玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

September 2009

鳩山外交の意味と国際政治の背景を俯瞰する一文なら、これ

9月28日(月)

■田中宇の25日に配信された「多極化に対応し始めた日本」(田中宇の国際ニュース解説から)を読む。これがとても面白い。面白いので、(米国を軸にした)世界の政治構造の背景をについてもっと知りたくなり、昨年12月に配信された、オバマの外交政治顧問を勤めるブレジンスキーの外交政策について書かれた記事にも目を通した(まるで国際政治論文ですね、内容は)。

■二本の記事とも長文だが、たった二本のこの記事を読んだだけで、今措かれた世界の政治構造を俯瞰できるのだから驚きだ。

■そして国連での今回の鳩山首相の一連の発言や行動、つまり「オバマ会談」や国連での演説、各国首脳との会談の背景に、世界的な政治構造がどのように横たわっていて、(今後日本の鳩山政権が)そのなかで何を志向し、さらにいえば今回の政権交代が何を意味し鳩山政権が国際政治の場で何をしようとしているのかの構図がすっきりと理解できた。

■正直なところ、ここまでの理解はマスコミが伝える報道ではまず分からないし、理解などはまず覚束ない。

■田中は欧米流の客観報道スタイルにならった発言をすることで知られており、そのことが田中の個人意見をはさんだ解説的なものとなり、発言内容を分かりやすくしている。

■日本では今日、自民党に谷垣総裁が誕生したがそんなものはもうどうでもよくなった。また今日の日経には「自民党半世紀」と題して自民党による外交と安保政策の歩みがページ一面を使って報じられている。しかし、こんな記事もどうでもよいことで、本来採りあげるべきは、鳩山政権が国政政治の流れの中で一体何を考え、日本の舵を切ろうとしているのか、そのことがまたこの先、どうなっていくのか等々についての仮設なり見方なりを深い次元で読み解いて示してくれるのが本来ではないのか。

■しかしそれを示しているメディアはまずないのではないか。田中宇ひとりによる国際的な時事問題を解説した内容が、既存のメディアをはるかに凌駕した質の高い情報と内容として提示されていることにはただただ驚くしかない。同時に、世界の新聞にひたすら当たり続けることで、これだけの「読み」と意見の表出ができるようになるのかと思うと、なんだか感動すら覚える。

不思議な原稿料の話し

2009年9月26日(土

■ネット上で不思議に思うのだが、ライター募集と謳ってありながら、原稿料が400字詰めで一枚から二枚で100円とか200円などという募集が出ている。メルマガの仕事などとある。

■まともなライターなら原稿料の桁がまるで違うので相手にしないが、それにしても、どうしてこういうレベルのものが出てくるのか、また、それで仕事が果たして成り立つのかどうか、不思議だった。

■というのは、そこに書かれてある募集内容の文字原稿が、明らかにプロの書き手と思われる人物によってしたためられたことが明白だからだ。そして、厳しいカタリ口調(契約違反に関する内容など)はぼくらが普段取り交わしている内容よりかなり手厳しく記してあり、そういうこともあって不思議に思っていた。

■そしたらさきほど、どうやらこれは仕事を求めているのではなく、在宅ワーカーの個人情報を集めているのではないかと「オールアバウト」に出ていた。

■個人情報を大量に集め、それを関係筋に販売して儲けようとしている怪しいビジネスのようだ。ネット上にはわけのわからんビジネスが存在する所以だ。

■ちなみに、ぼくの感覚では原稿仕事で数百円とか、数千円(これは400字詰め一枚なら現実にあるかもしれないが、ぼくの場合はない)などという額はまったく想定できない。
僕の場合は企業広報分野の仕事が多いので、書くだけの小さな仕事だと一本で3〜5万、通常は一本10万とか15万とか、さらに大きな仕事だと数十万という具合だ。(最近はネットの仕事も増えているが、これは基本的に紙媒体に準じた価格)

