玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

November 2008

プロジェクト消滅 その後で岡本太郎の壁画の壮大さに圧倒される


2008年11月27日(木)


岡本太郎
岡本太郎「明日の神話」――渋谷駅コンコース(壁画はメキシコで制作されたもの)


■小雨の中を横浜まで出向く。
晴れていれば仕事の後で市内を散策するつもりでいたのだが生憎の雨模様。残念。

■帰途、いつもは通過する横浜駅の改札を出た。
街に出るわけにもいかず地下街へ。雑踏でうんざり、まともに動けない。すぐ東京に戻る。
横浜へ行くときは東横線と井の頭線を利用するのだが、このところ都心までの定期券があるので今日はJRを利用した。
湘南快速線の速いこと速いこと。あっという間で渋谷に着く(行きは大崎駅から横浜駅までノンストップで確か20分だった)。
横浜に乗り入れている東横線と競争だから速いんだ。
車内の雰囲気からすると個人的には東横線が好きだ。それにしても乗った電車は宇都宮行きだというから、湘南(東海道)から一本の電車で宇都宮(東北線)まで行けてしまうわけだ。でも大半の乗客は都内で降りてしまうのだろう。

■渋谷駅で知人と落ち合い一時間ばかりお茶しながら仕事の話。
参加予定だったあるプロジェクトの話が消滅してしまった。知人から伝えられる。
その兆候があったので落胆はしないものの、決まっていれば、来年はそのプロジェクトにどっぷりつかって目一杯だったはずなのだが……。
まあ仕方がない。これはやはり不況の影響だろう。残念。
不況が仕事にも、あるいは周囲の者にも影響を及ぼしている。
来春まではもっとひどくなるだろう。

■渋谷で下車したので、先週設置された岡本太郎の壁画を見る。
原爆の炸裂の瞬間をイメージしたという「明日の神話」だ。その壮大さに圧倒された。
そして見事な壁画である。ただし空間がいささかほの暗いのはいただけない。

■テレビやネットで見てはいたが、実際にみると、その大きさに呑み込まれ、素晴らしさにも圧倒される。
あれだけの巨大な壁画となると、国内には比肩するものは他にないのではないか。

■その壁画の下を行き交う駅利用の通行人の雑踏の流れは途切れることがない。大半の人は足早に行き交うだけで、壁画には見向きもしない。
一日30万人の通行人らしいが、ほとんどが通り過ぎるだけだろう。もっとも誰もがそれなりには見てはいるのだろうが。

■それでも見物の、いやこの壁画をみるために立ち止まっている人もいることはいる。雑踏の流れから外れて見ている。
一日にどれぐらいの人が立ち止まって見ているのだろうか。ほとんどの人が(若者からオバチャンまで)例によってケータイ(を横にして)で写真を撮っている。

■岡本太郎はたしか80年代半ば頃までは知られていたはずだと思う(個人的には昔、著書を何冊か読んでいる)。
それ以後はすっかり過去の人となってしまい、名前すら出てこなかったのに、なぜか復活している。
どうしてなのかはしらない。太郎の養女だった女性の踏ん張りだろうか。
今回、太郎の壁画を復活させた岡本太郎記念館の館長は、実は国内ではイベントプロデューサーとしては知る人ぞ知るで、第一級の人物。
これまでも海外の展示などでは日本政府の日本館などをプロデュースしている人だ。

■彼がなぜ岡本太郎とつながりがあるのか知らなかったが、岡本太郎の養女だった女性がこの館長の叔母さんにあたることを、今回知った。
いや、叔母さんが養女云々以前に、この館長の父親が岡本太郎と親交があったはず。
70年万博でく二人(父親と太郎)は一緒に仕事をしているのだから。








日本人の海外信仰に乗じただけの、お粗末モンドセレクションの実態――日経流通

2008年11月19日(水)

