玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

December 2011

副賞300万円の小説新人賞(大賞)をとった若者

2011年12月31日(土)

大晦日の午後、つまりつい先ほど、ここ2年ぐらい会っていない友人から電話が入った。
互いに変わりがない旨の言葉を交わした後、その友人が言うには、息子が小説の新人賞で大賞をとったとのこと。

息子はまだ20代半ば。以前にも、ある新聞社が主催する新人賞の小説部門でやはり大賞を受賞している。
だから才能はあるのだろうが、デビューはまだ先になるだろうと思っていた。

ところが今回は大賞ということで、賞金300万円の他に出版されるとのこと。年が明けた2月に書店の店頭に並ぶ。

父親であるその友人も、もともと小説家志望だったが、親の果たせぬ夢を倅(せがれ)が実現しそうである。

その父親も才能はあったものの、夢を叶えることはできなかった。年を重ねても書いてはいたようだが……なにしろ相手は創作の世界、夢の実現とはいかなかった。

父親の友人には、後に芥川賞をとった作家や、大河を手掛けるほどの実力派の脚本家などもいるけど、彼らの中にあっても、才能的にはその友人も甲乙つけがたいほどだったとぼくには思えたし、友達作りの天才とでも言うか、誰からも好かれる人物なのだ。

良い意味で、彼との付き合いは僕に好影響をもたらした。色々学ばせてもらったし、ぼくがライター稼業をやっているのも、彼との交わりが少なからずあってのこと。

息子のほうに話しをもどすと、実は倅の伯父さんは、エンタテインメント系の小説家で中堅クラスの作家だ。

父親の細君が、その作家の妹というわけだ。で、今回大賞を受賞したその息子にぼくが会ったのは、彼が赤ちゃんのときに乳母車に乗っていた頃だ。あの赤ちゃんが、四半世紀を経て作家デビューかと思った次第。

伯父さんのアドバイスを受けられていいじゃないの、と言ったら、いや、まったくアドバイスも何もない、と友人の父親がいう。父親がいうには(親の欲目ではなく)、伯父さんを超える書き手になるのではないかということだ。

その新人賞とは、これ。主催は、ある出版社の系列らしい。この新人賞(大賞)がユニークなのは、作品が外国でも翻訳出版されることだ。

作品を書く時点では、伯父さんからのアドバイスはなかったらしいが、甥っ子の受賞には喜んだらしい。

これでスタート台に立ったな、と。
で、勤め人だから辞めない方がいいと。専業作家の厳しさを知ってるからだ。

ぼくも新人賞を取った書き手を何人か知ってるけど、純文学分野の有名な新人賞をとったはいいが、その後でなかなか大成しないのだ。2冊目でうまくいかなかったら、3冊目はまず無理。売れてナンボの世界だから注文がこなければ厳しい現実が待っている。

小説家なら、あとは自力で売るか……売れること、だ。



ドラマ「坂の上の雲」の最終回―バルチック艦隊を撃破する東郷平八郎とは


ドラマ「坂の上の雲」の最終回

――バルチック艦隊を撃破する東郷平八郎とは



2011年12月25日(日)

バルチック艦隊38隻中、19隻が沈没、5隻が捕獲、
病院船2隻が抑留、残る12隻が逃走。

日本側は水雷艇3隻を失うのみ。





日本海海戦での勝利の結果だ。

テレビをまるで見ないぼくが、
今年になって唯一見たドラマが「坂の上の雲」で今夜が最終回。

この番組はたしか三年越しの放送ではなかったか。
(この一文は放送直前に書いてます)

かつてなら、一年という時間をあけての連続ドラマの放送など
まずあり得なかっただろうが、

恐ろしいまでの変化で時間が流れる現在、
一年経っても決して待ち遠しいとも、遅かったとも思わないのは、
日々あらゆる情報にさらされている今という時代に生きているからか。

