玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

January 2010

頂点司馬遼太郎を、より高い次元で超えようとした時代小説を読む

2010年1月27日(水)

■戸部新十郎『服部半蔵』の「巻の1」を読了。全5巻あり文庫本だと10冊にも及ぶ巨編。
傑作。本格派の時代小説好きなら、この小説を手にしてまず裏切られることはないのでは――。
ぼくは鷲田小彌太の書評で知った。1冊目を読み終えただけだが、もっと早く読むべきだったと後悔。

■巨編とは知らずに読みだし「これを読んでいる時間などない」と思ったものの、これは時間を要しても読むべき時代物の一冊と理解。

■そもそも手にしたのは、鷲田のつぎのような紹介文に接したから。
時代小説で、これ一冊で堪能できるようなものはないかと友人から尋ねられ、
勧めた10人が10人、「存分に堪能した」との反応
があった、と。

そして「とどめ」とも言える「面白さ」の本質に触れる。

「司馬遼太郎を頂点とする戦後時代小説を、より高いバーで超えようという志に支えられている」小説であり、
時代劇のスーパースターである「信長に、唯一人、拮抗しうる天才アーティスト(忍者)半蔵」を創造しているのだ、と。

なにしろ、半蔵を基点に、信長から家康につながる天下統一事業の舞台がまわるのだから応えられない。
上は天皇、下は乞食までの人脈のネットワークを持ち、
その神出鬼没に身を預けつつ半蔵は、「政治と軍事の交差点に影のように現れる」のだ。

■さらに素晴らしいのは半蔵の造形だ。
半蔵の成長を支えるDNAに世阿弥の『風姿花伝』のいわゆる奥義をあてはめている。

「忍術が一個の芸能である」という視点である。

つまり『風姿花伝』は「山崎正和が喝破」したように「世のアーティストを停滞と挫折へと導く、
実行不可能な芸論を説いた悪魔の書」であり、
その奥義を、半蔵の成長に重ねてあるのだ。最高峰のアーティストと同等に魅力的な人物像ができて当然。


■まだ五分の一しか読んでいないので、これぐらいに。実は戸部新十郎という作家は僕にははじめてで、名前を辛うじて知っていたぐらい。彼は無害流の居合いの達人とか。この作品を手にしたのは口汚しのため。

■正月2日にテレビ東京で一挙7時間オンエアされた『柳生武芸著』のひどさに呆れたからだ。いつもは見ないのだが『柳生武芸帳』というので、その気になった。

ところが主演の反町隆史がまるで時代劇にはふさわしくない木偶(でく)でしかなく、余りにも酷かった。原作通りに映像化されることはないし、別物とわかっていても、余りに酷かったので、口直しになにか本格派をと思った次第。
それでこの小説を知ったのだ。まだ先はたっぷりある。読了してないけれども、それでもこれは最上級のお勧め。

■この作品一冊で戸部という小説家は、ぼくにとってお宝級の時代もの作家となった。
で、ほかにもいるのではと思い、探してみたら、もう一人、素晴らしい作家がいた。

国枝史郎。大正から昭和期にかけて活躍した作家で、『神州纐纈城(しんしゅうこうけつじょう)』の著者。
この小説は名前だけは知っている。もっともその著書自体、いくら探しても見つからない。最近、彼の短編集などが数冊出版された。これが分厚い。値段もとびきり高い。でも纐纈城はない。

■三島由紀夫が絶賛していたので、試しに短編を読んでみたら、これがいい。
文章が古くないし格調がある。戸部の文章も同様に格調がある。そのことも読者を興奮させる。しばらくはこの二人の時代物を読み続けることになる。


採用枠たった一人に、MBAホルダー2、000人が殺到

2010年1月16日(土)

■新聞の整理をしていたら、面白い記事を見つけた。作家の幸田真音さんのコラムである。幸田さんの友人がベンチャー企業を立ちあげ、スタッフを募集した。採用枠はたったの一人。

