玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

January 2008

直木賞本命視作家が、「言論の戦い」で宣戦布告!


直木賞本命視作家が、

「言論の戦い」で宣戦布告!




2008年1月30日(水曜日)


■作家の佐々木譲氏がある評論家に昨日(29日)、
自身のブログで論争による戦線を布告している。

ヘェーと思いましたね。


■言論や文学の世界での論戦は決して珍しいことではなく、
過去にも有名な論戦がいくつもあります。

読者の注目を浴びる論戦、論争は
その闘われる内容自体にも大いに興味があるし、
一大バトルになれば、
それはそれでその掲載紙誌も大いに注目されることになるので
編集人にとってもつい期待してしまうもの。

まあ、論争そのものはそう度々あることではないので、
やはり珍しいし興味を覚えるということです。


■で、戦線布告をしたのが今回は賞を逸したけど、
直木賞にノミネートされ本命視されていた
佐々木氏ということだからなおさら興味が湧く。


■そして、論戦相手となる評論家が作品上の表現に問題があるとして問題視した作品が、当の直木賞候補作品だったのです。

この作品は「このミステリーが面白い08年版」でNO1とのことで、
『警官の血』がその作品らしい。

評論家は担当出版社(新潮社)の編集者や校正者のチェックが緩い、
とまで指摘したらしい。


■で、佐々木氏は、自分一人ならまだしも
出版社の担当まで揶揄するような評論家の言動に怒りを表明。

社員である彼らは首にも関わってくるというのだ。


評論家が指摘する「ふさわしくない」と言われる表現に対して、
出版社の担当まで交えて佐々木氏はきっちりと反論


そうしたら評論家の方が木で鼻をくくったようなふざけた対応だったというのである。


■そこで佐々木氏はそもそも「一方的に売られた喧嘩だ」(1月18日のブログ)として、
評論家の不誠実な対応を非難。

評論家(呉智英氏)の実名を出し、全面的な戦いを布告したのです。

全国紙S(おそらくサンケイ新聞紙上)が発端だったので、
今後はS紙上でバトルとして発展するのかどうかはともかく、
近々、佐々木氏がそのS紙に反論を載せるとのことだ。


■バトルと言っても、作品の表現上の言い回しに端を発してのものだけに、
メディアがこれをどう扱うか、とりあげるかで、
このバトルがバトルとしてはたして発展するかどうかは今後のお楽しみだ。


■僕自身が個人的にもっとも面白かった論争・論戦というと、
だいぶ古いけど「立花隆VS渡辺昇一」の一大バトル。

これは立花隆がたしか自身の著書『論駁』だったかに、
その大変な論争を数冊の著書に編んでいるおでお勧めです。

論理学の勉強にもなりますし、当時僕はとっても面白く読んだ記憶があります。
(現在は『ロッキード裁判批判を斬る』として文庫で出てるのかな。

何しろ裁判を素材に、真正面から取り組んでいるので、
知的興奮を呼び覚ましながらの圧倒的な面白さです)


■もう一点、別な内容にふれるつもりだったけど、今日はよします。
これからまだやることがあるので。









なぜ、「論理的思考」プロセスでは、論理思考が身に付かないのか!

2008年1月29日(火曜日)

いつ頃からだろう、書店の一角を論理的思考のビジネス書が占めるようになったのは。

だいぶ前になるけど、僕もMBAや有名コンサルティングファームの名を冠したこの手のテクニックやフォーマット関連の書をものにしたいと力みつつ、マジでひもといたことがある。それも同じ内容なのに、複数の異なる著者のものまでひもといている(そうか、大前研一の著書なども含めたら、100冊以上にはなるんだ)。

大前研一の名が出たところで思い出した。彼の著書『企業参謀』が刊行されて大当たりし、この書籍が本格派の戦略思考の、この手の分野における端緒ではなかったか。そして、コンサルティングファームという存在が明らかになったのも――。

話をもどそう。
それで、それらの著書をひもといて肝心の論理的思考能力が身に付いたかというと、これが全くダメ。

それらの著書が述べているところの手法は、それはビジネスと人間の知恵(経験値)を組み合わせた、それはそれは素晴らしいものではあれども、そのようなテクニックなり を身につけようと思ったら、そういうスキルやテクニックやフォーマットを日常的に必要とする職場なり仕事なりに従事しないと、「まず身に付かない」という当たり前の結論だった。

そして僕の結論を補強するということではないけれど、たまたま見つけたあるビジネス書が論理的思考本の本質に切り込んでいる。

次のように。
「論理思考を身につけよう!」と語るこの手の書籍の著者が説いているのは、本質的に論理的思考とは正反対の性質のものである、と断じている(一部を除いて、それらの解説書のほとんどがそうだ、と)。


しかもそう断じているのが、著名なコンサルタントであり、もともとあの有名なコンサルティングファーム出身の人物だ(そもそもこのコンサルティ ングファーム自体が、論理思考本の仕掛け元のはず)。その人とはあの波頭亮さんで、彼が自著の『思考・論理・分析』で述べているのだ。

