玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

October 2010

自分専用のオリジナル資料本と、赤ペン棒線 それにデジタル本

201年10月28日(木)

クセと言ってしまえばそれまでだが、ぼくは本を読みながらペンを片手に滅茶苦茶線を引く。

小説なら気の利いた表現やこれはと思う情報に値するか所などに。また仕事関係の本ならほとんど引きまくりというぐらいに線を引く。僕だけが分かる個人用の記号やマーク、簡単な書き込みもする。

特に後者の場合は徹底して線を引いたり重要な言葉を囲んだりしてページ全体がそれこそ赤や緑や青、それにマーカのオレンジ色で染まってしまう。

そうすることではじめて、理解したような、わかったような気になる。

まあ、それで自分の本になったと言えば格好いいが、ともかく安心して読みすすめて納得できる。
そしてこの線引きの一番のポイントは、次に手にしたときの便利さにある。瞬時に要点を理解できる一冊の本になっているからだ。

「電子書籍元年」が叫ばれ、何かと書籍の電子化が喧伝されているが、毎日新聞が読者調査でどうでもいい電子書籍についての調査結果をおこなっている。読んだかどうか、読みたいかどうかなど、回答はほとんどどうでもいいような内容だ。(それはそれで分かるけれども、今の僕には)

それはともかく、書籍の電子版の不朽はまだイマイチだし、ぼく自身まだ書籍の電子版には触ったこともない。単に読むためだけの文字ならいいが、場所を問わずどこでも気軽に読めたり(紙でも出来るけど、何万冊というとまず不可能だから、やはり持ち運びの便かな)、書店で買う必要がないということぐらいかな、メリットは(そのうち色々出てくるのだろう)。

でも仕事でとなると、ぼくは困る。往生することになるかもしれない。電子版しかなかったら、仕事で使う本に線が引けない。書き込めない。それではとても困る。資料として原稿仕事に使えない。赤ペンやマーカーで線が引いてあったり、ポイントとなる言葉をチェックしてあるからこそ、資料として原稿に使える。

電子書籍でも付箋を貼り付けたり、大事なカ所になんらかのマークをつけることが出来る機能があるのかどうかはわからないが、出来るとしても、ペンで線を引くのとマークを付けたり、書き込んだりするのとでは、速さも利便性も全然ことなるのではないか。おそらく「血肉化」という意味で違いが出てこよう。やはりペンを握って線を引く方に軍配があがるのではないか。

ちなみにぼくはネット上の長文を読むとき、あるいは資料に使える文章などが見つかった場合、ワードにコピーして、それをプリントアウトして目を通す。手間がかかるけど、この方法が理解や把握が進み、結局は効率的なのだ。

プリントアウトといえば、仕事で原稿をPCで仕上げ、画面で読むことは読むが、原稿チェックはすべてプリントアウトした上で行う。

画像では見逃してしまう誤りや、ふさわしくない表現や説明不足などが紙でチェックすることではっきりとわかるのだ(おそらく、ほとんどのライターはそうしているだろう)。それに横書きと縦書きでは読点などの位置が違ってくる。

それからこれは愚かといってしまえばそれまでだが、電子版の書籍をプリントアウトすることは可能なのだろう、おそらく。でも、マジで仕事につかう資料となったら、そうするより他ないのではないかと思う。

滅多にないことだが、数日前、一冊の新書をまるまるコピーした。

いくら探してもその本が手にはいらず、市の図書館にも置いてない。ようやく近隣の市の図書館にあることを見つけたが、貸し出し中でひと月近く手にすることができなかった。ある分野の理解を進める上で重要な本なので、コピーしたのだが、図書館の本に線を引くわけにはいかないからそうした。

ともあれ、電子化の利便性はわかるけど、読み飛ばすだけならともかく、資料としての自分だけの本をつくりあげることができるのかどうか、これってぼくには重要だ。

ネット 報道の「素材」 偏向報道

2010年10月26日(火)

ぼくの場合、仕事柄アマゾンでの書籍のチェックはもう欠かせなくなっている。知らない小説家や仕事絡みのビジネス本のチェックはまずアマゾンでのレビューに頼る。書評や広告で、読んでみたい、この本はチェックだと思ったら、まずアマゾンを当たる。で、読むかどうか、買うかどうかを決める。載ってない場合もあるが、滅多にない。だから関連本を探すときの情報もアマゾンに頼る。