■「モンドセレクション」の認証って、

食品に関する公的な世界の評価機関だと思ってたけど、

これが違った。

やってるのは単なる一企業だった

モンドセレクション
  ヤフーブログより

■日経流通新聞を繰っていたら、
先週の新聞がこのモンドに切り込んでいる。

かなり詳しく。

その実態、実情があからさまだ。

もしかしたらこの記事により

「モンド」の地位の低下があるかもしれない。

いや、あるはずだ。
ぼく自身、なんだそこまでいい加減なのか、と思ってしまった。

■この夏から秋にかけて、ある食品の販促がらみの仕事にかかわった。

競合の(そして強豪でもある)商品が

「モンドセレクション」の金賞受賞を掲げ、派手に宣伝をしていた。

■普段は「ふーん、モンドを受賞ね」という程度の関心でしかないが、

仕事で関わった商品の競合商品が受賞していたので

なんとなく気にはなっていた。

■記事の見出しだけでも面白い。

「モンドの輝き度」

「お墨付き『知名度アップ』」

「受賞効果は?」とあって、

「出品の8割受賞/大半は日本企業」

「商品増え飽和気味」


この認証制度の食の権威の素顔に迫っている。

いや、こき下ろしている。

■ベルギー・ブリュッセルに本部を置く

「独立系国際評価機関で政府の主導により設立」

とHPが謳っているのに、

実態は私企業で、

ベルギー政府とは何の関係もない、

とベルギー大使館の担当者が言明
しているのだ。

■08年大会では72カ国、計1753の商品が応募している。

そのうち金・銀・銅を受賞したのが1421の商品。

実に81%の受賞率である。

なんだ、それ〜、ですね。

絶対評価方式だからそうなるというのだけど……。

■日本からは863の商品が応募しており、総応募数の約5割強。

日本の商品のほとんどが何らかの賞を獲得しているとのこと。

この機関、私企業だから応募費が収入源。

問題なのは評価基準が公表されてないこと。

だからまったく同じ商品なのに、

年によって格付けが変わることがあるという。

それにこの会社から独立した人たちが

別の同じような評価機関を

やはり企業として設立させているという。


■こうなるともう単に日本企業が、

海外の権威もどきに寄りかかって

販促に利用しているという図式でしかない。


でも効果はあるんですね。

いや、かなりのものといえる。

でも、ここまで公になると今後はかなり厳しいのでは――。




ストリートビューの便利さ、面白さに抗すべきものがあるはず

2008年11月16日(日)

■今朝の日経の社説はグーグルのストリートビューを採りあげている。ぼくは地図を見るのが好きで、このストリートビューは気に入っている。以前住んでいた場所がどう変わってしまっているのかや、知っている場所がどのように映じているのかなどに興味を覚えてよく見るし、時には見知らぬ場所を呆けたようにこのデジタル地図を動かしながら時間を潰すこともある。

■この地図の画像は、パノラマカメラを積んだ車で街中を走りGPS(全地球測位)システムの情報を駆使して地図に貼り付けているらしい(そう記している自分でも、どのような技術なのか分からないが)。数か月前、試しにじぶんの住所を打ち込んでみた。驚いた、一発で、いきなり自宅の画像が目の前に飛び出てきた。

■さすがGPSと思う前に、生活道路の奥まった場所の一角にある自宅がどうしてここまで顕わになっているのだと、半ば呆れ、半ば怖くなった――ここまでネット上で、プライバシーが公になってしまっていいものかどうか、と。

■その後、このデジタル地図画像の中に真っ黒に塗りつぶされている箇所があることを発見。それはほとんどが住宅地の個人の家のようだ。試しに自宅の近所の道路をなぞってみたら、いくつか黒く塗りつぶされた箇所が出てきた。なるほど、この画像を敬遠している人たちもいるわけだと思った。

■ならば私も、とは思ったものの放置しておいた。案の定、それからしばらくしてストリートビューのプライバシー問題が云々されるようになった。ところが経産省の「違法ではない」のひと言で、この問題はなんとなく決着がついてしまったようだ。

■このプライバシー問題はこのままうっちゃられて終わってしまうのかなと思っていたら、つい先だって、教師が地図上に子供たちの名前と住所を残してしまうミスが明らかになり、再びストリートビューのプライバシーが問題になった。

■気に入っている、などといって喜んでいるわけにはいかなくなった。普通の地図上で自宅を探すのと、住所を打ち込めば一発で自宅が画像としてあからさまになるのとでは、提示される情報の次元がまったく異なる。それこそプライバシーが気になる人がいてもおかしくはない。だけど経産省のひと言があった。でもそれでいいのか、と疑問に思っている。