波頭氏によれば、論理的思考の書のほとんどは「論理思考のテクニックとフォーマットを紹介したハウツウ本にとどまっている」とのことで、「論理的思考プロセスをフォーマット化したもので学んでも論理的思考能力を習得するのは難しい」と説いている。

なぜなら「論理的思考とは極めてオリジナルな(筆者注 個人に根ざしたより個人的な)思考であり、マニュアルに基づいてフォーマットを埋める行為とは本質的に正反対」だからだ、というのである。


で、波頭さんのこの著作はたった三つに論点を絞って、本質的な論理思考とは何であり、習得のためにはどのような手法が必要なのかなどについて詳しくかつ丁寧に述べており、読了すると、まるで物の見方が変わるほどになっているのだ。(確かに類書とは違います)

つまりこの著書は、「思考」「論理」「分析」の三つの論点について、こまかな定義からはじまり、そういう能力の習得までについて述べているのだ。フォーマットではなく、本質的なこれらの能力を習得できるように分析的に、分かりやすく、かつ詳細に述べている。


たとえば正しく分かる(理解できる)ためには、正しく分けられなければならないとして、思考対象・思考要素の次元が同じ水準でなければならないと説いている。事例を示そう。「野菜とリンゴはどっちが好き」という質問。

この比較は対象とする較べる次元(抽象水準)がそろってない。この場合、「野菜」と較べるのはリンゴではなく「果物」であるべきだと。――実際の仕事などでは、複数の要素が並ぶと、同じ水準かどうかの判断すら分からなくなりがちで、こんな簡単ではない。

実はこうした比較次元の事柄や事項については多くの論理思考本がフォーマット的に説いているが、この波頭本の本質は、そのフォーマットをより掘り下げて深耕し、なぜそういう考えかたが必要なのかを丁寧に分かりやすく説いているところにある

はしょって言うが、つまり同じ次元にないものを比較してもそれは適切な比較ではなく、そこから導かれる答えは正しいとか、分かるとかにはつながらない、というのである。


つまりこの著書は、書店にうずたかく積まれている「論理思考の方法本」の欠点を指摘しながら、本質的な論理思考を習得するための実践の書となっている。

で、参考までに、たとえば次のような質問。
「私と、仕事と、どっちが大事なの?」 

よくあるかもしれない。

この質問自体は、論理思考でいうと、完全な間違いで誤りになる。

でもこういう質問が発せられる状況というのは、論理も何も埒外におかれる状況だろうから、論理的思考とはまるで関係なく、むしろ感情がいきり立った状態によるものだから、「どっちが大事なの?」という物言いだけが、ぐさりと胸に突き刺さってくる。

ぼくは「どっちも大事」と答えたいけど、相手の剣幕の度合い、それに相手との関係性やそのときの状況によっては、この答えも違ってくる。つまり論理じゃないから、そこは状況に応じて答えるしかない。答えがあって、答えがないようなものです、これは。

その上で言いますけど、
どう答えるかは、あるいはどう答えたかで、その人の知能や論理能力、あるいは誠実さや性格も含め、その答えの中に、極めてそのひとの人間性が表れてしまう、人間性を浮き彫りにしてしまう質問ではないか、と愚考する次第。


大阪の知事は吉か凶か、宮崎の知事就任一年の成果は、どうなの!

1月28日(月曜日)

■未明の午前4時前に起床。というか仮眠から醒めたといったほうが正しいか。底冷えのする厳しい寒さ(武蔵野市は午前3時にマイナス2度だった)。暖房を入れてもいつもと違ってなかなか暖まらないことで気温がいつもより低いことを実感。

僕の家にはいつも朝の4時頃に朝刊が配達される。今日は配達のバイクの音を起きてから聞く。仕事とはいえこの寒さの中である、こっちは室内だからいいけどこの時期の配達は相当つらいでしょう。僕にしても4時起きで外出するとなったら、それだけでも大ごとで、おそらく気が萎えてしまうだろう。自宅で机に向かうだけだから、まだこの時間に起きても耐えられる。

■一仕事終えて朝刊に目を通す。今日の話題のニュースはタレント・弁護士の大阪府知事当選と大相撲の白鵬優勝、それにマラソン福士の転倒のドラマだったのかな。

■大阪の知事選で有権者が実際に判断を迫られたのは「橋下さんを知事にしていいかどうか」だったと日経が書いている。与党か野党かではなく、それに橋下か熊谷かも少し違うとのことで、要するに「橋下知事で、イエスかノーか」だったと。

■で、「今の首長選はおみくじを引くのと一緒で選んでみなければ吉凶がわからない」のだそうだと、前鳥取県知事の片山さんの言葉を借り、そう紹介している。

その原因は地方における政党の機能不全なのだとのこと。なかでも人材難があげられると指摘、政治の担い手を供給する重要な役割がいまや機能していないのだということです。でしょうね、国会議員ですらどうしてこの人がと思わざるを得ない人物や素人が数あわせで顔を並べるご時世ですから、地方での人材難は推して知るべしで、最後は橋下さんを好きな人と嫌いな人の数の差が勝敗を決めたと断じている。