■取材・執筆なら原稿用紙2、3枚でも数万いただく。割がいいのは広告分野の仕事。とまれ、書くだけ、企画込み、取材込み、文字量、それから現場のデレクション等々、色々なものが組み合わさってくるので一概には原稿料ってなかなかいいにくい。取材は原則、ほかに編集のディレクタ、それにカメラマンの3人セットで動くのが多いが、これも仕事相手の編集会社によってケース・バイ・ケース。基本は、書き手だから、要は取材して書くだけ。
広報紙やPR誌の仕事をまるまる一本獲得すれば、それだけで通常は目一杯でかなりの年収になる。まあ、個人では動けないので、こういう場合はチームを組んでやるが。これは忙しいが面白い。面白いというのは、仕事先の企業の知識や情報が蓄積されて仕事そのものが楽しくなってくるからだ。

■プロとしてのスキルを提供して読んでもらえる原稿に仕上げるのだから、時間を掛けてそれなりの力を投入する。もちろん一度でOKが出ることもあるが(どちらかというと少ないかな)、ほとんどのケースで部分的な書き直しが出る。そうしたやりとりを編集者とおこないながら「これでいいでしょう」となる。時間が掛かるのだ。

■おそらく単位時間あたりで計算したら、原稿料(原稿仕事)は他の仕事と比べて決して割に合う額とは思えない。下調べや資料収集、複数の取材、そしてそのテープ起こしなどを含めたら、結構な時間を費やしているからだ。そして、仕事に要した総量の時間と原稿料がまったく見合わないなんてことは日常茶飯事。その逆もあるが、そういうケースは少ない。

■続けているのは、やはり書くことが好きなのと、仕事の達成感とでもいうものがあるからだ。もっとも毎度毎度、達成感を味わうことはない。まあ、依頼された仕事の内容によるが、目一杯かまえて仕事と対峙するときの感触は、やはりこの仕事ならではのものもある。それにぼくは飽きやすい性格で、この仕事の場合、同じ仕事はないので、その意味では面白くもある。初秋にはいって、仕事がやりやすい季節になった。一仕事のあいまに記しているが、もう少し頑張らなければならない。好天の秋空のしたに飛び出ていきたいが、我慢だ。

ついにきた、友人知己、そしてわが身にも経済的な負の影響が

9月25日

■知人の編集者から電話がはいった。10人前後の編集プロに所属していたのだが、先だって辞めたという。この不況期に辞めて仕事があるのかと尋ねたら、編プロも仕事が大幅に減っていて先の希望がないと判断、以前から辞めようと思っていたという。で、実はいま三鷹のハローワークにいるという。失業給付金の手続きのようだ。手続きは手続きで、今後は仕事になるかどうか分からないけど、フリーで動いてみたいという。

■三鷹のハローワークはたいへんな人であふれていると彼。当節、そういうものだろう。まだ居るというので、とりあえず久しぶりに会いたかったのと、ハローワークがどういう状況なのかを見たくて、そっちに行くよと伝えて、すぐにでかけてみた。

■驚いた。ハローワークは立錐の余地もないほど出口まで人で溢れている。こちらが室内にはいるのがいやになるほどの熱気(そう、仕事を探しているひとたちの熱気です)が室内からはき出されてくるようで、入り口でたじろいでしまった。その入り口にたむろする人たちは仕事の相談者なのだろうか、彼らの口から、28番目だって、とかいう相談順番のつぶやきが聞こえた。

■その入り口からみたら、奥の方でPC画面に向かって黙々と仕事を探しているひとの列が見えて、これまた驚いてしまった。いま目にしたハローワークの目の前の事実が、いま現在の就労の状況をこれ以上なく物語っていると思った次第。なんかそらおそろしくなった。今後、失業者はまだまだ増えるだろうと思う。

■実はぼくが仕事でかかわりのある代理店も破綻してしまった。連休前に知った。今月と来月にはいるはずの原稿料が一瞬にして消滅してしまった。フリーランスはこういう場合、まったくお手上げでどこにも泣きつきようがない。クライアントが大手企業だし、当の仕事は今後も継続するとのことでおそらく制作会社が変わるのだろう。携わってきたぼくとしては、今の時点では今後も継続なのかどうか、それともぼく自身で判断して身を引くか、まだわからなないし決めてもいない。数日うちにわかるだろう。

