玉川上水(武蔵野市)の事務所から…

ライターの仁です。企業広報分野でIR(Investor Relations)などの仕事をしています。折々の、あることないことで、気にとまったことを発信します。

August 2007

相撲は、国技ではなかった4

2007年8月29日(水)

さきほどテリー伊藤がラジオで言っていたけど、「相撲は国技ではない」とのこと。文科省に確認したとのことで、「国技ではなく自称国技」だって。

驚きましたね。いや、驚くも何も、おそらく国技と認定するような規定がないのでしょう。単に昔から行われてきたというだけで、だから「自称国技だった」ということなんでしょう。

でも、国技の規定なんて人は考えもしないよね、普通は。そういうもんだと、おもってるから。で、国技として信じているからこそ敬われ、人気を保ってきたところも無しとはしないはず。

それが、昔から続いた単なる格闘技のひとつでしかなかった、となったらどうなるのだろう。

もう朝青龍がモンゴルに飛び立ったのかどうかは知らないが、それにしても今回の一連の朝青龍騒動における相撲協会の対応には呆れてしまった。
説明能力すらなく、まるで組織としての体を成していない。

危機管理能力どころか、「危機意識そのものすらない」のではないのか。あれがもし企業なら信用を失墜して、たちまち破綻につながるはず。

よく言われていたことだが、相撲バカの実力者(だったモノ)が名を連ねる理事会組織の限界が、はっきりとこの朝青龍事件で表面化しましたね。

それに米国在住の日本人作家の冷泉彰彦氏が指摘していたけど、タニマチ医師が、相撲業界でしか通用しない「相撲というビジネス日本語」で朝青龍を診察しても、それがまともな診療になるのかどうか。

引用して貼り付けておこう。

白衣を着た「モンゴル語のできない」日本人医師が、ドルゴルスレン・ダグワドルジという26歳のモンゴル人と日本語で面談して、一体何になるのでしょう。

いくら17歳から日本の高校に留学しているとか、相撲部屋で日本語漬けになり、流暢に日本語を話すといっても、それはあくまで「相撲というビジネス日本語」が上手なだけであって、人生の危機にあって、その波及効果を計算しながら自分の心の中を語ってゆくというのは、母国語であるモンゴル語では可能でも、日本語では難しいと思います。


引用終わりです。

と言うことです。この指摘は日本から飛び出し、海の向こうで生活しているからこそで、中国系の優秀なコンサルタントも、自らの立場を顧みて、当初から外国人という立場が持つ意味を考えるべし、と指摘していましたね。

これは、日本人でも帰国子女のケースを考えてみればよくわかるかも。彼らが抱えている問題とも通じるでしょうから。

これぐらいにしよう。







振り込め詐欺の電話がかかってきた

2007年8月28日(火)

原稿があがらない。最後のところがうまくまとまらない。素材があるのにまとまらない。気力がもうダレている。こんなことで時間を食うのは腹立たしい。思考が働かないので、小休止してもまったくだめ。どうしよう。

先ほど、振り込め詐欺の電話がかかってきた。
電話が鳴って出たら、女性の自動録音の声で、何とか年金(だったかな)の払い戻しが8万いくらあります、という電話

最初は自動録音とは思わず、こっちはもしもしと言っていた。で、録音かとわかっても、一方的に話されるので、聞いてる方は多少頭が混乱する。相手はそれが狙いだろう。

で、今日中の払い戻しですので、この連絡が終わったあと、何番を押してください、係が出ます、というようなことを言っていた。

身に覚えがないが、その時は一瞬、間違い電話か、どういうことなんだと思いつつ、頭が多少混乱。

で、その何番のボタンというのが、聞こえていても、よく聞き取れなかったので、押そうとしても押せなかった。で、でたらめに押したら、それで切れましたね。

でもだね、受話器をとって一方的に支払いが今日までと言われれば、年金を受け取っているお年寄りは、あわてて、それに従うだろう。

電話を切ってみれば、何でうちに掛かってくるんだ、と考え直し、全体の文脈を考えて、あっそうか、振り込み詐欺の電話だったと合点がいく。

相手を出して、逆にだまくらかすんだったな、と思ったのは後になってからのことで、あの状況ではまず無理。

手がこんできているから、だまされるお年寄りがいるなと、思った次第。








創作をするということ3

2007年8月17日(金)

