2011年3月29日(火)
もしぼくに小さな孫がいたらためらうことなく、西へ移動させたに違いない。
昨夜、ネット上で見た、この26日に行われた広瀬隆の講演を見終わっての感想だ。1時間50分に及ぶ福島原発1号機の事故にかかわる話しだったが、それでも話しをはしょっての講演だった。話す広瀬もそうだが、見ているこちらも時間が足りないと感じた。
避難することの、事の是非を云々する以前に移動しなければならない。そう思わずにはいられない内容だった。そして、西にじっさいに移動している人たちのことを責められないとも思った。家族や自らの命を守るにはそれしか策がない。またそれ以上の選択はない(あるいは海外へ)。今日明日の身体的な疾病への影響ではなく、遺伝子障碍にはじまる5年先、10年先、20年先のガン疾病等から逃れるには、移動するしかない。
一部に広瀬の口調が断定的だなどとの批判もあるが、ライターを生業にしているぼくには、「事実」と「意見」や「主張」の違いは分かる。その事実に触れた箇所だけを指摘した広瀬の話を聞いていて、よしんば広瀬の話しが誇張であっても、命にかかわる内容なら、その誇張をぼくは信じたいし、信じても間違いはないと思う。
ネットがあるから海外メディアの情報も入ってくるので、海外メディアが当たり前に事実として伝えているのに、国内ではほんとで伝わっていない(伝えていない)情報がたくさんある。広瀬の話しはそうした事例にも触れていた。
少し話しが逸れるけど、たとえばぼくの田舎は宮城県南部の福島県の浜通りとの境の町で、今回の津波の被害で数百名の死者を出し町は遺体処理に頭を痛めている(行方不明をいれるとおそらく倍以上の死者の数になるだろう)。
(実はもっと早く、書き手を生業にしているから、震災の件で縷々触れようかと思ったが、書いていて田舎の生々しい惨状が余りにも胸に迫り、筆を置いてしまった)
広瀬の話しはそうした事実にも踏み込んでいた。福島原発の事実上の設計・製作者である元アメリカGE社の社員だった老人が「あれはそもそも欠陥原発で、(予想されたことで)こうなるともう手に負えない」という(ここはそういう意味のことを話していたということ)、涙ながらの米国のテレビでの映像などを織り交ぜての講演である。
テレビをあまり見ない(それでも報道番組に御用学者が出てきて、安全だという根拠のない説明には呆れているが)素人のぼくが広瀬の話しで一番に納得したのは、先週報じられた乳牛からの放射能に関する事実の指摘だった。身近というか、余りにも分かりやすかったからだ。
知ってのとおり乳牛のミルクが汚染されている、という情報だったが、学者の先生は「それは牧草を食べたからで」と言って、その後数日で、例によって根拠のない安全宣言がなされている。
でも生産者に言わせると、その牛が食べた(また食べている)牧草は去年のものでサイロにあった牧草だという。サイロの中の去年の牧草を食べてどうして、乳牛から放射能の汚染物質が出てくるのか、出るはずがない。つまりは牛が飲んだ水(大量に飲むらしい)と空気からの影響にほかならない、と広瀬は指摘している。そして当然、そこから食物連鎖の話しにも及んだ。地上のみならず、海上汚染も深刻で、今後太平洋の近海ものの魚は口には出来ないのではないか。
その他、政府や東電などの発表する数字のまやかしや、御用学者ばかりのテレビメディア等々でのいい加減な発言に対する、指摘などもあった。
また、テレビや新聞に登場する原子炉建屋などの簡単な模式図があるが、広瀬は模式図ではなくじっさいの圧力容器の下の部分の写真なども示している。隠し撮りの写真とのことだ。
模式図では単純に円くて上部が長い格納容器の中に制御棒や燃料棒がはいった圧力容器が示されているが、あの格納容器の下部はおびただしい数のハリネズミのような枝というかトゲというか、そういう形状のモノかが伸び出ていて、それを見ただけでも、原子炉というものが非常に複雑なシステムで出来あがっている微妙な代物であることが素人ながらにも分かる。
とまれ、海外メディアと較べることが出来る今、いや、偏向しつつもいまだに圧倒的なマスメディアの情報攻勢は、事実をぼくらには伝えてはいない。それをまたまた納得させられる広瀬隆の講演だった。
もしぼくに小さな孫がいたらためらうことなく、西へ移動させたに違いない。
昨夜、ネット上で見た、この26日に行われた広瀬隆の講演を見終わっての感想だ。1時間50分に及ぶ福島原発1号機の事故にかかわる話しだったが、それでも話しをはしょっての講演だった。話す広瀬もそうだが、見ているこちらも時間が足りないと感じた。