ぼくの事例はともかく、いまや、購買や消費行動のネット依存はあらゆる商品におよんでいて、家電であれ、旅行であれ、レストランや食事処であれ、すべてがネットを通じての評判に負って行動する状況にある。

昨夜のWBS(テレビ東京)を見ていたら、このネット上の評判というかレビューがほとんど「口こみ」と同じ意味で使われていた。ぼくの認識不足かもしれないが、今やネット上のレビューや評判は「口こみ」と同義であるらしい。

番組は銀座で通行人に直接アンケートを行っていて、旅行に行くときの宿を決める場合、「何を最も信頼しますか」「何を頼りにしますか」というような質問で、選択肢が5つぐらいならんでいた。選択肢には広告、専門情報誌などと並んで、ブログとセットで「口こみ」があった。専門情報誌を抜いて一番を獲得したのは「ブログ・口こみ」だった。

購入や消費のための情報としてはネットのレビューが最も信頼がおけるということで、今はその評価はすっかり定まったといえる。嘘のレビューでない限り、検索したひとやアクセスしたひとはそれを信じる。口こみと同等、いや「口こみ」そのものだからだ。(たとえ嘘の情報でも、複数のレビューが並んでいれば、それなりの判断はつく)

「口こみ」が消費や購買に影響を与えていたのはネットの登場以前からだった。以前であれ、以後であれ、個々人に与える強い影響という点から言えばその優位性は変わらないだろう。

ネット以前はネット以後のように気軽に買いたいモノを尋ねたり調べたりというわけにはいかなかったし、ましてや個々の商品の価格まで比較され、それを知ることができるとなれば、これはもう他の情報媒体はとても敵わない。ネットとはいうものの、「口こみ」として受け入れられていることが現実となってしまった以上、この仕組みというか構造というか、強みはいや増すばかりだろう。

そしてネットでの商品レビューが当たり前で出来るようになって、消費の行動はすっかり変質した。
商品ばかりではない。ニュースや報道についても同じ事が言える。今や新聞やテレビも、その地位というか存在というか、ネットに脅かされて、危機感は日増しに強まるばかりだ。それは新聞やテレビを用いた広告やCM、つまり宣伝の世界も同じだ。

なにしろ新聞やテレビ報道のもととなるニュースや情報の「素材」がそのままネットを通じて見たり触れたり出来るのだから、素材を編集して伝えている新聞やテレビのニュース報道が、正しいのかそうでないのか、あるいは何を伝えて、何を伝えていないのかが、あらわになってしまっている。

もっとも、商品購買のレベルと違って、政治や外交やその他複雑な社会的な問題などは、ネット上に素材や話題が提供されていても、いささか専門的な内容だったり、またあまりにもその情報空間の拡がりが広大なためか、やすやすと読んだり、読めたりしないので、そうした問題に触れているひとは量や数の上から言ったらすくないのかもしれない。が、それでも「素材」に直接触れるという隠しようのないことが現実となって起きている以上(ネットを介してではあっても)、その力は新聞もテレビも次第次第にあらがえないものになってきている。

いや、きているというより、その影響をもろに大きな恐怖として受けとめてるので、反撃のためだろうか、偏向報道がまかり通るようになった。あるいは偏向報道はこれまでもあったが、偏向報道を偏向報道と判断するだけの「素材」がなかったため、偏向報道にながされていたということか。

報道のすべての「素材」が提供されているわけではないものの、いまや報道やニュースが正しいのかそうでないのかの判断は、そのつもりになれば、ネットで調べることも可能になった。本人の意志とちょっとした努力があれば……。

新聞の購読をやめた、あるいは広告が効かなくなった、消費者が変わった等々、ネットはあらゆる面に多大な影響を及ぼしている。

はじめにもどると、口こみによる消費は、はっきりしている。諸刃の剣である。勧められれば買うが、否定されれば買わない。つまり売り手の方は口こみでものが驚くほど売れるようになるが、反面、否定がともなえば、がたりとものが売れなくなる。