■広い意味での不況の影響なのは言うまでもない。まさかわが身に及ぶとは思わなかったが、じわじわと周囲にも影響が出ている。むしろわが身にこれまで及ばなかったことこそ、珍しかったということか。

「変革」政権よ、理念倒れで終わって欲しくはない……

9月18日(金)

■昨日は、一昨日の深夜からはじまったすべての新閣僚の記者会見を未明まで付き合い、顔ぶれと発言内容をチェックした。

■そしてまた昨日は昨日で、その未明までの会見の席でも語ってはいたものの新閣僚から矢継ぎ早に、これまでなら超弩級とも言えるような驚くべき「見直し」「撤回」「凍結」等々の発言が相次ぐニュースに改めて接して、「本気だな、この人たちは」と思った。その本気度が国民に伝わったからだろう、新聞各社の内閣支持率が70%強を示し、歴代2位とか3位の高い支持率をみせている。

■新閣僚はそれぞれの省庁で新任の挨拶をおこなったり、テレビに出て勇ましい発言をしたりで、聞いていて、なんともたのもしくもあり、嬉しくもなってくる。

■しかし、一方で待てよ、とも思う。危惧の念だ。如何に今回の選挙で300議席を超えたとはいえ、半分の議員は新人である。それに民主党に若手の優秀な議員がいるとしても、果たしてこれだけの超弩級の「変革」に等しい政策が各省庁で相次ぐ以上、いくら大臣が一番えらい人だといっても、いざ実行に移す段になって「大丈夫かいな」とも思わずにいられない。

■マニフェストに掲げたからといって、勇ましい発言が相次ぐのはいい。でも、いざそれを実行に移す段になって、つまり各論にはいるとなると、次々とハードルが眼前に待ち構えているのは言うを待たない。

■それらのハードルを乗り越えるためのヘッドクォーター機能を官邸に新設させたからといって、果たしてそれで事がまともに動き出すものなのかどうか、とても気になってくる。お山の大将で大臣が、いや各省庁に送り込まれた政治家たちの一人相撲になってしまうことはないか、と案ずる。なぜなら、大臣の発した号令で官僚が動けばいいが、動かなければ、あるいは面従腹背にでもなったら、その数はもとより、知識や情報ではまったく勝負にならないからだ。

■民主党が政策策定に民間のエキスパートなどの手を借りているのは分かるとしても、それを加えても、少ない数の政治家中心に政策の骨組みを形作っている以上、問題が山積している各論の次元にはいったら、それで通用するはずがない。

■勝手な想像だが、あれだけの変革を掲げるなら、背後に100人規模のエキスパートによるシンクタンクの集団を抱えていてもおかしくない。いや、抱えていなければ、とても実現に移せないのではないかとも思えるのだ。つまりミスター年金こと長妻 昭大臣級のエキスパート100人がいて、初めて為し遂げられる「変革」ではないのか、と。

■各論にはいった時点で様々な障害や軋轢が吹き出してくるのは想定のうちだとしても、その想定が、想定以上のものとして押しよせてきて混乱することはないのか。それが杞憂でおわればいいが、如何せん、100年に1度の不況下でもあり、企業内失業率を含めれば10%弱という驚くべき数字が現実として見えている以上、一旦、軌道を誤るようなことになったら、取り返しのつかないことになる。
(反面、あれだけの「変革」に等しい内容だからこそ、一気に突っ走る、いや突っ走らなければならない、というのもわかるような気がする)

■とまれ、危惧の念が杞憂であることを願うものだが、3か月後、半年後、1年後、本当に杞憂に終わってほしいものだ。

前言を翻すのか、鳩山さん。よりによって、政権樹立のこの日から

9月16日(水)

■前回アップしたブログの最後のところに、政権交代によってこれまでのいびつな「記者クラブ制度」が廃止される、と書いた。事実、これまで民主党は、フリーの記者も会見に臨ませていて、鳩山さんも、今後ともオープンにすると言っていた。