■大阪は、ノックさんでタレント知事は懲りたと思っていたけど、そうでもないらしい。宮崎の東国原知事のメディア展開が奏功して、宮崎が話題になっているからという時流もあるのだろうが、その東国原知事が就任一年になったとしてインタビュー記事も出ている。

■せんじつめれば宮崎ブームは、タレント活動の延長線上にある東国原知事のセールスマン活動が奏功して話題につながっているということだろう。早い話、他府県の知事ならいくらトップセールスをやっても中央メディアが関心を示すことなどまずない。自分の得手不得手をよく理解して動いたのが、話題につながったということか。

■選挙公約であげた、県産品の振興ということではたしかにPR効果は抜群といってよいけど、現実には果たしてどれだけの効果が出てるのかはわからない。
宮崎県物産センターが三倍の売り上げだと言うけど、センタの売り上げは数には入らないだろうから。
ただ観光客の5%増は、07年度の1月−11月で前年同期比で公約通り5%を達成しているという(県内の主要ホテルなどには78万4、100人が宿泊)。

反面、経済対策はこれからということ。公約の任期中の企業立地100社は大きな課題で、昨年は25社。

入札改革と裏金問題で成果が見られるが、そもそも宮崎県は官製談合事件で前知事が辞任しての知事選だったから、これは誰が知事になってもそれなりの成果は認められる。
ただしタレントということで行政未経験のしがらみのなさが、反対されがちな施策展開に運良くはたらいたということか。

県の残債が9、000億円あり、利払いだけでも160億円とのこと。こっちはほとんど手つかずで、一年経過して今後の圧縮に手腕を問われるところ。

■大阪の橋下知事はもっと厳しい3兆円の負債。ところがこれは府単体の額で外郭団体などをふくめた連結だと7兆2000億円だというから、呆れてしまう。

財政再建団体目前と言うことで財政は火の車、9年連続赤字決算のうえ、都道府県では唯一の赤字団体。これを政治経験未知数の若者知事に託すのは問題ではないでしょうか。
ましてや大阪の地盤沈下はひどく、日本の拠点があきれるぐらいで、一人当たりの県民訴得は七位にまで転落している。

大阪のトップセールスといっても、なんかピンとこないし、まさに吉とでるか凶とでるか、それとも意外なことがおこるのか。そうですねェ、おみくじの結果は意外に早くでるのでは……。

「人工知能」から「残酷時代劇小説」までの、新鮮な読書体験!

2008年1月26日(土曜)

■この一週間で新鮮な読書体験をしました。それが、二つもです。

■一つはドクター苫米地の「脳」の世界から入って、いまや時の人でもある茂木健一郎の著書と、そこからまた拡がったロボット開発を通しての「(人工)知能」などの話までの読書体験です。
人工知能では日本が世界でいちばん進んでいるという事を知りました。それにこの研究では必然として(工学的な立場からですけど)哲学などが絡んできて、それも含めて知的刺激を受けています。改めて理系の才能に敬服しています。

■もう一つは、たった今読了した南條範夫の作品世界。読みながら松本清張の小説世界を思い出しました。これまで読んだ娯楽一辺倒の時代小説とは一線を画した作品で、こういう時代小説もあったのか、と思いました。

強烈にして酷いどぎつい描写や、切ないまでのやりきれなさが胸に切々と迫ってくる。ただしそれはそれでまた新鮮な感覚でした。南條範夫『第三の陰武者』を読了してのことです。

影武者になったものの、主君が左目を戦場で矢があたって負傷したら、陰武者だからと同じ左目をつぶされるなどということが描かれています。

■南條作品はこれがはじめてで、松井今朝子がブログで<傑作>とほめていたので知りました。
南條作品に『被虐の系譜』という作品があり、松井に強い影響を与えた時代小説だと言うので、読んでみたくなったのです。
たまたま『被虐の系譜』が手にはいらず、先に同じ傾向だと思われるこの作品が入ったので読んでみたのです。

■僕は知らなかったのですが、60年代に東映で映画化された「武士道残酷物語」という作品があり、それはいわゆるノーテンキな時代劇とは異なる骨のある作品らしいのです。

■(検索してみました)映画のDVDの案内から引用して貼り付けます。
ドラマは、まずダム入札のために恋人を利用した現代のサラリーマン飯倉(中村錦之助)の悲劇から始まり、そこから画面は一気に過去へと翔び、殉死したり、 男根を切られたり、娘を老中に献上したり、また戦争の時代になると特攻隊に駆り出されたりなどなど、飯倉家の先祖たちが主君や国家のためにたどった悲惨な 物語が次々とつづられていく。