■そこにMBA(経営学修士)ホルダーの応募が2000人以上あったというのだ。総応募数に到っては4600人あまりになったという。ほぼ全員が大卒以上とのこと。

■よほど魅力的な仕事で報酬もよかったのかもしれない。しかしである、MBAホルダーが2000人以上というのはなんとも驚きである(コラムには応募者の半分近くとある)。

■募集を行った幸田さんの友人のベンチャー企業がどのような業界のどんな業種(職種)なのかについては触れていない。そもそもその友人自身がリーマンショックで職を失っており、金融業界にいた人だという。で、仕事を探しても見つからないのでやむなく自分で起業したとのこと。その起業を手伝ってくれるスタッフの募集だったのだ。

■MBAのイメージはひと頃ほどの神格化されたものはなくなりかなり一般化している。例えば勝間和代ブームはその最たるものかもしれない。いまや日本の大学がこぞって募集に励んでおり、珍しくもなくなった(海外の有名大学との格差はどうしようもないが)。

■それでもMBAである、と、ぼくは思っていた。以前のことだが、大企業の取材をしていて(たまたま重なったのだが)各社のMBAホルダーから話しを聞いたことがある。中には新規事業で華々しい成功を納めていたひともいた(当時も既に有名だったが、名前を挙げれば、誰もが知っている米国育ちの移植ビジネスである。多角化がはやっていたとはいえ、本業筋とは全くことなるビジネスだった)。

■各社からは、要は「あの人は我が社のMBAホルダーで云々」と、社費留学で得たMBAホルダーとしての異能ぶりを吹き込まれ、併せて素晴らしい仕事の実績も事前情報として示された。こちらもそれならいい話が聞けそうだとばかりに、それなりの期待をして取材にのぞんだ。なるほど、彼らの能力は噂にたがわず、その話しぶりやビジネススキルに感嘆しながら取材をしていた覚えがある。

■ところが、如何にご時世とはいえ、上記のように倍率数千倍という仕事に応募が殺到しているのが事実とすれば、いまやMBAのご偉功もありきたりのものになったということなのだろうか。それとも実の伴わない名ばかりのMBAが大量に生産されているということなのだろうか。思いだしたのはポスドク問題だ。

■一方で、ひとり儲けているのはMBAを送り出す教育機関ということになるのだろう。各大学がこぞって宣伝を繰り広げているのは、まだまだこれからも大量に生産されつつあるということなのだろう。まさにポスドク問題と同根だが、これって要するに91年の大学設置基準の大綱化で驚くほど専攻名が増え、とにかく学生を引きつけるための色々なコースが誕生したからなのだろう。

■一旦神格化されたイメージもあり、キャリアに箔がつく、年収がアップするなどという、安易な次元のMBAホルダーが量産されているということなのかもしれない。手段であるはずの取得がいつの間にか目的化し、有能ではあってもビジネスとしての実の伴わない大量のペーパードライバーが生産されているということか。単に経済危機が生みだした故の仕事への殺到だけではないようだ……。

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そこが知りたい。「なぜ?」地検と大マスコミの小沢バッシングなのか

2010年1月9日(土)

■小沢バッシングがこの数日でピークに達している。検察のリークに足並みを合わせて新聞・テレビのバッシングはまるで小沢一郎の一大疑惑の如く、これでもか、これでもかと大音響で騒ぎ立てている。「凄まじい」のひと言に尽きる。地検の特捜は、通常国会召集前の18日までには小沢を参考人聴取の要請だとどのメディアも報じている(その実、ほんとうに要請しているのかどうかもわからないという声もある)。

■その一方で、なぜ地検がここまでリークをして、それに同調してメディアが一斉に報道するのか、肝心の小沢バッシングの本質に踏み込んだ発言が茶の間にはまるで伝わってこない。その点に触れた記事を大マスコミが報じないからだ。相手が検察だからというので、濁しているのではなく、あえて触れていないだけのようだ。検察の恣意性(裁量権)について報じるのはネット上や、一部のメディアのみで、背景に何があるのかについて、大マスコミはほとんど触れない。では地検がなぜここまで恣意性を指摘されながらも、こうまで執拗に小沢に固執するのか。それがわからない。

