玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

June 2008

新市場、新商品…の発想に、「ラテラル(水平思考)マーケティング」手法はつかえる!

2008年6月26日(木曜)

■今朝の日経の新商品欄に(乳酸菌をつかった)機能性ヨーグルトの競合記事が大きくとりあげられていた。明治乳業の「LG21」とカゴメの「ラブレ」という商品のバトルである。08年の売り上げ目標が、「LG21」は324億円で、「ラブレ」は120億円だという。

■一つの商品でありながら数百億円という売上額には驚いたが、実はいま、数十億円の売り上げを誇ったある商品の新たな販売提案の企画が舞い込み往生している(昔取った杵柄で、たまに広告畑や販促畑の仕事も舞い込む)。

■販売提案といえば聞こえがいいが、要するに売り上げが落ちてきたので、別なブランドの立ち上げや、そのブランドでの通販なども含めた新たな提案をして欲しいというのだ。

■ありきたりだがイノベーションをキーワードにしたのはいいんだけれど、なかなか「これっ」というアイデアが浮かばない。従来のマーケティングの発想から抜け出した企画をしなければならないのだが、そこが難しい。

■でも思考がある次元をこえると、よくしたもので何らかの手法に思い至る。「従来のマーケティングの発想から抜け出」すで思い出したのがマーケティングの神様コトラー教授が掲げる「ラテラル・マーケティング」。本格的にとりくんだことはなかったけれど、この手法ならアイデアがどんどん沸いてきそう。

■早い話が従来のマーケティングが「垂直思考」ということなら、このラテラル・マーケティングは「水平思考」ということだ。市場の細分化によりターゲットを決めてポジショニングを決めてというのが従来型だが、なにしろ商品が成熟した市場だから従来型のマーケティング手法だと、新たな市場などまず思い浮かばない。

■ところがラテラル・マーケティングだと、発想がそもそも異なるのでなんとかアイデアが浮かぶ。たとえば冒頭のヨーグルトだけど、「機能性食品」ということはヨーグルト市場ではそれだけで差別化になってるわけだけど、しばらくすると同じような商品が出てきて差別化が弱まる。すると次に「機能性」+「デザート風味」というように「+α」を考える。この「+α」を加えることで、まったく別な市場や別な商品の位置づけでこれまでと異なった市場や商品としての再生が可能になる。

■そういう具合にまったく新たな発想がわいてくるのが「ラテラル・マーケティング」というものだ。この企画が通れば、今後、同じような提案がいくつでも出来そうである。一種のゲーム感覚でアイデアをひねっているところだ。


なぜか好きになれない宮部みゆき。で、『模倣犯』を読んだ…

2008年6月22日(日曜)

■宮部みゆきの『模倣犯』を読了。超大部のハード版(上・下巻)で読んだ。いずれも上下二段の組み版で700ページもある。第1、第2、第3の三部構成。作品評(感想)はアマゾンのレビューで語り尽くされているから、そっちに譲りたい。

■個人的にはこの作家の作品はあまり好きではない。世評の高さもあってこれまでも彼女の代表作を何冊か読んできたが、いずれもぼくの感覚に合わなかった。なんというか好きになれないのだ。なんか、全面的(無条件)に好きだとは言えないところの、何かがある。そしてそれは今回も同じだった。

■『模倣犯』は間単に言うと、第1部は「本を措く能わず」で面白かったし、第2部は「冗長気味」で斜め読みだった。第3部は作者入魂の筆致ということで緻密なプロットが展開するが、そのプロットがぼくには詐術的にうつりいささか鬱陶しかった。

■その詐術性を読者に感じさせないぐらいまでに強引に緻密にプロットを展開させるのだが、冷静に考えるとやはり無理がある。そこまでいじらなくてもいいのでは、と思ってしまう。(たとえば登場人物同士の無理な接点などです)

■その意味では文章って便利です。常識的にはありえないようなことでも、文章で論理的に綴られると、その論理性故に「おかしさ」がおかしくはなくなってくるように感じさせられてしまう。ロジックの魔術ですね。それが書き手の膂力、つまり力業なんだけど、そこを読み手がすんなり納得できるかどうかで、作品に対する見方が180度異なり、評価ががらりと変わってくる。

