玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

November 2007

東京の美術館は「ニセモノ」ばかり、とフランス人!

2007年11月28日(金曜日

■今日発売になったニューズウィーク日本版(12月5日号)に、お寒い文化大国日本の本質がまさにえぐられ、露(あらわ)にされている記事があった。

指摘しているのはフィガロ紙の記者で、在日フランス商工会議所機関誌の編集長。

東京に続々と誕生する美術館。森美術館、サントリー美術館、国立新美術館……。これは日本人の美術にたいする深い感覚や情熱のある姿からだと思っていた、という。

ところが現実は、なんと貧弱きわまりないコレクションやお粗末な展示で、新しく生まれた施設が「美術館」を名乗るのは「詐欺に等しい」とこの上なく辛らつな指摘である。いや、「ニセモノ美術館があふれている」とまで言っている。

学芸員とは名ばかりで、その実ほかの誰かが選んだ作品を壁に掛けているだけだし、空間は空っぽだし、たいていは企画展専用の「ギャラリー」でしかない、と。

このあたりの指摘はまだまだ序の口で、短い一文のなかに、このあと次々と日本の文化や美術のお寒い現状をあばきだす。

たとえばルーブル美術館だが、長くにわたって、国外最大の美術展を日本で開いているのには理由があるという。
どんな理由か。お金である。寄付の20%が日本からのものだから、とのこと。同じくポンピドーセンターが国立新美術館にコレクションを貸し出したのは、日本企業からの莫大な寄付があったから。

さらに日本では、芸術家は「ブランド」と見られているとも。「ピカソ・ブランド」であり、「シャガール・ブランド」であり……という具合に。

■そして次が重要だ。(美術館のひとつのあるべき姿です)

金による展示、ブランドの展示――「そこにはすぐれた美術館に必要なものが欠けている。それは、リスクを背負いながらも自らの視点を貫いて作品を選ぶ目、それがない」

そして、お手本として彼はマドリッドの美術館をあげている。
その美術館で体験できる中世から現代までの数世紀のアートの旅は、一人の男爵のコレクションであり、「数々の傑作が対話しており、見る者はそこに参加しているような感覚をいだく。情熱に満ちたコレクションのなかに、一人の男(男爵)の姿が見えてくる」と。

ではなぜ東京では、日本では、ニセモノ美術館があふれるのか。
答えは「不動産会社」だという。日本では、美術館などはたいてい大型の商業施設や高級マンションのそばに造られているという。

それは開発業者が、「文化」を持ち出すことで、「無用なもの(施設)を造る理由になる」からだという。

そして彼はある著名な日本人指揮者が自分にこう言ったとして――。
「パリのコンサートホールはたいしたことはないが、プログラムは素晴らしい。日本のホールは世界でも指折りだが、演目は最低だ」

なぜそうなるのか。
「音楽と違って、建物は目に見える。日本ではそこが重要なんだ」

編集長は言う。
「芸術を愛するふりをしながら、自分では価値判断をしない日本人の二面性」
前述のポンピドーセンターは今、東京にオフィスの設立を計っているとのこと。目的は日本の現代美術の収集である。

「本来なら日本の美術館がやるべきことだ」と編集長。どうやら日本は国の防衛だけではなく、文化まで外国に依存していると結んでいる。

■フランス人の目から見ると、そういうことになるのででしょう。お説ごもっともで、日本人としては恥ずかしいが、でも、すべてがこの編集長氏の言う通りではない。中には独自の企画展などを展開している美術施設もある。

たとえば東京都現代美術館、地方だと水戸芸術館や広島市現代美術館などは特別な企画展などを開いているし、その企画内容もユニークで面白い(私が知る限りだが。どちらかというと現代美術の分野での活動が中心のようだ)。

ただし、残念ながら、それは一部でしかない。現実はやはり箱ものを造るための大きな理由に文化や美術が利用されているのが今の日本といってよいだろう。

「価値判断をしない二面性」とあったが、実はこれ、「しない」のではなく「できない」というのが正しいのだろう。うろ覚えだが、ある美術評論家が言っていた。

現代美術(西洋美術だったかも)について、日本ではその現代美術を消化しつくしていないとのこと。たとえば極めるべき、学ぶべき一つの山とでもいう「現代美術」という存在があるとするならば、その山を極めてはいないのだという。

極めることによってはじめて消化したことになり、そこではじめて現代美術を相手に自在に論じ、価値判断を持てるというわけだ。
つまり、日本という国ではそこが未消化なままだというのである。

