玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

December 2009

横浜の日産本社で、フェアレディZのロードスターを見る

2009年12月26日(土)</b>

■今週は横浜で仕事があったり、自由が丘界隈で午前様になる忘年会があったりと、東京南部方面へ続けて出かけた。

■横浜ではニッサンの新しい本社のショールームを仕事帰りに覗く。ショールーム以前に、横浜駅東口にあるそごうデパートから日産本社へ向かうアプローチとなるブリッジ周辺はなかなかの景観。これ、新しい横浜の景観のひとつかもしれない(ぼくが水辺や海辺について抱く感覚が、いささか感傷的なのかもしれないが)。

■ブリッジは日産本社前を流れるちょっと大き目の川に掛かった橋(の東側はMM21地区)なのだが、ニッサンの瀟洒な本社ビルの外観とこの橋も含め橋の下を流れる川面が織りなすこのアプローチ(ブリッジの床は板面)の空間(景観)はなかなかのもので、日没前のひととき、ついついその場にたたずんでしまった。歩くのが楽しくなる美観。

■銀座にあった本社とは較べようもないほど広大なショールームは明るく華やいだ雰囲気。「フェアレディZ」のロードスターが良かった。ロードスターだから当然オープンの2シーター。オープン2の快適性は実際に乗って走って感じるもの。目の前のそれはむしろ、そのスタイルといい、インテリアといい、適度な剛と柔の織りなす巧みな人間技を駆使して誕生した図抜けた乗り物。その質感にしろ量感にしろ、スポーツ車特有の憧憬を抱かせる独特の雰囲気を全体からただよわせ、いささかの秘めた官能性も含め車としての高い完成度が率直に伝わってくる。まるで魔性の女だ。それも上質この上ない美貌の悪女。余裕があったら欲しい。

■このごろの若い人は車に興味を示さないようだけど、ぼくの世代は車と共に育ったから、Zはいつも憧れの車だった。この車、誕生して30年か40年になるのだろうか、時代を経て世界中で愛され、かつ揉まれてきたことで、スポーツカーとしての洗練の度合いはいまや揺るぎないものとしてあり、驚くほどの経済性も含め、高い完成度を示している。このオープンなら本当に欲しい。

■などと酒を呑みながら友達にほざいていたら、もう今年もあますところ5日になった。早い。驚くほど早く時間が過ぎ去ってゆく。



ペリー来航を知っていた幕府! 竜馬の活躍は絵空事で、歴史を動かしてはいない――吉村昭の面目躍如 「幕末を、維新史をくつがえす」史実俯瞰の対談集


ペリー来航を知っていた幕府!

竜馬の活躍は絵空事で、

歴史を動かしてはいない

――吉村昭の面目躍如 「幕末を、維新史を

くつがえす」史実俯瞰の対談集



2009年12月5日(土)


吉村昭『歴史を記録する』をななめ読み。
面白い。

吉村と歴史研究者や歴史に明るい人たちとの対談集である。
さすがにこのクラスの人たちの対談となると、話は単なる蘊蓄話を超える。

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巷間伝わる歴史上の事実がつぎつぎ覆(くつがえ)され、
「本当は、実際は……こうなんだ」と
根拠をもとにしたあやまちの指摘がつづく。