■とまれ、いじり過ぎのプロットの展開に半ば感心しながら、半ば非難。だから、さすがは宮部みゆきとばかりに話の意外な展開に感心しながら、一方で鼻に衝く展開だと非難している自分がいる。

■第一部が面白かったのは通常の推理小説と同じように、事件と登場人物が流れるように、それも登場人物の多重視点で事件の背景が謎のまま展開したからだ。面白く読める。

■第2部は違う。ここでは犯人たちや被害者、被害者の家族たちについて語られる。いわば時間の逆戻しで、第1部の過程を犯人の視点や、被害者の視点等々でこれでもか、これでもかというほど、延々と語られる。第3部は主犯の存在をよりあざやかなものにするための伏線であり仕掛なのだが、冗長さは否めない。ただしこの冗長さで語られるところに、この作家の得意とする、庶民感情や感覚の描写がある(子供の描写なんかは、この作家に敵う書き手はいないのではと思うほどだ。他の作品のことだけど)。

■そして第3部はまたまた第1部の続きとして現在進行形で語られる。でもプロットの詐術性が(ぼくには)鼻に衝く。ただし読み応えはある。さすが宮部みゆきだ。

■作品中で、狂言回しではないが、重要な作品を引っ張る役回りで登場するのが、ルポライターとして登場する女性ライターだ。女性誌の食べ物や家庭ものを書いてきた女性ライターが、失踪女性のルポを硬派の雑誌の仕事として取り組むことになり、たまたま取材対象だった女性が犯行に遭い、この異常な連続殺人事件に絡んでいくことになる。

■ぼく自身ライターだからこの女性ライターの心情が分かる。不安を覚えながら、一ライターがルポを書く不安、それも社会派を謳う硬派のドキュメンタリーを主体にした雑誌での仕事でとなるとこれは難しい。

■ライターとしての文章が書けてもルポはまた異なるからだ。ましてや社会派をテーマにした硬派のジャナーナリストなどにはまずなれない。体験としての蓄積がないから批評性が欠落している。逆にいうと、ライターとしてどんなジャンルでもいいけど批評性が鍛えてあれば、分野が異なる専門性ではないジャンルでも書き手としてのテクニック(批評性)を身につけているので、時間的な取り組み次第で可能かも知れない。

■ぼく自身最近、ようやくルポが書けるのではないかと思えるようになった。それは、プロットを考えずに30枚でも50枚でも平気で枚数を書けるようになってはじめてそう思えるようになってきたからだし(もちろん頭でおおざっぱな構成は考えるが)、金の取れる原稿にするためには、読ませるテクニックと共に、必ず読み手を納得させる何ものかをうめこまなければならないからだ。素材をもとに対象を綴ればそれで済むというものでもない。そして読ませるためには、小説的なテクニックも心得ていなければならない。

■えっ〜と、何を言ってるんだったっけ、ぼくは。それから、犯人の心の闇と今回の「アキバ事件」などもこの作品を読んでいて通底するところがあるのではないかなど、いろいろ考えさせられた。それについて述べるのもしんどいし、長くなるのでこのあたりでやめておく。

ネットで映画「ザ・シューター 極大射程」(スティーヴン・ハンター原作)は掛け値なしの傑作。「ボーン・アルティメイタム」よりもこっちだね。

2008年6月19日(木曜)

■このところ仕事で昼夜が逆転している。その関係で時間の使い方が変則的に推移し無駄が生じる。その無駄な時間をネットの映画や小説読みなどに当てている。

■最近観た映画で掛け値なしの傑作だったのが「ザ・シューター」という映画。元海兵隊員の超A級スナイパーアクション映画なんだけど、ぼくはあの「ボーン・アルティメイタム」よりも個人的にはこっちの方を推したい。

■「傑作です。ムダなシーンが全くない!せつないストーリイ展開。リアリテイがあって、映像も美しく、作品としての品格がある。こういうのをホンモノ、超一流のアクション映画っていうんでしょう。」