■貼り付け

〈それから、私が政権を取って官邸に入った場合、(質問者の)上杉さんにもオープンでございますのでどうぞお入りをいただきたいと。自由に、いろいろと記 者クラブ制度のなかではご批判があるかもしれませんが、これは小沢代表が残してくれた、そんな風にも思っておりまして、私としては当然ここはどんな方にも 入っていただく、公平性を掲げていく必要がある。そのように思っています〉(「【鳩山新代表】会見詳報(4)『世襲議員はひ弱な体質』」『MSN産経ニュース』2009年5月16日18時8分配信)

(「【鳩山会見】(7完)「国家戦略局長は大臣に」(27日夕)」 『MSN産経ニュース』2009年7月27日22時22分配信)とした上で、
「われわれが政権を樹立した暁にも、すべての方に公開をするということは党としての方針として変えるつもりは一切ありません」(同上〉と答え、政権交代後の会見開放の方針に変化がないことを強調している。

■貼り付け終わり

■上記のように鳩山さんは内閣記者会についても廃止して官邸取材をオープンにすると言明している。ところがその鳩山政権が誕生する今日というまさにその日から、あろうことかオープンどころかフリーや外国のプレスは外されるということで、記者クラブ制度がそのまま存続するというのだ。

■たまたま昨日のブログはほぼ午前0時を廻ってのアップだったので、月曜14日の知識で記したものだったが、昨日15日になって既に、記者クラブオープンどころか、従来通りという声が聞こえていた。

■フリーの政治記者たちは今夕、官邸に駆けつけ、抗議を示すというような声もある(入れろ、入れないでもめるのだろうか)。それにしても政権交代の日に、前言をひるがえしいきなりメディアを締めだすとは……。

■この件についてはまだ流動的なところもあるかもしれないが、締め出しが本当なら、初っ端から期待を裏切られることになる。世界には通じない、愚かな制度が廃止されると喜んでいたのに。記者クラブの恩恵にあずかっている御用メディアはともかく、週刊誌や外国メディアは、一斉にこの事をたたき始めるはずだ。メディアへの開放という改革なくして、今後の改革は大丈夫なのか。続きを読む

作家村上龍の掲載原稿を、徹底して編集するニューヨークタイムス それとブログ300本

2009年9月15日(火)

■ほしいまま、気随気ままにこのブログを書きつづけて300本を超えている。日記を綴るだけならまだしも、書き始めてからは、どうにか己の意見を吐き出したい欲求が回を重ねるごとに膨らんだ。しかし、これが結構面倒でやっかいだ。

■己の意見を開陳するのは容易ではない。それは日記のように言いたいことを勝手に放言するのとちがい、そのテーマに基づいた素材なり前提なりを整理して何らかの考え(結論)を見出さなければならないからだ。つまりそこには、いやでも材料の収集や思考プロセスが入りこむ。

■ましてやそこで「説得力」を意図するとなると、ああだ、こうだと分析や独自の視点による見方を加えなければならなくなり、いやでも時間がかかる(通常の仕事の原稿作業はそういうことを行い、仕上げている)。

■ブログでは無論もろもろの通常の原稿の作成過程を省く。仕事原稿の合間に書いていて時間がないからだ。だから、行動したこと、見たこと、聞いたこと、読んだことなどをそのまま綴り、考えることを省いていきなり結論を述べたり、意見を吐いたりしてしまう。読んで頂いている方には悪いが、そういうような文章につきあって下さっているということだ。

■書き手としては心許ないが、それでも書きつづけることで、ブログという個人メディアの有り様やネットを通じての情報発信のスキルが向上する。それで最近はどうにかすこしずつ意見を差しはさめるようになってきたというところ。

■ところで作家村上龍の原稿がニューヨークタイムスに掲載された。忙しくて時間がないにもかかわらず、原稿は一度書き直しを命じられ、そのうえ、掲載されるかどうかは約束できない、と言われたという。テーマは「鳩山政権の誕生について」。