だから判断ができない。判断しようにも判断ができない。
だから日本の「現代美術展」を海外で開く場合は、未消化だから「日本の現代美術」ではなく「現代美術の日本」というような紹介やタイトルになるのだという。

日本にも一応「現代美術」と呼ばれる分野があるんですよ、現代美術と呼んでいいかどうかは分からないけど……というような紹介のされ方になると書いていた。

半端なのである。(適切かどうかはわからないけど、新国立劇場の場所ですね。あそこでオペラを観て外に出てくると、車がけたたましい音を立てて走っている。そういう文化なんですね、この国は。何も考えていない)

■いきなりニューズウィーくクのページをめくったら、上記のような記事が出ていたので、ちょっと考えさせられました。

日産本社ロビーで、居並ぶ怪物GTRとご対面!

2007年11月27日(火曜日)パート2

■日産本社の近くまで出向いたので、日産ビルの展示ロビーで噂の怪物GTRを見てきた。

怪物GTRのホワイト居並ぶ怪物車です







怪物君の後部怪物君のディスクブレーキ。これが結構アピールするのだ







■前や後ろから見ると、いわゆるスポーツカータイプのデザインではなく普通の乗用車然としたデザインだからあまり驚きは感じない(これが、箱スカ以来、旧套を墨守するスタイルだからだろう。この考えは正しい)。

■しかし横からみると、その車長の大きいこと大きいこと。たっぷりした質感、重量感で迫ってくる。レクサスの一番大きな車(5150mm)に匹敵するのではないかなと、一瞬思えたほどだ。実際は4655mmとのことでもっと小さいが、GTRが与える印象はそれほど大きい。

■ホイールの奥に覗くディスクブレーキだが、これがまさに怪物車ならではの重厚感をアピールして、この車がただならぬものではないことハッキリと、それでいて、それとなく物語っている。僕は電車の車輪を前後から挟む鉄の塊のブレーキ板(セイリンシという)をなぜか連想した。

■戻って、GTRのHPを覗いたら、これがやはり凄い内容だ。ここまでの車は、いやスパースポーツはおいそれとはないのでは、と思えた。

■販売ターゲットは50歳前後らしいが、それでも若者の予約購入も入っているらしい。それにしても、とてつもない車だ。おいそれとは買えない車だけど、多少、経済的に余裕のある本当の車好きなら、この車を持ちたがるだろう。(キャプションを付けたのに、なぜかうまくアップ出来ない)


居並ぶ怪物君に囲まれるのは悪くない後部斜めより







怪物マシンの心臓部を覗くディスクブレーキ これの凄さが伝わってきます

書き手の仕事を中断するかもしれない…

2007年11月27日(火曜日

■展示会の仕事で都内を動く比重が圧倒的におおくなってきた。書き手の仕事との比重でいえば、展示が7で、書き手が3ぐらいか。いや展示はもっと占めるかもしれない。

■さすがに疲れて戻ると、それから原稿作業というのはしんどい。これは原稿作業を抑えなければ、どちらも成り立たなくなる。当初は展示会(主催者の)仕事)を受けるつもりはなかった。懇願されてうけた。でも原稿7、展示会3ぐらいの比率で考えていた。展示会のほうが増えても5対5ぐらいで考えていた。

■ところが展示会が動き出したら、次から次となすべき、やるべき業務が出てくる。待ったなしである。

■でも展示会の業務は悪いことばかりではない。旧知の、企業を訪ねたり人にあったりで、これが結構おもしろい。
過去の経験などを思い出しつつ話していると、僕の中で途切れていた糸がつながったり伸びたりして、新しい発見や出会いにつながる。それが結構刺激的である。

■その面白さが日ごとに募ってきている。しこしこ物を書いてる感情や感覚とはことなる情感が芽生えつつある。いや、かつての感覚を取り戻しているということなのだが、ブランクがあるから、動き自体はそのブランクを埋めていることになる。それが刺激を誘う。

■小さな業界だが、ある企業が売上1000億を達成したとか、ある企業はある分野の業務では国内トップだけれども、従来の仕事内容では売上が伸びないので、新たにソフト部門の仕事を導入して従来のハード部門の持てる力を活かしたりする動きをしているなどということを聞くと、大変な規模で企業が伸びているのがわかる。

■とりあえずは気負って動くことは避け、今の自分の持てる力で動いて、環境に馴染むこと、慣れることを第一に考えている。
場合によっては書き手を一時中断しなければならなくなるかもしれないが、そうなるかどうかは流れのなかで決めるつもり。

