2010年1月27日(水)
■戸部新十郎『服部半蔵』の「巻の1」を読了。全5巻あり文庫本だと10冊にも及ぶ巨編。
傑作。本格派の時代小説好きなら、この小説を手にしてまず裏切られることはないのでは――。
ぼくは鷲田小彌太の書評で知った。1冊目を読み終えただけだが、もっと早く読むべきだったと後悔。
■巨編とは知らずに読みだし「これを読んでいる時間などない」と思ったものの、これは時間を要しても読むべき時代物の一冊と理解。
■そもそも手にしたのは、鷲田のつぎのような紹介文に接したから。
■まだ五分の一しか読んでいないので、これぐらいに。実は戸部新十郎という作家は僕にははじめてで、名前を辛うじて知っていたぐらい。彼は無害流の居合いの達人とか。この作品を手にしたのは口汚しのため。
■正月2日にテレビ東京で一挙7時間オンエアされた『柳生武芸著』のひどさに呆れたからだ。いつもは見ないのだが『柳生武芸帳』というので、その気になった。
ところが主演の反町隆史がまるで時代劇にはふさわしくない木偶(でく)でしかなく、余りにも酷かった。原作通りに映像化されることはないし、別物とわかっていても、余りに酷かったので、口直しになにか本格派をと思った次第。
それでこの小説を知ったのだ。まだ先はたっぷりある。読了してないけれども、それでもこれは最上級のお勧め。
■この作品一冊で戸部という小説家は、ぼくにとってお宝級の時代もの作家となった。
で、ほかにもいるのではと思い、探してみたら、もう一人、素晴らしい作家がいた。
国枝史郎。大正から昭和期にかけて活躍した作家で、『神州纐纈城(しんしゅうこうけつじょう)』の著者。
この小説は名前だけは知っている。もっともその著書自体、いくら探しても見つからない。最近、彼の短編集などが数冊出版された。これが分厚い。値段もとびきり高い。でも纐纈城はない。
■三島由紀夫が絶賛していたので、試しに短編を読んでみたら、これがいい。
文章が古くないし格調がある。戸部の文章も同様に格調がある。そのことも読者を興奮させる。しばらくはこの二人の時代物を読み続けることになる。
■戸部新十郎『服部半蔵』の「巻の1」を読了。全5巻あり文庫本だと10冊にも及ぶ巨編。
傑作。本格派の時代小説好きなら、この小説を手にしてまず裏切られることはないのでは――。
ぼくは鷲田小彌太の書評で知った。1冊目を読み終えただけだが、もっと早く読むべきだったと後悔。
■巨編とは知らずに読みだし「これを読んでいる時間などない」と思ったものの、これは時間を要しても読むべき時代物の一冊と理解。
■そもそも手にしたのは、鷲田のつぎのような紹介文に接したから。
時代小説で、これ一冊で堪能できるようなものはないかと友人から尋ねられ、
勧めた10人が10人、「存分に堪能した」との反応があった、と。
そして「とどめ」とも言える「面白さ」の本質に触れる。
「司馬遼太郎を頂点とする戦後時代小説を、より高いバーで超えようという志に支えられている」小説であり、
時代劇のスーパースターである「信長に、唯一人、拮抗しうる天才アーティスト(忍者)半蔵」を創造しているのだ、と。
なにしろ、半蔵を基点に、信長から家康につながる天下統一事業の舞台がまわるのだから応えられない。
上は天皇、下は乞食までの人脈のネットワークを持ち、
その神出鬼没に身を預けつつ半蔵は、「政治と軍事の交差点に影のように現れる」のだ。
■さらに素晴らしいのは半蔵の造形だ。
半蔵の成長を支えるDNAに世阿弥の『風姿花伝』のいわゆる奥義をあてはめている。
「忍術が一個の芸能である」という視点である。
つまり『風姿花伝』は「山崎正和が喝破」したように「世のアーティストを停滞と挫折へと導く、
実行不可能な芸論を説いた悪魔の書」であり、
その奥義を、半蔵の成長に重ねてあるのだ。最高峰のアーティストと同等に魅力的な人物像ができて当然。
■まだ五分の一しか読んでいないので、これぐらいに。実は戸部新十郎という作家は僕にははじめてで、名前を辛うじて知っていたぐらい。彼は無害流の居合いの達人とか。この作品を手にしたのは口汚しのため。
■正月2日にテレビ東京で一挙7時間オンエアされた『柳生武芸著』のひどさに呆れたからだ。いつもは見ないのだが『柳生武芸帳』というので、その気になった。
ところが主演の反町隆史がまるで時代劇にはふさわしくない木偶(でく)でしかなく、余りにも酷かった。原作通りに映像化されることはないし、別物とわかっていても、余りに酷かったので、口直しになにか本格派をと思った次第。
それでこの小説を知ったのだ。まだ先はたっぷりある。読了してないけれども、それでもこれは最上級のお勧め。
■この作品一冊で戸部という小説家は、ぼくにとってお宝級の時代もの作家となった。
で、ほかにもいるのではと思い、探してみたら、もう一人、素晴らしい作家がいた。
国枝史郎。大正から昭和期にかけて活躍した作家で、『神州纐纈城(しんしゅうこうけつじょう)』の著者。
この小説は名前だけは知っている。もっともその著書自体、いくら探しても見つからない。最近、彼の短編集などが数冊出版された。これが分厚い。値段もとびきり高い。でも纐纈城はない。
■三島由紀夫が絶賛していたので、試しに短編を読んでみたら、これがいい。
文章が古くないし格調がある。戸部の文章も同様に格調がある。そのことも読者を興奮させる。しばらくはこの二人の時代物を読み続けることになる。