玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

June 2009

「そりゃーないだろう、日経MJさん」 いまさら「モンドセレクション」で広告集めるとは!



「そりゃーないだろう、日経MJさん」 


いまさら「モンドセレクション」で


広告集めるとは!




2009年6月29日(月)


■今朝の「日経MJ」こと流通新聞に、
日経の広告関連部署が企画・制作した連合広告が出ている。


連合広告とはあるテーマのもとに複数の企業が
広告を出すことを言うのだが、


今朝のMJの連合広告のテーマは「モンドセレクション」だった。


メディアでよく目にするのが、


この「モンドセレクション 金賞受賞」という広告。



その「モンドセレクション」で金賞を受賞した各社が
商品の広告を出しているのだ。



■実は昨年11月にこのブログで「モンドセレクション」を
取りあげている。


とりあげたのは「モンドセレクション」というのが、
あまりにもいい加減だからだ。


そしてそのいい加減さをあばいたのは、誰あろう、
他ならぬ日経MJだったのだ。


一面全面を使って「モンドセレクション」の
実態を伝えていた。



■参考までに以前とりあげたブログから、
ポイントを貼り付けておこう。


以下の文章の内容は、いずれもMJからのものだ。


・「モンドセレクション」の認証って食品に関する
おおやけの世界的な評価機関がしてるもんだとばかり思ってたけど、




単なる一般企業による評価。





・「出品の8割受賞/大半は日本企業」「商品増え飽和気味」と


この認証制度の食の権威の素顔に
(記事は)迫っている。いや、こき下ろしている。



・ベルギー・ブリュッセルに本部を置く「独立系国際評価機関で
政府の主導により設立」と(モンドの)HPが謳っているのに、





実体は私企業で、

ベルギー政府とは何の関係もない、

とベルギー大使館の担当者が言明
している






・08年大会では72カ国、計1753の商品が応募している。


そのうち金・銀・銅を受賞したのが1421の商品。





実に81%の受賞率
である。





なんだ、それ〜、ですね。
絶対評価方式だからそうなるというのだけど。



・日本からは863の商品が応募しており、





総応募数の約5割強。

日本の商品のほとんどが何らかの賞を
獲得しているとのこと。





この機関、私企業だから応募費が 収入源。

問題なのは評価基準が公表されてないこと。
だからまったく同じ商品なのに、年によって格付けが変わることがあるという。


日本企業が、いかにも海外の権威(らしいもの)に寄りかかって
販促に利用しているという図式
が見えてくる。

実際、その効果はあった。相当なものだった。




■という訳で、MJ自体が「モンドセレクション」の実態を
暴露
しているのだ。


だから、その暴露記事で海外の権威(らしいもの)に寄りかかって
宣伝をしてきた企業は、「これは、痛いねェ−」と思ったはず。


■ぼくの今月のブログで福島のお酒が、
鑑評会で上位を独占したことをとりあげた。


これは相対評価だから、順位がつく。
金賞が続出などあるはずがない。


お酒が旨いから、出来が良いから独占したのだし、
それだけのお酒をつくっている。


内容がふさわしいからこその上位独占だったのだ。


■ところが「モンド」は違う。評価基準も曖昧。
単なる金儲けでしかない。


で、そのことを暴露した新聞が自ら、
まるで掌をかえしたように「受賞記念」広告の音頭を取って
企画・制作している。


で、「そりゃーないだろう、日経さん」というわけだ。



■このところ新聞広告が厳しい状況にあるし、
しかも「押し紙」の問題で部数をかなり偽っている実態が暴露されている。


MJが「モンド」を悪と決めつけたわけではないものの、


あの記事の内容は、明らかに「まがい物、注意すべし!」という
印象を与えている。


にもかかわらず、自ら広告の音頭を取るとは呆れてしまった。




疑惑あり、劇場型あり、不信あり、執拗な攻防あり……と多様な政治状況

2009年6月26日(金)

■盛り上がることなく肩すかしをくらった、と昨日、民主党鳩山代表の「献金捏造」疑惑を報じた週刊新潮について記した。だが、ぼくのこの断じ方はあまりにも早計で軽率だった。

■この疑惑のポイントは額の大きい小さいではない。もし捏造が事実なら少額であろうと明かに犯罪である。しかも党代表だから、事実ならダメージは致命的。

■要はこの問題、まだ結論を出せる状況にはない。メディア各社は今、この疑惑を追っているところで、そうした中で、いち早く週刊新潮が現時点で「出せるところだけ」を載せた、というのが妥当な見方だろう。なにより広告の見出しの大きな扱いに較べてたったの3ページであっけないほどの記事だった。つまりはまだ、断定的な記事を出せる状況にはない、ということだろう。

■さしあたって、鳩山代表が自ら「献金捏造」の調査結果をどう説明するかにかかっている。そしてその後、メディア各社が洗った状況と鳩山代表の説明が折り合うかどうかというところだろう。