■8日の鈴木宗男代議士は自身のブログで次のように記している。
引用はじめ。

毎日新聞1面トップに、「民主 小沢代表時 22億円2議員に 会計担当へ組織対策費 使途明かさず」という大きな見出し記事がある。
 この見出しからすると、何か違法なことをしているかの様な印象を与えるが、今の法律に沿っていることである。
 自民党も幹事長に一度に何億というお金が組織対策、政治活動費として支出されている。国民に誤解を与える様な報道はやめてもらいたい。法律が不備と言うなら、「改正しろ」と指摘して、国民に喚起してほしい。

引用おわり。
法的には敵っており、まさに疑惑をいだかせるような報道だと指摘している。

■鈴木代議士と同様、「なぜ?」という疑問に答えてくれたのが昨日の日刊ゲンダイだ。ゲンダイは、このところ、こうした大マスコミのバッシングに抗するようにひとり気を吐いて発言している。昨日のゲンダイは、今回の小沢バッシングについての背景について次のように説明している
引用はじめ。

それにしても、なぜ東京地検や大マスコミは、ここまで「小沢叩き」に血道を上げるのか。親の敵のように敵視している。ズバリ、このままでは小沢一郎に既得権益をぶっ壊されかねないからだ。
(中略)
 霞が関も、大手メディアも、このままでは小沢一郎に焼き打ちにされると敵意をむきだしにしている。
「官僚組織と大マスコミは、戦後、既得権益にどっぷりつかってきた代表格です。とくに検察は聖域だった。ところが、小沢周辺は『検事総長を国会同意人事にする』『民主主義的な統制下に置く』と言い出している。検察の危機感は相当です。検察は霞が関の代表という気にでもなっているのでしょう。同じように、大マスコミは、テレビ・ラジオの電波を独占してきたが、民主党は独占を許さず電波をオークションにかけようとしている。既得権を奪われたら、大手メ ディアは存続の危機に陥る。地検も大マスコミも、なにがなんでも、破壊者の小沢一郎を葬りたいのがホンネです」(政界事情通)

引用終わり。

■なるほど、そういうことか、と納得した。この程度のことが大マスコミに書けないことはない。書けないのはまさに指摘どおりに「既得権」が絡んでいるからだろう。ゲンダイはさらに自民党の村上正邦・元参院議員の「サンデー毎日」での小沢一郎を信長に擬する発言までも引用している。
「小沢幹事長に対する評価ですか? ひと言で言えば『あっぱれ』ではないでしょうか。天才的で、いまの時代が要求する政治家だ。戦国時代でいうなら織田信長みたいな存在でしょう」「旧体制を打破し、そして壊していくためには、ぜひとも必要な政治家でしょう」

■また小沢一郎の意図についても触れている。
引用はじめ。

「小沢幹事長の最終目標は、日本に『政権交代可能な2大政党』を根づかせることで す。政権交代が起きないと、本当の意味での民主政治が育たないと考えている。そのためには、いったん既得権益を一掃する必要があると思っているのでしょ う。自民党を殲滅(せんめつ)しようとしているのも、そのためです。実際、戦後60年間、政・官・財で癒着してきた自民党が大きな塊として残ったままで は、日本の政治は大きく変わらない。小沢幹事長は、自民党を完全に潰した後、健全な2大政党をつくるために、もう一度、政界再編を仕掛けるつもりでしょ う」(政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏)

引用終わり。

■こうして説明されれば、今検察に、そして大マスコミに何が起きているのかが分かる。まさに既得権益死守の必死の抵抗と言える。地検・大マスコミVS小沢一郎の一騎打ちは、小沢の目標通りに動くのか、それとも抵抗勢力が最後のあがきを徹底して勝ち残るのか、予断を許さない――。

小沢一郎の「ひととなり」を開示してみせた、村上龍の番組

1月5日(火)