むしろ、「そうか、もう一年たったか」
「そうか、放送されてからもう三年になるのか」という思いはしても、

そういう時の流れを違和感もなく
当たり前で受け入れている自分がいることのほうが……不思議。

ところで粗筋はなんとなく知っていても、原作を読んでいないので、
ただただ司馬遼太郎という名前と、この作品の大きさにつられて見てきた。

今夜は、バルチック艦隊を打ち破った日本海海戦
〈世界的には「ツシマ(対馬)海戦」と呼ぶ〉の大勝利で、ドラマは最終回。

この海戦の指揮を執ったのが東郷平八郎。

本棚にある司馬遼太郎の『「明治」という国家』と『「昭和」という国家』の二冊から
前者を取り出して繰ってみたら、

そこにはバルチック艦隊を打ち破った、
すなわち日本海海戦を勝利に導いた東郷平八郎についての
司馬の「語り」が綴られている。

「語り」とは、20年以上前に
司馬遼太郎が出演したNHKのテレビ番組をもとに編まれた本だから。

東郷についてのその人となりや経歴を少しだけ紹介しておこう。

テレビでも東郷を演じる渡哲也が薩摩弁をしゃべっているので分かるが、
東郷は薩摩隼人で、薩摩城下の鍛治屋町という町の生まれ。

司馬によれば、そこは薩摩の城下では場末のサムライ団地とのことで、
80戸ばかりの区画で、その一区画が東郷家だったと。

他に大久保利通の大久保家、大山巌の大山家、
そして西郷隆盛の西郷家があった。
そこで成長して、やがて戊辰戦争へと。

ところで、ドラマでは秋山真之が米国へ留学している
シーンなどが映し出されていたが(そうか、そのシーンは昨年だったのだ)、
東郷は国費留学生として英国で学んでいる。

で、司馬遼太郎は東郷が学んだ学校を取材で訪れている。

東郷は1873年(明治6)に留学しているが、
司馬遼太郎がいうには、
訪ねてみて「その規模の小ささに拍子抜けした」と。

「日本の東京商船大学とか神戸商船大学を想像していたのですが、
どちらかというと、海員養成所といった感じでした。

明治国家の希望をになった国費留学生が、
こんなところで訓練されたのかと思って、ふしぎな思い」

だったと。

入学したときの東郷は26歳で、
実際の年齢より10歳若く年齢を偽って登録。

学んだのは商船学校で、入学者は昔から(いまでも)14、5歳が中心。
船乗りとしての色々な業務を学ぶ学校だった。

本当はイギリスの海軍兵学校に入る予定だったが、
イギリス側から拒否された。

ロイヤル・ネイビーの奥座敷に外国人を入れることはまかりならんということで


それで東郷は、ツテを頼ってこの商船学校へ代わりにはいったというわけだ。
東郷はイギリスに、この学校の二年間を含め7、8年滞留している。

ところで、東郷は日露戦争で、連合艦隊司令長官に抜擢されるのだが、
これは誰もが想像しなかったらしい。

選んだのは海軍大臣山本権兵衛。

当時の東郷は舞鶴かどこかのヒマな鎮守司令官。

選ばれた理由は二つ。

一つは「東京の命令を聞くおとなしい人物だから」
二つ目は「東郷は運がいいから」
運がいいとは戦績でのこと。

東郷の出た学校に再び触れると、
今でも小さく、やはり15、6歳の女子学生がいて、
たいていは女子学生はコック志望とのこと。

で、その学校を19世紀に引き戻しても、
「とても海軍士官を養成するような内容ではなさそう」だと司馬。

「そういう学校に、極東の無名の国の青年が、
年を10歳もごまかしてまで入学し、すてばちにならず、規律で最高点をとっていたことを思う」と、
胸の痛むような思いがしたと司馬遼。





京大大学院から届いた、原発事故の「食品被爆」意識調査アンケート

12月18日(日)