■そんななかでもきっちり本は読んでる。先週から「カラマーゾフの兄弟」はもちろんだが、新たに火坂雅志をという歴史小説作家を読みだしている。なかなかの書き手らしい。2009年の大河ドラマの原作者らしい。
それで興味を覚えて、彼の実力が認められだした作品『全宗』から読みだした。吉川英治文学新人賞にノミネートされた作品である。

■時代ものから歴史ものに転じた作家である。その軌跡を追ってみたいとおもった。軌跡を追うことで、一人の作家の成長の何がしかが見えてくる。

■まだ読みだしたばかりだから、何ともいえないが、もう少し文体が凝っているかとおもったら、そうではなかった。
本格派の時代ものや歴史ものの文体の雰囲気を期待したのだ。でも普通の文体だった。その分読みやすいが、それを僕は評価したくない。あと数冊を読んでみないと何とも言えないが。
読書は常時、並行して5冊から10冊ぐらいを読み進んでいる。

FPが評価する金融商品って、なんだそれ!

2007年11月25日(日曜日)

■日経マーネーの1月号が、2007年度に注目された金融商品50を対象に、20人のファイナンシャルプランナーにその商品性の評価を採点してもらい、総合点で順位を決めている。

■そこに並んだ金融商品を見ながら、何とも理解できない商品が並んでいるのに唖然とした。

■というのは依然、僕は「日経マネー」の広告関連の特集記事を書いたり、取材などを大手の金融会社相手にやったりしていた時期があったからだ。そう遠くはない過去のことだ。

■たとえばその頃は投資信託についての知識なら、誰にも負けないぐらいあったのでは、と自負している。だから米国の大手金融会社の商品の印刷物の制作などにも大手の広告代理店の仕事で携わった。(いまはどうなのか知らないが、その時のその金融会社の日本の会社は、デザインからコピー内容まで、すべて海外からの指示で制作していた。つまり言われたとおりに作っていただけ。にもかかわらず、何で何度も打ち合わせをやったのだろう)

■以後、身を引いて、金融改革が怒涛のように押し寄せた。その怒涛の中に身をおいていれば、それなりに金融関連の仕事を続けていただろうが、仕事をしていながら、なんとなく金融商品が好きになれなかった。(それが身を引いた一番の理由だったな、今思えば)

■現在のぼく自身は全く投資とは縁のない暮らしだが、昔は違った。20代で株式投資をしたとき、初めて購入した株50万円がいきなり一週間で倍になった。

■証券会社の営業マンが、何で若造にこの株が上がることがわかったのか不思議に思ったのだろう、何度も、どうしてあの銘柄を購入したのか、と訊ねてきた。

■そのときは、ただ勉強しただけだった。投資と株売買について、かなりの勉強を。今のように情報が飛び交ってなくて、自分で勉強するしかなかった。セミナーや講座など、金を出して学ぶなどという機会もほとんどなかったのではなかったか。もちろん指南書は出ていたし、それで学んだのだが。

■ただしその後がいけない。結局、自分で銘柄を決めて売買することを徹底すればよかったのに、次第に営業マンの推奨する株を買いだしてからがいけなかった。売買手数料を納めるだけになり、あとはあまり芳しい経験はない。そして株の売買、投資から遠のいた。

■後年、今でいうIRの仕事、つまりアニュアルレポートの和文原稿などを書くことで、経済などの動きを少しは学んで、追っていた。そのことが日経マネーの仕事をするに際し、抵抗なく関われた理由だろう。

■で、たまにはマネー誌を手にしてぺらぺらとページを繰ってみる。大変な移り変わりである。商品がわからない。最近は、しょせん金融の世界の素人であると任じてページを繰っている。

■数年前からデイトレイダーなるものが日本でも注目され、盛んになったが、いまはどうなのだろうか。まだ隆盛なのだろうか。多少興味を覚えたが、自分が手がけた講演会で講師を依頼したアナリストに首をひねられ、「やめた方がいい」というので、それきりになった。

■日がな一日、大の大人がパソコン相手に室内でくすぶる孤独な作業である。しかも儲けた、損したの連続である。どうかと思える仕事だ。
孤独な室内作業と言えば、物書きやライターもそうだが、こちらは全く別物。苦しいけど、面白い仕事で張り合いがある。ちがうのは、まったく金にならないことだ。著書を編んでベストセラーでも立て続けに出せれば別だが、そんな夢のような話しは考えない。

■ただ少しだけ、投資の世界にはスケベエ根性がある。書き手の高が知れた仕事では先々がおぼつかなく心細い。それである時期を見越して再び投資でもはじめようかと思っている。それでたまに日経マネーのページを繰る。

■ところでファイナンシャルプランナーって、自分たちは投資をしない。この協会の幹部たちにも取材をしたが、彼らは評論家的な話はするが、個人的には決して投資で稼いではいない。仕事が違うといえばそれまでだが、投資なら、自分で儲けてみろっていいたいな、ぼくは。儲けられない人のアドバイスを聞いて、どんな徳があるのだろうか?

