもともと近江国黒田村の出で、

官兵衛の曾祖父(そうそふ)が浪々の身で流れ着いたのが
備前の福岡。



官兵衛の父の代から播磨国姫路の城主になり、
官兵衛はキリシタン。


小説は、官兵衛が「かんべえ」ではなく
当時の発音で「くゎんひょうえ」と正確に発音されていたのだろう、


というところから書き出される。


室町末期の時代で、


衰弱する足利将軍家や、天子、公家、門跡といった
中世の主役たちの衰微が時代相として語られ、


世はまさに下克上で
国盗りの相克にある戦国時代へと移り変わるところ。



ついでだから触れるが、
官兵衛は軍功として豊後国中津の初代城主になり、


その後の江戸期に官兵衛親子は関ヶ原合戦の褒美として
初代筑前福岡52万石の大大名になる。


中・下巻が未読なので、


この後この小説がはどうなっていくのか分からないが、
上巻はたしかに官兵衛が主人公として描かれてはいる――いるのだが、


それよりもむしろ信長が影の主役として描かれており、
物語の中の存在感で言えば信長の方が大きい。


それも小説の流れである時間軸の太い骨組みとして描かれていて、

その信長の歴史の時間軸に沿う細い縦の線として

細かな官兵衛(一族が近江の出で、官兵衛の祖父が

播州に流れ着いたというところから官兵衛の成長まで)が

描かれるという次第。



官兵衛本人と、『播磨灘物語』の舞台となる
播磨の国・播州での戦(いくさ)物語は

中・下巻での動きとなるのだろう。


実際、戦国時代を描くとなると、
やはり日本史上のスパースターである信長の歴史を軸にすえ、


他の出来事はそこに付随する歴史であり、人々であるとして
当時を描くことしかできないのだろうし、


またそれが一番分かりやすいということだろう。


だからこの上巻では、
戦国時代の武田信玄や上杉謙信や中国の毛利や関東の北条なども含め、


当時の時代状況や歴史を、
読み手としてなんなく頭で整理できるように、


つまりはたやすく俯瞰できるように描かれていて苦労なく把握できるので、
それも含めてすこぶる面白い。


スーパースター信長の合戦には、
世間的には「破竹の勢いで勝利に勝利を重ねて」というイメージがあるけれど、


それは都合のいい解釈でしかなく、

実際は、織田家滅亡の危機にいくども
相まみえながらの合戦を経ての上洛であり、

天下取りへ歩む流れだったということもここでは描かれている。


と記して、はたと考えた。


「面白い」のである。そしてこれは小説である。小説だから「面白い」のだ。

国民作家と言われ、
編集を担当した
半藤一利に「天才」とまで言わしめる司馬遼ではあるものの、

そして膨大な資料を駆使して
編まれた作品ではあるものの、

そこはやはり厳密さを
もって語る歴史家とは異なる。


どうしても小説だから史実と虚構がやはりない交ぜとなる。
そこが面白さを生む。


そのことを把握しておかないと、

司馬遼太郎だからということで、
歴史の足下をすくいとられかねない。


司馬が亡くなってもう17年(96年2月)、

最近はあまり聴かれなくなったが、

司馬の視点はそれでも「司馬史観」として
歴史に大きな影響を与えたものだ。


面白さに「注意!」である。

(そう言いつつ、やはり司馬の偉大さ、
大きさは僕などには語れるものではない)


信長・秀吉・家康の年齢差を下に記しました。

信長は天文3年(1534)の、
秀吉は天文6年(1537)の、

家康は天文11年(1542)の生まれです。


信長の三歳下が秀吉、
秀吉の五歳下が家康です。



ついでに、信長の四歳上に上杉謙信(1530年)が、
謙信の九歳上に武田信玄(1521年)がいます。



ちなみに徳川家康が生まれた
天文11年(1542年)でみると、

武田信玄21歳。

上杉謙信12歳。

織田信長8歳。

豊臣秀吉5歳。

徳川家康誕生で0歳。



で、世界に目を向けると、
あのエリザベス女王(エリザベス一世)が
1533年生まれで、

信長の一歳年上のお姉さん。


欧州と東アジアの二つの島国で、

エリザベス女王と信長が
国内統一で君臨していたというわけです。


それでエリザベス女王の
全盛時代のちょっと前の時代ですが、

世界史的には当時はスペインが黄金時代。


当時の国王がフェリペ二世。

で、スペインの艦隊が発見したのが
現在のフィリピンで、

この国王にあやかって国名が名付けられている。



それでフェリペ二世が還暦を迎えた60歳の
1588年にはエリザベス女王が55歳で、

この年にスペインの無敵艦隊がイギリスに敗れた。


以後イギリスは「七つの海」を支配するというわけです。


長くなるので、このあたりで措きますが、


司馬遼太郎の小説は最近まったく読んでいないので、

久しぶりに、ああ、そうか、
こんなに面白かったかと改めて思った次第。






2013年8月1日(木)
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