■勘違いしないでほしい。これは「ボーン」のDVDのアマゾンのカスタマーレビューに出ていたものを貼り付けたもの。「せつない」云々はともかく、このレビューの感想がそっくりそのままこの「ザ・シューター」という映画に当てはまる。

■主人公のその射程距離はあのゴルゴ13も真っ青の2000メートル級。細部のリアリティがあって、説得力が違う。まさに第一級のエンタテインメント。無駄口はよそう。ネットで観られるから、その気になった人は探して観て欲しい。

■でも、いかに原作の翻訳といっても「極大射程」はないだろう。日本の翻訳本がそういうタイトルだからだろうけど――ただし、この漢字表現は気を引くし、目にとまる。だからか。2時間が惜しくはない。ぼくは2度観てしまった。続編が観たい。監督は黒人。その才能に驚いた。こういう映画を作らせたら、やはりハリウッドである。観るべし。

ネットで学ぶ ネットに学ぶ ネットのビジネス

6月18日(水曜)

■昨日はある企業の原稿をネット上にアップするのに際し、多少振り回された。関係のネット企業や(ネットを手がける)広告代理店などに電話をかけまくる。アップの作業だけで半日が潰れてしまった。

■要は単純に写真原稿も含めてのこちら側のミスだった(ぼくも含めてクライアントでもある企業側)。あまりにも単純なせいで思いもしなかったミスだった。それで時間をつぶした事が惜しい。でも、こうしたミスを繰り返すことでネット関連の知識を蓄えているという事実がある。

■ネットではこの数日で新たな体験もしている。ネットを通じた学習である。仕事のために、あるコンサルタントの知識やノウハウをテキストで学んでいた。それがネット込みの学習スタイルになった。もちろん費用が膨らむ。

■コンサルタント自身が先生役で登場する。でもこれが実に分かりやすい。いやもう、理解度は驚くほどの違い。こんなにちがうものかと、感動すら憶えた。仕事柄調べものをしたりすることは日常的なので、テキストを読んだりするのは苦ではない。

■でも違うのだ。テキストに目を通すことが苦ではないと言ってもそれによる理解度と、映像を交えての学習の理解度が格段の違いで体験できたのは感動的ですらあった。

■学習なんだけど、あまり学習的な感覚がない。ちょうどビジネスのキモのようなものをゲーム感覚で学んでいるようなところがある。おそらくコンサルタントの話し方がうまいのだろう。発音が明瞭で、難しい話し方や語彙を用いることまで避けている。

■元著名なコンサルテングファームにいた人で、ご自分ではダメ社員だったという。著名なコンサルテングファーム出身ぐらいでは今の世の中、売れるはずもない。独自のノウハウやスキルを創りだし、それらが学ぶ者を、聞く者を、納得させるだけの内容だから学んでいる。

■映像だからテレビ学習と変わらないところがあるが、それでも講師の違いでこうもちがうものかと思っている。それに時間を問わず、こちらの都合でいつでも学べるところがいい。

■ネット学習と言えば、知人がいち早くネットを通じて学ぶ高校をつくり、一時期はメディアでもかなり取り上げられていたが、どうなっているか。国内では資格が難しいので米国の高校の資格が取れるということだった。その後、国内の資格がとれるようになったはずだが。

■続いているとは思うが、このところ、ネット学習への参入が多くなって、競争がなかったのが一気に競合ができてしまっているようだ。ドッグイヤー、最近はマウスイヤーか、それとももうこういう言葉自体が古いのかどうかはともかく、ネットでのビジネス速度の早さは驚くばかり。

今日のニュースから「アキバ犯の仕事」と「食品値上げ」の二題

6月17日(火曜)

■今朝の毎日のトップなのだろうか、ネット版ではアキバの惨劇犯の経歴に触れた記事をトップで扱っている。トヨタの子会社の派遣社員だった加藤容疑者の仕事についてすこしばかり書いてある。

