玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

June 2008

新市場、新商品…の発想に、「ラテラル(水平思考)マーケティング」手法はつかえる!

2008年6月26日(木曜)

■今朝の日経の新商品欄に(乳酸菌をつかった)機能性ヨーグルトの競合記事が大きくとりあげられていた。明治乳業の「LG21」とカゴメの「ラブレ」という商品のバトルである。08年の売り上げ目標が、「LG21」は324億円で、「ラブレ」は120億円だという。

■一つの商品でありながら数百億円という売上額には驚いたが、実はいま、数十億円の売り上げを誇ったある商品の新たな販売提案の企画が舞い込み往生している(昔取った杵柄で、たまに広告畑や販促畑の仕事も舞い込む)。

■販売提案といえば聞こえがいいが、要するに売り上げが落ちてきたので、別なブランドの立ち上げや、そのブランドでの通販なども含めた新たな提案をして欲しいというのだ。

■ありきたりだがイノベーションをキーワードにしたのはいいんだけれど、なかなか「これっ」というアイデアが浮かばない。従来のマーケティングの発想から抜け出した企画をしなければならないのだが、そこが難しい。

■でも思考がある次元をこえると、よくしたもので何らかの手法に思い至る。「従来のマーケティングの発想から抜け出」すで思い出したのがマーケティングの神様コトラー教授が掲げる「ラテラル・マーケティング」。本格的にとりくんだことはなかったけれど、この手法ならアイデアがどんどん沸いてきそう。

■早い話が従来のマーケティングが「垂直思考」ということなら、このラテラル・マーケティングは「水平思考」ということだ。市場の細分化によりターゲットを決めてポジショニングを決めてというのが従来型だが、なにしろ商品が成熟した市場だから従来型のマーケティング手法だと、新たな市場などまず思い浮かばない。

■ところがラテラル・マーケティングだと、発想がそもそも異なるのでなんとかアイデアが浮かぶ。たとえば冒頭のヨーグルトだけど、「機能性食品」ということはヨーグルト市場ではそれだけで差別化になってるわけだけど、しばらくすると同じような商品が出てきて差別化が弱まる。すると次に「機能性」+「デザート風味」というように「+α」を考える。この「+α」を加えることで、まったく別な市場や別な商品の位置づけでこれまでと異なった市場や商品としての再生が可能になる。

■そういう具合にまったく新たな発想がわいてくるのが「ラテラル・マーケティング」というものだ。この企画が通れば、今後、同じような提案がいくつでも出来そうである。一種のゲーム感覚でアイデアをひねっているところだ。


なぜか好きになれない宮部みゆき。で、『模倣犯』を読んだ…

2008年6月22日(日曜)

■宮部みゆきの『模倣犯』を読了。超大部のハード版(上・下巻)で読んだ。いずれも上下二段の組み版で700ページもある。第1、第2、第3の三部構成。作品評(感想)はアマゾンのレビューで語り尽くされているから、そっちに譲りたい。

■個人的にはこの作家の作品はあまり好きではない。世評の高さもあってこれまでも彼女の代表作を何冊か読んできたが、いずれもぼくの感覚に合わなかった。なんというか好きになれないのだ。なんか、全面的(無条件)に好きだとは言えないところの、何かがある。そしてそれは今回も同じだった。

■『模倣犯』は間単に言うと、第1部は「本を措く能わず」で面白かったし、第2部は「冗長気味」で斜め読みだった。第3部は作者入魂の筆致ということで緻密なプロットが展開するが、そのプロットがぼくには詐術的にうつりいささか鬱陶しかった。

■その詐術性を読者に感じさせないぐらいまでに強引に緻密にプロットを展開させるのだが、冷静に考えるとやはり無理がある。そこまでいじらなくてもいいのでは、と思ってしまう。(たとえば登場人物同士の無理な接点などです)