避難することの、事の是非を云々する以前に移動しなければならない。そう思わずにはいられない内容だった。そして、西にじっさいに移動している人たちのことを責められないとも思った。家族や自らの命を守るにはそれしか策がない。またそれ以上の選択はない(あるいは海外へ)。今日明日の身体的な疾病への影響ではなく、遺伝子障碍にはじまる5年先、10年先、20年先のガン疾病等から逃れるには、移動するしかない。
一部に広瀬の口調が断定的だなどとの批判もあるが、ライターを生業にしているぼくには、「事実」と「意見」や「主張」の違いは分かる。その事実に触れた箇所だけを指摘した広瀬の話を聞いていて、よしんば広瀬の話しが誇張であっても、命にかかわる内容なら、その誇張をぼくは信じたいし、信じても間違いはないと思う。
ネットがあるから海外メディアの情報も入ってくるので、海外メディアが当たり前に事実として伝えているのに、国内ではほんとで伝わっていない(伝えていない)情報がたくさんある。広瀬の話しはそうした事例にも触れていた。
少し話しが逸れるけど、たとえばぼくの田舎は宮城県南部の福島県の浜通りとの境の町で、今回の津波の被害で数百名の死者を出し町は遺体処理に頭を痛めている(行方不明をいれるとおそらく倍以上の死者の数になるだろう)。
(実はもっと早く、書き手を生業にしているから、震災の件で縷々触れようかと思ったが、書いていて田舎の生々しい惨状が余りにも胸に迫り、筆を置いてしまった)
で、その遺体のことだが、棺にはいった遺体をこれから土葬にして弔う遺族のシーンや、屋内に並んだ真っ白な棺の列のなかで遺族が頭を垂れている写真などは報道されたが、体育館に横たえられて並んだ、被災場所から運び込まれて毛布などにくるまれて頭だけ出している数多くの遺体のなかで、一体一体の遺体の顔を覗き込むようにして、遺族が自分の行方不明の家族をさがしているシーンの写真をニューヨークタイムズが報じていた。中には、津波で破壊され尽くした家の中で亡くなっている老人の姿の写真もあった。
実に生々しいむごい写真だが、これこそが今回の大震災の「事実」であると、その写真を見ながら思った。そしてその写真がもっとも今回の震災の事実を物語っており、伝えてもいると思った。きれいごとではない。この事実を伝えない報道は報道ではない。
広瀬の話しはそうした事実にも踏み込んでいた。福島原発の事実上の設計・製作者である元アメリカGE社の社員だった老人が「あれはそもそも欠陥原発で、(予想されたことで)こうなるともう手に負えない」という(ここはそういう意味のことを話していたということ)、涙ながらの米国のテレビでの映像などを織り交ぜての講演である。
テレビをあまり見ない(それでも報道番組に御用学者が出てきて、安全だという根拠のない説明には呆れているが)素人のぼくが広瀬の話しで一番に納得したのは、先週報じられた乳牛からの放射能に関する事実の指摘だった。身近というか、余りにも分かりやすかったからだ。
知ってのとおり乳牛のミルクが汚染されている、という情報だったが、学者の先生は「それは牧草を食べたからで」と言って、その後数日で、例によって根拠のない安全宣言がなされている。
でも生産者に言わせると、その牛が食べた(また食べている)牧草は去年のものでサイロにあった牧草だという。サイロの中の去年の牧草を食べてどうして、乳牛から放射能の汚染物質が出てくるのか、出るはずがない。つまりは牛が飲んだ水(大量に飲むらしい)と空気からの影響にほかならない、と広瀬は指摘している。そして当然、そこから食物連鎖の話しにも及んだ。地上のみならず、海上汚染も深刻で、今後太平洋の近海ものの魚は口には出来ないのではないか。
その他、政府や東電などの発表する数字のまやかしや、御用学者ばかりのテレビメディア等々でのいい加減な発言に対する、指摘などもあった。
また、テレビや新聞に登場する原子炉建屋などの簡単な模式図があるが、広瀬は模式図ではなくじっさいの圧力容器の下の部分の写真なども示している。隠し撮りの写真とのことだ。
模式図では単純に円くて上部が長い格納容器の中に制御棒や燃料棒がはいった圧力容器が示されているが、あの格納容器の下部はおびただしい数のハリネズミのような枝というかトゲというか、そういう形状のモノかが伸び出ていて、それを見ただけでも、原子炉というものが非常に複雑なシステムで出来あがっている微妙な代物であることが素人ながらにも分かる。
とまれ、海外メディアと較べることが出来る今、いや、偏向しつつもいまだに圧倒的なマスメディアの情報攻勢は、事実をぼくらには伝えてはいない。それをまたまた納得させられる広瀬隆の講演だった。