玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

January 2013

フロイトの“あの理論”は盗用だった 映画「危険なメソッド」はそこまで描いた


フロイトの“あの理論”は盗用だった

映画「危険なメソッド」はそこまで描いた



2013年1月7日(月)



タイトルに示した“あの理論”とは、


フロイトが晩年に唱えた
「エロス(生の衝動)とタナトス(死の衝動)」理論のこと。


映画は二十世紀初等のスイスとウィーンを舞台に、


危険なメソッド
フロイトとユング フロイト派の一員になるユングだが、後に訣別
映画「危険なメソッド」より



精神分析の二人の巨人フロイトとユング、


そしてこの二人の師弟に絡む
ロシア女性ザビーナの3人が主要登場人物。



「何がすごいといって、描かれている史実がすごい」


こう言ったのは、この映画を評した立花隆だ。


文藝春秋にコラムを寄稿しており、
この映画についてかなり詳しく解説している。


その中のコメントの一説がこの発言。



この解説に触発され、


東京ではたった一館の上映でしかない
渋谷・東急文化村に僕は足を運んだ。


それで以下には、
映画(のシーン)と要約した立花の解説をミックスしながら、


おもしろいところを少しだけ記してみたい。


映画が描いた史実とは、


精神分析の草創期から
世界的に認められるようになるまでのプロセスのこと。


ただしプロセスというのはあくまでも
精神分析学の視点にたったとらえ方で、


映画としての描かれた面白さは立花流に言えば、


「史実にもとづく壮大な男と女、
男と男の間の


愛と嫉妬と憎悪の絡み合いの物語」ということになる。



冒頭のシーンでいきなり、女主人公ザビーナが


重度のヒステリーで
運び込まれるのが(このヒステリー症状の演技は見もの)