昨日は辻邦生の本を読んでいた。『言葉の箱』『言葉が輝くとき』の2冊だ。
辻邦生の創作論・小説論なのだが、とくに前者は話し言葉で書いてあるので実にわかりやすい。辻邦生にしては珍しい創作学校での講演を編んだものだ。(講演を仕掛けたのはあの安原ケンで、文章は辻邦生本人がすでに他界しているので編集者によるもの)

興味津々でページを繰り、途中から半ば興奮している自分がいた。長年、僕のなかで解明できなかった小説創作に関わるある秘訣が、この2冊で氷解したからだ。

この2冊は、おそらく小説以外であっても、創作に携わる人ならジャンルを問わずとても参考になると思われる重要なポイントに言及しているので、お薦めである。

これまで、実作者である小説家がものした小説論や創作論には結構目を通したが、どちらかというとそれらは小手先の技術論がほとんどだった。技術論以前に世界文学の発展の歴史を、それこそ世界文学史に名を残す大作家たちを論ずる、本格派の小説論や創作論でありつつ、〈彼らと互して作品を創造するにはを徹底して思索し尽くした内容〉でありつつ、その創作手法を己の物とした作家の小説創造に至る手法の公開である。ここまで世界文学を手玉にして、小説創作を追求し、それを成し遂げた日本の作家となると、他にいるのだろうか、僕は知らない。その希有な文学論であり、小説論であり、創作論であり、辻邦生の到達した小説の世界が申し分なく語られている。

ずっと昔、辻邦生の小説論については『小説への序章』を手にした。辻邦生が、自分の小説創作のための思索を論文として記したものだ。難しくてわからなかった。何度かトライして、その都度歯が立たず放ってきた。
でもこの2冊は違う。誰にでも読める。そして、辻邦生による小説作法の最終的な解答がこの2冊なのだ――もっと掘り下げたければ、彼の文学的彷徨を綴った、つまり彼のパリの生活を綴った日記にことこまかに書き込まれている。

最近、美術造形業を仕事にしている人を取材した。作品の完成度の高さにうなった。その人に言わせれば、たんに仕事をこなしているだけと言うものの、仕上がった作品の完成度がとてつもなく高い。

彼自身が彼等の仕事についての位置づけについて、何のてらいもなく「ぼくらが国内では一番でしょう」と口にしていたが、彼等が手がけるその美術造形のあるジャンルではおそらく国内トップ級なのだろう。だから仕事先もその腕にふさわしく、たとえば流通業なら国内トップと言われる新宿のあのデパートの仕事であるとして、その作品を見て納得した。

アーティストたちが10人弱でやっている会社だが、小さくとも企業だから創作一辺倒では会社経営はやっていけない。そこで創作と相反する会社経営の面で少なからず頭を痛めていた。

創作と実生活(の企業経営)との間に横たわるやりとりからくる苦悩は、いつの世も創作者についてまわる。己自身で克服するしかない。課題を乗り越えていくしかない。
辻邦生自身、小説創造に至るまでの彼の長い懊悩のプロセスがあるので、それでたまたま、このアーティスト達を思い出したのだ。

話がずれるが、たまたまその後で村上隆の『芸術起業論』に目を通した。そしたらもう、村上隆は、その辺の苦悩をすっかり突き抜けていた。あっさり、と。
ただし突き抜けられたのは、村上の場合、海外だったからのようだ。国内ではそういうわけにはいないだろうと言っている。

話がずれてしまったが、辻邦生の手法は血肉としたいもの。何度か目を通すつもり。






流星群を見る人

2007年8月13日(月)

夏空が美しい。紺碧の美しい空が拡がっている。深い藍の澄んだ空が白い雲と対照的でとっても美しい。この深い藍は、この時期、東京から車が居なくなり排気ガスが少ないせいなのだろうか。

昨夜のジョギングの途中、公園の中の闇の暗がりにじっと佇みながら頭を後ろに倒して空を見上げている人がいました。通り過ぎたとき、よく見たら小さな望遠鏡をのぞいているようでした。

空を見上げているのはわかったのですが、いったい何をしているのか、わからなかった。今朝のラジオで気づきました。ペルセウス座流星群を見ていたのですね。

全く失念していましたね、流星群のことを。流星群のニュースや報道に先週から触れていたにもかかわらず。

汗みどろで走っていたから、それどころではなかったからか。それに聴覚を音楽が占有していたからか。視覚に入っただけでは、そこまで気が回らなかった。いや、これって注意力が欠落しているせいなのか。ある部分の感覚がたしかに衰退している。間違いなく。









小沢一郎の選挙手法とは

2007年8月12日(日)