■結局、掲載されたものの、その原稿は編集し直されて、(英語を日本語に直訳したものを読んで)本人が書いた原稿より短くなっていたとのこと。そこにあるのは徹底して読者にとって「読みやすく」「分かりやすく」して報じるという編集のプロ魂といったようなもので、読み手に伝わることを第一に考えて、直前まで原稿に手を入れるのだと村上龍が語っていた。

■まず日本の新聞や雑誌では考えられないことで、皆無に近いと村上。その村上発言から伝わってきたのは、米国の<健全なジャーリズム精神>の鼓動である。
他方、マスコミではなく<マスゴミ>とも称される日本では、政権が変わって記者クラブが廃止される方向に動くのではないのか。日本のジャーナリズムを歪め貶めていた大元のこの制度(官報複合体)が変われば、一時的にはジャーナーリズムの世界に激震が走り混乱を招くことになるだろうが、「伝える」ことの意味が根本から問い直されることになり、結果として混乱からの収拾プロセスが、日本のジャーナリズムに<官報複合体>から脱する大きな変化が期待できる。

■ほらいきなり、結論が出てきた。これではいけない。なぜ、こういう結論に至るのかのプロセスと、その根拠の提示がすっぽり抜け落ちている。




未来予測の旗手・堺屋太一の青春を編んだ、作家・三田誠広作品を読む

2009年9月11日(金)

■必用があって堺屋太一に関する書をいくつか読んでいる。読みおえたばかりなのが作家の三田誠弘によって編まれた『堺屋太一の青春と70年万博』だ。

■堺屋自身はまだ存命だが、既に70歳をこえているし、相応の仕事を成し遂げてきた人物だから、伝記としてとりあげたのだろう。もっとも、来年の上海万博の日本館を仕切るなどまだまだ本人は現役だ。実際、その発言内容は、十分にシャープな部分があり、耳を傾けるべき点もすくなくない。(堺屋が言うところの「知価社会」というキーワードで、あらゆるものを語りつくそうとするところはもうお耳にたこだけれど、この人の幅広い次元での活動や発言には耳を傾けるべきところも結構多い)

■三田が堺屋太一を素材に選んだのは、団塊の世代に三田が属し、その団塊の世代の名付け親が堺屋太一だからと、三田と堺屋太一の実家が大阪の同じ町内にあり、わずか10軒ぐらいしかはなれていなかったことによる。ただし、二人は世代がちがうので、住んでいたのは三田は戦後で、堺屋は戦前とのことで同じ時期に一緒に過ごしてはいない。とまれ、三田ほどの作家が素材としてとりあげるぐらいだから、お隣さんだからと言うより、やはり同時代人で、官僚時代に超人的な仕事をなしてきた偉人と言えるからなのは言うまでもない。

■ぼくは今、現在もまだ引きずっているといわれる戦時経済を指す「1940年体制」の本も読んでいるのだが、「堺屋の青春」には、特に60年代と70年代の時代背景(特に経済的な面)が堺屋太一の為し遂げてきた仕事と照応されながら語られているので、当時の時代背景がよく呑み込める。

■そして堺屋太一は通産官僚(60年入省)としては一人の末端の若手官僚でしかないのだが、彼の当時の著書や、その仕事内容を見せられると、如何に官僚として有能だったかを思い知らされる。

■無論、若手で有能ということは、それは官僚組織のなかではとても煙たがれる存在ということになるが(実際、「辞表を書け」と幾度か迫られている)、本人はいたって、そういうことには平気だったようだ。とまれ、言葉の本当の意味でのスーパー官僚としての仕事を若いうちからやり遂げてきた堺屋の青春が限りなく描かれている。それに三田という小説家の手になるものだから、とても読みやすい。

■なんといっても堺屋で知られるのは、70年の大阪万博のプロデュースである。なにしろ当時の国民の6割、つまり6400万人が押しよせ、会期中は連日満員だったというのは知ってるけど、この万博は今で言う地域振興策、つまり地盤沈下する商都・大阪をなんとか救おうという堺屋の故郷・大阪にたいする思いからというのは素晴らしい。これ、東京でオリンピックが開かれ、それに対抗するものとしてあるのは万博ぐらいではないか、ということで思いつく。