まったくもって救いのない話の連続だが、東映時代劇の大スター中村錦之助が7役をそれぞれこなすことで映画の格と品性は保たれ、またそこからじわじわと日本人の原罪を痛感させられるという、実に見事な趣向となっている。

この映画の監督は今井正で、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞しています。その原作が南條の『被虐の系譜』なんです。

松井によれば『被虐の系譜』は「優れた批評性とトリッキーな手法で〈日本人とは何か〉という大命題に鋭く切り込んだ傑作」とのことです。(それで読む気になりました)

■なんというか、まだこの作品一作だけですけど、松本清張のあの暗くてやりきれないような世界とそれでいてリアルな空間が時代劇の中で展開するのです。
これは新鮮な驚きでした。僕には、時代劇でこのように描いても良いんだ、という発見でもありました。徹底した悲惨を描いたからこそ、作品に批評性が自ずと浮上したということです。

■で、「知能」関係の書物は知的興奮を呼びさまし、優れたその内容は良書に巡りあえたという思いですし、南條作品は、僕の時代小説感を大きく揺さぶっています。
しばらくはこの二つの関係の書物で読書が楽しめそうです。




問題は学士力士の台頭 朝青龍問題よりも深刻?

2008年1月25日(金曜)

■今週号の東洋経済は「スポーツビジネス」を特集でとりあげている。
基本的にはメディアのコンテンツとして必要欠くべからざる存在であり、いまや年々巨大化する各スポーツビジネスの背景を探って面白い読み物となっている。

■オリンピックやサッカーW杯のビジネスの裏側をはじめ、瞬間的には30%、平均で20%以上の高い視聴率を稼ぐお化けコンテンツに成長した箱根駅伝の番組育成の仕方とか、全豪で決勝進出を果たしたテニスのシャラポアが6歳から既にアメリカに渡りスポーツエージェントのIMG傘下で英才教育を受けたとか、フィギュアの浅田真央などの選手育成には年間3000万円がかかるとか、一方で衰退するプロ野球があり他方で阪神球団を超える観客を集めている浦和レッズのクラブ(経営)革命とか、面白い話題が満載である。

■そうした各スポーツの中で、安定的な経営基盤で揺るぎがないと言われるのが朝青龍の復帰で良い意味でも悪い意味でも話題になっている大相撲だ。あさっての27日は初場所千秋楽なので、この話題を紹介しておこう。

■「学士力士」や「学士親方」の台頭が大相撲に及ぼしている“功罪”という意外な視点で切り込んでいる。

■大相撲は年間120億から130億の事業収入をあげており、数億円の黒字を出しているという。最も安定的に経営が成り立っているプロスポーツとのこと。
独特の文化的背景があって順風満帆の経営で支えられてきた大相撲だが、学士勢の増加が大相撲では憂慮すべき問題になっているという。

■現在、学士の幕内力士は18人(中退も含む)で幕内全体の40%になり一大勢力として、外国人力士の13人(幕内の30%)を超えている。また学士親方も部屋持ち親方の53人中24%に当たる13人だという。

■学士に触れる前に、部屋の運営が経済的にはどうなっているのかぼくはずっと不思議だったが、そのことにも言及しているので、そちらから。

■十両以上に給与が出るのは知ってるけど、幕下以下は給与がない。だから部屋としては大変だと思っていた。
でも彼らを抱える部屋には、年間で一人あたり養成費兼維持費として約186万円が支給されるとのことだ。

■なるほど、それで部屋が成り立っているのだ。もちろん、親方の給与があり、関取からの見返りもあるのだろう。ただ基本的には幕内力士がいなくても部屋の運営は成立する。もちろん部屋繁栄のために関取を育てようと親方は懸命な努力をするのは当然のこと。記事では相撲協会が会社ならば、力士や親方は会社員という位置づけになるという。

■さて学士力士である。採用リスクという視点でみると、学卒力士はリスクが少ないという。技術をもっており、アマ相撲での優勝経験者などは出世が有利に働き、てっとり早く関取を育てたい親方にとっては垂涎の的というわけだ。

■知らなかったけど、学士力士は引退後の親方株と引き替えに入門するのだという。関取在籍が連続20場所、通算で25場所以上をクリアすれば、将来は親方株を保証されるとのことだ。

■つまりその背景には無理して横綱を目指すより、大過なく関取業を続ける方が将来的には有利だという見方が働くとのことである。
結果としてそのことがつまり、好取組の減少につながっているという指摘だ。

■学士親方で言えば、現在17人中7人が日大出身で約半数。これが影響力をもっているという。そして彼らの部屋開業は相撲の伝統を十分吸収しないうちになりがちで、それが大相撲の悪い意味での変化につながっているようだとのこと。

■いわば学士力士はエリートで、下積み経験も含め中高卒の力士より入門から引退までの期間が短く、それが大相撲の伝統継承に影響を及ぼしているのだという。だから学士力士をどうとりこんでいくのか、その力量が大相撲に問われると結んでいる。

