玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

May 2011

池上さんも使ってる ニュース報道「取材ポイント3原則」これでグーンと説得力アップ!


池上さんも使ってる 

ニュース報道「取材ポイント3原則」

これでグーンと、説得力アップ!



「どんな大事件が来ても恐れることはないからね。



『本記』『解説』『雑感』。



これだけでいいんだ。


飛行機が落ちようが、

内閣が倒れようが、


本記・解説・雑感を取材して書けばいいんだ」



上記はWeb上のジャーナル誌で読んだ

福島第一原発事故の関連記事の中にあった。


大項目形式というか、

上記のように大きな項目三つにわけて取材すれば、

それで十分なニュース記事が書ける、と。




そう語るのは、朝日新聞の元記者だった
烏賀陽弘道(うがやひろみち/珍しい苗字だ)さん。


新聞記者になりたての頃、

ベテランの先輩記者から教わったという。




「本記」とは5W1Hを中心とした「何があったのか」
というニュースのコアの部分。


「雑感」とはニュース現場の状態、状況の描写で、
「近所の人の声」などがその代表的なもの。


「解説」とは専門家に取材して記者が出稿したもの。




で、あの池上彰さんも、まったく同じ事を

ご自分の著書で言っている。

その箇所を転載しておこう。(これもネットから)


「本記」は、


いつ、どこで、誰が、どのように、何をした、

という「ニュースの基本情報」が書かれたものです。



「雑感」は、


特に大事件や大事故の際、

現場が「どのような状態だったか」を描写するものです。



「解説」では、


その「出来事の背景、過去の歴史、

今後の見通し」などを記者が説明しています。
※一部に引用者の加筆


つまりこの三つの大きな項目は、


「ニュース報道」である限り、

新聞もテレビも雑誌も

原則として守られてきたものとのこと。


今回の大震災報道も福島第一原発の事故報道も

新聞社内部の編集デスクなどは、

この三本柱に沿って記者のチームを編成している。



ぼくはライターを生業として20年になるが、
このことは今日の今日まで知らなかった。


かなりの数のライターや文章に関する本を
勉強のために読んだつもりだけど、


そういうことに触れている本はなかった。


知っていれば、
これだけの重要な方法論は憶えているはずだから。


もっとも、「ニュース報道」ではなくとも、


つまりぼくらのようなライター稼業でも取材仕事を重ねていれば、


ある時点で、このようなポイントは
手法として自ずと分かってきて身に付くもの。


ただしそのポイントを三つの概念に分類して、
「原則」として把握しているかどうかということは、


ましてや新人が知っているかどうかは、
しつこいが、とても重要。


この原則を知っているかどうかで


記事や文章の内容に大きな違いが出てくるし、


余計な苦労もしなくて済む。


ぼくの場合だと、


まったく一人で何も知らないところからスタートした
ライター稼業だったから、初めのうちは苦労した。


文章は書けても構成がわからない。


編集者を納得させるだけの構成に
まとめあげられるようになるまでは、


結構な時間を要した。


そんな思いがあるから、
「へえ〜、そんな便利な手法があったのか〜」となったのだ。




それから烏賀陽さんは、

記事の中で記者クラブから出てくる発表(本記)は各社横並びの
同じ内容で多様性が乏しいとして、


この原則の負の側面にも触れている。


いや、むしろ負の側面を報せたくて書かれた記事だ。


興味ある方は、


「画一的な報道姿勢」「美談記事のつくりかた」等々に
触れているので一読を。



烏賀陽さんの指摘している負の側面をもっと掘り下げると、


もしかしたら記者クラブ制度や日本のメディアの報道姿勢の


よりディープな負の部分にたどり着くかもしれない。


たまたまぼくは今、
江藤淳の『閉ざされた言語空間』を読んでいる。


副題が「占領軍の検閲と戦後日本」である。


まだ読み出しだから無責任なことはいえないが、


終戦後の米軍占領下に米軍によっておこなわれた
メディアなどの検閲に触れている。


どうも、日本のメディアの歪みは、そのときにはじまり、


それが今日まで続いているのではないか、という声があり、


それを知りたくて手にしたのだ。この件は別の機会に触れたい。


ところで烏賀陽さんだが、ぼくはまったく知らない人だけど、


ググッたら、ある損害賠償訴訟で「5000万円」を請求されていた。


訴訟を起こしたのは、音楽ヒットチャートのあのオリコンだった。


これは、オリコンの言論封殺のための恫喝とも言える訴訟だ。


結果は烏賀陽さんの勝利。


烏賀陽さんがある記事の中で
オリコンにとって「耳の痛いコメント」を発しており、


それに対しての損害賠償訴訟というわけだ。


本来なら出版社も訴えるべきなのだが、


あろうことか、フリーのライター1人の個人だけに絞って
巨額の5000万円を請求したというわけだ。


で、名前は知らなかったけど、
その訴訟のことは知っていた。その当事者だった。



誠実で良い仕事をしている書き手だ。









2011年5月20日(金)