■グーグルに依頼すれば、地図上から削除してくれる(墨を塗りつぶす)らしいが、それはそれとして、ぼくは何かもっと大きな問題が出来するのではないかといささか気になっているのだが、どうだろうか。便利だから、法律に違反しないから、という見方が優先されているけど、判断基準がそれだけでいいのかどうか。便利さと裏腹に何らかの不都合が生じたり、また生じるのは世のならいだけど、ここまであからさまな情報が気軽に手にはいると言うことは、悪事にも手軽に利用されかねないということでもある。

■それが杞憂で済めば問題はないが、まだまだこの問題は決着がついたとは言えないだろうと思う。ネットそのものも含めて、これまで日常生活では経験しなかったものがネット上から次々と自宅に居ながらにして手に入れることが出来るようになった。その便利さとともに、われわれは次第次第になにか大事なものを失っているのではないか。今回の教師のミスも問題にはなっても、一過性の失態として見過ごされそうだ。情報との接し方を理解する前に情報の方が便利この上ない形で押し寄せてきている。その便利さを単純に受け入れてしまうことに既に現代人は慣らされてしまっている。よほど気をすえて掛からなければ、情報洪水のなかであらゆるものに抗しきれなくなってくるのではないか――抗すべき神経が鈍磨するとでもいうか。その鈍磨を回避するすべは己自身にしかない。情報と共に生活する以上、そうしたことをより意識せざるを得ない。


旧満州成立から、なぜ小津監督はローアングルなのか? まで


旧満州成立から、

なぜ小津監督はローアングルなのか? まで



2008年11月10日(月)


小津安二郎



■船戸与一『事変の夜』読了。
この本は、いわゆる著者の「満州国演義2」である。ちなみに演義とは、中国語でいうところの歴史を元にした「小説」の意味。
二分冊だとばかり思っていたらすでに四分冊出ており、どうやらもっと続くらしい。
小説の冒頭で戊辰戦争の会津落城の一端に触れており、そのあたりと関わりがある話の筋になっていくのかもしれない。


■前々回に触れたとおりこの小説は旧満州の誕生からその消滅までを知るには格好の書と言える。
主人公の4兄弟が満州の成立にまつわる主要な事件や事変にそれぞれの立場で関わっているので(例えば張作霖列車爆発事件から、満州事変=1931年、上海事変等々に)旧満州成立の様子が手に取るようにわかる。


■兄弟は、長男が外務省の奉天総領事館の参事官、次男が馬賊の頭領、3男が日本帝国陸軍将校、4男が上海にある東亜同文書院の学生。


■旧満州の細かな歴史(と同時に当時の満州での生活なども)を知ることができるのも、この小説の醍醐味なのだが、それ以上に小説としてのおもしろさも捨てがたく、まさに第一級。


■(前々回金融恐慌に多少触れているので)無知をさらけ出すが、昭和の金融恐慌とはてっきり1929年(昭和4年)のニューヨークの株式大暴落にはじまるその余波とばかり思っていた。
ところがそうではなくその2年前の1927年(昭和2年)に当時の蔵相の失言を機に金融不安が表面化して取り付け騒ぎがおこり36の金融機関が休業に追いこまれた事を指している(そこまで知って、そういえばと思い出したが)。


■当時は第一次大戦後の不況下にあり、加えて関東大震災後の震災手形の処理に政府・日銀が手間取ったことなどから起こったもの。そこに2年後のニューヨークの余波が追い被さったから大変な世の中に。
それこそ娘が借金のかたに売られていた時代だ。
だから「満州で一旗揚げよう」の声が響いたのだ。
たまたま先週5日の日経に200年企業と題して「昭和恐慌後のMBO」の連載記事が出ている。


■ここでは伊勢松坂に本店を置いた「小津銀行」の信用不安について詳しく述べてある。興味のある方はそちらを。
ところで松坂の小津と言えば、あの名監督小津安二郎が松坂出身。
案の定、小津監督はこの小津屋(日本橋で大きな紙商を営なみ、後年銀行も)の暖簾分けした家系に連なる。


