玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

February 2012

情報処理のツワモノ、あの人の「流儀」を読む

2012年2月28日(火)

あの人って分かるでしょう、あの人です。

このところ、そのあの人であるITジャーナリスト佐々木俊尚の著書を6、7冊、立て続けに読みこんだ(佐々木の一番新しい刊行作『キュレーションの時代』まで)。

いや〜、彼に対する認識を改めました。IT分野のデジタル機器を紹介するジャーナリストだろう、という程度の勝手な思いこみだったんだけど、まるで違った。

デジタル機器との関わりで見いだされる時代相や社会のリアルな姿をいち早く、佐々木という優れたジャーナリストの目を介して、彼はぼくらに紹介してくれている。その紹介される内容は、示唆としてはきわめて重要なものだ。

時代の中で変化や変容は感じていても、その変動なり潮流なり推移なりが具体的にどういうものでどういう影響をもたらすのか、あるいはどのような状況に至ろうとしているのか……等々、なかなわわからない。

その判然としない「わからなさ」を佐々木は、彼の駆使する彼一流の、それこそ大量の情報処理で得られた認識でぼくらの前に「こうなんだよ」と具体的に示してくれる。

いやもう、その示唆するところは(成否はあれど)、今後しばらくは、この人を抜きにして、それが政治であれ、経済であれ、文化であれ、もちろんITやデジタル分野の動向であれ……何であれ、語れなくなってしまうのではないか。

そう感じたのは、たった6、7冊(ほとんどが新書版)の佐々木の著書を手にしながら、わずか2、30年前の時代時代の、つまりはついこの間までの、あるいはつい先日の様相が、ガラリと、その提示された情報なり、彼の説明なりによって一変するような思いをぼくがもったからだ。すっかり色あせて見えだしたのだ、ついこの間までの社会の姿が。

そういう意味で、佐々木の活動とは、たんにデジタル機器のスキルやノウハウ次元だけのものではなく(それだけでも佐々木のそれは圧倒的で素晴らしいが)、(過去・現在・未来も含めての)時代というたしかな相を見すえた視点、視座でのジャーナリスト活動だと言える。

それにしても、デジタル機器をここまで使い込んで仕事に活用しているひとっているのかしらん。(佐々木自身も、おそらくここまで使いこなしている人は「まれ」だろうと、言っている)

おそらく佐々木の仕事の流儀として知られていることだろうが、いくらプロの書き手であろうと、その仕事ぶりたるや、ひと月で15万字、すなわち400字詰め原稿用紙で約400枚を書き上げてしまう、その執筆量にも驚くが、それでいて取材も講演会もこなし、そして彼は毎日の食事を自分で作ってるというのだから驚きだ。

40歳ぐらいで大病をわずらい、以来彼は毎日2食の有機食中心の食事に切り替え、奥さんではなく佐々木自らつくるとのこと。そのための時間として2時間ぐらい割いているという。それで日課のスポーツジム通いも欠かさない。

デジタル機器をどこまで使いこなすかで今の時代、仕事の出来がまるで異なることぐらいはわかるけど、なかなかそれが出来そうでできない。

まあ、いまさら佐々木の魔法使いならぬ「情報使い」のスーパー振り、徹底ぶりに触れても、知れわたっていることだろうから、ひとつだけ。これは本当に羨ましい――同じ書き手として。

タッチタイピングだ。

タッチタイピング自体はこなせる人もいるだろうからめずらしくもない。
でも取材時に、取材相手と向かいあって質問をしながら、相槌を打ち、うなずき、相手の話しをその場で、タッチタイピングでPCに打ち込み、それで無事取材を済ませて仕舞うという芸当など、ぼくにはとても考えられない。

すなわち、データ原稿が取材を終えた時点でもう出来ているということだ。
それでできたら、原稿作成が数分の一の時間であがるはず。これはうらやましい。佐々木自身、数か月はとまどったらしい。で、佐々木が言う、誰にも出来るって。
ぼくにはとても出来そうにもないのだが……。
そう思ってしまうところからもう、違うんだよね。

しごとの不満  しごとの不安 

2012年2月15日(水)

知人と共に、その知人の特殊な能力、つまり彼の知見を活かした新しい仕事をすすめている。詳しくは書けないが、プロモーションや企業PRやイベントに関わってくるビジネスだ。

それで知人はプレゼンテーションの役柄で、ぼくは営業の役回りで、動きだした。ぼくの本業の書く仕事は、本業としてやりながら。ちなみにぼくは若い頃は営業の仕事をやっていたので、そっちの仕事はそれなりに出来る。

ところが、なぜか、このところ、その営業の仕事が気重になってきた。気分が乗らないのだ。新規開拓のアポイントをとって、相手企業に乗り込んでも、その実、ぼくには知人のような特殊な知見がないから、脇で知人のプレゼンテーションを見ているだけでしかない。

知人の知見とは、彼がこれまで仕事で関わってきたA業界に関する知識と経験の蓄積のことなのだが、その知見はBという業界にとって、事業展開の上でとても重要なソフトとして機能する。