六本木ヒルズの集客成功術「タウンマネジメント」を発案し、岡本太郎ブームを演出する国内トップ級イベント仕掛け(企画)の実力派異才!


六本木ヒルズの

集客成功術「タウンマネジメント」を発案し、

岡本太郎ブームを演出する国内トップ級

イベント仕掛け(企画)の実力派異才!



2011年5月13日(金)


六本木ヒルズ




今日13日の日経MJに
六本木ヒルズの「集客術」についての記事が出ている。


森ビルの旗艦である複合商業施設「六本木ヒルズ」の
集客術「タウンマネジメント」が、


街の魅力を高める一つの手法としてほぼ形をなし、


十分なまでにハンドリングが可能なところとなったのだろう、


その手法をグループの他の施設にも活かしたい、


という記事の内容である。


都心の商業施設同士の競争は熾烈で、


確かな集客術の有無が、
その施設の帰趨を決定ずける
といっても過言ではない。



つまり商業施設を保有する企業や関係者にとって、
「集客術」は最も腐心するところと言える。



その施設に独自の集客の手立てがなければ、


繁華街という好立地に位置する施設であっても、
たちどころに客(消費者)がはなれていく。


そうした中で、確かな客足を確保している
六本木ヒルズの集客術は大いに気になる。





六本木ヒルズの集客術には三つのポイントがある。





詳しくはMJを読んで頂くとして、
ここではそのポイントと、


記事には出ていないぼくの知る知識と共に、
少しだけ以下でふれてみる。


ポイントの一つは情報発信。


六本木ヒルズという施設自体を
情報発信のメディアとしてとらえる「街のメディア化」だ。



「コラボレーションパートナー」と称しているが、
要するに有名企業13社と広告や販促で提携し、


それらの企業による
情報発信(広告・宣伝の場の提供)を行っている。


もちろん、そこからの収益もあがり、
それがヒルズの販促費に転化される。


選ばれた13社はヒルズのブランド戦略に
図らずも貢献しているわけだが、


それはヒルズとパートーナー企業の
お互いにとってのメリット。



二つ目は六本木ヒルズの施設で働く
全ての企業やテナントも含めた従業員への、
ブランド意識を高めるための研修だ。



ヒルズのあるべき姿や方向性を警備員や清掃員までをも含め、
情報共有のために研修を実施している。


東京ディズニーランドのスタッフが徹底して役割を演じるような
“仕事観”にもふさわしい研修といえばわかってもらえると思う。
(これが施設運営の、一番のポイントでは)



三つ目は六本木ヒルズの住民はもとより、
ビル内の勤務者やテナントの従業員を含めての一体となった交流だ。



自治体を組織してイベントを定期的に開催、
地域住民や来館者にも好評で、


月に一度の清掃活動なども含め、
次々と交流イベントが展開されている。
(これは出来そうで、なかなかできない)