服部幸應さんの講演を聴く 「食育」の消滅が現代社会のゆがみをもたらす

2007年11月23日(金曜日)祝日

■昨夜は地元で服部幸應さんの講演を聴いた。「食育」をテーマにした、講演あり、シンポジウあり、歌ありという申し分ないほど密度の濃い、内容のある会だった。

あるNPO法人を代表する知人がこの会を主催。おととい久しぶりにその知人に電話を入れたら、「明日あるから、来なさいよ」といわれて出向いた。

会場に入るとき、終了まで3時間ほど掛かるといわれて一瞬入るのをよそうかと思い惑う。しかし、せっかく足を運んだことだし、知人にも悪いし、それに服部さんの講演をある意味確認したかったところもあって、とりあえずはいった。

終わったら、3時間では足りないぐらい内容は充実していた。ただし、シンポジウムは時間足らずで未消化の感はいなめなかったが、それはコーディネイターを務めたその知人も、席上で会場にその点をわびていた。でも、ぼくにはそれでも有意義な内容だと思えた。

いや、有意義というよりいろいろ考えさせられた。
早い話、掲げたテーマは「食育」だが、食育との絡みで人間との在り様に話が及ぶ深いものになった。

食育とはすなわち「人間としての基本的なありようを育むための重要な子供の通過儀礼(これが今は消滅している)のようなもの」と半ば定義。そして現代のゆがんだ人間を次々と生み出しているいまの社会について話が及ぶ。ゆがんだ人間を生み出している一つの要因として、食育の欠落がもたらすものとして関連づけられ、どうしてそうなったかが柱となるような内容だった。

だから考えさせられたのだが、それはまた、これまで僕が参加してきたビジネスや仕事をテーマにしたセミナーや講演会とは異なるものだったからかもしれない。

個人的なことをいえば、僕にとっての講演会というと、その立場は聴衆というより講演会やセミナーを仕掛ける方の人間なのだ。それもビジネス主体の。

正直なところ、ビジネスで仕掛けるからそれなりのお代(お金)をいただくセミナーや講演会になる。セミナーの料金を下げるなら下げたで、スポンサーがその分を肩代わりするとか、併設の展示会で帳尻を合わせるなどする。そういうビジネス絡みのものが主体だったから、一人の聴き手としての参加はどこか新鮮だった。

基調講演の服部さんは、あのトレードマークの落ち着いた黒のマオカラーの洋服に身を包んで登壇。
近くで拝見したら、決して太っている方ではありませんでしたね。むしろ健康優良児(?)という風に思えましたね。顎などは二重あごではありませんでしたし。会場に入ってきたとき肩がけの黒のバックが何がなしこじゃれていましたね。そのあたりは著名人ですから、ある種のオーラーを発してはいる。(ネットなどで一部中傷がありますが)

お話はさすがに場慣れしておられる。聴衆を相手に融通無碍の話しぶりでした。落ち着いた語り口で、声が通る。

僕は若い頃、ある商品を紹介・販売するため、毎日のように一度に10人や20人の人を相手に(ときには4、50人の場合も)プレゼンテーションしていた時期があります。(決して変な商売ではありませんよ、念のため)

その当時、話す内容はほとんど一言一句ちがわない。まるで歩くレコード盤でしたね。
ただし場慣れしてくるといろいろ枝葉をつけ足したり、相手に話しかけたり、手を挙げさせたり、笑いをとったり、とあの手この手で1時間でも2時間でも自在に話し続けられるようになる。
昨日の服部さんがそうでした。話しかけ、質問を投げかけ、手を挙げさせ、笑いを取る。

そうした経験があったので後年、セミナーや講演会を仕掛け、著名人やビジネスの分野で名のある方の話しぶりを聴きながら、自分のかつての姿を重ねて思い出したりしていましたね。
異なるのは、人前に出て話すだけの人生の実績といいますか、内容を持ってないことですね。だからこそ、普通人なんですが。
そういうことですので、著名人なら、話す内容(コンテンツ)を構成し、それなりに場をこなせば、講演上手になることはなんとなくわかります。(もっとも、生来好きになれないという人もいますが)