だからB業界に席を置き、A業界を利用する業務を担う人たちにはその知見があると、とても重宝する。事実、知人のプレゼンを感嘆しながら、彼らは興味を示して聞く。つまりぼくらの考えたビジネスは、代行ビジネスとして十分に通用する可能性大というわけだ。

ところが前述したように、このところ、なぜか、ぼくは営業での気分がいまひとつ乗らない。はじめは手分けして動いていればいいだろうと思っていた。ところがどうやら、その気重、気鬱の原因にはたと気がついた。複数の要因がからみあっている。

一つは、営業で動いても、営業として自己完結しないところからくる不満。
新規のアポ取りができて相手企業に出向いても、その先は、まったくぼくにはお手上げだから、営業としてぼく自身の中で、ぼく自身がプレゼンして、それで仕事を獲得するというところまでの自己完結が出来ていないところからくる不満があり、それがくすぶる。

もうひとつは、若い頃は営業をやっているのでたしかに営業の仕事は出来はするのだが、好きか嫌いかというと決して好きではない。そして営業以上に書き手の仕事に魅力を感じて転職して以来、書き手の仕事を続けてきている。
それは、自由業であり、自営業であり、だれにも拘束されずに続けてきた自由がある(本当は仕事先に、これ以上ないぐらい拘束されるが)。

つまりブランクがあり、いざ営業の仕事で動いてみて、片や対極にある自由業の好きな仕事とまず(心の面で)相いれないところがあり、それが、なんというかプレッシャーになっているようだ。
仕事の面白味にも関わってくるが、要は「好きな仕事」かどうかということだ。

さらにもう一つ言うと、営業先のB業界は十分な興味を示してくれるのだが、未だ成果が出てないとう理由が一番だろう。
たしかに、今日明日でいきなり依頼が来るような仕事ではないのだ(運が良ければあるだろうが)。早くても数か月先になる。

知人の持つ特殊な能力に、営業先であるB業界の担当者は、ぼくらのプレゼンに目を輝かす――でも、そこまでなのだ。

年の功でわかっているが、この憂鬱を解消してくれるのは、やはり仕事の獲得しかない。それが一番の特効薬だろう……今のぼくには。
それと、あえて言えば、「好きな仕事をしているかどうか」ということを、改めて考えている。ぼくのような気分屋で仕事をしている者には、特にそうだ。

でだ、上述したような見方がある一方で、そういう見方は、常識的で愚かな、かつ従来通りの鋳型にこだわった、新しさを否定するこれまでの枠から抜けられない怠惰な己を単に自己弁護するだけの、独善的で展望の拓けない行動だという見方も出来る。つまり思考が硬直しているという見方だ。

冷静にとらえれば、要因としてあげた、「自己完結しない営業の不満」というのは明らかに間違っている。

繰り返すが、これって自閉的で独善的な視点でしかない。
書き手として、これまで数多くのプロジェクトに関わってきた。そこでは書き手として己の仕事に全うしておれば、よかった。そして、それで自己完結していた。
でも、今回の仕事は、自己完結に対するそもそものとらえ方が間違っている。手を組んで動いている以上、プレゼンは知人がやって当然だし、それを任せるのも当たり前。

ぼくの仕事の範疇はここまでと割り切らなければならない。不満なら、知人の知見を学んで身につけることだ。

そう、自己完結へのとらえ方だ。知人と組んだ仕事はそれぞれが分担して攻める。それだけでいいのだ。何も難しいところはない。硬直した思考に慣らされている自分がそこにいるだけだ。

まあ、何はともあれ、ネガティブな心持ちはイカン、イカンということだ……。

NHKスペシャル 全国屈指の水産業の町で、震災企業の復興を支援する、地元信用金庫

2012年2月11日(土)

つい先ほど終わったNHKスペシャル「魚の町は守れるか」を途中からだったけど、3・11の大震災からの復興に動く地元の中小企業を、まさにリスク覚悟で支援する地元の信用金庫の瀬戸際とも言える融資の姿をはらはらしながら見ていた。

舞台は3・11の被災地である宮城県の気仙沼市。気仙沼は宮城県の北部で、同じ宮城県でも南部の町出身のぼくには遠い地域だが、それでも同県人としてはとても他人事とは思えず、自分の田舎町の姿に重ねて見ていた。

ぼくの田舎の海辺の地域も跡形もなく被災しており、被災後に、県の漁協のトップにぼくの田舎町の漁協のひとが選出されたことなどもあって、漁業関係者の復興を注視していたのだ。

政府の復興支援が遅いのはいまさら言うまでもないことだが(ちなみに復興庁が昨日だったか、立ち上がったが、その実、何の権限もなく、やることは電話を受けたら、単に各省庁の担当部署を紹介するぐらいの仕事でしかないレベルだから、まあ、期待はできない)、この番組をみてわかったことは、復興に掛ける地元の中小企業にとって大きなハードルとして立ちふさがるのは、事業再興への「運転資金」とのことだった。
つまり、「つなぎ」の資金繰り。そしてそれを支えるのが地元の信用金庫という構図。