■2010年の最初のブログです。今年もよろしくお願いします。
昨夜(4日)のテレ東の村上龍が司会を務める番組に小沢一郎が出ていた(3年半ぶり2度目とのこと)。

今いちばんの存在感を示している政治家である。

テレビのニュースや新聞、雑誌などで毎日のようにその顔に接していても、テレビ番組への出演やインタビューに応じることの極端にすくない政治家だから、普段どういう話し方をする人か、また質問に対してどのように答える人なのか(公式の記者会見を別にして)、その表だった人柄が今ひとつ分かりにくい。

それが番組全体で70分ぐらいだろうか、村上龍の、友達にでも話すようなくだけた物言いながら(敬意はあるよ当然。生来の話し方なのだろうが、そう聞こえる)、それでいて小沢一郎にはこれだけは聞きたいといえる壺を押さえた質問に終始していた(例えば「総理大臣には、魅力を感じられないんですか?」「小沢一郎という政治家は、どうしてこう怖がられたり、恐れられたりするんですかね?」など)。

■現役の政治家でありながら、「伝説」として語られる政治家はいまや小沢一郎をおいてはいない。

以前、ぼくも興味をおぼえて小沢一郎に関する本を何冊か読んでおり、その政治的心情や主張や行動、それに選挙運動のやり方などはそれなりに知っている。

それから個人的な小沢一郎体験で言えば、細川政権を誕生させた頃だと思うが、ぼくは小沢一郎と同じエレベータに乗り合わせたことがある。

それもぼくが仕事で関わっていたあるホテルのバックヤードの(社員用)エレベータだった。ぼくらが乗っているエレベータのトビラが開いたら、いきなり、あの小沢一郎の顔が正面に現れたのだ。視線がかち合った。小沢は2、3人のお付きをしたがえていた。

■すると小沢は次の瞬間――まるで笑顔のお面をかぶったように、それもきわめて自然に――これ以上ないほどの魅力的な笑みを浮かべ軽く会釈をして乗り込んできた。その笑みが今でも記憶に残っている。まさに「100万ドルの笑み」である。

あの笑顔で目の前で声を掛けられ頭を下げられたら、一票を持つ選挙民はすなおに投じてしまうのではないか、と思ったほど人心をとろけさせ、とりこにしてしまうようなとびきりの笑顔だった。

■ともあれ、曰く「理想の追求者でありつつ政界に嵐をおこし続けた男」、曰く「改革者か、それとも壊し屋かと言われる男」……等々、その小沢一郎が語るのであるからして興味を持ってみた。

■番組冒頭で村上龍が尋ねる。
「前回は野党の代表としての出演でしたが、ついに政権を取られましたね。でも、どうしてこう、小沢一郎という政治家は……」と、上述した「怖がられるんですかね」の質問。

「たぶん、メディアの伝え方でしょうね。でぇ、顔つきから何から……、そんな男前ではないですからねぇ(スタジオから笑)」と小沢。

番組では冒頭だが、この質問がスタジオでいきなり冒頭でなされたのかどうかはわからない。編集の心得のある人間なら当然、視聴者や読者の「つかみ」として編集をほどこして冒頭にもってくるからだ。ただ、全体の構成の流れから察して、おそらくこの質問が冒頭になされたのだろうと思う。

■面白かったのは、この村上の質問につづくアシスタントの小池栄子の質問(彼女の語り口調も、とりすましたものでないところがいい)。

この一か月間の小沢一郎について取りあげられたメディアの見出しがボードに並べてあり、それがすべていわゆる「あくどい小沢」の一覧なのだ。

■小池が言う。
「最近メディアに出てきた小沢さんのメディアの見出しです。(あくどいものばかりで)すいません。まあ、いろいろあります……。最高権力者や……、私あの〜、(ボードの中を示し)嫌われる男ってありますが、……これって、普通に人として傷つくと思うんですよ、こう言うこと書かれたら。もう、スルーしてますか?」(この言い方に、隣の龍が苦笑。ぼくも笑ってしまった)

「別に気分良い訳じゃないけど、メディアにとっては、ぼくはもう〜……、ほんとうに嫌なんですよ」(ここはよく聞き取れなかった)