今週号の週刊文春が、「小沢一郎の切り札は『池田大作名誉会長の喚問』だ!」と報じている。自公の分断をねらったものなのかどうかはともかく、今いちばんの注目は「テロ特措法」問題だ。

小沢一郎がアメリカのシーファー駐日大使と会談して延長反対を固持、にわかにこの特措法延長問題が焦点として急浮上した。

今朝の日経もまるまる1ページを使って「『テロ特措法』はなぜ焦点に」と報じている(読んでみると中身は単なるおさらいで、別に目新しいことは書いてない)。

ところで、この特措法問題で民主党が分裂するのではないか、と言ってるのが政治評論家の森田実だ。

前原民主党前代表らのグループは反小沢派(米追従派)で、延長には賛意を示し、場合によっては党を割って自公になびく可能性があるというのだ。

それから、もうひとつ。ある筋が動いて、前原をどんどんマスコミに出させるように図っているのだという。マスコミも応援しているという。そういえば今日の午前の田原総一郎の番組に出ていたようだ。

いずれにしろ、特措法問題からは目がはなせなくなった。

いま、大下英治『小沢一郎の日本をぶっ壊す』(06年7月刊)を読んでいる。読みながら、小沢一郎の選挙のやり方は田中角栄の手法そのものだということがわかった。それが恐れ入るほど凄い。

そして1年前に、小沢一郎は今回の参院選の勝利をほぼ確信していた。1年前に小沢一郎は「5年前の参院選では小泉ブームでボロ負けしたが、2年前の参院選では小泉―阿部晋三コンビで戦ったにもかかわらず自民49、民主50で民主が勝っている。

「(07年の参院選は)その2年前の通りの選挙をやれば、あと20は増えるのだからね」と断言している。

では、小沢の選挙スタイルとはどういうものなのか。

今回の参議院選挙運動中の報道で小沢一郎が地方の町や村に入りこみ、少人数を集めて選挙運動(演説会)をやっている、という報道がマスコミで目立った。田舎の奥地まで入りこみ、少人数の選挙民を相手に演説をしているというのだ。一方で、阿部首相は大都市の街頭で派手に選挙運動をやっていた。そういう記事を読んで、何故、小沢一郎は、そういう選挙運動スタイルなのか、疑問だった。

その解答がこの本に出ていた。「小沢新代表の選挙術」という小見出しのもとに書いてある。

06年4月、千葉県で衆院補欠選挙が行われた。3月に前原代表に代わり代表になった小沢一郎の試金石となった選挙でもある。

初めて選挙区入りした小沢一郎は最初に野田市に本社を置くキッコーマンの本社を訪ねた。いわゆる自民党的な企業団体選挙ではないかという一部の声もあったが、そうではない。

自民党は人間関係がなくとも、社長を、会長を、人事部長を、名簿を出せと政権与党として高圧的な態度でのぞむ。ところが小沢はキッコーマンの幹部に親しい知人がいた。その縁で支援をお願いしたというのだ。そして親しい幹部と地域協議会へ挨拶まわりを行った。

翌日、小泉首相と小沢代表が選挙区でそろって現地入り。小泉首相は3市を遊説、各地で2千〜6千名を集めた。前年の衆議院選挙で初当選した小泉チルドレンの杉村大三らも顔をそろえた。いわゆる小泉人気を活かした動員型の選挙である。

一方の小沢は逆だった。「できるかぎり田舎で、小規模の演説会場」にこだわった。
「選挙運動はまず郡部、いわゆる川上で演説しろ。人がいてもいなくても、話があっという間にひろがる。田舎から行くぞ」
小沢は傘下の者にそう命じている。

野田市関宿町の鈴木貫太郎記念会館脇の駐車場を最初に選んだ。集まった聴衆は約300人。小沢はビールケースをひっくり返した粗末な演台にのぼって支持を訴えた。
「今日は総理も来るそうです。小泉さんはずっと町の中心部でおはなしするようだが、鈴木貫太郎ゆかりの地で、皆さんにお願いに参りました」

記念館は近くに駅もなく、訪れる人も少ない。ただし地元の人たちは戦争を終わらせた鈴木貫太郎は故郷の誇りでもある。

この日以降も小沢は農業地域を遊説し、市街地一辺倒の小泉首相とは対立軸を鮮明にして、無党派層や一部の保守層にも食い込んでいく。しかも体育館や公民館などのハコモノでの演説をさけ、徹底して街頭演説を展開する。

