玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

October 2008

(2 )新たな広告効果 あの機器が、街頭であなたの顔を特定

10月28日(火)

■やはり専門家の見る眼はちがう。前回ぼくが新聞記事をもとに記した内容は、その記事にあった内容も含めて、やはり素人レベルの(単にうのみにした)話の次元でしかなかったようだ――前回に引きつづいて街角の映像ビジョンの話をしたい。前回の映像ビジョンの話をアップした後、国内でもトップクラスに位置づけられる映像・音響機器を専門に扱う企業の人と話し合う機会があった。

■その人は営業の人だから技術的にそう詳しいわけではないだろうが、大型のLEDやビジョンに専門家の立場で関わっている。で、その人に、数日前の新聞に「街角の映像ビジョンが、ビジョンを見上げている人の顔を認識して、性別や年齢層を判断する云々」と前回記した内容を話し、どう思うかを尋ねた。

■その人が言うには、(一般論として)人の顔を認識するのは、そう特別な技術ではない、とおっしゃる。「その認識技術がどれだけ高度なものかは分からないけど、そういう技術は以前からあるし、早い話、いまじゃァ、デジカメだって顔を認識して写すでしょう。確かにイスラエルのソフトの技術が高いというのは定評があるけれど、果たしてそのシステムがどの程度実質的にマーケティングに使えるかとなると、いささか疑問ですね」

■そして、そのカメラやシステムが軍事技術から転用されたものなら信頼するに足るが、そうでないとなると疑問だという。

■また、国内には街角に2000あるというビジョンの数だけど、その数も疑問とのこと。何でも街角のビジョンは次々と外されていくという。あれは一種の広告看板で、業者が潰れたり、採算が合わなくなったりしてどんどん外されるのだという。

■そして、渋谷駅前のような賑わいのある交差点ならまだしも、そのシステムを使えるだけの賑わいのある交差点のビジョンとなると、全国でも、まず数はかなり限られるとのことで、システムが使えるビジョンの絶対数が少ないという。

■となると、広告効果の測定という意味では、どれだけ拡がりをもち、(業界に)影響をもたらすものかは疑問だという。

■ということで、言葉を選びながら遠慮しつつ話してくれたが、その程度のシステム技術では、技術として捉えたら、現時点ではあまり意味をなさないのではないか、とのことだった。

■やはり普段携わっているジャンルの人の意見は貴重だ。僕らが普通原稿や記事を書くときは、関係者や専門家に取材をする。そうした意見を踏まえて書く原稿や記事だからそれなりの説得力や読み応えがある内容になる。やはり新聞レベルのちょっとした紹介記事をうのみにしてしまうと大きな判断ミスをしてしまう。――ということでした。


新たな広告効果 あの機器が、街頭であなたの顔を特定

2008年10月22日(水)

■例えば渋谷駅前のスクランブル交差点で見上げるビル壁面のLEDの大型表示装置。そう、都会の街角でよく見かける大型の映像ビジョンである。昨日の日経夕刊に出ていたのだが、そのビジョンが、例えば交差点で立ち止まってビジョンを見ている人間を搭載したカメラで特定するシステムが出来たという。ビジョンを見た人の数と性別を判別するというのだ。

■ビジョンの画像を数秒間見た人を視聴者と見なし、顔の特徴から性別や年齢層を判断するという。そこまではなんとなくわかる。その程度の技術ならどうってことはない。頭がいいというか、面白い機器だなと思うのは、同じ人が30秒以内に同じ場所から画面を見てもカウントしないのだという。

■解析にはイスラエル製の専用ソフトを使い、これでこれまでうっちゃられていたビジョンの広告効果が計られることになる。テレビであれ、何であれ、精緻な広告効果は計りにくい。国内にはおよそ2000のビジョンが街角にあるらしい。この装置の導入でビジョンの使用スタイルに若干の影響が出てくるかも知れない。

■あるプロジェクトに俄にかかわることになって、制作関係で大手のディスプレイや映像機器の業者を訪ねることになったので、ついそうした記事に目がとまった。

■これから、そのプロジェクトのために江戸表までネクタイを締めて出仕しなければならない。

心からの患者サービスを採りいれた病院と、老人医療

2008年10月21日(火)

■ひと月ほど前に市の健康診断をある病院で受け、その病院まで結果を聞きに行った。病院が患者を待たすことは今更いうまでもないが、折悪しく午後の受け付け開始時間直後に病院についた。