■ここでの話の進行上、小津監督とは何の関係もないけど、個人的にこれから佐藤忠夫『小津安二郎の芸術』を読むつもりでいるので、たまたま。


■小津と言えば「ローアングル」と言われるが、何で「ローアングル」なのかについては、あまり知られていない。


■まだ読んでないのだが、佐藤忠夫は言っている。
日本映画は西洋映画をお手本に見よう見真似で発達した。
だが真似ようのないのが畳の部屋で人物をどう演出したらいいかということだった、と。


西洋の室内なら動いたり歩いたり、椅子に腰を下ろしたりと動きや姿勢や位置関係を変えて多様な変化に富んだ場面を作り出すことが可能だ。しかし畳ではそうはいかない。
日本家屋の畳の部屋で人物が向かい合ってすわったら、話が終わるまで動かないのが原則。
動かない人物を映画で面白く見せるのは至難であり、長い間、日本映画はテンポがのろいから退屈だといわれてきたものだが、その一番の原因はそこにあるのでは、と佐藤が指摘している。


■つまり、その至難を解決したのが小津のローアングルといういわけだ。
実はこの至難を解決した人物がもう一人いる。
溝口健二だ。
こっちもついでに触れるが、溝口は日本家屋の障子や襖をあければ家全体が一つの大きな空間ととらえることに着目して、人物を縦横に部屋から部屋に移動させ、それを移動撮影で追い続けて激しい動きを出している。


■長くなるのでこのあたりでおくが、ついでに本棚から昔読んだ蓮実重彦『監督小津安二郎』も引っ張り出した。併せて読むつもりだ。









ニューオータニ経由日比谷行き ハリウッドの傑作映画に出会う

2008年11月6日(木)

■連休が開けて一昨日と昨日は江戸表へ出仕。久しぶりでニューオータニを訪れる。ガーデンコート(ビジネス・オフィス用ビル)にはいったら、広いエレベータフロアの空間いっぱいに大勢のスーツ姿が溢れんばかりにたむろしている。奥のアトリウムの瀟洒な階段にもネクタイ族が格段ごとに腰を落として埋め尽くしている。何事かと思ったら、某オフィス用品の大手企業が単独の展示会を開催している。続々人が訪れエスカレータは数珠繋ぎの人で溢れている。はて、ここは一流のホテルではなかったか、いつから展示場になったのか。なんとなく場違いな感じ。

■ガーデンコートに入っている企業を尋ねた後、ホテル関係者の知人に会う。外資系の高級ホテルがやってきて旧ホテル御三家などをはじめ、各ホテルは迎え撃つためのリニューアルを終えた。客の取り合いが囁かれていたけれど、外資は宴会場を持たないという。そこでオータニのようなホテルは宴会で稼ぐことになる。しかしひと頃とは違い企業側もホテルを使っての周年記念披露とかトップのお披露目とかの派手な披露宴は開かなくなったのだという。

■代わりに増えたのが企業のビジネス主体の展示会。交通の便はいいし、ついでにホテルの豪華な食べ物もそろえているので、ニューオータニは好評なのだという。それからホテルでの結婚式も宴会部門としては大きな売り上げだが、これも最近はやりの独立系のユニークな結婚式場が増えてホテルにとっては厳しいとのこと。今、ホテルで式を挙げるのは親が金を出してくれる人ばかりとか。

■その後、有楽町へ出て日比谷シャンテで映画「ボーダータウン報道されない殺人者」を観る。知人から薦められていたのだ。これは傑作。

■アメリカとの国境沿いのメキシコにある工業都市で数百人の若い女性が殺される。実際に起こった未解決の事件をもとに制作された社会派のサスペンス映画だ。事実は5000人が行方不明になっているという。事件の背後には自由貿易を成立させている国家が絡んでいる――つまりグローバル化した現代の資本主義社会の負の部分が。そのために国家はもとより警察も、本気で事件解決にとり取り組もうとはしない。

■たまたま今、東洋経済がベスト経済書に選んだ『暴走する資本主義』を読んでいる。

「それは、過去数十年の間、資本主義は私たちから市民としての力を奪い、もっぱら消費者や投資家としての力を強化することに向けられてきたということである」
(※下線部はつまり、富裕層の力が強化されてきたという意味)
「なぜ、資本主義がこれほどまでに成功を収め、民主主義はこれほどまでに弱まってしまったのだろうか」