■自動車の車体の塗装の汚れを肉眼で検査をしていたのだそうだ。10分間のトイレ休憩と昼食の45分間をのぞいて8時間立ち詰めとある。そして数時間の残業もざらだという。

■「塗装面をにらんでいると、すぐに目が痛くなる。手でこするから目が真っ赤になる。初日で辞める者もいるが、やつはまじめだった」

■一緒に働いたやはり派遣社員が言う。わずかなほこりを見逃せば、上司がとんでくるし、下手をすれば始末書だという。

■この惨劇の後、犯人が自動車工場で働く派遣だということで、鎌田慧のルポ「自動車絶望工場」の表紙を一緒に貼り付けていたネットの記事があったが、ぼくもその本のことを最初自動車工場と聞いて思い出した。おそらく、鎌田のこの本を読んでいるひとは皆そう思ったのではなかったか。

■今日はさらに職場のことが書いてあるのでより一層鎌田のこの本を思い出した。書名通りの内容だった。読んで暗くなった覚えがあるが、若い頃、数日だったろうか、大手油圧機器メーカーでアルバイトをしたことがある。

■4、5キロの重さ(もっとあったかもしれない)の油圧機器の性能を確認する仕事だった。これがきつい。重労働である。4、5キロといっても数百個、いや、いくらでもあるのだ。終わりがない。それを性能試験を行う大きな機器に取り付けて、試験をおこない、取り外す。その繰り返し。やっているのはアルバイトのみ。重労働だから社員はやらないのではと思った。初日は昼飯も満足に食べる気力もなかったし、8時間の労働をおえて、足腰どころか、全身がたとえようもないほど疲労を憶えた。それまでの人生で経験したことのなかった疲労である(これでも空手をやっていたので、体力には自信があった)。

■後年、自動車絶望工場を読んだとき、そのアルバイトのことを思い出したが、あのような苦痛の労働が来る日も来る日も続くのであれば、まず働くと言うこと自体に希望が持てない。躯を壊すのを恐れながら仕事をしなければならない絶望感や恐怖感。人間が機械でしかない職場とは恐ろしいものだ。はなから人間扱いをしていない。そんなことをこの記事を読みながら思った。なんかいやですね。気分を変えよう。

■それから、今朝の日経一面のトップは値上げされた食品の売り上げがダウンしているという記事。カップ麺が52%、パンが27%、みそが29%、醤油15%と、主要食品が軒並み売上高を落としている。日経が主要15商品を調べた結果が出ている。対照的に大手の小売が扱っているプライベートブランドが伸びているという。プライベートブランドが伸びているというのは既に情報としてながれていたが、データとしてそれを裏付けたということだろう。

■今主婦は、複数のスーパーのチラシをこれまで以上に目を皿にして見比べているのではないか。

■仕事柄自宅にいることが多いので、普通の男性よりもぼくはスーパーなどをよく覗く方だとおもう。いや、主婦並に食品の小売価格に通じているかもしれない。今月早々いきなり思ったのは、いつも買うライ麦や胚芽や食物繊維などがはいった食パンの店頭小売価格が210円以上していたことだ。これまでは170円か、180円ぐらいだった。おそらく希望小売価格は260円以上しているのだろう。普通の食パンがやはり120円ぐらいから150円にあがっている。ふむ、山崎の超芳醇の希望小売価格が210円なんだ。

■ところでブランド力で値上げの時期が違うという。トップメーカーと4、5位のメーカデーでは同じ値上げでも下位のメーカーは数か月遅れて値上げをしたり、上げ幅も思うようにいかないらしい。

■値上げに対して消費者は、生活防衛の色を強めるとある。長い間、食品は値上げがなかったので、割安な食品を選ぶ傾向が強いとのこと。売る側と買う側の綱引きということか。上位から下位まで、メーカーにとっては安定物価に安住してきたツケが、ここにきて一気にでたということで、メーカーや食品そのものが選別されることになるという。

田舎が地震! 被害は仙北に集中

6月15日(日曜)