■待合室は既に受付を終えた老人で埋まっていた。まずい、と思ったが、案の定、わずか数分の健診結果の説明を受けるのに1時間半以上待たされることになった。久しぶりになんともノンビリした時間を過ごすことになった(もっとも、頭はずっとあるプレゼンのことを考えて稼働していたが)。

■そして説明をしてくれる内科の医師の順番がまだぼくには廻ってこないとみた病院の看護士が、それならとばかりに外科の先生の手があいたので「こちらへ、どうぞ」と、外科の診察室にはいるように言われた(これは病院の気配りといってよいのでしょう、おそらく)。そして外科の先生から数分の説明を受けた。

■健診の結果票をもとに話すのだから、内科だろうが外科だろうが医師の説明にあまり大差はない。持病を別にすれば特に異常なしとのことで説明を終えた。持病は糖尿病だが薬を飲むほどではない。ある病院で治療を受けていたが、医師と合わないので行くのをやめた。以後は糖質制限食を中心に運動などをしてどうにか数値的には回復傾向にある(たまに数値検査をおこなう)。しかし数値がよくてもこの病気は治らないものとおもっているので、従来通りの食事や運動などの療法を継続するしかない。

■それにしてもこの病院は老人が多い。待合室も、入院患者の車椅子もほとんどが老人だ。車椅子やベッドに横たわる老人たちは介護が必要な人たちばかりのようだ。

■老人たちには悪いが、数十年後の自分がそうなったら敵わんな〜などと思いつつ、他人事のように見つめている自分がいる。しかし一方で、自分の親のことを考えると、他人事のように見つめる自分の姿が何か冷たい心の持ち主のように思えてくる。相手が弱者なら、そこにはやはりいたわりの心を持つのが人間の心情というものだろう。

■健診は以前からずっとこの同じ病院で受けている。前はこんなに老人はいなかったような気がするのだが――。改築後、医師も看護士も従業員もとても患者に対するサービスがよくなり、人当たりがよくなり、親切になった。すばらしいのはそれがマニュアルでやってるという感じがしないことだ。医師が、看護士が、一人一人が心から明るく伸び伸びと己の仕事に励んでいるように見える。考えてみると、それってとても出来そうでなかなか出来ないとても大変なことだ。

■そしてその結果なのかどうかわからないけど、患者に老人が増えたようだ。それは、この病院に老人をいたわる心があるから老人が増えたのかもしれない。

■これから老人が増える時代が来る。いや既に来ている。経営という意味では、明らかにこの病院は老人で持っているといえる。そしてそれはそれで悪いことではない。とするとこの病院のサービスの改善はそうした老人の時代を先取りしたサービスの改善だったのかもしれない。診療というサービスを施し、その結果として病院経営がうまくいく。

■病院経営が先にあったにしろ、患者サービスの向上が先にあったにしろ、病院の真っ当な経営を考えたら、自ずと行き着くところは、時代が要請する老人中心の医療に絞り込むということだったのかもしれない。

■それが当たっているのかどうかわからないが、心から接する患者サービスが存在するから、経営的にうまく運んでいるのではないのか。ほかにも医療関連の施設をいろいろ運営しているので、グループとしてはこのましい経営状況にあるのだろう。

■戻ってまたまた仕事だが、明日はまた江戸表に出仕しなければならない。

現在の経済動向に触れた、2つの優れた文章を読む

10月18日(土)

■昨17日の日経の「経済教室」はボストン・コンサルティンググループの日本代表・御立尚資氏が「投資銀行は『原点回帰』へ」と題しての論考を寄稿している。「金融危機と世界 行方を探る」としたシリーズによせての論考である。

■氏の論考はまず業態としての投資銀行のはじまりから触れ、「金融技術のイノベーションとして評価され爆発的に広がって」いったこれまでの(投資銀行の)業務内容と今日の破綻へ至る経緯、そして今後についても述べている。今、「投資銀行はもうおしまいだ」と語られている。けれども、果たしてそうなのかどうか? そうした疑問に、御立氏は短い論考ながら、鮮やかにこれまでと、そして今後について投資銀行というビジネスモデルの姿を分かりやすく示してくれている。

■今後については一般に囁かれる「おしまいだ」の声とは裏腹に、日本の銀行や証券会社が莫大な資金を出して買収に動いたが、それで果たして採算があうのかどうかというのが、素人ながら、いや素人だからこそ素朴な疑問としてあった(多くのヒトもそうだろうと思う)。