これは著者のロバート・ライシュが序文で語っている一説だ。まさに暴走した資本主義が描かれているのだ。

■長々と説明するつもりはない。ジェニファー・ロペスが出てきたとき、いささかの違和感を覚えたが、これが悪くはない。東京ではシャンテだけの単館上映だが、このような映画こそ一人でも多くの人に観て欲しい。凡作を100本観るなら、これを1本観るだけでも価値がある。ほとんど知られていない映画だろうけど、ハリウッドはエンタテーメントもさることながら、このような映画をきっちりと送り出しているのだと改めて認識。ハリウッド、やはり凄いものだと思う。

大恐慌と満州、そして田母神論文

2008年11月2日(日)

■今朝の日経の文化欄に作家の佐江修一が「満州・中国東北部の子供たち」の題で一文を寄せていた。この夏の北京オリンピックの頃、いわゆる旧満州すなわち中国の東北部を旅した日々の思いを綴ったものだ。

■今満州と言っても、若い人はおろか戦争を知らない50代や40代であっても、あまり興味を示さないのではないか。佐江氏は70代半ばだから、少年の頃旧満州に憧れた云々と新聞でかたっているが、その年齢の世代だからこそ、満州を満州として認識出来ているということだろう。ぼく自身、数年前までまったく満州などとは縁がなかった。それがある仕事でたまたまある団体(政治的な意味はない)と関わり、多少興味を持つようになった。

■満州については数多くの資料ともいえる書物などが出ており、その気になればいくらでも満州の知識を仕入れることは出来たはずだ。それなのにぼくの満州のクロスワードパズルはほとんど埋まっておらず断片的な半端な知識でしかなかった。何を読めば満州の歴史の全体像を鳥瞰できるのか、それすら調べることはなかった。歴史年表をいくら眺めても、その背景にかかわる知識がなければ理解のしようがない。

■それに既に鬼籍にはいった親から、それでもバゾクだの、リコウランだの、ヒキアゲシャだのという言葉は子供の頃耳にしていた(さすがに石原莞爾などの名は出てこなかったが)。長じてから個人的には多少の歴史的な興味を覚えて満州に関わる書をひもといたことはあるが、やはり全体像まではわからなかった。そうした半端な知識のままで上記の団体とかかわり、興味を覚えたのだが、その時点で多少の知識を仕入れたままで今日に至った。

■ところが一週間ほど前、たまたまネット上でなかにし礼の原作をもとに映画化された「赤い月」を観た。現地での撮影が奏功したのだろう、ソ連軍の侵攻で、満州から命からがら引き上げてくる当時の日本人の様子が描かれており、その描き方や今まだ当時の面影を残している建物などが映し出されたことから、映像を観ることで、一部ではあってもかなりその当時の様子が伝わってきた。

■それで興味を覚えて「赤い月」の原作を手にした。途中で、以前から読もうと思っていた、旧満州をフィクションとノンフィクションを織り交ぜて描いたとされる舟戸与一『風の払暁 満州国演義1』を手に取る。読み出したら案の定、これが満州の歴史を概観するにはまさに格好の書。二分冊の前巻をいまようやく読みおえたところだ。

■世界的な金融危機が起こっている今、この本を読みだすと、時代はまさに1929年のウォール街の株価が大暴落を起こす世界恐慌の時代と重なり(満州事変は1931年)、当時の日本はひどい恐慌のさなかにあったことがわかるし、またいわゆる「1940年体制」が言うところの官僚による政治(管理)システムの確立はすなわちこの満州で形作られたものであり(いわゆる満鉄がその役割を果たし、その典型的な人物が岸信介)、そういうところと考え合わせながら、この小説を読むと、実に面白い(小説そのものも面白いが)。それにもう一つ、この数日メディアで話題になっている防衛省を更迭された田母神俊雄前航空幕僚長の問題の論文にも関係する。

■満州と縁のある映画では「ラストエンペラー」があるが、あの映画では満州を知ることはできない(これですら87年の制作だからもう20年以上前になる)。それから五味川純平『戦争と人間』(同映画も)も満州を描いているということだが、これは後日読んでみたい(観てみたい)。

■忙しいなか、しばらくは興味の赴くままに満州関連の書を今後数冊ひもとくことになろう。
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