■すっかり夜型だから、横になったのが午前8時半頃。一時過ぎに目覚めた。都心に出て行く日はいいけれど、そうでない日は一日24時間の時間の経過と生活パターンがかみあわないので、2日目あたりから感覚的に昼夜の時間の流れと、つまり世間的な生活時間とぼくの生活時間との感覚に齟齬が生じておかしな感じになる。

■昨日は地下鉄副都心線が開通したそうだけど、一昨日、JR新宿駅の改札をでたら、駅東側に抜ける地下の商店街が多少変わっていた。新しいより地下へ潜る階段ができていたし、店舗も多少改装されていた。新宿のデパートも開通に備えて店内を改装したそうだが、この地下もそういうことか。客の取り合いで、通過される池袋は東武と西武が連携して地元をPRしているし、新しい客を迎える新宿と渋谷のデパートは相当の額を投じて店舗を改装している。

■それにしても東京の地下鉄の線はこれで何本になったのだろう。山手線の内側なら、地下鉄利用で多少歩けばほとんどのところに行けるだろう。

■昨日は田舎で地震。起きて知った。カミさんがすぐに電話したそうだが、(震源地は震度6強だけど)ぼくの田舎は震度5弱だったので、電話してみた。田舎と言っても今は兄の家である。

■嫂が、大丈夫、ウチはこけしが倒れただけ、と言っている。替わった兄も、大きかったけど、心配ない、と。宮城県沖地震が言われているけど、今回は内陸型、しかも仙台の北(地元では仙台を基点に、北側を仙北(せんぽく)、南側を仙南(せんなん)という)、それも宮城、岩手、山形の県境である。地元なら栗駒山の麓といった方が通じる。

■兄によれば、これから被害(の状況)が出てくるはずだと。何で? と思って聞いていると、山奥(山間部)だから、連絡がとれてない地域の被害がまだ出ていない。その被害が出てくるのはこれからだというのだ。ふーん、そんなもんかと思って聞いていたが、兄の言うように、時間の経過とともに大きな被害が伝わってきた。

■あとになってネットで阪神大震災クラスという見出しを見て、驚いた。そんなに大きい地震だったのかと。亡くなった人、罹災したひとには悪いが、これが都市部ならとてもあの程度の被害では済まなかったはず。でも、仙台駅前のホテルのガラスが割れて、散乱したガラス片が舗道上に落ちて、ガラス片の周囲がロープでかこってある写真には、驚いた。

■栗原市や大崎市と言われても何かピンとこない。合併で名が替わったからだが、このあたりは県内屈指の米所である。その栗原市のすぐ奥には温泉で有名な鳴子があり旅館をやっている高校時代の友がいる。地名のかわった地域にも、確かあいつはあの辺だし、となんとなく昔の地名を思い浮かべながら、うん十年前の高校時代の友人の顔を思い浮かべたりした。

雇用問題は止まるところ無し。この国の労働条件の環境は途上国

2008年6月14日(土曜)

■今朝の日経で労働に関する二つの記事が目にとまった。いずれも大手企業の労働現場のデタラメさについてだ。

■一つはキャノン。こっちは社会面に「自殺社員の労災認定」とある。言うまでもなく労災は労働災害のことだ。自殺した社員の残業が月200時間近かったという。研究職だったが、職場で午後10時以降は残業が出来ないようになっており、深夜に自宅でパソコンを使い仕事をしていたというのだ。自殺直前の残業時間は263時間とのこと(パソコンの記録などから残業時間を計算)。

■キャノンは以前にも派遣労働で問題を起こし、そしてまた今回である。日本を代表する企業の労働条件の環境のデタラメさがまたまた公に証明された。

■もう一つは例の名ばかり管理職についてだ。こっちは企業総合面。流通の場で「見直し」がひろがり、残業代の支払いがひろがっているというのだ。同じ流通でもスーパーなどは店長の権限が大きく管理職の実体があるものとしてこっちは表面化していないが、小さな店舗が多いコンビニや外食、紳士服、カラオケなどの流通企業はいわば、この違法が常態化していた。

■改善の動きを伝えているわけだけど、これだって企業イメージが悪くなるからということであって、まともな労働条件の働く環境すら与えない企業の姿勢はいまや当たり前のものとなってようやく問題が浮上したというところ。