■いずれにしろこの問題は、前小沢代表の西松事件をひきずっており、政府与党がどういう攻撃を仕掛けてくるか、それに同調したメディアがまたどういう攻撃をしてくるかで、たちまち政治の、政局の形勢が変わるということだ。

■ぼくはテレビをほとんど見てないので、ぼくのニュースの捉え方に偏りがあるかもしれないが、解せないのは、与謝野大臣の違法献金の扱い。現職の大臣だし、しかも職務権限とかかわってくるのに、メディアの扱いがあまりにも小さい。

■与野党の単なるせめぎ合いではなく、検察が絡んでのせめぎ合いになっているので、納得がいかない。東京地検の西松事件のみならず、障害者不正郵便事件での大阪地検、そして名古屋地検もマルチ商法事件で動き出したという。いずれも民主党にマイナスの側面での影響を前提にだ。

■でもこれって政権交代がおきたらどうなるのだろう。いや、その可能性が高いからこその彼らの動きではあるのだが。

■ところで橋下知事の首長グループに鳩山弟が手紙を出し、連携もありうるかもなどという記事をネットで見た。東国原知事や橋本知事などのわかりやすい劇場型の行動に面白さを感じるのは仕方ないとしても、それはそれとして、一方であるべきまともな政治の動きや姿を想起しつつ現在の動きを見ていくしかない。

“かすり傷”ですらなかった鳩山代表の週刊誌記事

6月25日(木)

■てっきり致命傷ぐらいの「大怪我」を負う問題かと思っていた。昨日のブログに記した週刊新潮の鳩山代表に関わる記事である。今日、早速買って読んだ。
でも、この記事の内容ではかすり傷にすらならないのでは――ぼくはそれで良かったが。

■この記事、朝日新聞が先だって報じた記事の洗い直しでしかない。しかもメディアは昨日、今朝と東国原知事と与謝野大臣の献金疑惑の方で目一杯。

■確かに政治資金報告書の虚偽記載に間違いはないものの、新潮の記事は朝日が報じた記事の裏取りにすぎない。個人ではなく「“故人”献金」などについて名前の出た人たち4、5人に取材をして、「身に覚えがない」「知らない」という話しを載せただけのもの。額が小さいから良いというものでもないが、この程度では、まるで問題にはならないのでは。いや、メディアの興味は既にこの問題については終わっていると思う。

■昨日ぼくが新潮の件をブログに書いたのは、それを話したのが政治記事で売れっ子のライター上杉隆だったから。
彼が番組で、思わせぶりな言い方をしていたので、番組のキャスター吉田照美も、前日の東国原知事の発言や与謝野大臣の迂回献金のニュースを半ば放って、なんか驚くような言い方をしていたからだった。もちろんその時点では上杉も、その記事の内容そのものについては知らないからこういう事になったのだろう。

■今朝、吉田照美は番組冒頭でこの件に触れていたが、彼も、どうやら肩すかしをくってしまった。それでエクスキューズ気味に。
で、ぼくの方も、普段では考えられない、驚くほどのアクセスがあった。それでぼくもエクスキューズを。

■でもやはり昨日の上杉発言はやはり波紋を呼んだようだ。上杉自身に昨日の午後、メディアなどからの問いあわせがかなりあったとのこと。まあ、そういうことだ。続きを読む

こんどは鳩山代表のスキャンダル。激震?明日の週刊新潮が書いている

2009年6月24日(水)

■徹夜の仕事明けで多少アルコールが入っている。今日は立て続けにこれで2本目。これから休むつもりでいたのだが、昨日の東国原宮崎県知事の発言、そして今朝の毎日新聞の与謝野大臣の献金疑惑と政治の状況はかしましいが、さらに騒がしくなりそうだ。

■今朝の文化放送で、明日発売の週刊新潮が民主党・鳩山代表の献金疑惑にかかわるスキャンダルをすっぱぬくらしい。

■小沢代表に続いて、鳩山代表も金にまつわる疑惑で責められることになるという。おそらく今日の午後からはこのニュースが飛び交うことになる。

■事実はどうなのかわからないが、新潮の取材だから、かなり鳩山代表は苦しいのでは、という見方。

■民主党の試練か、鳩山代表の試練か。

■それにしても政治で出てくるのは次元の低い話しばかり。

すこぶる面白い、夢枕獏の格闘技小説を読んだ



すこぶる面白い、夢枕獏の格闘技小説を読んだ



2009年6月24日(水)


東天の獅子



■夢枕獏の小説『東天の獅子』を三巻まで読了。

講道館の嘉納治五郎と講道館創設の頃が描かれている。

要は明治初期の柔術世界を下敷きにした格闘技小説なのだが、これがすこぶる面白い!