新聞やテレビの偏向報道はともかく、このところ、広告の面でいろいろと学んでいることもあり、また知人の出版社が一気に電子化で動いている関係で、そっちのほうの話題や情報に触れる機会が増えて、あれこれネットを中心にした動きに敏感になっている。まあ、そういう時代に生きているということだ……。

仙台の100周年書店と、吉祥寺の大形書店オープン

2010年10月25日(月)

金港堂が創業100周年。ローカルな話題だけど、仙台の本屋さんです。河北新報の電子版を見ていたら出ていた。

懐かしい。仙台の繁華街一番町にある本店。高校生の頃だから、うん十年前の頃はよく通った。決して大きな本屋さんではなかったけれど。

この「金港」という名称の由来は横浜にある。「金のなる港」として明治の頃だが、もてはやされた名称らしい。

だからこの書店も横浜が創業地。東京に本店が移り、仙台に支店ができた。その支店が業績不振で店を閉じ、当時の営業部長が暖簾をもらって独立。現在の金港堂の創業だ。

ふーん、そうなんだ。でも100周年といえばたしかに凄いけど、考えてみれば、明治の終わりごろの創業と言うことだな。ぼくの伯母は寝たきりだけど100才を超えている。そうか、伯母さんが生まれた頃のことかと思うと、なんか身近に100年生きている人がいるからか、100周年も長いとは感じなくなってくる。ぼくの年齢のせいもあるのだろうけど、若い人はやはり100周年というと、おそろしく長く感じるものかもしれない。

ぼくは仙台に帰省すると、郷土出版を多く扱っているやはり仙台の書店宝文堂をよく覗くけど、金港堂も郷土出版に力を入れているらしい。大手書店との競合が激しいのだろうけど、そして感傷かもしれないけどやはりいつまでも残ってほしい。

地元出版社の活路はやはり郷土出版などにマーケティング的に絞り込んだ営業スタイルなどをとりいれていくしか活路はないのかもしれない。ご時世としては。

もうひとつ書店の話題。こっちは地元の吉祥寺。知らなかったけど、今月半ばに吉祥寺の伊勢丹跡にオープンした店舗にジュンクドウが入った。

これがエリア最大級の書店を謳っていて、面積が約1100坪(フロア二つを使用)、在庫冊数100万冊とのこと。今月になって何度も前を通ってたけど、単なるショッピングビルのオープンぐらいにしか思ってないから、全く知らなかった。

たまたま新聞に入っていた折りこみのオープン案内のグラフ風のカタログをめくっていたら、載っていた。最近、吉祥寺ですら本をさがしても置いてなくて新宿に行ったり(急ぐと、その日に手にしたいから)、ネットで購入したりと不便を感じていたのだ(ネットは便利だけど、本屋で手にとって本を買いたいぼくなんです)。でも、この冊数だと専門書もかなり揃っているはずで、そう不便はしないかも。出向いてみよう。

というように、ジュンクドウは超大型書店を全国展開中だが、今や書店の二極化は避けようがない。利用者はおのずと店舗在庫の多い大手の書店に足が向く。身勝手を承知で、かつ感傷で田舎の書店に残って欲しいと思いつつ、実際には大型書店を利用する。小さな書店が生きて行けたかつてとは時代が異なり、今はちいさな書店がとても生きにくい時代。

そういう中での100周年だったから目にとまったというわけだ。金港堂バンザイ!