■そしてまた昨日の桝添厚労省の「日雇い労働派遣禁止」発言。雇用規制を固める(強める)というのだ。秋葉の事件がきっかけだろうが、これだって拙速に至るはず――「日雇い禁止」なんていったら。とまれ、日本では今や、労働の条件環境は最悪の状況にあることが白日のものとなっている。

■昨日、大石英司が自分のブログで以下の事に言及していた。非正規雇用が3割に達しているという。しかも5千万人の全雇用労働者の国でのこの数字であると。ひどい環境で、無視できないと。下記の「欧州VS日本」のところは、2チャンネルにでていたものでどこまでが本当か裏を取ってないということだが。これをみると、セーフティネットのある欧州との違いが歴然。日本の労働現場は無謀、無法がいまや常態化してしまっている。

■欧州 vs 日本
1)派遣労働者が受け取る賃金は必ず正規以上と法定 vs 正規の半分以下
2)派遣労働が2年超だと直接雇用義務 vs 期限撤廃して無期限派遣
3)派遣のピンハネ率は10%未満と法定 vs ピンハネ率は自由、平均40%以上
4)企業が支払う総額はガラス張り vs けっして派遣労働者に教えないブラックボックス
5)派遣労働者の巨大全国組合がある vs 何も無い
6)派遣労働は事業拡大時などにのみ使うと法定 vs 正社員をクビにしてどんどん派遣に置き換えてよい

■あまりにもひどい。途上国を笑えたものではない。企業の労働倫理が先進国とはとても呼べたものではない。これってやはり愚かな政治がまかり通ってる結果ということか。

ドラマ「CHANGE」には、一種の催眠効果を感じる

2008年6月12日(木曜)

■このところ気分転換でネット上の映画やドラマを観るようになった。今放送されているのかどうかわからないけど、キムタク主演の「CHANGE」という初回のスペシャル版をみた。驚いたのはせわしないまでに視聴者にこびたドラマの作り方だった。

■こびた作り方という言い方は非難しているのだけど、一方で好意的な見方をすれば、テレビの前の人を惹きつけて、惹きつけて、惹きつけ続ける、制作者のワザが実に鮮やかなまでに、そう上手に活かされているということだ(特に脚本家のお手並みは見事である。人気ドラマを手がけて蓄積された経験が、ここまで視聴者を惹きつける(あやつる)ワザを身に付けてしまう)。

■どういうものかというと、ほとんど一分おきぐらいに、視聴者を映像から離さないような何らかのドラマ制作上の、あるいは映像制作上の、あるいは脚本上の、あるいは演出上のワザというか、技能がつくされているのだ。登場人物のいささか意外な、動きや発言や台詞などが、実に一分おきぐらいに、観る者が意識しないぐらいの次元で気を引くように嵌めこまれて作られている。

■おそらく普段からテレビドラマを見ている人には気づかないかもしれない。なぜなら、それが普通だと思ってしまうから(その意味では巧妙であり、作り手の意図通りと言って良い)。だから観る者は、ある意味心地よくて、そのまま観てしまう。あきることなく、面白く観られるからだ。

■普段ぼくは、ほとんどテレビもドラマも見ないのでそのことに気づいたのだ。普段テレビドラマを観ないぼくからみると、何ともせわしない。そう見えるし見えてしまう。でも惹きつける。

■惹きつけるけど、冷静になってみると、それは視聴者をテレビの前から離さないためのワザだ。そして本来なら不必要なワザだ。なぜなら、それは観る者に、ある意味媚びた、迎合したつくりかたになるワザだからだ。ワザはわざとしてあっていい。でもそこまで多用されると、ドラマとしてうるさすぎるし、安易な小手先の技術で視聴者を惹きつけていることになる。そしてそのことは結果として、茶の間の前の視聴者のドラマに対する感を麻痺・喪失させてしまうことになる。いや、それに気づかないで観ているということは既に麻痺・喪失しており、あるべき、養われるべきドラマを観る感覚を奪ってしまっている。(長い目でみるとそのことは結局、作り手の首を絞めることになる)