「事故現場の近隣の県で生産されている食品で、購入を避けているものはありますか?
 あてはまるものすべてにマル印をつけてください。」

「1.米 2.野菜 3.果物 4.茶 5.肉 6.牛乳 7.魚介類 8.飲料水 9.加工食品 10.その他 」


タイトルにある京大からのアンケートのなかの質問の一つだ。

アンケートには大きなくくりの10の質問項目があり、
その10の個々の質問項目がさらに細分化され、
すべてを合わせると、
意見などの記入事項も含め総数で「69」の質問事項になる。

上の質問で、ぼくはすべてに丸印をつけた。
おのずとこの質問は、
今回の原発事故での食品に対するその人の考え方や立場を明瞭に示すことになる。

この質問は、
「食品からの被ばくに対して、
どのような不安を感じ、どのような対策をとっているか」
についての、
大きな質問項目のなかにあった細かな質問事項の一つ。
この項目には全部で10の細かな質問がある。

この項目の他の質問では、
「放射線の影響を避けるために、
避難や引っ越し等をおこなったか」とか、

「周辺環境や食品、
それから自身についての被ばく量を知るために何かを行ったか」とか、

「原発事故以来、
放射線の影響を避けるためにどのくらい食費の出費が増えましたか、
事故以来の家族全体の実費で応えてください」など
の質問事項があり、
いずれも冒頭の質問事項のように10くらいの解答の選択肢が用意されてあり、
質問に応じて、
複数の丸印をつけたり、たった一つだけに絞られたりの解答形式になっている。

冒頭のこの質問とは別の「放射性物質の規制や対策について」の質問項目にある
細かな質問事項の一つとして、
売られている農産物の中には、「基準値を超えている農産物もたくさんあると思う」か、
という質問などもある。

このほかにも、
「放射線の影響や対策についての情報を、
現在でも積極的に集めているか」とか、

「テレビ、新聞、ネット、雑誌などで、
放射線の影響や 対策を知る上で役だった情報やメディアを教えてください」とか(書けるのなら番組名や個人名などの記入も)、


放射性物質の規制や対策について、あなたの気持を知りたいとして、
「国の基準値の設定については、
国民の健康を守ると言うよりも、他の利害関係が強く影響していると思う」か、

などの質問もある。

放射性物質の汚染に対するアンケートではあるものの、
食に関する意識調査ということできっちりおさえていて網羅的だと思えるのは、
放射性物質以外の、
つまり原発事故以前についての、
解答者の普段の「食品の安全性」に関する意識調査にも触れている点で、
「原産国や産地を確認するか」とか、
「添加物や有機栽 培」などについての質問事項もある。

で、このアンケートはつまり、
「今必要なのは、一般消費者の皆様が、
食品からの被ばくについて、どのような不安を抱え、どのようなご苦労をなさっておられるか、
また政府や報道にどういった要望をお持ちかについて、
率直なお気持ちをお聞かせいただくことだと考えており…(以下略)」
というのが主旨
のようだ。

この一文はアンケート依頼の説明文のなかから一部を抜き出したもの。
アンケートの依頼主を正確に紹介すると、
京大大学院の「地球環境学堂 環境マーケティング論分野」という研究セクション。

京大における環境研究の学際的組織がこの地球環境学堂で、
環境マーケティングや食のリスク問題に取り組んでいるのがこの「分野」とのこと。

同封の案内書によると、調査の目的は、
「消費者のひとたちの、食品からの被ばくについての気持や要望をできるだけ集める」こと
とある。

なんでも、首都圏と関西のとある地区を無作為に郵便番号から抽出し、
その郵便番号の全世帯にアンケートを送ったとのことで、
その総数は5994世帯。

で、この調査の依頼人であるこのひと達は、
いま現在流通している「食品の安全性について肯定することも、否定することも意図してない」とのこと。
またこの人たちは、放射性物質やその影響についての専門家や技術者でもないという。
「環境リスクや食品の安全問題についての一般の声をひろく集め、
社会的コミュニケーションはいかにあるべきか」を