■その意味では文章って便利です。常識的にはありえないようなことでも、文章で論理的に綴られると、その論理性故に「おかしさ」がおかしくはなくなってくるように感じさせられてしまう。ロジックの魔術ですね。それが書き手の膂力、つまり力業なんだけど、そこを読み手がすんなり納得できるかどうかで、作品に対する見方が180度異なり、評価ががらりと変わってくる。

■とまれ、いじり過ぎのプロットの展開に半ば感心しながら、半ば非難。だから、さすがは宮部みゆきとばかりに話の意外な展開に感心しながら、一方で鼻に衝く展開だと非難している自分がいる。

■第一部が面白かったのは通常の推理小説と同じように、事件と登場人物が流れるように、それも登場人物の多重視点で事件の背景が謎のまま展開したからだ。面白く読める。

■第2部は違う。ここでは犯人たちや被害者、被害者の家族たちについて語られる。いわば時間の逆戻しで、第1部の過程を犯人の視点や、被害者の視点等々でこれでもか、これでもかというほど、延々と語られる。第3部は主犯の存在をよりあざやかなものにするための伏線であり仕掛なのだが、冗長さは否めない。ただしこの冗長さで語られるところに、この作家の得意とする、庶民感情や感覚の描写がある(子供の描写なんかは、この作家に敵う書き手はいないのではと思うほどだ。他の作品のことだけど)。

■そして第3部はまたまた第1部の続きとして現在進行形で語られる。でもプロットの詐術性が(ぼくには)鼻に衝く。ただし読み応えはある。さすが宮部みゆきだ。

■作品中で、狂言回しではないが、重要な作品を引っ張る役回りで登場するのが、ルポライターとして登場する女性ライターだ。女性誌の食べ物や家庭ものを書いてきた女性ライターが、失踪女性のルポを硬派の雑誌の仕事として取り組むことになり、たまたま取材対象だった女性が犯行に遭い、この異常な連続殺人事件に絡んでいくことになる。

■ぼく自身ライターだからこの女性ライターの心情が分かる。不安を覚えながら、一ライターがルポを書く不安、それも社会派を謳う硬派のドキュメンタリーを主体にした雑誌での仕事でとなるとこれは難しい。

■ライターとしての文章が書けてもルポはまた異なるからだ。ましてや社会派をテーマにした硬派のジャナーナリストなどにはまずなれない。体験としての蓄積がないから批評性が欠落している。逆にいうと、ライターとしてどんなジャンルでもいいけど批評性が鍛えてあれば、分野が異なる専門性ではないジャンルでも書き手としてのテクニック(批評性)を身につけているので、時間的な取り組み次第で可能かも知れない。

■ぼく自身最近、ようやくルポが書けるのではないかと思えるようになった。それは、プロットを考えずに30枚でも50枚でも平気で枚数を書けるようになってはじめてそう思えるようになってきたからだし(もちろん頭でおおざっぱな構成は考えるが)、金の取れる原稿にするためには、読ませるテクニックと共に、必ず読み手を納得させる何ものかをうめこまなければならないからだ。素材をもとに対象を綴ればそれで済むというものでもない。そして読ませるためには、小説的なテクニックも心得ていなければならない。

■えっ〜と、何を言ってるんだったっけ、ぼくは。それから、犯人の心の闇と今回の「アキバ事件」などもこの作品を読んでいて通底するところがあるのではないかなど、いろいろ考えさせられた。それについて述べるのもしんどいし、長くなるのでこのあたりでやめておく。

ネットで映画「ザ・シューター 極大射程」(スティーヴン・ハンター原作)は掛け値なしの傑作。「ボーン・アルティメイタム」よりもこっちだね。

2008年6月19日(木曜)

■このところ仕事で昼夜が逆転している。その関係で時間の使い方が変則的に推移し無駄が生じる。その無駄な時間をネットの映画や小説読みなどに当てている。

■最近観た映画で掛け値なしの傑作だったのが「ザ・シューター」という映画。元海兵隊員の超A級スナイパーアクション映画なんだけど、ぼくはあの「ボーン・アルティメイタム」よりも個人的にはこっちの方を推したい。