しかもその指摘が
まるで茶飲みばなしの如くの語り口だから分かりやすい。

ただ語り口の軽さとは裏腹に、
そこで語られる意外な事実が事新しく新鮮なので、
読んでいるこちらはついついのめり込む。

その一方で、歴史と関係なく、
たまたま話しに興が乗った軽い話として、
石原慎太郎と五木寛之の生年月日が同じ
というような話も出てくるので息がつける。



■ぼくは吉村の歴史小説を8割ぐらいは読んでいるだろう。

デビュー以前の作品も読んでいるので、
その意味では数ある作家の中でも
その推移を見続けてきたと言える作家だし、
好きな作家のひとりだ。

鬼籍にはいって、もう新しい作品が読めないのが悔しい。



■吉村の文壇デビューは、太宰賞の受賞にある。
太宰賞は一度廃止になって最近復活したばかり。

主催は太宰と縁のある三鷹市。
吉村は作家・丹羽文雄が主宰した丹羽学校の生徒だ。

その丹羽の家がぼくのうちの近所にある。
いや、あったと言うべきか。

丹羽が亡くなって売却され、更地になって家が建ち、
今は他人の住宅になっている。

家族に手を引かれて散歩する晩年の丹羽の姿を
なんどかぼくは見ている。



■吉村の出世作『戦艦武蔵』を読んだとき、
「これは、ノンフィクションか?」と、
そのあまりの詳細な記録内容と
そこに示される事実に瞠目したものだが、
この「――記録する」によると、
吉村は取材で長崎(戦艦武蔵が造船された地)を
100回以上訪れている
という。

おそれいった。

それゆえ、読者が初めて知ることになる歴史上の意外な事実が
つぎからつぎと記述されるわけだ。

吉村作品で示される数多くの意外な事実は、
そうして脚で歩いて探し出した資料によるものだ。

ちなみに現場ではカメラは使わず、すべてメモ。
現場を歩いて、イメージをすべて頭に焼き付けるという。



■と書くと、それって作家なら誰もがやっていると思うが、
そのイメージを焼き付ける次元の深さがまるで違う。

歴史小説は「史実に忠実」が持論だから、
単なる現場のイメージを書くのではなく、
当時の現場の姿を生き写しの如くに描ききれるまで調べる。

それが雪のシーンなら、当日の雪の深さはどれぐらいで、
事を起こした当日は、何時頃から雪が降り出したか等々、
とても細かい事実まで探求する。

そうして記される事実であり、描写である。



■吉村が歴史小説でも幕末しか扱わないのは、
江戸時代中期以降だと、確実な資料が出てくるからだと語っている。

そういえば『桜田門外ノ変』の井伊直弼を襲撃したシーンで、
雪の上に指がばらばら転がっているという描写があったが、
これなどは当然、資料によるもの。


その描写のシーンは、さすがに強烈に頭に残ったものだ。
刀のつばぜり合いで指がとんでしまうのだそうだ。

史実の史料を見つけ出して記される、
世間には知られていない事実が読者を魅了するゆえん。

ついでに記しておくが、『桜田門外ノ変』は年が明けたら、
映画の撮影がはじまる。

これには水戸市が、全面的に観光目的で支援するようだ。
市内にセットが組まれるらしい。
映画の資金も出している。

東映系で配給されるはず。



■ノンフィクション風の最初の作品『戦艦武蔵』の創作で、
事実をよりどころとする作風が
吉村の創作スタイルとして確立してしまったのだという。

そのため、歴史小説でも人気がいちばんの戦国時代は
史料がないので、
どうしても推理や想像での創作になる。

そういう創作スタイルは自分には馴染まないと吉村。




■では、まるっきりノンフィクションの作品を
創りあげているのかというと、
そうではなく、おおざっぱに言うと、
地の文と会話のところで違いが出てくる。

前者は史実に添い、後者は創作に負って書かれている。

会話文になると自由に想像が働き、
小説家の本領が発揮される。




■この「――記録する」から、
意外な事実こと、
おもしろい指摘の事例をいくつか挙げておく


まずはペリーの「黒船の来航」。

有名な「泰平のねむりを覚ます正喜撰(蒸気船)、
たった四はいで夜もねむれず」という狂歌でお馴染みのように、
黒船で江戸はもとより
日本中が度肝を抜くことになるというのが通説だ。



■けれども、実をいうと、幕府はペリーの来航を知っていた。

既に前年、時の『オランダ風説書』(幕府がオランダ政府に対し、
日本に来る船に世界の情報を書いた報告書の提出を命じていた)で、
ペリー艦隊を日本へ派遣することが米国議会で決まったということを、
情報としてオランダから長崎を経由してはいっていたとのこと。