「ですよね〜」

「(ぼくらは)メディアも含めて、旧来の仕組みを換えようと言ってますから……。ただ我々は武力の革命ではないですから……、われわれはある意味では無血革命、民主主義の革命を目指しているんで……、そういう意味では民主主義手続きを踏まなければなりませんから、時間を、時間がかかる。……政権を取ったからといって、180度違うことを全部一変にやることはできませんから……、約束したことを一つずつ、一つずつやっていくことで理解してもらえるのではないかと思います」

■小沢は革命と、それも「無血革命」と言い切っている。メディアで報じられた歴史的な政権交代は小沢らにとっては「革命」だったのだ。

なるほど、国会での官僚答弁の廃止、陳情スタイルの変更、外交のあらたな展開等々、その政治スタイルや基本政策ががらりと変わった。

まさにパラダイムの転換なわけだが、当然そこには転換故の不都合や混乱が出来する。

■そしてこの政権交代は小沢にとってはまだ「革命」の足がかりでしかない。また、連立政権である以上、連立は連立としてあっても、参議院での単独過半数獲得は革命樹立のための必用条件ということなのだろう。

■大晦日の日経のマーケット欄のコラム「大磯小磯」が語っている。
(鳩山政権は)「供給者(企業)の論理から生活者(家計)の論理へ、中央集権から地方分権への転換は、成熟した市民社会のありようとして間違っていない」
「コンクリート(公共事業)から人(所得補償)」への所得再分配政策の転換は、時宜にかなった実験といえる」

■小沢には先生にあたる政治家として田中角栄が挙げられる。それに竹下登、金丸信を加えて3人だ。

小沢はいま、彼らをして「反面教師」と語る。彼らは「足して2で割る政治」の大名人だった。そのテクニックにかけては自分は「免許皆伝」なのだと。

ただ、それは、その時代はそれで良かった。でも世界が変貌した今の時代に、(旧来の)日本流のコンセンサス社会(の文脈)、「足して2で割る」ではいけない。

■いまのメディアによる小沢バッシングは、旧来の文脈からの仕組みや変更を強いられるメディアの抵抗ということだ――それも強烈な(世論誘導です。大衆をある意味、いいように扇動できてしまう力をもつから)。

元旦の読売新聞が、あろうことか一面トップで小沢の元秘書だった現役代議士が「小沢から4億円受領」と、これが日本を代表する新聞かと疑問をいだくほど大々的な報じ方をしていた(よりによって検察側の困った末のリーク記事を、元旦に出すなど)。

高野孟によれば、これは前代未聞の馬鹿げた記事で、世も末だとこき下ろしており、(読売が)「今年一年、そういう方針でいく」という宣言とのことらしいが、要はこの戦いも参議院選までで、旧来の文脈をなんとか維持してこれまでどおりのうまい汁を今後も吸い続けられるようにという必死の抵抗なのだろう。どっちが勝つか。

■番組すべてを紹介するわけにはいかないので、冒頭に記した村上のもう一つの質問に対する小沢の答えを記して閉めたい。
「総理大臣には、魅力を感じられないんですか?」

「形式的ポジションには関心はないですけども……、あー、総理大臣になって、と、本当に皆さんが思って下さるときには、拒む必用はない、と思いますけれども」
「そうですか」

「あまり好きではないです。あまり偉いポジションは」

「幹事長はどうですか?」
「幹事長は実務ですから……、大臣というのは形式的なあれが、非常に多いでしょう。そこが好きではない」

■論理的な政治家と言われる小沢だが、主義主張に一貫した論理性があるということだろう。

話し方は、どちらかというと、普通のおっさんである。ただし政治の事で面と向かって話したら(対峙したら)、とてもこの人のもつ威厳に悟して戦える政治家はいないのでは……。

それから、財務相の藤井さん、ついに辞めるか。そのほうがいいだろう。時代の新しさに対応しきれていないようだ。その意味で無理だと思う、この人には。




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