■「傑作です。ムダなシーンが全くない!せつないストーリイ展開。リアリテイがあって、映像も美しく、作品としての品格がある。こういうのをホンモノ、超一流のアクション映画っていうんでしょう。」

■勘違いしないでほしい。これは「ボーン」のDVDのアマゾンのカスタマーレビューに出ていたものを貼り付けたもの。「せつない」云々はともかく、このレビューの感想がそっくりそのままこの「ザ・シューター」という映画に当てはまる。

■主人公のその射程距離はあのゴルゴ13も真っ青の2000メートル級。細部のリアリティがあって、説得力が違う。まさに第一級のエンタテインメント。無駄口はよそう。ネットで観られるから、その気になった人は探して観て欲しい。

■でも、いかに原作の翻訳といっても「極大射程」はないだろう。日本の翻訳本がそういうタイトルだからだろうけど――ただし、この漢字表現は気を引くし、目にとまる。だからか。2時間が惜しくはない。ぼくは2度観てしまった。続編が観たい。監督は黒人。その才能に驚いた。こういう映画を作らせたら、やはりハリウッドである。観るべし。

ネットで学ぶ ネットに学ぶ ネットのビジネス

6月18日(水曜)

■昨日はある企業の原稿をネット上にアップするのに際し、多少振り回された。関係のネット企業や(ネットを手がける)広告代理店などに電話をかけまくる。アップの作業だけで半日が潰れてしまった。

■要は単純に写真原稿も含めてのこちら側のミスだった(ぼくも含めてクライアントでもある企業側)。あまりにも単純なせいで思いもしなかったミスだった。それで時間をつぶした事が惜しい。でも、こうしたミスを繰り返すことでネット関連の知識を蓄えているという事実がある。

■ネットではこの数日で新たな体験もしている。ネットを通じた学習である。仕事のために、あるコンサルタントの知識やノウハウをテキストで学んでいた。それがネット込みの学習スタイルになった。もちろん費用が膨らむ。

■コンサルタント自身が先生役で登場する。でもこれが実に分かりやすい。いやもう、理解度は驚くほどの違い。こんなにちがうものかと、感動すら憶えた。仕事柄調べものをしたりすることは日常的なので、テキストを読んだりするのは苦ではない。

■でも違うのだ。テキストに目を通すことが苦ではないと言ってもそれによる理解度と、映像を交えての学習の理解度が格段の違いで体験できたのは感動的ですらあった。

■学習なんだけど、あまり学習的な感覚がない。ちょうどビジネスのキモのようなものをゲーム感覚で学んでいるようなところがある。おそらくコンサルタントの話し方がうまいのだろう。発音が明瞭で、難しい話し方や語彙を用いることまで避けている。

■元著名なコンサルテングファームにいた人で、ご自分ではダメ社員だったという。著名なコンサルテングファーム出身ぐらいでは今の世の中、売れるはずもない。独自のノウハウやスキルを創りだし、それらが学ぶ者を、聞く者を、納得させるだけの内容だから学んでいる。

■映像だからテレビ学習と変わらないところがあるが、それでも講師の違いでこうもちがうものかと思っている。それに時間を問わず、こちらの都合でいつでも学べるところがいい。

■ネット学習と言えば、知人がいち早くネットを通じて学ぶ高校をつくり、一時期はメディアでもかなり取り上げられていたが、どうなっているか。国内では資格が難しいので米国の高校の資格が取れるということだった。その後、国内の資格がとれるようになったはずだが。

■続いているとは思うが、このところ、ネット学習への参入が多くなって、競争がなかったのが一気に競合ができてしまっているようだ。ドッグイヤー、最近はマウスイヤーか、それとももうこういう言葉自体が古いのかどうかはともかく、ネットでのビジネス速度の早さは驚くばかり。

今日のニュースから「アキバ犯の仕事」と「食品値上げ」の二題

6月17日(火曜)

■今朝の毎日のトップなのだろうか、ネット版ではアキバの惨劇犯の経歴に触れた記事をトップで扱っている。トヨタの子会社の派遣社員だった加藤容疑者の仕事についてすこしばかり書いてある。