実はこの夏、ある知人から健康にかんするイベントを兼ねた企画書を書いてくれと持ちかけられ、応じたことがあります。
そのときは国の健康政策の時代の推移と変遷を追い、今何を掲げているのかや、中央官庁がどういう委員会などを設けて動いているのかなど、大がかりに調べたことがあります。

そのときは服部さんが国のある委員会の委員を務める資料なども調べました。もう膨大な資料でした。国の健康政策から、農と食に関する政策までもしらべましたから。
ですから、いまはもうおぼろげですが、その頃は僕自身が健康や食に関するテーマで1時間や2時間話せるほどの内容をもっていた。だから服部さんの唱えた資料にも目を通して理解はしていた。

そういうこともあって、資料と実際の講演とは何が同じで何が違うかなどを確かめてみたかった。
資料で覚えているのは、こどもが一人で食卓で食べる「孤食」を挙げ、さらに個食、小食、粉食……などという具合に同じ音だけど意味が異なる、たしか七つの「こしょく」の事例を挙げていたこと。

この七つについては昨夜も触れていましたが、これは眼で漢字として捉えるから得心がいくんで、それを講演で言葉でいわれても頭には入りませんから、服部さんはさらりとそこは流してましたね。

服部さんの講演はもちろん食育がテーマですが、むしろ上でいったように、なぜ、今の日本の社会はここまでゆがんだ人間を生み出してしまったのかということに触れていましたね。それが子供のころ、家族で食卓を囲むことがどれだけ重要かということにつながる、と。

それからシンポジウム。パネラーの一人は、地元の三鷹で元教育長を務めた本間さんというシニアの女性の方。このかたエッセイストでもあるんですが、ご著書がサントリー学芸賞を受賞しておられるので書き手としても本格派です。

それから僕はテレビを見ないのでまったく知らなかったのですが、アンチエイジングではテレビでも有名らしい順天堂大学の白澤卓二先生も。

この方、服部さんの講演のときに私の席のすぐ前にお座りになられた。スーツ姿で意外に若い方だなと最初は思った。会場はどちらかといいますと50、60代のシニアの方が多かったので、若いスーツ姿のこの男性がなんとなく目にとまった。小さなノートパソコンをいじっている。この会を主宰している、僕の知人の関係者かなと思っていたら、パネリストの先生だった、というわけです。

クールで見事な話しぶりでした。まさにテレビ向きの方かもしれませんが、やはりお医者さんですね思考回路は。半ば関心して聴いてましたね、ぼくは。もっと聴きたいと思いました。
この先生、年齢が49歳とか。確かにお若い。年齢をいわれて「ほおー」と思いましたね。

それからその先生より10歳も年上で、神宮前で日本初の自然食のレストランを30年以上もやっているというシェフの方も若かった。食べ物の内容が若さとなんらかのつながりがあるのでしょうか。

パネラーの皆さんから出たのはやはり玄米食でした。僕も糖尿病になってから食べるようにしています。ただし僕の場合はあまり健康食には凝り固まってはいません。
糖尿病の合併症が怖いから、糖質制限食を実践しているだけです。でもそれは最高の健康食でもあるようです。

歌もよかった。ミネハハさんという歌い手さん。人の心とか、愛情とか、地球などをテーマに、美しいメロディの歌ばかりです。心に染みるうたを歌う。応援したくなりましたね。
この方はもともと3000曲のCMを歌ってからソロシンガーとして活動を開始した女性です。CMは誰もが知っているものばかり。ちょっとだけ披露しましたが、クロネコヤマトの宅急便、イオナ、さくらや、カラリオ、六甲のおいしい水、さっぽろ一番、ポンジュース、マクドナルナルド、にんべんのつゆの素、人形の久月……等々、あれもこれもという感じ。

長くなりました。刺激的な3時間でした。



地方で、本格派の腕を頼りに店を持つのも面白い!