■何でもないようだけど、ある意味、サブリミナル効果のようなドラマの作り方とでも言えるかも知れない。ドラマのすべてがそうだとは思わないけど、そのような作り方をされているドラマに出会って驚いている。いや、驚きながら観た次第。

■参考までに、このドラマがすべてそういう作り方なのかと思って、後日の放送された分をみたら、違っていた。これってつまり、視聴者獲得のためか、要するに。第一回目の放送で観る者を離さないための……。

「雨あがる」から雨宿りへ、だった

6月10日(火)

■昨日は久しぶりに自転車で遠出して、夕刻、雷雨に見舞われ、30分弱、雨宿りを強いられた。雨宿りも久しぶりだ。三鷹から多摩湖自転車道路を通って、小平までサイクリングである。駅に着いたので、ついでに小平霊園まで足を伸ばした。年に何度か、ここを訪ねる。霊園とはいえ広大な緑の敷地である。汗を浮かべた体をしばしやすめた。

■前後するが昨日は、3、4日ほど半徹夜状態で30枚ほどのすこし長い原稿を仕上げ、送信したのが朝の9時頃。眠いはずなのだが頭は覚醒した感覚に満ちていた。それで横になるのをやめてネットで「雨あがる」を観た。その夕刻である、雨宿りを強いられたのは。雷雨を避けながら、「雨あがる」を観たのが悪かったのかも、などと勝手に思っていた。

■ところでその「雨あがる」だが、映像がとても美しい。黒澤明が書いたホンで、遺作である。黒澤組のいわば黒澤の弟子たちが仕上げた作品。良かったけれども、やはり黒澤とは違うティストだった。
凄腕の浪人が寺尾聡で、その御新造が宮崎美子。仕官を求めて流浪の旅の途次、長雨で増水した川をわたれず安宿で過ごす。思わぬ事から土地の藩主と知り合い、剣術指南役にと請われる。藩主役が三船史郎。三船敏郎の息子だ。芝居や台詞回しのへたなところが、下手なりによかった。豪放磊落さが、大きな声に似合っていた。
寺尾夫婦や三船の台詞を耳にしながら、その台詞を書いた黒澤のホン作り作業中の頭の中を想像しながら、映像を観ていた。いぜん、橋本忍が黒澤と共同執筆した事に触れた著書を読んでいるので、そんな想像をしたのだ。

■で、見終わって一旦横になり、午後遅い時間、気分転換で自転車を走らせたのだ。雷雨に見舞われたのは西東京市の田無駅前。ゆっくり珈琲を飲んでいたら雲行きが怪しくなってきたので急いで帰るつもりで外に出たら、生憎と降られてしまったのだ。で、自転車と共に駅前のショッピングビルの下にはいって雨宿り。そのうちに雷雨となり雨脚が強まる。

■傘を差して行く人たちを見るともなくしばらく見ていた。10分、20分。足早に行き交う人たちを見ながら、上に書いたように、これは午前中に「雨あがる」を観たからか、などと愚にもつかぬことを思い浮かべていたのだ。止みそうになかったので、自転車をそのままにしてショッピングセンターへはいり、小やみになるのをまって時間をつぶした。1時間以上だ。勤め人ならこうはいかないだろうが、それはそれで、ただいたずらに時間を消費するのもまた、悪い気はしなかった。

むごい事件だ。ことばがない

2008年6月8日(日曜)

■映画に触れた内容とはいえ、今日の昼過ぎににアップしたブログの内容が、今日の惨事をいささか連想させるような内容でもあるので、カットはしないまでも、このブログをアップすることにした。内容は何もない。

■秋葉原は仕事の関係でよく行くところだ。通り魔は通り魔だが、ここまで異常な殺戮を犯して何の意味があるのだろうか。犯人についての情報が限られているので、何とも言えないが、生きるのが厭になった程度で、これだけの大量殺人事件を起こされてはたまったものではない。

■この事件に刺激されて、似たような事件が起こらないことを祈る。亡くなった方に冥福を。合掌。
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