■というような記事だけど、経済誌らしくデータをもとに学士力士の功罪に触れ、大相撲経営の危惧を指摘している。

■そうなんだけど、でもこれはどのスポーツ界にも時代の変化は存在するし、その変化を飲み込んできて現在があるはず。

■伝統だけを守旧し、それを振りかざして運営が成り立つのであれば、問題はない。いや、それはまずありえない。伝統に時代の変化をどう織り込んで、どう折り合いを付けていくのか、それはスポーツに限らずどんな組織でもそれを為しての運営であり経営の本質ではないのか。

■むしろ問題は会社である相撲協会の体質こそが問われるべきではないのか。安定経営はしているものの、昨年の一連の不祥事は協会が時代にそぐわない偏った組織の運営能力しかないことをあからさまに露呈した。

■ある意味、学士力士に対するこの功罪の“罪”の指摘は無い物ねだりではないのか。むしろ学士達を今後どう活かすかを考える経営能力こそが問われるべきではないのか。(もし学士力士の弊が存在するとしての上での話だが)

■となると、大相撲と学士力士というのは角界における一つの現象ではあっても、それが大相撲の伝統を揺るがしかねないほどの功罪の“罪”としての影響を及ぼしているという見方はいささかこじつけの感がないでもない。(身体を張っての厳しい勝負の世界が、頭で考えるほどラクなものだとは思えないのだが)

■で、スポーツビジネスは今繁栄をきわめているけれど、メディアのコンテンツとしてよりも、メディア(特にテレビ)自体のスポーツの取りあげ方自体が本当は問題ではないのか。

■タレントが出てきて歌や踊りを見せるバラエティ化した番組は、つまりスポーツへの興味を半減させる働きをしても、それでスポーツの見巧者を育てるとはまず思えない。どの年代も楽しめるコンテンツとしてあるスポーツが一部のある年代だけを相手にしていては、中長期的に見れば自ら自滅の道を歩んでいるに等しいのでは――。

■とまれ、スポーツビジネスとメディアは車の両輪、そのあり方にこそ真剣に切り込んで欲しいものだ。なんといっても放送事業は免許で(とてつもなく安い免許事業費だ)保証されている業界だ。儲け主義優先で成り立つ業界に、スポーツ業界がどう関係をもって成り立っているのか、そこに切り込んだ経済誌的な切り口を本来なら見てみたい。オリン ピックとW杯のビジネスの背後には切り込んでいるけれど、その程度の内容は、広告業界では常識のレベルなんだから。



世界同時株安(2) 日本はバブル崩壊の貴重な経験を米に教えたら、どう?

1月23日(水曜日)

■東京で本格的な雪が降った珍しい一日。朝の8時過ぎまで仕事をしてバタンキュウ状態で睡眠をとる。間もなく3時になるが目覚めたばかりだ。もう雪は降っていない。

■さすがに冷えこんでいて寒い。戸外はみぞれのような雨が降っている。庭は真っ白だが路上には雪がない。住宅街の町内は若干シャーベットのような路面状況。外出の予定はないのでこのまま仕事を続けるしかない。

■世界同時株安がトップニュースなのは昨日から続いている。ネットでみると東証は1万3000円台を一時回復とあり、アジアの主要市場は反発ではじまったものの、そのあとの株は買いが続かずということらしい。中国銀行株が大幅に下落しているという。インドは大幅の反発とあるがこの後はどうか。
(東証は結局、終値256円高の1万2829円)

■こういう一大経済悪化状況でもなければ、本気で経済や金融絡みの報道にはまず触れることがないので、日経をすこしマメに読んでいる。勉強になる。

■日本のマスコミは、ニューヨークタイムズのいうことは金科玉条の如く大事に大事に採りあげる傾向にある。
で、日経にも出てました。元FRB議長のボルカーが「FRBは状況を制御できなくなっている」とニューヨークタイムズの記事で発言。バーナンキ議長の政策運営に懸念を示したというのだ。それが市場に波紋をもたらしているという。

■つまり現在の米国の政策が後手に回ってるということ。政策が小出しなのだ。それはFRBの0.75%の緊急値下げもそうだし、ブッシュの総額15兆円規模の景気刺激策もそうだ。

■前者は緊急の値下げにもかかわらず、さらなる利下げをという声があるし、ブッシュの刺激策は25兆円規模でなければ意味がない、との専門家の声が浮上している。「ツー・リトル ツー・レイト(小さすぎ、遅すぎ)」ということだ。

■でだ、次は、植草一秀先生のHPからの引用だ。今日付のコメントからだ。今いったことが、指摘されてコンパクトにまとまっている。


■部分引用です。
資産価格下落−景気悪化−金融不安の連鎖は日本が1990年から2003年にかけて経験した。日本の場合、1996年と2000年に景気回復、株価上昇の 改善局面を迎えたが、財政収支改善を優先する近視眼的な緊縮財政政策が採用されて、事態を再悪化させ、深刻な金融不安を招いてしまった。