11月22日(木曜日)

■昨日は、午後の遅い時間になって展示会の事務局から呼び出しがはいる。出かける予定はなかったものの、仕方がないので都心まで出向く。

何のことはない、わざわざ出向くまでのことはない用事だった。だが、それは僕の立場だからそう言えるのであって、おそらく寄せあつめの彼らにとってはわからなくて不安な部分もあって、どうしても頼りたくなるのだろう。
こっちはそれでなくても原稿書きで目いっぱいなのに、これでは時間がもったいない。でも腹を立てるわけにもいかないので、呼び出されたことも、原稿のことも、時間のこともすべて忘れる。精神衛生上、それがいちばん。

■で、業務を終えてからスタッフと軽く一杯をひっかけながら、それとなくああしてこうしてなどとサジェスト。
河岸をかえてあるショットバーへ。馴染みの店だが、しばらくぶり。ここは本格派でお酒もそろっている。(うまいシングルモルトがたくさん。僕は糖尿病だから本当はお酒はだめなのだが、糖質制限の治療なら蒸留酒は多少はかまわないというので、勝手に飲んでいる)

ところがマスターいわく、年内で店を閉めるという。別に繁盛してないからではない。それなりに客はいる。
岡山へ行くという。マスターの連れ合いの田舎なのだという。連れ合いの田舎の都合が一番の理由なのだろうが、子どもが学齢に達したこともあり、それを機に田舎に移るのだという。

岡山で本格派のバーを開くのも悪くないのではなどと話しながら、岡山では地元の名士として知られる人物を知っているので、なんなら紹介の労をといったら、願ってもないこととマスター。
岡山での楽しみがひとつ増えることになりそう。

「カラマーゾフの兄弟」の新訳文は和文としても第一級、最高峰の翻訳文だ!

11月20日(火曜日)

■前にもここで述べているが、ある業界が規模を拡大して開催する展示会の事務局にかかわることになった。その展示会開催の挨拶まわりから印刷物の制作の管理などもふくめて、いろいろな動きをしている。
業界の各団体は「これは業界を活気づかせる!」というので、ありがたいことに、こちらが恐縮してしまうほどの力を入れて開催を支援してくれる。

そんなわけで、ぼくもいつもの原稿書き作業とはまったくことなる動きで都内をうごきまわっている。いろいろな人に会い、いろいろな話をうかがう。
で僕も、業界についての情報はどちらかというと幅広く吸収しているので、いくらでも話を合わせることができる。いや、それ以上に、むしろ僕の話に耳を傾けてもらえる。これは悪い気分ではない。

業界動向や業界の大手企業や大物のはなしなどもふくめて、あれこれと話す。
とにかくしばらくは原稿仕事とこっちの仕事で二重のうごきをすることになる。

しかし動いていてわかるのは、原稿仕事とことなる頭のつかい方、神経のつかい方をしなければならないので、単純な行動であっても結構つかれることだ。その動きに体がまだ馴染んでない。しばらくは疲労感をおぼえながらの動きになる。

■帰途、さっそく昨日の「カラマーゾフの兄弟」を買ってきた。冒頭に「著者(ドストエフスキー)より」という序文がある。この翻訳文が素晴らしい。この文章を単に読みやすい平易な文章などというのは、訳者にたいしてきわめて礼を欠いた物いいである。

ここにあるのは翻訳小説の文体を超越した、素晴らしい日本語だ。ここまでしっとりとした日本語でドストエフスキーを読めるとは驚嘆するしかない。

「やさしい、美しい響きのいい言葉。みじかく、ひきしまっていて、物の形がはっきりと目に思い浮かべられるような文章。漢語はできるだけさける。しかし和文体のなよなよした、曖昧な、情緒で支えられているような文脈はさける。ある考えを、最小限の言葉で、ある物、状況から、わかりやすく現われてくるようにする。ひたむきになって説得するのではなく、ひたむきに説得力ある文体なり文章なりをつくりあげる」

上記は、今は亡き僕の好きな作家が言った。まさに、この言葉をそっくり献上したくなるような、翻訳文とも思えない日本語がそこにあった。
残念ながら、意気込んで読もうとしたが、記したように疲れているので読書もままならない。序文に目を通しただけだ。このあと、しばらく休んだあとで、愉しみをひとり占めするつもり……。



大御所「ドストエフスキー」が爆発的な売れ行き――最高峰のエンタテーメント

2007年11月19日(月曜日)

■本好きにとっては嬉しい現象だ。新訳の「カラマーゾフの兄弟」が爆発的に売れているという。光文社から文庫版で刊行され、全5巻で52万部ほど売れているという。訳者は東京外大の学長・亀山郁夫さん。

■この数がどれだけ凄いかというと原卓也訳の同小説の文庫本が過去30年間で約50万部だというから、わずか1年ちょっとで、それを追い抜いてしまっていることになる。

■さきほど夕刊を読んでいたら出ていた。僕は新訳のことも亀山さんのことも全く知らなかった。過去、何度かこの小説に挑んではその都度途中で投げ出している。なぜか外国人特有の名前が頭に残らず、読むのが面倒になってしまうのだ。