チューリッヒにある
有名な精神病院ブルクヘルツリ(チューリッヒ大学付属)。


若きユング(当時29才)は彼女の担当医として登場する。
1904年のことだ。


ユングは、
まだ助手(1900年−25歳で助手のポスト)のはず。


ちなみにユングには、この前年の1903年に、
博士号取得論文「いわゆるオカルト的な心理学と病理学」がある。


おまけでいうと、フロイトの「夢判断」は1900年の出版。


病院はとても立派な建物で、これは現地撮影らしい。


他にフロイト家(現在博物館)のシーンも現地撮影とのこと。


見ればわかるが、そして立花がやはり解説しているが、


映し出される個々の事物や


新しい療法や治療法(ユングが研究していた
言語による連想法など)まで


資料に基づき当時の姿の再現を徹底してあり、
そういうところがこの映画の見所の一つでもある。



危険なメソッド2
二人の協力は精神医学の世界を席巻 国際精神分析学会を樹立

映画には精神分析の専門用語(リビドー、転移、逆転移、
エロス、タナトス等)で台詞がすすむシーンもあるので、


そっち方面の多少の知識があると、
掘り下げての理解把握に都合がいいかも。


で、そうした基礎知識があれば、
この映画の面白さはむろんのこと、


20世紀初頭の精神分析学の史実で
「すっぽり抜け落ちていた細部」が


この映画一本で、
確かなものとして理解できることになる。



「すっぽり抜け落ちていた細部」とは何かというと、
精神分析学の草創期の歴史の謎である。


実はこの映画、
ザビーナが残した資料によって大半が作られている



といっても言いすぎではないのかも知れない。


映画を見ただけではわからないが、


ザビーナの資料がどのようなものなのかについて
やはり立花が解説している。


そして「すっぽり抜け落ちている細部」のことを
指摘したのもこれまた立花である。



資料とは、ザビーナが、彼女の師であるユングと、


そしてフロイトとも交わした手紙と彼女の日記である。



手紙と日記はこの映画の物語のころから数えて
70年後に発見されており(1977年)、


資料の出現のみならず、
その資料が示す内容に驚愕することになる。


フロイトのやましい秘密の事実が、
その資料によって判明するからだ。


フロイトは理論を盗用していたのだ。


フロイトのあの有名な理論は盗用したものだったのだ。



フロイトは人間の基本的な欲求として


「自己保存の本能」と「性の本能(リビドー)」を
彼の理論として唱えたが、


晩年の彼が最後にたどり着いた新境地として唱えたのが


有名な「エロス(生の衝動)とタナトス(死の衝動)」の理論だ。


しかしこの「エロスとタナトス」は
ザビーナの論文に示されたエッセンスを


そっくりフロイトが盗用したものだった。



その盗用を、立花隆が指摘している。


そしてその論文にある「生と死の衝動」をめぐって、


映画の最後の方でフロイトとザビーナが
言葉を交わすシーンがある。


フロイトが言う。
「あなたの論文はこれまでにないほど
学会に議論を巻き起こすだろう」



続けて、
「でも、私はあなたの論文の主張には
同意できない」



同意できないと言いつつ、


その実フロイトはザビーナの理論を盗用し、
それをフロイト自らが唱えたものとして公表する。


それが「エロスとタナトス」として知られるようになる。



この「同意できない」というフロイトの否定発言は、


その資料〈ザビーナの論文〉が残っているのだから、


明らかにフロイトが虚偽の発言をしていることになる。


つまり映画は、
フロイトの盗用を遠回しに指摘しているのだ。



話をザビーナに戻すと、
彼女の病はユングの治療によって完治し、


ユングの弟子となり
大学に入って精神分析医になっている。


彼女はユングとフロイトがともに認めた
気鋭の精神分析学者でもあり、


精神分析を広めるための
広告塔的な立場でもあった。


やがてロシアで結婚生活を送り、


ユダヤ人の彼女は娘とともに
独ソ開戦で侵攻した


ナチスドイツにとらえられ死を迎える。


ところで、精神分析が
なぜ「危険なメソッド」と呼ばれるのか?



これにも立花が触れている。


「患者が医者に、
性にまつわる心の秘密を


とことん打ち明けるような関係を保つうち、


患者と医者の間に男女の情が芽生え、


〈転移・逆転移〉と呼ばれる患者と医者の関係以上の
愛憎関係が生まれることがあるからだ」


で、肉体関係にまで進めてはならないとされているが、
実際にはそうなりがちだという。


ユングとザビーナの間もそうなってしまい、
二人の愛憎劇がとことん描かれる。


もちろんフィクションではなく事実だ。
それもまたこの映画の楽しみ。


というわけで、立花隆の解説に触れて
この映画のことを知って見たのだが、


個人的にはちょっとした収穫だった。


立花の解説はまだまだ詳しいが、このぐらいで措く。


クローネンバーグ監督には触れず仕舞いだが。


最後にもう一つだけ重要なことを。


立花の解説によれば、


フロイトの精神分析理論が信じられたのは
70年代までのことで、


80年代以降は急速に信頼性を失い、


現在の医療現場で
これを信じる人も実践する人もほとんどいないとのことだ。










2013年新春 太宰治が愛した三鷹の跨線橋で茜色の夕景を味わう

2013年1月1日(火曜)

謹賀新年

2013年元日の夕景色。

あかね色に染まる日没の情景を味わうべく、
近所の三鷹電車区にかかる跨線橋へおもむく。

JR中央線をまたいでおり、
三鷹駅から西へ歩いて10分足らずのところにある。

IMG_0743
茜色に染まる元日の夕景に浮かぶ太宰が愛した跨線橋

三鷹にはかつて太宰治が住んでいたこともあって、
太宰ゆかり場所が点在している。

しかし太宰が死してすでに64年、
いずれの地も「跡」として名を残すのみ。

唯一往時の姿をそのまま残しているのが
1924年(昭和4年)竣工のこの跨線橋で、

太宰もよく友人を案内していたとのこと
(案内板に説明がある。太宰は、三鷹市の観光資産)。


I太宰と跨線橋
跨線橋の階段下の脇にある太宰の案内板

この跨線橋の骨組みはレールだが、
日本製ではなく舶来のモノとのこと。

廃材となる鉄路を活用したレール(や枕木)の利用は
かつて日本全国の線路際で見られたが、

なぜこの橋の骨組みが舶来のレールなのかはわからない。

調べればわかるけど、
当時のレールはすべて舶来だったのだろうか。

刻印があるので製造メーカーや製造年はもちろん
1メートル当たりの重さまでわかると、新聞で読んだ。

(レールの重さはたしかレールの出来、
つまり等級に関係があったのではなかったか。

メートル単位の重さで等級が決まるという。
鉄道好きの僕としては以前、
物の本でそういうことを読んだような覚えがあるのだが)

三鷹電車区2
三鷹車両センター 三鷹駅から西へ徒歩で10分足らず

新春の美しい茜色の斜陽を味わいたいということだろうか、
跨線橋には30人ぐらいの人がいた。

古い階段だなと気づいても気にするひとはすくないだろうが、
見てわかるのは粗い小石がまじった時代もののコンクリート。

そうだ、昔のコンクリートはこうだった。


そんなことを思いながら、階段をのぼり跨線橋の上に。

跨線橋西を見る人
跨線橋から茜に染まる夕景を見る

電車区の西の空があかね色に染まって美しい。
富士山が優美なシルエットを茜のなかに浮かべており、

その前景に車両基地で休息中の細長いいくつもの電車と
入り組んだレールがあり、
電車の修繕などをおこなう作業場となる大きな建物が連なる。

これは悪くない。

高いマンションの部屋から眺める光景とはちがって、
このちょっと小高い橋からの眺めは味がある。

ましてやその橋自体が年代物の古い味わいを残している。

太宰が住んでいた当時の三鷹では、
家並みを眼下に見下ろすことは珍しかったのではなかろうか。

跨線橋にのぼれば、それができたし、
しかも下を電車が行き来する。

おもしろいというか、
味わいのある場所だったのではなかったか。





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