■自動車の車体の塗装の汚れを肉眼で検査をしていたのだそうだ。10分間のトイレ休憩と昼食の45分間をのぞいて8時間立ち詰めとある。そして数時間の残業もざらだという。

■「塗装面をにらんでいると、すぐに目が痛くなる。手でこするから目が真っ赤になる。初日で辞める者もいるが、やつはまじめだった」

■一緒に働いたやはり派遣社員が言う。わずかなほこりを見逃せば、上司がとんでくるし、下手をすれば始末書だという。

■この惨劇の後、犯人が自動車工場で働く派遣だということで、鎌田慧のルポ「自動車絶望工場」の表紙を一緒に貼り付けていたネットの記事があったが、ぼくもその本のことを最初自動車工場と聞いて思い出した。おそらく、鎌田のこの本を読んでいるひとは皆そう思ったのではなかったか。

■今日はさらに職場のことが書いてあるのでより一層鎌田のこの本を思い出した。書名通りの内容だった。読んで暗くなった覚えがあるが、若い頃、数日だったろうか、大手油圧機器メーカーでアルバイトをしたことがある。

■4、5キロの重さ(もっとあったかもしれない)の油圧機器の性能を確認する仕事だった。これがきつい。重労働である。4、5キロといっても数百個、いや、いくらでもあるのだ。終わりがない。それを性能試験を行う大きな機器に取り付けて、試験をおこない、取り外す。その繰り返し。やっているのはアルバイトのみ。重労働だから社員はやらないのではと思った。初日は昼飯も満足に食べる気力もなかったし、8時間の労働をおえて、足腰どころか、全身がたとえようもないほど疲労を憶えた。それまでの人生で経験したことのなかった疲労である(これでも空手をやっていたので、体力には自信があった)。

■後年、自動車絶望工場を読んだとき、そのアルバイトのことを思い出したが、あのような苦痛の労働が来る日も来る日も続くのであれば、まず働くと言うこと自体に希望が持てない。躯を壊すのを恐れながら仕事をしなければならない絶望感や恐怖感。人間が機械でしかない職場とは恐ろしいものだ。はなから人間扱いをしていない。そんなことをこの記事を読みながら思った。なんかいやですね。気分を変えよう。

■それから、今朝の日経一面のトップは値上げされた食品の売り上げがダウンしているという記事。カップ麺が52%、パンが27%、みそが29%、醤油15%と、主要食品が軒並み売上高を落としている。日経が主要15商品を調べた結果が出ている。対照的に大手の小売が扱っているプライベートブランドが伸びているという。プライベートブランドが伸びているというのは既に情報としてながれていたが、データとしてそれを裏付けたということだろう。

■今主婦は、複数のスーパーのチラシをこれまで以上に目を皿にして見比べているのではないか。

■仕事柄自宅にいることが多いので、普通の男性よりもぼくはスーパーなどをよく覗く方だとおもう。いや、主婦並に食品の小売価格に通じているかもしれない。今月早々いきなり思ったのは、いつも買うライ麦や胚芽や食物繊維などがはいった食パンの店頭小売価格が210円以上していたことだ。これまでは170円か、180円ぐらいだった。おそらく希望小売価格は260円以上しているのだろう。普通の食パンがやはり120円ぐらいから150円にあがっている。ふむ、山崎の超芳醇の希望小売価格が210円なんだ。

■ところでブランド力で値上げの時期が違うという。トップメーカーと4、5位のメーカデーでは同じ値上げでも下位のメーカーは数か月遅れて値上げをしたり、上げ幅も思うようにいかないらしい。

■値上げに対して消費者は、生活防衛の色を強めるとある。長い間、食品は値上げがなかったので、割安な食品を選ぶ傾向が強いとのこと。売る側と買う側の綱引きということか。上位から下位まで、メーカーにとっては安定物価に安住してきたツケが、ここにきて一気にでたということで、メーカーや食品そのものが選別されることになるという。
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