■迅速かつ大胆な対応が求められている。
「兵力の逐次投入」は失敗を招く代表事例である。米国政策当局が利下げ、財政政策、金融市場安定化策を総動員して 市場に驚きを与える必要がある。金融市場の不安心理はオーバーシュートしており、心理の振れを是正できれば、問題への対処は格段に容易になる。


■以上で、引用終わり。
米国は今、まさに植草先生がいうように、日本の轍を踏もうとしているのではないのか。

■日本の株価は政治の無策がもたらしたものだからさておいて、今回のサブプライムローン問題でのアジアへの飛び火。とくに中国銀行の株価が大幅に下げているのは、サブプライムローン関連で巨額の損失をかかえているからのようだ。香港の英国系の新聞などが報じている。

■で、市場が気になっているのはサブプライム問題が中国に飛び火したということばかりではなく、中国当局も、中国銀行も、この一連の状況の中で情報の開示をしておらず(損失は無いと否定している)、それがまた大きな問題なのだという。

■なぜか。簡単にいうと、アメリカは今、中東産油国と中国の資金に頼ろうとしているのに、その中国の金融機関の経営が不透明だということが改めて浮き彫りにされたからだ。信用のおけない金融機関は問題外である。

■アジア絡みの問題はもう一つ。アジアの新興国の市場の脆弱性がもろに出てしまったことだ。これまで「デカップリング(悲連動)論」といわれて、米国がこけても、新興国の高成長があるから、実体経済には影響がないだろうといわれてきていたのに、それに疑問がついた。対米輸出が減速して、それがアジア経済に少なからず影響を及ぼすだろうといわれ出している。

■兵力の逐次投入で痛い眼を味わった日本。バブル崩壊をもたらした貴重な経験を有している経済危機の先進国日本、教訓を米国に教えてあげなければ……。

世界同時株安 でもその前に日本は政治不在

1月22日(火曜日)

■今朝(22日)の日経は世界同時株安に触れている。おそらくテレビニュースなどもトップで報じているのだろう。中国、香港、そしてインドまでも下げているアジア株と共に、ロンドン、フランクフルトなどの欧州株も全面安だという。
この基調は今週も続くというが、日経平均(13、325円)でみると年初来12%、約1900円下げているという。この半年で時価総額は約140兆円以上(?)も吹き飛んでいるのではないのか。
(いま、ネットが13、000円割れだと伝えている)


■先週、太田弘子経済省が06年の世界全体の国内総生産に占める日本経済の割合が10%を割り込んだことで(24年ぶり)「経済は一流と呼ばれる状況ではなくなった」と断じていたが、それってつまり、政治家がもたらした無策ゆえことだし、その無策ぶりをいまここで認めてどうなるというのだろう。
いじけた見方をすれば、つまり「政治は今後も経済政策を半ば放棄しますよって宣言」したってことなのかもしれない。

■通常国会がはじまっているものの、それが「ガソリン国会」といわれることにそれは象徴されているように思う。まるでこの国の政治家は経済音痴、世界同時安であっても、一人日本株のそれは重傷である。外国人の日本株離れが顕在化しているのも原因は政治の無策にある。

■でも面白いのは、それでいて日経一面の囲み記事にあるのだが、08年3月期の上場企業全体では五期連続で最高益を更新する見通しだとのこと。しかし昨年7―9月期の法人企業収益の伸びは全体で五年ぶりの減益に転じたという。

■つまり大手企業は最高益でも、中小の企業全体を含めてみると減益だということだ。そういうまでもない二極化である。

■二極化はもうここまできてしまったら、自由主義経済のなかでの自由な競争制度を選択してしまった以上、修正はきかない。行くところまで行くしかない。「競争そのものが正しい」という選択は、今後、日本経済に歪んだ弊がどういう形であらわれるのか。(この他人事みたいな書き方が物書きの悪い癖です)

■で、本来なら日経の一面トップで報じられるべきはずの世界同時株安がトップではなく、トップで報じられているのが、高齢者で無年金者の生活保護受給だ。65歳以上で、公的年金を(受給資格が無くて)受け取れない人たち29万人を生活保護が肩代わりしているとつたえている。高齢者の生活保護を受けている人たちの52%になるという。

■で、このような数値は既にわかっていたことで、どうして今日、ここに一面トップとして厚労省の調査が出てくるのだろう。

自費出版の夢を食いつぶした詐欺商法 


自費出版の夢を食いつぶした詐欺商法 



2008年1月20日(日曜日

■破綻した自費出版の新風舎が、民事再生が難しくなったとして記者会見を開いている。
書き手(出版希望者約1000人)から預かっている前受金の10億円は返還されそうもないとのこと。
また、既に出版された本600万冊(著者約1万5000人)についても、流通経路にのる見込みはやはりないとのこと。
今、読んだばかりの読売ネット版が伝えている。