展示会場の「すし詰め」と「閑散」――来場者の意外な心理 



展示会場の「すし詰め」と「閑散」――来場者

の意外な心理




「客はまず会場のにおいをかぐのだ。

だから、我々の仕事は、良いにおいを提供することだ」



言い得て妙。

この比喩表現は上手い。「におい」と、きたか〜。


いまや、ありとあらゆる業種業態の展示会があるので、

誰もが、ある時は客であり、

またあるときは立場を変えて客を迎えるブース側、

情報を発信する側でありブースの作り手側だ。



前回のブログに宣伝会議主催の展示会に触れたので、

今回は展示会についてのある調査にもとづく
ユニークな視点を紹介したい。

視点といっても、
それは展示会について語るコラムにあったもの。


大きな広告会社の調査をベースにしたコラムで
読み手の感心を誘う内容だった。

上記の比喩もそのコラムにあったもの。


客が会場に入った瞬間、一瞬にして、

まず膚感覚として会場の「におい」をかぐ、というのだ。

会場の雰囲気が盛り上がっているかどうか、

活気があるかどうか、と。



また関係者なら、会場が盛り上がっていなければ、

そう、閑散としていれば、会場内のあちこちで彼らはつぶやく。

「今年は客が入ってないねぇ」

「去年は盛況だったのにねぇ」

会場が閑散としていて「盛り上がっていない」展示会だという印象。


ならば関係者の間では、そういうイメージの展示会として

定着してしまうのではないか、と。


ところで上記の広告会社の調査によれば、

私たち日本人が展示会を訪れて個々のブースを覗く、

「ブースの滞在時間」の平均時間は「14.1分」とのこと。


14分が長いか短いかはともかく、

調査の説明によれば、

これは複数年のアンケート(03年〜05年)の値とのことで、

実時間計測の結果は調査値の約7割ぐらいだろうと推測している。


そしてこの場合の想定しているブースは
180平米以上の比較的大きなブースで、

また企業対企業のBtoB型か、

企業対個人消費者のBtoC型かでも違うだろうと言っている。

まあ、実測10分弱というところ、


そういう前提があってのことなのだが、

意外にも、

盛り上がりに欠けるという印象の会場全体のムードとは裏腹に、

個々のブースを訪れた人たちを対象にしたアンケート調査は

別の姿を見せている。


(前々回、前回の調査と較べて)

滞在時間が平均値より増えている。

ほかにも来場目的の達成度も増加していると答えているし、

展示商品と自分との距離感も近くなった、と。


言えることは、総じてプラスの評価になっている。

来場者個人の展示会に対する印象の数値がプラスの値を示している。

つまり、改善を示している。

こうした改善は、展示意匠や来場者の目的が

突然大きく変化しているわけではないだろうからと述べつつ、

結論として

会場が「閑散」だったのでじっくり見ることが出来たからでは、

との分析
なんですね、このコラムは。



となると、一概に「会場が賑わっている」「盛り上がっている」というだけではない、

ひとがモノに触れるという状況における心理的に奥の深い重要な何ものかが

ここにはあるのではないかと


このコラムは言っているのだが、この視点は傾聴に値する。


賑わっていればいい、

盛り上がっていればいいというだけでは、読み切れないなにかがそこにある。

場合によっては、その賑わいが、

つまりスジ詰め状態が、何らかの陥穽になっていることもありうる。



そして展示会だけではなく総じてイベントと呼ばれるものがそうなのだが、

この業界は調査や研究が著しく遅れている。

ある人は総合的に見て、広告に較べて30年は遅れていると語っている。




2010年10月21日(木






有楽町で宣伝会議社主催のプロモーションの展示会を覗く


有楽町で宣伝会議社主催の

プロモーションの展示会を覗く



2010年10月15日(金)



都心に出たついでに、有楽町の東京国際フォーラムで開催している宣伝会議社主催の販促ベースの展示会を覗いた。
山手線の駅を降りて1分というアクセスだから嬉しい。
アクセスする上で気持の負担がなく行ける。

これだと東京ビッグサイトでさえ遠く感じてしまう。
幕張メッセはいわずもがなのこと。
実際メッセにはほとんど足を向けていない。
(金子さん、ごめんなさい)



終了1時間前だったが、狭い会場は来場者で賑わっていた。

各ブースを覗くのならそれなりに時間は掛かるが、
どのような雰囲気なのか様子を見たかっただけなので、
会場にはいって5分足らずで廻れてしまったのには驚いた。
狭い。

以前、この会社の仕事に関わっていたので、なんとなく覗いてみたのだ。
出展社の中にはぼくの知る企業も何社か出ているし、知人も講師役で出ている。

セミナー会場は別に設けていたようだが、
今日は、いまや広告デザイン界だけではなく一般的にも知られることになった佐藤可士和の講演があったようだ。

彼の代表的な仕事はユニクロなどだ。
ユニクロの旗艦店などのオープンはすべて彼の手になる。
最近では先週だったかな、
台湾で1号店がオープンして彼があの柳井さんと現地に出向いている。
佐藤夫人のブログで知った。