■娯楽系のミステリー小説でもそういうことがあるが、とても面白く読める小説もある。(名前が残らないというのは)おそらく訳された文体との相性かもしれない。合わないと数ページで投げ出してしまう。過去の「カラマーゾフの兄弟」がそうだったかどうかはわからないけど、途中で投げ出したことだけは確かだ。

■で、アマゾンでカスタマーレビューを覗いてみた。この新訳については、誰もが「とっても読みすい!」と絶賛している。そして訳者の亀山さん自身が既存の同小説は「読みにくいと思っていました」と言っている。そこで、わかりやすい翻訳を心がけたという。

■もちろん心がけてわかりやすい翻訳が成るのなら問題はないだろうが、それを成し遂げたのは亀山さんの力量に負う。「作家の人物像はもとより、政治、思想状況や時代背景など40年近いロシアに関する研究の蓄積を総動員した」とある。

■相手はドストエフスキーである。社会主義やキリスト教に真正面から挑む大思想家でもある。また世界最高峰の小説とも言われている作品である。
亀山さんが言うには、同小説は「簡単にいえば、父親殺しの犯人探しのミステリーです」とのこと。愛欲ドラマと法廷小説を絡ませ、エンタテーメントに仕立ててある能力も抜群のものであるという。

■どうやら爆発的な売れ行きをもたらしたのは、まさにドストエフスキーの小説家としてのエンタテーメント性までも最大限、引き出した新訳にあるようだ。

■小説の舞台は1861年の農奴解放後のロシアが大混乱に陥っていた時代。その時代に父親殺し、不倫、いじめ、暴力と現代の日本にも通じるテーマを盛り込んでの平易な翻訳と抜群のエンタテーメント性がつまった小説と言えば、これは売れないはずがない。なにしろ相手は世界でもトップクラスの知名度を誇る小説家なのだから。今年の締めくくりの40数日はこの小説でじっくり愉しめそうだ……。



トトロの森にあった研究所 日立の中央研究所は深い森の中に

2007年11月18日(日曜日)



研究所入口 背後は深い林です

■午前中、国分寺にある日立の中央研究所へ行ってきました。春と秋の年2回、同研究所が一般に研究所の広大な森林を開放しています。数日前に開放されることを知りました。知ったからといって普通なら出かけることはないのですが、武蔵野のおもかげを残す広大な森林だというので出かけてみました。それにあの日立の中央研究所というので、建物等にははいれないものの施設全体の雰囲気や空間が把握できるので見たかったからです。


施設へのアプローチです

■いや〜驚きました。武蔵野市に20年以上住んでますが、青梅線の奥地ならまだしも立川までの中央線沿線でこれだけの自然を残した広大な森となるとほかにないのではないでしょうか(すくなくとも僕は知りません)。

■東京ドーム5個分の広さがある20万7千平米の敷地に、樹齢100年以上のヒノキやヒマラヤ杉などの古木や大樹(120種ほど)約27,000本が密生しています。

■三鷹周辺には井の頭公園などをはじめとして広大な森や緑の敷地があります。しかしこの日立の研究所ほど武蔵野の面影をのこす広大な森となると、井の頭公園や深大寺にある神代植物公園でもかなわないのではと、その空間に足を踏み入れて思いました。そう、そこはまるっきり「トトロの森」でした。



アプローチの左右はこんな感じ





研究施設正面の建物





敷地内には多く人が…





まるで深山幽谷のような深い林




湧水です。このあたりはハケの道(段丘)で有名





あとはのんびりピクニック気分

■わずか4時間30分しかない公開時間ですけど、おそらく数千名がやってくるのでしょう。

■研究所入口の門の後ろは一面がびっしりとした林です。門をはいると深山幽谷にでも足を踏み入れたかと思うような、左右が密生した林になります。その林の中のアプローチを抜けると研究所施設の建物が現れます。
文字通り武蔵野の面影を残す密生した林といいますか森でした。深い森林の中へ入り込んだような気分でした。貴重な空間です。

■仕事柄、研究施設への訪問は結構ありますが、ここまでの自然な環境に囲まれた研究施設は初めてです。素晴らしい。



吉兆の不祥事は「知財管理」「ブランド管理」の蹉跌にある

2007年11月16日(金曜日)