■しかも作品からは(つまり行間から)、風格とは言わないまでも何かある種の気高さのようなものが漂うのだ。

それは嘉納治五郎という、明治の傑出した人間の描かれかたにあるのかもしれない……。

それと、文体が見事なまでにこの作品に馴染み、しっくり当てはまっているせいもあろう。

まさに格闘技小説のための文体になっている。そこまでこなれている。

■文章がそこまでこなれたのは、ひとつには、描かれている時代背景が明治時代の初期ということも多少は影響をあたえているのかもしれないが、それ以前にこの小説家がたくさんの格闘技小説の量を書いてきたことにあろう。

■ぼくは彼の作品はそう多くは読んではいない。読んではいないけど、あまり文章のうまさを感じることはなかった。

エンタテーメント系の小説家だから、読みやすさが第一なのは分かるとしても。

■例えば柴田連三郎賞をとった『神々の山嶺』にしてもいまひとつ文章に納得がいかなかった。

それがこの作品ではじめて、この小説家の文章に納得することができた。

■夢枕獏は、格闘技小説では比類無い書き手である。今野敏という小説家がいる。

この2、3年で警察小説がようやく認められ、吉川英治新人賞、山本周五郎賞、推理作家協会賞などを立て続けに受賞しているが、この人はカラテの道場も主宰していて、やはり格闘技小説も書いている。

しかし、夢枕にはまるで敵わない。まさに追随を許さずで、夢枕はついに格闘技小説の珠玉とも言える作品をこの小説でものにしたと言える。

■夢枕には同じ格闘技小説『餓狼伝』があった。

個人的にはおもしろさではこちらに軍配を揚げる。まさにページを繰るのももどかしいというほどの圧倒的な面白さだった。

しかし、小説作品の出来としてみるなら、この『東天の獅子』が圧倒している。

■三巻では、いや三巻まではだ……要するに「警視庁武術試合」がハイライトになるのだが、この試合の描写が、闘う双方の心の中に入って描いてあり、それが心憎いほどまでに闘う者の内面を時々刻々あますところなく描き、それがまたおもしろい。おそらく実際の武道家でも、己の闘いの時の心境をここまで掘り下げて語ることはできないのではないか――。

■小説には会津出身の講道館の小男が出てくるのだけど、「空気投げ」で有名な故三船久三十段が得意としたその空気投げとおもわれる技をこの小男が使う。

そしてその技はもともとは会津藩が門外不出とした秘蔵の技だったと。

■しかもその技を伝えたのが戊辰戦争、つまり会津戦争で会津の家老だった西郷頼母(たのも)だったというのだ。小説だからフィクションの可能性もあるけど、おそらく事実でしょう。

■それからこの家老の西郷はのちに日光東照宮の禰宜(ねぎ・神職)となるんですね。

そしてそのときの神主が西郷の殿様だった会津藩主、(幕末のテレビ映画でよく出てくる会津中将、京都守護職で知られる)松平容保なんですね。初めて知りました。

■それと、講道館柔道が柔術から生まれたことは広く知られているけれども、明治にはいって柔術は次第に廃れていくわけです。そういう時代に嘉納は講道館を誕生させている。

で、実は柔術各流派は、己の流派の得意技は公表しないというか、なるべくなら知られないようにしているわけです。技が知られれば研究されてしまいますから。

■ところが講道館は多くの流派のいろいろな技をとりいれて、そこにさらに工夫をこらす。

そして技を解放というか、隠すことなく公にしていくんですね。今で言えば企業の特許技術を次々と公表していくようなもの。

それが当時では珍しかった。これは当時の講道館を物語る一つの例ですが、そういうように時代に逆らって革新的な取り組みをしている。

■それから小説のなかに幾度も出てくるんだけど、柔道の投げられて一本について。

柔術家たちはこれに納得できないんですね、なかなか。一本取られて負けたと言われても納得できない。

投げられてもまったく、痛くもかゆくもないし、身体にも異常がないのに、どうしてそれで負けなんだと。

■これは、試合をしてる場が畳の上だからなんですね。もしそれが戸外ならどうでしょう。

固い地面や石や岩や木々ななどがある戸外で闘い、それらに叩きつけられ投げられてぶつかったりしたら、相当のダメージを負うはずですが……そのあたりのところがなかなか納得できない。

■ところで灘の菊正宗酒造は嘉納家が江戸時代から営んでいたもので、治五郎の父は分家の3代目。

当の治五郎は東大を出て学習院で教頭にまでなる人で、文字通り文武両道を絵に描いたような人物。明治の大変な知識人だった。

西洋を学んでいたので、和と洋、柔術とスポーツ、文と武というように対立するものを両立させる思考法を身につけていた人なんですね。

嘉納についてはノンフィクションの作品もあるはずだが、そこまで読む気にはなれない。やはり格闘技小説としておもしろいから手にしたので――。







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