経済学的な視座で研究している人たちらしい。

アンケート自体に応えるのはたやすいが、質問数が結構ある。
ページにしてA4サイズで12ページ、各ページがびっしり文字で埋められ、
前述したように、記入事項まで含めると69もある大部の質問事項。
(あたりまえだが、ここまでの質問の数だと、
マスコミの恣意的、かつ都合のいい解釈が引き出せる、曖昧でどうでもよい質問内容や調査とは異なる)

明治の乳児用ミルクから放射性セシウムが検出されたが、
加工食品を食べてないという人はまずいないだろう。
となると、いかに自宅での食べ物に気をつけていても、
また外食を摂(と)るとなると、その食材が汚染されているかどうかは調べようがないし、
これはもう、汚染があると考えざるを得ないだろう。

要するに、東日本のみならず、食品の放射能による汚染は日本国内全体の問題であり、
それは日本人の誰もが、
このアンケートの内容を避けて通れない事態にあるということだ。

ぼく自身のことに触れれば、このアンケートとは別に、
このところ痛切に放射線の食品への影響ということで、
深く考えさせられた。

ぼくは都内に住んでいるが、宮城県の南部の町の出身。
この秋口から、今年も例年のように田舎から新米や果物や地域の産品が送られてきた。

それまでスーパーでは放射能汚染のない(と思える)食品を選んで買っていた身には、
送ってくれた田舎には申しわけないが、
果たして、これを食べたものかどうか、はたと考えた。
いや、どうしたものか、だいぶ迷った。
例年ならおすそ分けで、知人や友人にあげてもいたのだが、
今年はそういうわけにもいかない。

周囲には、地震、津波の被災三県をそっくり福島県と同一視して、
その三県のものは食べないとか、
中には友人の細君だが、うちでは青森や秋田も含めて東北のものは一切食べないとまでいう人もいる。(子どもがいるからわかるけど。関東や他の汚染地区はどうなんだと、突っこまないでね)
その人達を一概に風評被害云々でくくって責めることもできない。

結局ぼくは、送られてきた田舎の産品を、
宮城県のHPにある各市町村で産出される個々の農産物などの「放射能測定結果」と照らし合わせて判断し、
捨てることなく今も食べている。
(本当に、東電と国がにくらしい。怒りをおぼえる。どうして故郷の産品を食べるのに、こんなことをしなければならないのだ)

県のHPには、放射性のヨウ素とセシウムの測定結果が公表されている。
国の規制値を基にした検査結果であり、全面的に信頼をおけるものではない。
測定結果の一覧表には、大部分の産品が「検出されず」とある。
しかし、これは規制値に達していないゆえの「検出されず」である。

16日(金曜)に首相が「冷温停止」で事故収束を宣言したが、
そもそも冷温停止の定義自体があいまいなものに対して信用などおけるはずがない。
この件では、元NHKの化学ジャーナリストの小出五郎氏が、
ご自身のブログで次のようにたとえていた。
引用はじめ。

「治療法のまったく分からない重体の患者がやや小康状態に入った、今後はどうなるか神のみぞ知るという状態なのを、「もうすぐ退院です」と宣言したようなもので、極めて無責任です。」

「収束宣言の根拠に挙げているのは冷温停止です。
正常な状態に使用する単語を異常な状態の原発に使用しています。

事故原発は、単に水温が低下した状態になっただけで、
内部の状態はまったく分かりません。
そんな状態の事故原発が正常な状態で停止したというニュアンスで使っています。
事態をその時の雰囲気にわせて都合よく過小評価して見せる。
この政権の「伝統」をまたもや懲りずに繰り返えしました。」
(一部、引用者が順序を変えています)

引用終わり。
今回だけではない。ずっとこうだから、信用などまずおけるものではない。
とまれ、京大のこのアンケート結果は、
早ければ1月下旬か2月ごろから随時公表されるそうだ。
例によって長くなったので、この辺で措くことにする。
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