小沢は選挙カーにはまず乗らない。聴衆と同じ目線での演説を大事にしている。ある場所では集まった1500人全員と握手を交わす。小沢ほどの大物政治家がここまで懸命にやる。おそらく小泉首相には真似できないだろうし、そもそもそういう発想がないだろう。

鳩山幹事長に指令を出す。
「民主主義の基本は選挙。不要不急な部会は戦況が終わってからでいい。全員選挙区入りさせろ」
こうして、党所属の国会議員は全員が選挙区入りし、文字通りの総力戦となってのぞんだ。

「部会を中止して、みんな選挙区へはいれ!」
「一丸となってビラを配れ!」
「支持を訴えろ!」


まだまだあるがこれぐらいにしよう。
小沢の選挙スタイルは議員のモチベーションをを高める。今回も一人区での圧勝はまさに総力戦があったから。

今回の参院選で勝利を決めた後の二日間、小沢は休養した。しかし小沢は、休んでなどいない。衆院選を見越して大号令を発していた。

小沢の選挙手法は小沢の師田中角栄の教えである。


















ペットショップボーイズを聴く!

2007年8月6日(月)

午前中は原稿。暑くなって午まえにとりやめ、外出。
飯を食べて、涼しい場所で資料用の読書。

戻って、冷房を効かせてマイブーム(いま、この言葉はもうつかわれてないのかも)のペットショップボーイズを聴く。

youtubeでいろんなシンガーや曲を聴けるので、新たな出会いや発見があるんですよね。で、これはと思ったシンガーや曲を買い集めてます。


越後妻有 大地の芸術祭――アートによる地域振興の嚆矢


越後妻有 大地の芸術祭――アートによる

地域振興の嚆矢



2007年8月5日(日)



午前中は原稿書き。1本を仕上げる。昨日わが武蔵野市の気温は35度。上水を覆う緑の葉叢(はむら)のそよぎが目に涼やか。今日も同じぐらいの気温だろう。となると、午後は気分転換もかねて喫茶店へ移動だな。


ところで一昨日衝動買いした眼鏡だけど、昨日、何気なく別の眼鏡店をのぞいたら、衝動買いした眼鏡以上に気に入ったものが見つかった。


それがまた、自分の顔に似合うのだからシャクである。1、2万で買えるのならそれを購入してもいいが、立て続けに購入できる金額ではないのでしばらくは衝動買いした眼鏡を使うことにする。でも、昨日の眼鏡は気に入ったから、必ず買うぞ!


2、3日前の日経に、新潟県の観光客誘致の広告があり、そこに「越後妻有(つまり) 大地の芸術祭」が開かれているとあった。トリエンナーレで今年は開催の年ではないのでは、と一瞬思ったが、これは「これまでの野外・屋外にある作品を見てください!」という展示案内のようだ。


ほぼ一と月間の開催。ディレクターの北川フラムさんには以前、第1回開催終了後に代官山の事務所でお話をうかがった。世界中の現代芸術家を集めるだけでも大変なのに、それを田畑の中で開催してしまうのだから凄い!


たしかに彼には立川などの街中のアートをプロデュースした経験があるが、越後妻有とではスケールが違いすぎる。


移動距離にして延々300キロの田園や街中が展示場である。このスケールにはほんとに驚きました。しかもジェームズ・タレルなどの一流どころも参加しているんだから、これまた驚き。開催に至るまでは、地元の反対が相当なもので、ひどかった。話をうかがった時、大成功でおわったので、これは今後も続くとおもった。そしてこの芸術祭は、国内各地の街中の芸術イベントの嚆矢ともなったようだ。


時間がある人は是非新潟を訪れ、見てきてください。










ブログの開始!――ライターです

2007年8月2日(木)

自分のブログに、はじめて文字を書くのは多少ではあるものの緊張をおぼえる。

仕事で企業などの広報やPRの文章を書き、web上では自分の文章を見慣れていても、いざ自分のブログとなると、いささか緊張ものです。(だいぶ昔ですけど、なんか、はじめて自分の文章が活字になって掲載された雑誌を書店で見たときの心境に似てるような、似てないような――)

つまり文章担当者としては、原稿を渡せばそれでおしまいですから、自分で操作してアップしているのと違うからでしょう。

ところで、玉川上水といっても僕は武蔵野市在住ですから、周辺のことやら、近況を記していくつもりです。

この1年ちょっとやっかいなる事案にかかわり、この7月でやっと解放されました。

で、あたらしいことを初めてみようと、ブログをスタートさせました。



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