あれれ、違うぞ、勘違い。
佐藤可士和の講演は東京ビッグサイトの方だ。

たまたま今日はビッグサイトでもアニメやゲームなどのコンテンツと、
キャラクター関連の展示会が統合されてその展示会がひらかれているのだ。

クリエィティブやキャラクターに関係のある人の展示会ということだ。
販促とはことなるものの、繋がりがないともいえない。

キャラクターといっても所詮はビジネス商品でしかない。
醒めた目で見れば、モノとまったく同じ。
人気を維持出来るかどうかが問われる。
キャラクタービジネスの売り上げは絶頂期から2割程度落ちている由。
不調と言える。
今週のWBSでやっていた。

宣伝会議の方は広告関係者や企業の販促担当が来場しているのだろう。
プロモーションフェアだ。
ぼくは個別のブース展示には興味がないので、20分ほどで会場をあとにした。

最後に、このプロモーション展の案内の文句が素晴らしい。

「いま、生活者は、単純に安売りがもたらす価格面の価値だけではなく、
生活を彩る新たな提案や、買い物自体を楽しみたいという、消費の価値を求めています。
また、ソーシャルメディアが日常生活に密着しつつあることで、
消費行動は大きな変化を迎えています。
生活者の心理や行動の多様化、メディア環境の変化を背 景に、
最適なタイミングや場所、内容で、
「消費モチベーションを刺激する」ためのコミュニケーション戦略が、
企業やブランドの成功に直結しています」

そう消費がスッカリ変わったのだ。
ちなみに、このカギ括弧の出だしが「生活者は」となっている。
消費者ではなく生活者だ。

感度の良い広告人などはいま、消費者という言葉を使わない。
消費者が単なるモノを買う消費者ではなくなったからだ。

上記のカギ括弧の中にソーシャルメディア云々とあるように、
モノを買うにも価格コムなどから情報を仕入れて購入するし、
またその人が情報そのものも発信する。

これはもうこれまでの消費者ではない。
だから消費者ではなく「生活者」という言葉なのだ。
モノを買うだけの消費者という言葉では括れなくなったのだ。
これまでの消費者が存在しなくなる。
そういう世の中だ。
だから広告が大きく変わっている。
つまりソーシャルメディア時代の広告であり、プロモーションであり、マスメディアでありと、
従来の媒体にもとずくものはすべてが影響を受けている。







法事で仙台を往復――ついでに、田舎町の伊達一門にも触れる


法事で仙台を往復――ついでに、

田舎町の伊達一門にも触れる



2024-04-11
亘理伊達家の象徴としての悠里館(郷土資料館)――宮城県亘理町(わたりちょう)



2010年10月11日(月曜・祝日)


10日は田舎で法要。東京〜仙台間を往復(700キロ)する。

久しぶりの帰省なので、9日に向かい田舎で一泊の予定だったのだが、あいにく9日は東京が雨になり、礼服や着替え等の荷物をもって出るのが億劫で予定を変更し、昨日10日に礼服姿のまま一日での往復となった。

早起きして6時過ぎに雨の中を三鷹駅へ向かい、東京駅へ。

東京駅で新幹線の切符を手当てし、7時過ぎの新幹線で仙台へ向かう。乗車してすぐに発車。

仙台駅でローカル線に乗り換えなければならないので、連絡の都合上、その新幹線に乗らなければ法事には間に合わない。
三連休なのだが、雨だからだろうか、ホームにも新幹線にも乗客の姿は多くはない。

車窓は延々と雨である。
もっともこちらは往復の車中を読書の時間と決めていたので、
車窓の風景をほとんど眺めることがなかった。
持参したのはフォーサイス『ジャッカルの日』で、ぼくは未読。
分厚いので読了は難しいが、どこまで読めるか。

福島を過ぎてから雨があがる。福島と宮城の県境を越えると、曇り空ながら雨があがっている。
前日に確認した天気予報では夕方まで雨とのことだったので、この後も降ったり、やんだりするのだろうと思っていたのだが、あにはからんや、午前の法事を終えて墓に参ったら、これ以上ないほどの澄みきった秋の青空がひろがった。
おだやかな青空に筋雲が浮かんでいる。
あまりにもきれいな空に思わず感嘆の声をあげる。