■吉兆と言われても一介のライター風情とはまるで縁のない世界。それでも「吉兆」という名はやはり日本料理の世界では冠たるものとして、その名前ぐらいは知っている。

■だいぶ前だが、一時期、春夏秋冬それぞれの季節に京都まで、京都の味を訪ねて腕の確かな「カウンター割烹」の店などを食べ歩いたことがある。いわゆる名の知られた料亭などで20年以上板前として修業し、割烹の暖簾の一字をわけてもらい、それを店名に掲げて営業している店などである。

■そんなわけで日本料理に興味を持ち、湯木貞一さんの名は言うに及ばず、彼の業績などを記したものの本を読んだ憶えがある。

■吉兆グループと言われても今一ピンとこなかったが、今回の不祥事で、湯木貞一さんの一男四女のお子さんたちがそれぞれ暖簾分けされた同族グループと知る。

■長男はいわゆる本店というか大阪高麗橋の「本吉兆」を継ぎ、そして4人の娘にはそれぞれ料理人を婿にもらって暖簾分けした。

■長女から順にいうと、「東京吉兆」「京都吉兆」「船場吉兆」「神戸吉兆」という具合に。平成に入ってからそれぞれが株式会社として独立、資本関係はなかったとのこと。今回、偽装表示問題をしでかしたのが「船場吉兆」ということで、つまり三女の会社です。

■サンケイネット版(その他)によると、この「船場吉兆」はグループ内で際立った存在だったとか。若者でにぎわう心斎橋のファッションビルに進出したり、外部発注で総菜や菓子(プリンなど)の販売まで始めたりと、その意味では異端でありつつ事業的には成功していて、グループ内では売上を伸ばして話題になっていたらしい。

■吉兆グループの各トップ(お婿さん)の年齢が70代だから、おそらくもう娘さんたちの子供の世代が実質経営を仕切っている会社と考えていいでしょう。するとそこにはもう湯木さんの「心」というのはまるで残っていない。

■それ以前に、湯木さんのレベルとなると、その腕や心意気を継げるはずがない。つまり芸術家や作家の能力を子どもが継げないのと同じで一代限りということです。ですから、ある意味単に暖簾を受け継いでいるにすぎない、ブランドを受け継いでいるにすぎない。

■それで、掲げたブランドは一つだけど、実質的には資本が別々ですから、経営方針も営業スタイルも全く別々ということでしょう。

■今回の偽装不祥事、今風にいうならば「ブランド管理」、つまり「ライセンス管理」がまったく出来ていなかった、ということですね。ブランドはあるけど、事業としてそれぞれが独立した資本での会社ですから「何をしてもよい」ということになっていた。

■世知辛いですけど、今の世の中、ブランドを掲げて商売する以上、徹底したブランドやライセンスの管理感覚がなければ、まず営業はできない。できても長続きしなかったり、今回のようにブランドを傷つける事態が発生する。

■それは海外の一流ブランドの扱いや考え方をみればわかる。あそこまで伸びたのは、やはり「徹底したブランドの管理」があったればこそ。もっと身近な例でいえば、キャラクターの管理も同じです。ディズニーであれハローキティであれ、徹底した管理がそこにはある。キャラクタービジネスが別名「ライセンスビジネス」「許諾権ビジネス」といわれるのはそのためです。知財の管理が徹底している。

■しかし日本の伝統的な「暖簾分け」というスタイルとなると、そこが難しい。それに「和」を体現したある意味もっとも日本的な世界、料理の世界ということで、とてもブランド管理や知財などを持ち合わせる感覚はない。その上、日本料理の世界からかけ離れた事業の展開となると、とても「暖簾」も持つ意味、ブランドの持つ意味がわからない、わかっていない。わかっていないから、平気で偽証をおこなう。

■それは今回の本店や他のグループの発言からもわかる。本店は「資本はまったく別だし、うちの客はそこのところを理解してくれているので影響はない」とまるで他人事のように語っているし、京都吉兆では「二度と吉兆の暖簾で商売してほしくない」とまで言っている。

■これってなんとなくまともな発言にみえるが、そこにあるのは、単に伝統に胡坐をかいている姿があるにすぎない。「暖簾を守ろう!」という、「ブランドを守ろう!」という積極的な行動がない。保守的な、ある意味現代における事業の状況では後退した事業感覚といえなくもない。

■同族であれ、何であれ、同じ暖簾、同じブランドを使うのなら、どんな業種であれ、そこには徹底した暖簾の管理、ブランドの管理がなされなければならない。今回はそれをうっちゃったツケがおのずと出るべきして出てきた結果といえるのではないのか――。
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