という具合で、
この記事を読んで「それ、聞いてるぞ」とぼくは思った。





要は、この「タウンマネジメント」の手法を考え出した人物がいる。
記事ではそこまで触れていないが――。






ところで、今年生誕100周年で話題を集めているのが岡本太郎だ。


イベントが目白押しで、
メディアも好んでとりあげ大きな注目を集めている。


仕掛けているのは、岡本太郎記念館の館長平野暁臣。


平野は、岡本太郎の事実上の夫人でもあった
岡本の秘書岡本敏子(戸籍上は養女)の甥である。


敏子の衣鉢を継いで話題をさらったのが、
渋谷駅にある岡本太郎の巨大な壁画「明日の神話」の再生プロジェクト。


以後の平野の活躍はいうまでもないだろう。


そして六本木ヒルズの「タウンマネジメント」の
手法を編み出したのが、


他ならぬこの平野である。


現在の形の全てとはいわないが、


少なくともコンセプトやその展開手法、
また仕掛けの方法までも含めて、


その全体像と言える骨子は彼が形づくったものだろう。



平野はイベントのプロデューサーとしても国内屈指の人物。


もちろん業界では有名だし、
業界団体のトップとしても業界を牽引してきた。


平野の素晴らしさは
プロデューサーとしての現場スタッフのハンドリングにある。


平野クラスになると、請け負うイベントの仕事も
一流の上に“超”の字が付く仕事が
多く(たとえば国外での日本博なども)、


あらゆる分野の名だたる専門スタッフが彼の下に付く。


そしてそのスタッフのディレクタークラスは、
ともすると各分野分野で、それなりの名のある人が少なくない。


たとえば音楽なら音楽で一家を成している人物とかで、
ともすると平野以上に売れていたりする。


そうした優秀なスタッフを確実にハンドリングする能力が
求められるわけだが、


そこでコンセプトやテーマで軸がぶれることなく
スタッフをハンドリングできるかどうかが問われる。


そういう点で平野は傑出している。


六本木ヒルズの集客術は平野の、
まさにその面目躍如たる事例といえよう。



2003年の六本木ヒルズの誕生から8年、
平野はヒルズのオープンイベントからプロデュースしている。


今は離れているだろうが、何らかの形で関わってはいるはず。


ヒルズのスタッフが平野に倣(なら)い、
見様見真似からはじまり、


どうにか内部でノウハウを蓄積するまで
8年を要したということになる。


それは見方を変えると、
ヒルズでさえも8年を要したということだ。
あるいはヒルズだから8年も要したとも――。


平野には直接、


森ビルのトップが
一本の電話を掛けたところから関係がはじまっている。


もっとも、イベント業界の代表であっても実力の伴わない
プロデューサーは存在する。


でも、平野は違う。


彼は文字通りの実力派プロデューサーであり、
結果として、そういう立場になっただけのこと。


平野がイベントプロデュースの分野で異能を発揮しているのは、
彼の著作を手にすればおのずと分かる。


世の中には掃いて捨てるほど何とかプロデューサーがいるけど、
プロデュースの本質(平野の場合はイベントプロデュースだが)を、


空間メディアやイベントの実務という面でも、
またビジネスの本質という面までも、


理論も含めて微に入り細を穿(うが)つところまで語れる人物は、


ぼくは広告やイベントも含め
クリエイィテイブな仕事を通して数多く見てきたが、


なかなかいるものではない。
特にイベント分野の理論となると限られた人しかいない。


ちなみに、平野の父は岡本太郎と一緒に
70年の大阪万博で重要な仕事をなしている。


平野父子は今日の日本のイベント隆盛にとって
大きな貢献を果たしている。


六本木ヒルズだから、
あるいはそのトップのメガネに適ったからというのではなく、


むしろ平野を選び出した
森ビルトップの慧眼こそ讃えられるべきかもしれない。






2011年5月13日(金)


自粛? 浜松から届いた、大きな音楽イベントの変更

2011年5月10日(火)

「ハママツ・ジャズ・ウィーク」の事務局から、今年から開催時期が移行する旨を報せる葉書がとどく。今年で20回目になる。毎年5月(以前は6月だった)に開催されていたが、これが10月に移るというのだ。
(前に、駅前の大型ホールで開かれるこのジャズ音楽・イベントのメインとなる「ジャズ・フェスティバル」を聴いている。二度。東京からの交通費はもちろん、そのまま帰ってくるのも味がないのでホテルもとり、飲食代も含めると、一つのイベント参加費としては結構な散財)

「開催時期変更のお知らせ」とあるからこれも、震災による自粛によるものかと思ったが、「自粛」云々には全く触れていない(浜松では400年続いた毎年連休に開催される「凧揚げ合戦」で知られる「浜松まつり」が中止に)。

そうかといって、単なる移行とも違うだろう事はとうぜんこの時期だから考えられる。ただし、浜松市は今年市政施行100周年とのことで、もろもろ考えて秋に移行されたのかもしれない。(ここにきて静岡県は、浜岡原発問題が急浮上しているから、さらに色々あるだろうけど)

「ハママツ」と言えば楽器の街であり、音楽の街だ。市としては、「楽器」から「音楽」の街へのイメージ移行を目論んでおり、一年を通してさまざまな音楽イベントを仕掛け、3年に一度の「国際ピアノコンクール」(質・規模も素晴らしい)などの大型音楽イベントも開催している。