その他の情報もあり、少なくとも幕府のエライさんたちは
蒸気船の実物は見ていなくとも、やってくることは知っていたという。



■で、通常の教科書などの歴史は支配階級の側から書かれるわけだが、
黒船来航だけは(なぜか)庶民の側から書かれているという。

もちろん庶民はおどろいたわけだが、
「幕府が狼狽」と書いてある教科書や本はまったく違うと指摘する。

それに蒸気船といっても4艘のうち2艘は帆船である。
帆船は既にその当時、浦賀で日本人がつくっており、
幕府のエライさんが品川沖で検分までしている。

それにペリーの黒船以前に、他の国の黒船、
つまり軍艦であり、蒸気船が日本近海には出没していた。

だから鎖国と言うけれども、実は外国の情報はいろいろと入っていた。



■例えばペリーが来たとき、通訳を務めたのが堀達之助だ。
ペリーは非文明国日本を幕府の役人たちに印象つけるべく、
大きな地球儀を示す。

ところが堀が地球儀を廻して言うのだ。

ワシントンがアメリカの政治の中心都市だ。
ニュヨークは経済の中心都市だ。パナマ運河の工事ははじまったか? 等々。

それでペリーは驚いてしまう。
その記録がアメリカ側に残っている。江戸には情報があったのだ。




■それから幕末というと、
西南雄藩による維新史となるわけだが、

これが最近では、どうやら事実は
幕府寄りに比重を移すべきではという
歴史研究による声が挙がり始めているとのこと。


それは徳川幕府が、家柄・身分を無視して
有能な人材を積極的に
幕吏として登用したことに起因するようだ。

彼らこそがその実、
実際に維新を動かした立役者であるというのだ。

近い将来、明治維新を実際に動かしたのは誰だったかが、
次第に明らかになってこよう。




■上の論とも関係してくるが、
来年からNHKは大河ドラマで坂本龍馬をやる。

ところがその坂本龍馬の現代の人気とは裏腹に、
その実、彼はあまり活躍はしなかったらしい。

それに、彼の思想はいわゆる他人の受け売りばかりで、
くるくる変わるのだと。

彼の発想として語られているものは、
勝海舟をはじめとした
坂本を取り囲む偉人の影響によるものだという。




■さらに言えば、薩長を結びつけたのは坂本ではないという。

いや、薩長が結びつく過程に坂本は
まったく出てこないのだという。


そして薩長同盟とは何なのかを、
この本を基にここにすこし触れておこう。




■生麦事件の翌年、賠償問題がこじれて
薩摩と英国の間にいわゆる薩英戦争が起こる。

勝敗はともかく(吉村は人命を失った点などからいえば、
薩摩が勝っていると)、この後、
一気に攘夷から開国へと考えが変わる。

軍備ではとてもかなわんことを見せつけられたからだ。



■そこで各藩は軍備の近代化を図るべく、
長崎の税関を通して近代的な武器の輸入を図る。

それを幕府は許した。

そのうちに下関(馬関=ばかん)戦争がはじまり、
4カ国の連合艦隊に長州は破れる。

それで長州も目覚める。
近代的な軍備だ、と。

ところが幕府は長州への武器の輸入は認めない。
それは長州征伐がじきにはじまる直前だから、当然だ。



■そこで長州は薩摩の名義で武器を購入する。

長崎にいた薩摩の家老・小松帯刀を通じて話しをまとめるのだ。
それで両藩が手を取り合うことになる。

それが薩長同盟なのだ。
薩長同盟の根本は武器にあるのだ、と。

この過程で坂本龍馬はでてこない。どこにも。



■で、吉村曰く。当時、薩長は強大な藩である。
ところが坂本は単に土佐の郷士でしかない。

つまり他藩の郷士が、両藩をまとめるなどできるはずがない、と。

続けて、坂本はちょこちょこ表に出てくるけど、
歴史を動かした人物ではありません、とも。




■つまり、薩長は外国と戦って、
その教訓で「ああ、武器だ」とわかって結びついた。

それは藩という大きな体制によって歴史が動いたわけで、
一人の個人が動かせるほど軽いものではない、と。



■そしてこの本では、各対話者との間で断片的に語られる内容が、
一冊を通してみると幕末をしっかり俯瞰して見つみられ、
それもひろく世間に伝わっている通説を
覆す内容が盛り込まれているから、おもしろい。

長くなったので、今回はここまで。







2009年12月5日(土)
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