意表衝く運営で「行列のできる教室」に!
人集めのブレーク・スルー
どんな分野であれ、人を集めたり行列をつくったりしていると聞けば、誰もが関心を示すのは世の常。それが通常のビジネスと縁遠い世界だとなれば、ぼくなどはなおさら興味を覚える。当事者でない分だけ却って冷静に物事が見えるから、ならばそれをビジネスや自分の分野に応用すれば、どういうことになるか、などと頭を回転させてしまう。
音楽教室を開いている知人がいて、彼女が自分のホームページで言っていた。このご時世に生徒が100人もいて、しかも入会を待っている生徒の行列ができている音楽教室がある、と。
そうした音楽教室は自宅レッスンレベルの教室とのことだが、それにしても「どうしてそこまで人気があるのか」と知人は一驚しつつ、具体的に3つの事例に触れていた。
音楽教室といえば、その基本は「教育」であり、本来ならより“高み”を目指して学ぶことが通常の考え方で、ビジネスには馴染まない。
というのは建前で、今や大学すら教育ビジネスと化しているが、そこまで触れると話しがややこしくなってくるので、とりあえず先鋭的な教育ビジネスとして思い浮かぶのはもっと一般的な予備校であり英会話教室などとしておこう。
そして予備校であれ英会話教室であれ、なんどもいうがそこでは学ぶことが第一義で、より高いレベルに挑んで学習することになる。音楽教室もこれと同じで、たとえばピアノが引けるようになりたい、ピアノがうまくなりたい、将来音大に進みたい、音楽で身を立てたい等々、そこにある志向は趣味であれ、何であれ、より高いレベルの音楽に通じることにある。
で、その高みに通じるということを否定したらどういうことになるのか。あっさりと結論を先に述べてしまうが、否定したら(子どもたち向けの)音楽教室の生徒があつまった、というのである。
知人によればその3つは次のようなスタイルの教室だという。
一つ目は生徒が手ぶらできて、手ぶらで帰れる教室とのことで、次のレッスンまでの宿題もない。ピアノの教本も五線帳も持参しなくてよく、生徒の教本、教材はすべて教室であずかり、生徒の自宅にピアノなどの楽器がなくてもかまわないというスタイル。
要するに一曲引けるようになるまで半年掛かってもそういうことは気にせず、宿題の負担もなく気軽に音楽教室に通えるということで、生徒に人気の教室とのことだ。
二つ目は音楽教室であっても実態は「学童保育」のようなスタイル。音楽もおしえるが、他の教科の宿題も教え、親が仕事帰りに向かえにくるまで、ずっといていいという教室。親にしてみれば、ピアノを教わり、そのまま教室にいて学習塾も兼ねていて安心だから、入会希望者がまさに順番待ちの状態だという。
三つ目。これは従来のピアノ教室とは違って学校の音楽の授業のための教室らしい。ピアノも教えるが、ハーモニカやリコーダー(縦笛)などを持参すると、それらが吹けるように教えてくれて、音楽の教科書やペーパーテストなどについても解説してくれ、模擬テストなどもしてくれるとのこと。
つまり音楽の「授業対策版」の教室と知人は言っている。子どもたちに音楽を習ううえで実感として「これができたらと、達成感を感じるのは何か?」と問えば、絞り込まれて子どもたちの誰にも通じる共通項としてこのような対策版が出てくるのではないだろうか、とのこと。
不思議なのは、それだけ人気があるにもかかわらず、こうした教室に追随する教室が次々出てきていないということ。
知人はこの音楽教室のことを知ったとき、プロモーションとしては想像し得るが、まさか現実に実践されているとは、と大変驚いたと言っている。そして要約するが、教育の徹底化ではなく、教育の「お手軽レベル」の徹底化であり、子どもたちを顧客第一主義に照らして徹底すれば、そういうことになるのだろう、とも。
知人は、これらの音楽教室についての現象をかなり掘り下げた知見を示して分析しているが、それを紹介するのがここでの目的ではないので知人についてはこれぐらいで措く。
とまれ、マーケティング手法をとりいれるまでもなくこれらの音楽教室のポジションは明白だが、おそらく音楽教室の先生たちが追随しないのは、かりそめにも、音楽教室は「教育」との矜持があるからだろう。ビジネス次元では割り切れない。割り切れないから知人が驚くのだし、行列ができているということだろう。
それに、ビジネス次元では割り切れないと言ったが、ビジネス次元ではなく経済的にも割り切れない現実がある。たとえば二番目の学童保育のスタイルだと実際にはそれなりのスペースがなければ運営が難しいから即経済的な問題に直結するし、他の教科も教えるとなると、果たして音楽の先生だけで間に合うのかどうかなど……、いろいろと現実の問題が浮上してくる。
また、そういうスタイルは一時的な人気かもしれない。やはり高みを目指した教え方なり指導なりがいいとなったら、一度ついたゆるい学びのスタイルの看板はなかなか外れない。門外漢のぼくにはこれぐらいしかネガティブなイメージは浮かばないが、おそらく現場にはもっと様々な問題もあるはずだ。となると、おいそれとは追随できない。
ただしこの行列のできる音楽教室の現象をビジネス的視点でとらえれば、浮上する問題はある程度クリアできるだろうから、ビジネス上の採算は合うはずだとはじき出せるのではないだろうか、などと考えるひともいるのでは。
知人には申し訳ないが、ぼくなどはそのビジネス的視点でこの音楽教室のあり方を考えてしまった口だ。ゼロベースで思考すれば、まだまだビジネス的には成功はありうる世界のようだ。
行列のできる音楽教室になったのには、おそらく現場での何らかの事情やプロセスがあってのことで、最初からそのようなスタイルの音楽教室でスタートしたのではなかったのではないかと思える。
とまれ、現場での実際はどうだったのかは知らないけど、ビジネス的思考でみれば、この行列のできる音楽教室にはビジネスとしてのテーマがそこには存在している。高みの音楽教室ではなく、これまで相手にしなかった生徒たちを対象とした、いわば「だれでも音楽教室」というテーマでの敷居を低くしてしまったところに。
さらにはあらゆるビジネスに言えるが、「既存の枠組みを脱した発想」というか、出来そうで出来ない難しいブレークスルーがそこには存在する。まさにゼロベース、常識の発想をくつがえしている。高みを目指すのが当たり前であり、ピアノや鍵盤楽器のない家の子にピアノを教えるなど、まず発想できるものではない。
ぼくに小金があったら、早速この話しでビジネスを考えてみるが、それはともかく、ビジネスには馴染まない教育の場ですら、ある種の解体現象が起きているということだ。ビジネス志向、ベンチャー志向ということなら、それなりにこの話から得られるヒントは小さくはない。
2010年11月29日(月)