■もちろん思いついたからと言って、一人の若手官僚が動いてどうなると言うものではない。なにしろ国家プロジェクトだし、それに万博の具体的な概念が当時の日本人はまず思い浮かばないような時代だったのだから。

■とまれ、実現させるために、大阪の財界・官界に働きかけたり、説得のために当時で400万円の私財を投じて資料を作成したり、と、やってることはとても平の官僚の考える次元ではない。

■官僚を辞して作家になってからも、一貫して堺屋のベースとなる視野は経済というスコープを通して、時代時代を、そしてその独自のスコープにあてはめて歴史小説や他の様々な仕事に取り組んできたことにある。

■エネルギーとしての「石油」(備蓄を提唱したのも彼だ)、団塊の世代に見られる「人口論」、そして関わってきたいくつかの大きな博覧会などは、すべて「未来予測」という堺屋太一にふさわしいキーワードと共に為されてきた仕事だ。ひとつだけ、全く知らなかったが、この人の節目節目の大きな仕事を為すときに、アゾバイザーとして学生時代に知り合ったドイツ人女性がいたことは面白い。堺屋太一に大きな影響を与え、堺屋太一をある意味創造させた人物ともいえる。

テーマを絞って「メルマガ」をはじめた

9月9日(水)

■9月9日9時9分にアップするつもりだったが、寝てました。

■まぐまぐでメルマガを始めた。このブログとはまったく異なりジャンルを絞っての明確なテーマを設けての発信である。どこまで続くかわからないが、何とか継続したい。

■ところでなにやら書いてそれを送れば、それでメルマガが成立するものだと思っていたのだが、最近はメルマガ登録時点で原稿内容の審査があることを知った。どうでもいいような内容が多いからかも知れないが、ぼくは審査があろうとまったく意に介さず、ビジネス関連のジャンルに当たり前に書いてサンプル原稿を送ったら、当たり前にOKが出て、発信が許された。

■メルマガでビジネスを考えたわけではなく、いきなり思い立って、このテーマなら、おそらく人とは違った視点でそれなりに書けると思ってはじめたのだ。

■テーマを絞った以上、書き手としては、ネタを探すだけでも、またそれなりの内容にしなければならないので負担だけど、書きつづけるとそれが滋養となってぼくの中に蓄積されるものがあるので、まあ、一種の勉強でもあり、そのジャンルへの興味を失わないための己への叱咤でもある。

■それから、当たり前といえば当たり前なのだが、メルマガから各自が己のホームページへ誘導して、それでビジネスにつなげている人たちの多いこと多いこと、改めてその事を認識させられました。

■まだ書き方のパターンが決まったわけではないが、それでもすこしづつスタイルが定まっていくはず。それにタイトルも何度かなおしました。これもその都度、こちらからマグマグにメールを送って管理者に直してもらうというスタイル。

■ブログと違いのは、その都度送信するメルマガのタイトルが表に表示されないことだ。だから読者には送信されるものの、それ以外の人にはその上位概念のタイトルしかわからない。原稿は一度アップしたものは、誤字や脱字も含めて修正できないのが、メルマガの不自由なところだ。

■読者の部数が公表されるので、発信者としてはいやでもなんとか増やしたくなってくるという仕掛には、なるほどとにんまり。

■ところで、このブログの読者数だが、これまでのヒット数の最高は一日で300弱だった。普段はそんなにない。この数が多いのか少ないのかはさておき、増やすための手だてはほとんどしてない。書いて載っける。それだけだ。テーマを絞って、多少その気になって書けば、もっと多くの読者がつくのかもしれないが、仕事ではないから、そういうわけにもいかない。今日は、単なるお知らせになってしまった。すこしきばって書きますよ、今後は。

■それから今、「新世紀メディア論 新聞・雑誌が死ぬ前に」というネットエディターの達人がものした書をひもといている。メディア論としては大きな示唆がある。クリエィターも含めてネットに携わる現代人必読の一冊だ。