■投ずる資金と較べたらその決断を下すに足る十分な時間すらなく、あわただしさなかで莫大な資金が動いた。おそらくそれらの銀行や証券会社は外部のコンサルテングファームからの判断資料なども早急に取り寄せたことだろうと思う。

■そしておそらくはこの論考に近い内容が日本の金融界や経済界のトップ企業に対して配布されたであろうことなども想起しつつ、目を通した。それだけの内容である。興味ある方は日経に目を通していただきたい。

■ところでぼくは、この論考の内容もさることながら、日頃企業の広報関連の仕事、それもどちらかというとお堅い分野のライテングの仕事などを手がける一人のライターとして、世界的なコンサルテングファームの日本法人のトップが記した論考とその流れや展開に興味を覚えた。

■おそらく社内的には二重三重のチェックを経て出てきた論考だと思う。間然するところのない文章であり、論の展開であり、論考である。見事なものだ。文書作成のプロの手になる高度な文書、文章のお手本というべきか――。

■それから今日の上草一秀先生のブログだが、いよいよ核心をついてきた感がある(先生のブログは一流の経済人の優れた文章と内容で編まれており、毎日拝読できるだけでもありがたい)。かつてはテレビ東京のWBSの二枚看板として上草先生と竹中平蔵氏が同じ時期にこの番組でコメンテーターをやっていた。そして一方は落とし込まれ、他方はのうのうと生きている。しかし先日からのブログで上草先生が核心をつく内容に触れだしている。その圧倒的なブログの読者を前にして、いよいよ小泉政権の負の核心に迫るコメントが出てきている。金融危機と世界経済、そして政治も動く。今、何があってもおかしくない。しばらくは注視したい。

代打仕事で、武蔵野の秋日和は夢に そしてクラウド・コンピューテング

10月16日(木)

■今日は、久しぶりに江戸表へ出て動き回り、エライ疲れた。(昨日記したように)ノンビリの秋日和を武蔵野の地で過ごそうと思っていたのに、いきなりじゃま(仕事)が入った。

■昨夜、大手の広告屋さんから電話があって、いきなりあるプロジェクトへの参加を請われた。どうやらプロジェクトに関わっていたヒトが、なにかの都合で急に降りてしまったらしい(どうも、降ろされたようだ)。何があったのかはわからないが、困っている、至急なんです、代打でお願いします、と、相手が電話の向こうで三拝九拝。

■そういわれても、と固辞したものの、結局受けることになった。で、今日の朝一番でクライアントに出向くという。とりあえずは広告屋さんも数人出向くと言うし、今日のところは僕らが対応しますから顔見せだけでもと言われ、ネクタイ姿で出てこいという。そして資料をメールで送るから目を通しておいて欲しいとのこと。

■で、今朝は5時に起きて資料にひととおり目を通し、珍しく朝の通勤電車に乗って江戸表へ出仕した次第。それやこれやで午後3時頃までかかった。

■かかわって分かったが、しばらくは週に2、3度江戸表に出仕しなければならなくなった。忙しくなる。このところの荒っぽい株価の動きと共に、不況の波が鮮明になってきた。それを考えたら、忙しいなどとはいっていられない。仕事があるだけでもありがたいのに、向こうからやってくるのだからムゲに断るわけにもいかない、と自分に言い聞かせ、重い腰をあげた。

■久しぶりのスーツ姿だった。今日はいわれるが儘に体を動かしていただけだったけど、これからがクリエイティブな仕事だし、場合によってはクリエイティブの管理になるかもしれない。かなりしんどくなりそうだが、まっ、思いかけず舞いこんできた仕事である。心して取り組むつもり。

■ところで昨夜、NHKの「クローズアップ現代」が採りあげていたクラウド・コンピューティングだが、次世代どころかすでに現実のものとなっていることに驚いた。PCにソフトがいらなくなり、キーボードと画像が映ればそれで済む。ネットの向こうにスーパーコンピュータが存在する。PCはいまや単なる端末である。

■今はセールスフォース社の独擅場のようだが、マイクロソフトがその牙城を虎視眈々と狙っている。そこでセールスフォース社はグーグルと手を組み、対抗するようだ。

■これ、データのすべてをネットの向こうに預けてしまうという課題はあるものの、相変わらず日本は参入できず、まったくの蚊帳の外。数年後にはこれが標準化しているのだろうな、おそらく。
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