■新風舎の民事再生手続が伝えられたのは年明け早々の7日、印刷会社が事業引き受けを申し出ていたようだが、どうやら話し合いがつかずもの別れとなったようだ。


■7日のこのニュースを知った知人が彼のブログで、読書人口は減少しているのに、書き手ならぬ、書きたい(出版したい)人は増えているという事なのだろう、というようなことを多少の皮肉混じりで言っていた。


■新風舎については以前から、ネットで悪い噂が飛び交っていたが、一方で同社は、大々的に新聞広告で自費出版を募集していたのも覚えている。
(新風社の悪い噂がメディアで採りあげられたのは昨年の半ば頃だったか)


■自費出版そのものは以前からあることだし多くの出版社が手がけており、出版の夢を実現してくれる得難い存在ではある。
たしかに自分の著書が書店の棚に並んだ光景を夢見るのも悪くはない。


■だから、悪いのは詐欺まがいの商法で出版の夢につけこんだ新風社なのはいうまでもないのだが、あえてひとこと述べるなら、出版を目指すぐらいの書き手なら、自分の書いたモノが果たして出版の流通に載るものなのかどうかの見きわめぐらいは最低限もって欲しいもの。


プロの書き手の刊行物でも次々と書店から取りのけられているご時世なのに、無名の素人とのそれがまともな書店の棚に並ぶはずがないではないか――。


■記事には既に著者が1万5000人もいるとあるので、どうみてもこれは、詐欺まがいの出版ビジネスにつけ込まれたなと思わざるを得ない。


■数年前、田舎にかえったとき、母が、ほら、と一冊の本を僕に手渡した。なにかと思ったら、親戚の人が自分の母親のことを書いた本だという。
そう、自費出版である。せがれの僕が一応ライター稼業なので、「おまえも、本の一冊ぐらいは出ないのか」という母の言外の物言いだったのだろうけど、それはともかく、その自費出版物の中味は、単なる作文の域を出ないシロモノだった。


■そしたら今度は兄が、自費出版ならと兄の仕事上の付き合いの人の息子さんが出したという、やはり頂き物とのことで、詩集を出してきた。
その息子さんは学校の先生で、なんでもそこそこの詩人なのだそうだ。なるほどなかなかの出来である。詩歌関係者の言葉もあり、無名だけど一応の評価はされている。


■どちらも体裁はソフトカバーで外見は一応の見栄えはある。
何百冊刷ったものかはわからないが、それぞれ費用は数百万したのではなかったか。


■そのときはまさか新風社のような詐欺商法があるとは思わなかったから、前者の親戚の自費出版に関していえば、親を思う気持で子供が書きあらわしたものだと思い、責める気などはまずなかった。もちろん、それが書店に並ぶなどと言うことは考えすらしなかった。
せいぜい親戚や友人知己に配った程度だろうと思ったものだった。


■後者の詩人のものはたしか何らかの賞か何かでいいところまでいったのではなかったか、だから過去の作品を集めて自費出版したものと思う。
こちらはもう、売れる売れないはまったく別で、あくまでも配るために刷ったもの。
そういう思いでがある。


■それが自費出版をすすめ、言葉巧みに書店に並ぶ云々でビジネスにしてしまう。
唖然としましたね。


■企業広報分野の原稿仕事が多いので、たまに、企業絡みの単行本や自費出版物の仕事依頼もある。
けれども断ってきた。費やす時間を考えたら、まるで割が合わないからだ。


■NPO法人日本自費出版ネットワーク(会長が、あの中山千夏さんだった)というのがあって、彼らにとってははた迷惑この上ない存在の新風社なのだろうが、ビジネスの場で歪んだ行動を取るものはどんなところにでもあるもの。


■でも、出版の夢が叶うっていうのはやはり何ものにも代え難い存在。
そういえば、日本で今いちばん本を売っている内田康夫(一億冊です)は自費出版からスタートしてます。
この程度(既存の推理小説程度)は自分にも書けるとつねづね公言していて自費で出したのが、プロの批評家の目にとまり新聞に載った。


■ひそかに、それを夢見ますね書き手は。
でもだからこそ、自分の力を知らなくては――。
















早期発見・早期治療とは呆れる 愚弄するC型肝炎の折り込み表現

1月18日(金曜日)

■午前3時半起床。今朝は、寒さが尋常ではない。昨日の早朝も思ったが、この寒さの中(時期)で震災を受けたのだと思うと、さぞかし、当時の大変さがしのばれる。(当時僕は、震災1カ月後の神戸を訪れたが、神戸にたどり着くまでの交通機関の足の確保の難しさも含め、被災地の生々しい姿を目の当たりにして、コートは着ていたがスーツにカバンを持った自分の姿がまったく浮いていたことを思い出した)
さて、原稿を一本仕上げて、一息ついている。

■昨日17日の新聞に政府の折り込みが入っていた。「C型肝炎ウイルス」の検査をうながす政府公報だが、全国で3、000万部配られたという(新聞で8ページあり、ほとんどが全国の医療機関名が記されている)。昨日の早朝、届いたばかりの新聞をひろげたら、その折り込みが入っていたので読んでみて怖くなった。