政権交代と「40年戦時経済」と戦意高揚映画

2009年9月7日(月)

■未明、仕事に飽いてニコニコ動画の映画を見た。「ハワイ・マレー沖海戦」という映画で、戦時下に製作された戦意高揚のための映画だ。製作は東宝。監督が山本嘉次郎。特撮にあの円谷英二の名がある。

■映画の前半は、主人公が予科練にはいり一人前の戦闘機乗りになるまでの様子が丁寧に描かれる。現代人には、当時の海軍の様子や、予科練を経て一人前の戦闘機乗りになるまでの姿が理解でき、併せて当時の海軍の様子もうかがい知ることができる。映し出される施設はすべて本物だから、現代人にとってはまさに当時を知ることができるセミドキュメンタリーと言えなくもない(和服姿の当時の娘たちの衣服なども含めて)。

■後半は真珠湾奇襲へとおおむく艦内の様子と戦闘機乗りたちの生活などが、そして奇襲が描かれ、加えてマレー沖での英国海軍への襲撃を成功させて映画は終わる。太平洋戦争の発端が描かれている。若い人もそうだろうが、ぼくにとっても全く未知の世界なので、おもしろく見ることができた。

■見たのは小津安二郎の映画でお目に掛かる原節子が出てきたからで、なんとなく珍しくて見始めたのだ。それに、この映画の企画が、当時の大本営海軍報道部で、後援が海軍省となっていることにも興味を覚えた。最初のタイトルの次に、クレジットが出てきたので、それならこれは戦意高揚のための映画だな、と興味を覚えてみたのだ。


■案の定、ネットで調べたらこの映画は真珠湾奇襲の翌年の1942年に製作され、奇襲一年後に当たるその年の「12月8日」に公開されている。成功裡に終わった真珠湾奇襲とマレー沖の海戦が描かれており、まさに戦意高揚を意図したものだ。

■たまたまぼくは今、野口悠紀雄『1940年体制』を読み出したところだ。真珠湾攻撃は41年である。同じ時期である。今回の政権交代を、55年体制の総決算とか、戦後政治の総決算とか、人によってはまさに明治維新以来の120年を経た革命であるとか、さまざまな意見が出ているが、その1940年の戦時経済をひきづってきた、いわば総決算となるのではないかとも思って、この本をひもとき始めたのだ。

■「40年体制」といわれるとあまりピンと来ないが、翌年が41年の真珠湾奇襲の年だとなると、いきなり時代背景が鮮明になってくる(もちろんぼくは戦後の生まれだが)。

■この時期、38年に国家総動員法が出来る。これによって日本は一挙に戦時体制へと動き出す。政治・経済・社会のそれぞれのシステムがすべて戦争を遂行できるような体制へ向かって動き出す――それをして「40年体制」というのだが。


■うろ覚えだが、この「40年体制」は確か、満州を治めた統治のシステムがモデルとなっているのではなかったか。そのことは読み進めばわかるが、とまれ、今回の政権交代は単に自民から民主へと政権が変わったということではなく、戦時経済、または明治維新の革命にもなぞらえた長い歴史の時間軸でとらえることが必用なのではないかと、思った次第。

「里山」が、ビジネスのキーワードに

9月2日(水)

■前回につづき、今回もWBSからのネタをとりあげる。昨夜は面白い切り口で特集を組んでいた。何と、テーマが「里山」である。「里山とビジネスが、どうつながるのか?」と疑問に思ったものの、どうにか見せてくれてはいた。

■ところで、ぼくのようにライターを生業にしていると、企業やビジネス絡みの原稿仕事で、与えられたテーマやキーワードに対して、何を結びつけてどこ(何)をどう取材すればいいのか、全く思い浮かばないことがたまにある。

■普通は与えられたテーマから、あれとこれなどと取材先や関連づけるべき何ものかが思い浮かぶ。ところが上にあげた「里山とビジネス」のように、ビジネスをどう関連づけたらいいのかが見えてこないことがある。