ジャズをテーマに掲げたこの一大音楽イベントはさすがに「浜松らしさ」、「浜松ならでは」を思わせる内容であり、出来である。全国にもジャズをテーマのイベントは多々あるが、その規模、内容……、それに聴衆まで含め、いずれをとっても浜松に敵うものはないのではないか。

なにしろメインイベントは、ヤマハが主体になってはじめたイベントだ。それもヤマハのトップ(あのヤマハのカリスマ経営者・川上源一)による掛け声によって。そしてお金を積んでも、この(ジャズ・ベースの音楽)イベントの真似(企画)ができないのは、そもそもこのイベントを育てたプロデューサーにある。

数年前から有名なジャズ評論家がこの2代目プロデューサーとして就任しているが、初代はお医者さんだった。素人だ。だが、素人とは単なる肩書きから言えることで、このお医者さんの異名は「ドクター・ジャス」として知られる。おそらく日本人の著名なジャズアーティストで、このお医者さんの恩恵を受けていない人はいないのではないか。この人の声がかりでデビューした著名なアーティストも少なくない。それほど日本のジャズ界に貢献した人物だ。

で、後になって、市がヤマハに協賛の形で加わり、さらに規模が拡大した経緯がある。とにかく、毎年企画が変わる。それがまた素晴らしい。出来そうで出来ない企画だ。ぼくは決してジャズフリークではないのだが、この企画性によって、この音楽イベントに魅せられている。

もともとヤマハは音楽に強いと言っても、それはクラシックが主だった。ジャズは弱かった。このイベントで、ジャズベースのスタッフもそろい、いまや最強のスタッフを揃えるまでになっている。今年の企画内容は移行で白紙になった、どういう企画になるかわからないが、ぼくの感覚にあえばまた駆けつけることになる。

NHKの「巨大津波スペシャル」を見た

2011年5月7日(土)

先ほどまでNHKのスペシャル番組「巨大津波 “いのち”をどう守るのか」を見ていた。

途中からだったが、今回罹災した釜石市や仙台空港近くの名取市閖上(ゆりあげ)地区などで、まさに「九死に一生」を得た人たちによる津波来襲時の生々しい証言もあれば、その一方で専門家による今回の巨大な津波の全貌(そのメカニズム)にも触れていた。

凄まじい津波襲来時のリアルタイムの映像が映し出され、津波が押しよせるその映像の中で、津波に呑み込まれながら、たまたま点となってかすかに蠢いていた人たちが登場したのだ。

語られたのは生か死かの瀬戸際に立たされ、生還した人々の生々しい状況であり、なんとも壮絶な経験の内容だった。

番組を見ながらぼくの胸は、熱いものに衝きあげられていた。
ぼくは東京住まいだが、田舎は今回やはり津波を罹災した宮城県南部の亘理(わたり)町
だから田舎の被災の姿とも重なって余計に胸中を色々な思いが駆けめぐった。(こちらは罹災前

特に釜石の港湾近くの自宅の屋上で、老母とともに濁流に呑み込まれて助かった娘さんの話には参った。

三階に当たる高さの屋上に避難したが、津波は完全に屋上を襲い呑み込んだ。
首まで津波の濁流の中にあり、そこから生還している。

まさしく「たまたま生きた」「たまたま生かされた」と言える。
その時の様子を語る娘さんの話(映像も映し出されている)には、ジーンときた。

あと数日で震災から2か月になるが、釜石を襲った津波と、仙台平野の名取を襲った津波は違うモノだった。
前者は30分ほどで大きく高い波が、後者は一時間かかり前者の波とは異なる波が仙台湾でぶつかり、内陸にまで届く波になったとのこと(後者は内陸6キロまで達した)。

まだまだ検証や分析を必要とするのだろうが、どうして大きな高い津波になったのかは、
プレートの端と端とが下向きに重なり合う溝のようなところに積み重なった、海底の厚さ数キロという地盤が要因ではないかとのこと。歳月によって生じた土の塊であり、層だ。

その土の塊の層が跳ね上げられるのだ。

それは片側のプレートが、地震により一旦下に向かって引きづられ、やがて反発して跳ね上がる時、同時にこの層が跳ね上げられ、それがより高い波を引き起こしたとのことらしい。

そうでないと単にプレートのひずみの跳ね返りだけでは、三陸のあれだけ大きな高波は起こらないとのことだ。

「たまたま生きた」と語る登場した被災者だが、大地震が起きたら、「とにかく逃げる」。津波からまぬがれるには「それしかない」というメッセージに全てが集約される。

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