そういえば昨日は10日、40年以上前とはいえ、東京五輪の開催日をこの日に決めたのは、この日がもっとも晴れの日が多いという理由らしいが、まあ、どうでもいいことではある。

ぼくの田舎は北海道の伊達市と姉妹都市を結んでいる。

それは戊辰戦争で敗れたぼくの田舎町の伊達一族がほとんどの知行をとりあげられ、暮らしが成り立たず、殿様をはじめとして一族郎党が北海道に移住。
彼らが開墾した地が現在の伊達市なのだ。
そう伊達藩の伊達なのです、伊達市は。


田舎の伊達一族は、正宗の片腕としても知られた伊達成実(だてしげざね)にはじまる。
そこそこ成実の歴史は調べたが、田舎よりはむしろ伊達市の方に史料・史跡が多く残っているようだ。

今回の帰省で田舎の歴史資料館をのぞいた。
それなりの展覧内容は認めるものの、展示が時系列であまりインパクトがない。
知識のない人が通観するにはいいが、
伊達成実を前面にアピールするのが一番効果があるはずで、
そしてそのことを地元も知っているはずなのに中途半端な展示でしかない。
何よりも伊達一門でもある成実の史料がすくなすぎる。

展示コンセプトを成実に絞り、彼を軸にして徹底してアピールしたらどうだろう。
甲冑の展示は悪くはないが、これって日本中にあり、ありふれている。
ただし展示してあった複数の甲冑はいずれも田舎の伊達一族ゆかりのものだった。
それからレプリカではあれども、成実の甲冑は素晴らしい。

と記して、思ったのだが、これは龍馬のように大河ドラマで再び正宗がとりあげられないと難しいかもしれない。ブームが起きて成実がそれなりに知られていないと難しいかな。

バブル期ごろだったか、渡辺謙が若い頃演じた正宗の大河ドラマが爆発的なヒットをした。
そのとき成実を演じたのが三浦友和だった。

地域観光と大河がセットになって久しいが、要は展示コンセプトといっても、成実の知名度の勘案と、お客に対するアピールの手法をどういうふうに仕掛け、より効果のある見せ方を、つまり展示のあり様を演出するのがポイントになる。
(成実については、ゲームやアニメの「戦国BASARA」に彼が出てくるのだろうか、検索でヒットするのだが)

それから館内の展覧の企画や仕様からいえば、明らかにすべてがプロの手によって創られたものばかり。
ということは、こんな田舎町であっても、日本中を席巻したハコモノ行政の博物館や歴史観などを手掛けることで儲けた「あの業界」さんの仕事ということになる。
それに史料からいうと内容が浅い。
こんな簡単な企画なら創る方としては、まるまる展示・装飾だけの儲け仕事といえる。


帰りは新幹線の予定を変更して、常磐線の特急日立にした。
ぼくは鉄ちゃんで、いわゆる「乗り鉄」。
時間は倍掛かるが、決して苦痛ではない。
ローカル線なら乗っていて楽しい。

若い頃は夜行列車を乗り継いで、肥薩線経由で九州鹿児島まで行ったし、
龍馬で話題の高知には松山から宇和島を経て高知へ出たことがある。
当時はまだ高知へ抜ける鉄道がなく宇和島(ここも伊達家です)の方から土佐中村(だったか)へ山あいを走るバスで通り抜けた。

そういう想い出が全国各地にある(北海道稚内までも行ってます)。
それから九州の肥薩線ではスイッチバッグとループ線で有名な大畑駅で下車したこともある。
何もない小さな駅舎の周辺を覚えているが、
未だに駅舎や周囲が数十年前と変わっていないようだ(写真によるが)。

JR(旧国鉄時代も含め)の全線踏破はしてないが、70%ぐらいは乗っているはず。今でも気が向くと一日乗車の旅にふらりと地方へ出かけることもある。

ねむくて思うように時間が割けなかったが、車中の読書で『ジャッカルの日』は半分までは至らずというところ。

故人の13回忌だが、もうそんなに、という感想。
疲れたというより昨夜は3時間ほどの睡眠だったので、睡い一日だった。







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