■ただしよくしたもので、何らかの関連づけを無理やり見つけて、おそるおそる現場取材を敢行すると、不思議なことにそこには伝えるべき何かが存在する。

■昨夜のWBSはいくつかのケースを取材していたが、純粋に里山とビジネスがくっついていたのは1つだけだった。でも取材の仕方や掘り下げようによってはいくらでも関連づけて伝えることは可能だ。要は、掘り下げることが出来るかどうかであり、取材力と時間があるかどうかだ。

■最初は新潟の「大地の芸術祭」が出てきた。このブログでも最近採りあげたばかりだ。この芸術祭はまさに新潟の里山を舞台にして行われている現代美術の芸術祭である。棚田や田んぼの脇に作品が展示されている。

■ではそれがどうビジネスとつながるのか、ということになるが、これはつまり「地域興し」である。全国から10数万の人たちが作品鑑賞に訪れる。そこで、お金が地元に落ちるし、地元も国際的な芸術祭を開催しているということで活性化するというわけだ。

■番組では触れていないが、実はこの芸術祭を多くの企業が支援している。いわゆる文化の支援であり貢献なわけだが、単なる支援や貢献の域をこえている企業も中にはある。

■支援企業のひとつにベネッセコーポレーションがある。この会社は美術館を保有していることでも知られている。

■この会社のトップに言わせると、企業の求心力として社是や社訓があるがそれは昔のことで、世界的なネットワークを持ち、グローバルに展開する今の時代ともなると、むしろ文化的な拠点となるものを持っている方が企業としては大きな意味を持つという。

■世界に通じるアピール力が違うとのこと。説明を省くが、会社が文化に貢献することで、文化が経営に貢献し、それが結果として求心力になるというのだ。だからベネッセはこの芸術祭を単に支援するだけではなく、芸術と文化をビジネスとして融合させるような仕掛も行っている。原稿ではないので、これ以上詳しくは触れません。

■番組では次に栃木県の里山での面白い事業を紹介していた。ふぐの養殖である。廃校になった学校を利用している。温泉が湧くらしく、その湯を使っての養殖である。海のふぐが、山里、里山で育つのだから面白い。これは、本業が地質などの調査を行う会社がやっている。地元企業である。山で育ったフグが食べられるようになる。

■最後に紹介していたのが、富士宮市だったかで行われている工業団地の開発だ。大成建設が行っており、こちらはスケールが大きい。

■通常の工業団地は平べったい土地区画を販売する訳だが、この工業団地はちょっと違う。環境とセットなのだ。それも環境と言っても、「里山の森」をセットにしての開発である。だから通常は切り開くはずの森林が開発団地の隣接して存在する。そして各販売区画にも植林を行う。それも数十年先を見越しての植林で、そこに林ではなく、森をさらに増殖させようというのだ。

■林と森では植物の生態がまるで異なるらしく、そのための森らしい。要は団地を森で包んでしまおうというわけだ。だから単なる工場の植林とは異なる。開発地区が「里山」というわけだ。これ、森の中に工場が、企業があるというそれだけで、今の時代は企業を見る目が違ってくる。環境を最大限に意識している企業として世間が捉えてくれるというのだ。

■ぼくは工場取材も結構してきている。大きな工場で植林はされていても、さすがに森の中にある工場となるとまず見たことがない。あるのだろか、おそらくないだろう。林だってない。

■でも一箇所だけ思い出した。中央線の国分寺駅から立川方面に向かうと右側に鬱蒼とした一画が見える。日立の中央研究所だ。ここは素晴らしい。門をくぐると、いきなり深い森なのだ。林ではない森なのだ。それも広大な森で、武蔵野の森や沼がそのまま残っており、まさに森の中の研究所である。しかもここの森は、緑が多い多摩の地域でもダントツと言われるぐらいの豊かな森で、他には較べられるところがないようなところだ。

■「豊かな里山の森」を活用したビジネスなり、地域興しなりがまさに動き出している。これも環境とのつながり、本物の環境を意識した動きということだ。
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