国から支援の補助金が降りるのは、建物が建ち、機器等が搬入され、実際に業務が操業するなり稼動するなりの姿になってから。つまりそれまでの事業復興に費やす建設資金や準備の資金は、すなわち「運転資金」は自ら調達しなければならないということ。

そこに立ちふさがるのがいわゆる二重ローンの問題。これまでの事業ですでに融資を受けていて借金がある身で、再び資金の融資を依頼する。

番組で紹介していたのは地元の気仙沼信用金庫の融資の様子だったけど(当然、信用金庫自らも被災して半数以上の支店が復旧してない)、この信用金庫の融資のスタンスには頭が下がる。

魚の町だから、つまりは町の漁業をリードするような企業には何が何でも立ち直ってもらわねば、町自体の復興も復旧もありえないというスタンス。

そこで、腹をくくっての融資を決定するのだが、それには公的銀行や公的信用機関からの支援も得る。そしてどうにか融資の決定にこぎつける。
ところがそこで銀行がしゃしゃり出てきて邪魔をする。

銀行はそれまで企業に融資しているから、その借金を信用金庫から借りて全額返せと言ったり、支援が決定した公的な信用機関へ圧力を掛けて支援を一時中止にさせたり、公的機関からの支援が出るなら断っていた運転資金を出すからなどと言ったり、まさにやりたい放題。
(都銀ではないだろうから、おそらく地元のあの地銀だろう。被災地なのに、まるで地元地銀の役割を果たしていない。銀行のこうした態度は、信用金庫の働きで企業への公的機関の支援が決まってからのことだ。それなら安心という読みだ。ふざけた銀行である)

そこで悩む経営者、怒る信用金庫の融資担当者など、まさに被災地故の、中小企業の復興へ掛けるありのままの姿が紹介されていた。

密着200日の番組取材だったらしい。信金の融資担当の理事が、無担保で、融資の上にさらに3億円の融資を決めるシーンなどは、まさに瀬戸際の融資で、見ているこちらもドキドキだった。

そして番組は2社のケースを追っていたけど、番組最後の理事の言葉から察すると、支援はやはり限られているのだろう。助けたくても力になれないところもたくさんあるのだろう。

それでも、この気仙沼信用金庫の融資の姿には感謝の思いを映像を見ながら感じた……。

けた違いのスケール 一度に200名の著名人が登場する講演会

2012年2月5日(日)

おっと、「なんだ、これは?」と思ったのが、これこれも、そしてここがやってる

偶然、ネット上で見かけたのだけれど。

驚いたことに3日間で、しかも一つの地方都市でオープンカレッジと銘打ち60以上もの個々のプログラムによる講演会というか、シンポジウムというか、談論というか……著名人が、大挙200名ぐらい参加して、それぞれのテーマにわかれてトークする。

これって、かつて無かったことですな、これだけのスケールや規模というのは。
と、驚いて、仕掛けが電通さんらしいとわかって、「な〜んだ」と思いましたね。でも、さすがによく考えられている。

どうやら10年ぐらい経過している企画のようで、日本中でやってきている。規模が大きくなったのは昨年の新潟県の長岡からなのかな。
とまれ地域の実力機関というか、官庁企業はもとよりメディアまで参加しての総ぐるみでやっている。こんなの他ではできませんね、電通さんでないと。

ともあれ、この規模での開催までは試行錯誤だったのでしょう。60以上のオープンのテーマによるトーク、それに200名以上の著名人の参加となるとその調整だけでもオオゴトだしね。
ぼくらなんぞは10名の著名人を集めてのシンポジウムなり講演会でも手を焼いているというのに、大変なものです。

よく練られているのは、著名人が会員として多数参加しており(数える気はしないが、300人位いるのだろうか)、毎年順繰りに交代でその中から十数人が理事を努めることになっている。だから200人の著名人が一気に押しかける(つまり集める)ということが可能なんでしょう。もちろん、著名人は仕事ですから、悪い気はしない。

当然だが、会の主旨などもそれなりにあって、大義名分もある。まあ、中央から大挙して文化人なり著名人が一度にドットばかりに地方都市に押しかけ、あっという間の一大にわか文化活動の開催となる。夜は夜で、著名人を囲んでの地元の有名飲食施設での飲み合い語り合いという寸法。

ふむ、これはどこかでやっていたぞ……そう、金沢のフードピアだ、と。他にも同じような企画はあるしね。おそらくその辺りからの発想のヒントがあるのかな、と。
で、それを電通さんが腕によりを掛け、10年で練り上げてシステム化したということか。

まともな講演会やシンポジウムではとても儲けがでないから……いや、電通さんがこういうものを仕掛けて事業として儲けるなら、これぐらいの規模でないと難しいということなんでしょうか。この企画、今後何らかの影響があるでしょうね、良い意味でも悪い意味でも。

東京暮らしだから、知らなかったけど、この企画、地方都市を舞台に、これから何年ぐらい続くのでしょうか……羨ましいなあ、それにしても。



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