■「検査を受けていただきたい方」に僕が充当するからだ。忙しかったので、その場はやり過ごしたが、改めて読んでみて僕が開腹手術を受けた大学病院の名もあり、確認しなければならないと思った。

■それにしてもこの折り込みの表現がふざけている。
「C型肝炎は、早期発見・早期治療が重要です。」とあるのだ。それでいてその下の文章には「平成6年以前に以下の医療機関で治療を受けた方」云々とある。十四、五年も前のことである。なのに、何が早期治療だ、何が早期発見だ。愚弄するにもほどがある。

■昨日の夕刊には、厚労省に問い合わせが殺到、とあったが、あるコメンテーターが、昨日の日付に言及していた。

何でこの折り込みが1月17日なのか、何で阪神淡路大震災の日なんだ、と指摘していた。そこにはこのC型肝炎問題を矮小化する意図があったのではないか、というのだ。
折り込みをしていて果たしてそうなのか、と思う一方で、あるいは折り込みをしていてまで、そういう後退した思考がはたらいているのかと暗澹たる思いである。

■とりあえず今日、電話で確認である。でも、この検査を受けなければならない総人数は全国で大変な数になる。まだ問い合わせの段階だから電話が殺到で済んでいるが、この後、何が起こるかわからない。

ゼネコンの凋落 止まるところを知らず!

1月16日(水曜日)

■15日に発売された東洋経済はゼネコンの「現場破壊」と題して特集を組んでいる。一読してゼネコンの現状がリアルな姿で伝わってきた。
長い間IR関連の仕事をしてきているので、さまざまな業界に首をつっこみ、ゼネコンの仕事にも何社か携わってきた身には、その救いようのない現状に暗澹たる思いになった。

■一読する前に奥付の取材を担当した編集者のコメントに目を通したら、次ぎのようにあった。(要旨+僕のコメント)
「脱談合が本格化するなかで、ダンピング競争はやむことなく、それでいて施行技術や業務内容は横並び。そこでは下請けの利益を削ってでも受注を確保する動きがやむことはない」

「公共事業という税金で食べてきた業界は、結果として自助努力をそいできたことになる。いかんともし難いのは、こうした業界体質が抜けておらず、それが現場にただならぬ悪弊となって多大な影響を及ぼしている現状だ。しかも事業構造が制度疲労でありながらも、がんじがらめの役所(法理や規制)の縛りがある。で、役所も旧態依然。今後ますます自らの首を絞めることになるのだろう」

■そうしたなかにもやはり新しい動きはある。紹介されているのが、たとえば海外からきた「CM」こと「コンストラクション・マネジメント」システムと、一時は青息吐息で破綻目前にあった長谷工のビジネスモデル。

■わかりやすいので長谷工のケースから。売り上げは大手ゼネコンの半分にもかかわらず、営業利益では大手トップを凌いでいる。そのキーワードは「脱ゼネコン」と「脱請け負け」とのこと。

「脱ゼネコン」とは、長谷工は建設事業のほとんどをマンション建設とその事業関連に特化していること。一般的にゼネコンは発注者であるデベロッパーのいいなりで受注金額がたたかれるだけたたかれて「請け負け」状況にある。

しかし長谷工は事業用地の取得も事業計画も自らの企画で行っており、主導権が自社にある。それが高い利益につながるのだという。つまりゼネコンではあってもマンションに特化した商品を提供している事業スタイルが奏功しているというのだ。

■次ぎに「CM=コンストラクション・マネジメント」。知らなかった。銀座に世界の超一流ブランドのビルが次々と建っている。これらの高級ブランドはこぞってこのシステムを取り入れているというのだ。請け負っているのはオーストラリアの不動産大手の建設部門。

■CMとは、工事発注者の立場で施行業者の選定から予算・スケジュール・品質管理などのコンサルテングサービスのこと。これは、日本のゼネコンの元請けといわれる内容の不透明な「一括請け負い」とは異なり、コストや発注プロセスがガラス張りになるシステム。

このCMというシステム。黒船となって、今後の再開発なども含めて、ゼネコンならぬ不動産業界までまきこんでいる。

■ゼネコンの苦境とは逆に都市圏の再開発で好調なのがデベロッパー。大手はバブル期をうわまわる過去最高益を達成しているという。

■で、デベロッパーは再開発を手がけてCMのノウハウを獲得し、すでにCMビジネスをスタートさせているという。それは不動産証券化などの事業環境の変化に対応してきた経験がなさしめたものだとのこと。

■とまあ、こんな状況である。
たまたま先週、ある大手の不動産業者をおとずれた。流れによっては新たな事業に僕自身が参画することになるかもしれない。それも直接相手のなかに入りこんで仕事をするようになるかもしれない。決定ではないが、その可能性が大きい。

■そんなこともあって、興味を覚えて一読した特集である。
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